【Review】霧の中のアイドル ―舩橋淳監督『道頓堀よ、泣かせてくれ! DOCUMENTARY of NMB48』 text 伊藤弘了

  『道頓堀よ、泣かせてくれ! DOCUMENTARY of NMB48』より ©DOCUMENTARY of NMB48製作委員会

霧の向こうへ消えていった人たちがいる。その手前で踏みとどまった人たちもいる。前者の例としては木下惠介の『喜びも悲しみも幾歳月』(1957年)とアンゲロプロスの『霧の中の風景』(1988年)を挙げておけば充分だろうし[図1、2]、後者についてはアントニオーニの『赤い砂漠』(1964年)が典型ということになるだろう。前者は彼岸への旅立ちであり、後者は此岸への帰還と言い換えてもよい。そしてこの両極のあいだには、たとえば『霧の波止場』(マルセル・カルネ、1938年)や『わらの犬』(サム・ペキンパー、1972年)に見られるような仕方で、霧と戯れた数多の人々がいる。

ところで、なぜ唐突に「霧」の一語が口にされなければならないのか。それは舩橋淳が監督したドキュメンタリー映画『道頓堀よ、泣かせてくれ! DOCUMENTARY of NMB48』において、霧を捉えた場面が特権的な意味を持っているからである。本映画にあって霧は、単に一つの挿話や演出の細部であるのみならず、映画全体のテーマをまとって回帰してくる何ものかである。それはまた本作の監督が舩橋淳であることの必然性を自ずと明らかにするだろうし、それを梃子にして、我々はこの映画のうちに「ドキュメンタリー」と「フィクション」という不毛な二項対立を豊かに乗り越える契機を見出すこともできるだろう。

 
図1『喜びも悲しみも幾歳月』(木下惠介、1957年)  図2『霧の中の風景』(テオ・アンゲロプロス、1988年)

具体的な話をはじめよう。本作はNMB48というアイドル・グループの誕生から現在までを追ったドキュメンタリー映画である。NMB48はAKB48の派生グループとして2010年に大阪・難波の地に誕生した。同グループには山本彩という絶対的エースがおり、全国的に高い知名度と人気を誇る彼女は、AKB本体の公演にも加わっている。

映画の前半では、彼女がさいたまスーパーアリーナで行われたライブに参加したときの様子が伝えられる。AKB48の新曲「僕たちは戦わない」(2015年)の披露に際して、外様の山本はステージの最後列に配置されてしまい、さらには舞台演出の一環として用いられていたスモークが彼女の姿を覆い隠し、見えなくしてしまう。じっさいそのことは「霧の向こうでなかなか見えない」という字幕によって明示されている(「煙」や「スモーク」と言わずにわざわざ「霧」という言葉を採用している点に正しく注意を向けておくべきである。また本作ではナレーションと字幕の卓抜した使い分けがなされている点もここで強調しておきたい)。このとき彼女は文字通り「霧の中のアイドル」と化している。

これは一義的には、アイドルの世界における過酷なポジション争いを示す実例として理解されるべきエピソードである。しかし、より重要なのは、これが偶然捉えられた単発のエピソードにとどまるものではなく、映画全体に波及しかねないほどの強度を備えた細部となっており、じっさいに本作の演出と編集がその方向に舵を切っているという事実である。どういうことだろうか。

 『道頓堀よ、泣かせてくれ! DOCUMENTARY of NMB48』より ©DOCUMENTARY of NMB48製作委員会

本映画のテーマをあらわす言葉を一つ選ぶとすれば「不毛」がそれにふさわしいだろう(ドキュメンタリー映画であってもむろんテーマの設定や、その洗練された展開はありうる)。それは霧のモティーフと連繋しながら、少なくとも二つの水準でこの映画の方向性を規定している。

一つ目の水準は大阪という都市が備えている不毛性である。大阪が「女性アイドル不毛の地」であるということは予告の段階からさかんに強調されていた。この事態を表現するために映画は曇天の大阪を捉えたイスタブリッシング・ショット(状況設定ショット)を多用する。ある一続きの場面を始めるときに、最初に提示されるのが曇天の大阪のイメージなのである。これはほとんど劇映画的な演出の問題に属する。じっさい、舩橋が監督した劇映画『BIG RIVER』(2005年)や『桜並木の満開の下に』(2013年)では曇り空(少なくとも晴天とは言えないような表情の空)のショットが意図的かつ効果的に配置されていた。

本ドキュメンタリーにおいて監督や編集者には晴天の大阪のショットを選択する自由があったはずである。にもかかわらず、ここでも選択的に曇天が採用されている。その理由は既に半ばまで述べたように都市としての大阪の不毛性を印象づけるためであり、本映画に重さと暗さ、あるいは重苦しさのイメージを持ち込むためである(ナレーターに低音を持ち味とする萩原聖人を起用したのも、映画にしかるべき暗さと重さを与えようという演出意図に適ったものである。乃木坂46のドキュメンタリー映画『悲しみの忘れ方』[監督:丸山健志、2015年]のナレーターが女優の西田尚美だったことを考えればこれは明らかに意図的な戦略であり、選択である)。曇天と霧の強烈なイメージの下、工場周辺の不毛地帯を舞台に疎外された女性の運命を描いた『赤い砂漠』という劇映画が本作と並べられるのはこの理由によるだろう[図3]。
「赤い砂漠」(ミケランジェロ・アントニオーニ、1964年)

本作で最も劇映画的なパートは、メンバーの須藤凛々花がニーチェやJ・S・ミルの言葉を引用した「アイドル哲学問答」を朗読する場面である。あからさまな演出下で撮影されている同様の場面は映画のなかで四度繰り返される(須藤にはこれ以外に通常のインタヴュー場面が一度用意されているが、このときの空も薄曇りである)。三度目までは道頓堀川を航行する水上バスの上で黒い衣装に身を包んだ須藤が手元の本を読み上げる形で展開するのだが、そのときの空はことごとく曇っている。論理の飛躍を覚悟のうえで、ここでは雲を霧の同位的表現と見なし、その迂遠な発生源の一つとして道頓堀川を捉えておきたい(映画の冒頭で大阪が「水都」であると紹介されていたのはこの読みを裏付ける傍証となるだろう)。むろん、このとき映画のタイトルに関わる「泣くこと」のイメージにも同じ性質を読み込むことができる。

『道頓堀よ、泣かせてくれ! DOCUMENTARY of NMB48』より ©DOCUMENTARY of NMB48製作委員会

▼次のページに続く