© Belvedere, Wien
日本で『クリムト展 ウィーンと日本 1900』が始まったのは今年の4月。上野の東京都美術館に集められたグスタフ・クリムト(1862−1918)の代表作、『女の三世代』や『接吻』、『ユディトⅠ』をはじめ、初期から晩年にいたるまでのさまざまな作品が一堂に会した。私もこの展示会につい先日、足を運んだばかりなのだが、当時主流だった写実的な画法に疑問を抱き、分離派として新たな芸術表現にチャレンジしていくまでのクリムトの生き様が、その作品を通してゆっくりと感じられた。クリムトの作品に影を落とす「死」の気配、キャンバスに落とし込まれた「性」の香り、そして彼に忍び寄る病魔と不安が、絢爛な作品をどこか暗く、彩っていく……。クリムトが生きて、見て、感じたものがそのまま表れたような作品群に、思わずうっとりするのだ。この映画を見る人はもちろんクリムトファンだと思うから、もし、まだ展示会に足を運んでいないのなら是非とも予定に入れてほしい。
それで、まあ、展示会でもいえることなのだが、「グスタフ・クリムト」という人を理解するためには、彼の作品だけを眺めるのではとても不十分だ。というのも、クリムトは当時のウィーンの写し鏡のように、封建制のもとで抑圧された人々の衝動だとか、同時期に誕生したフロイトの精神分析だとか、あらゆるものの解放者と呼ばれたベートーヴェンだとか、そういうさまざまな要素を取り込み、キャンバスに描き出している画家なのだ。また、彼のモデルとなった多くのファム・ファタルたち、彼女たちとクリムトが交わした愛を知らぬことには、クリムトの描く妖艶な女性たちがなぜ、ここまで生き生きとした表情なのかもわからない。この一人の画家を理解し、その作品を十分に楽しむうえで、サブテキストは非常に重要なファクターである。だから、この展示会でも彼の家族や、モデルたち、音楽など、さまざまな事柄に焦点をあてながら、クリムトという人物を浮かび上がらせている。
本作、『クリムト エゴン・シーレとウィーン黄金時代』も、そういった点で非常にていねいに「クリムト像」を描き出してくれる。彼と、彼を唯一の師としたったエゴン・シーレ(1890−1918)という二人の画家にスポットライトを当てつつ、精神医学者フロイト、彼らを招き交流を持たせたサロンの女主人ベルタ・ツッカーカンドル、クリムトのモデルからシーレのミューズ、そして内縁の妻となったヴァリー・ノイツィル、『接吻』のモデルとなったエミーリア・フレーゲなど、さまざまな人物を紹介する。なかでも、クリムトとシーレ、そしてフロイトの関係については、興味深い考察がいくつも飛び出す。たとえば、人間の根源的な衝動としてフロイトが「性」と「死」をあげたとき、彼らは人間の官能と不安を絵画に描き出したし、そもそも彼らが既存の芸術に反抗して新たな表現に挑戦する、という試みそのものが、フロイトの提唱した「エディプス・コンプレックス」として説明できる、という説も登場する。
©Archiv des Belvedere, Wien, Nachlass Ankwicz-Kleehoven
こうした議論は、多彩なナレーターやコメンテーターたちのもと進んでいく。ナレーターはイタリア出身の若手俳優、ロレンツィオ・リケルミー、女優やモデル、実業家として活躍するリリー・コールの二人だ。彼らのガイドや、ときには朗読と並行し、美術史家や写真史家、ピアニスト、美術作品のコレクターらがコメンテーターとして登場する。先にあげたフロイトと二人の画家に対する考察のように、それぞれが異なる視点で、当時のウィーンやその時代を生きた人々、彼らの作品について解説してくれる。個人的に面白かったのは、クリムトの最高傑作ともいえる『接吻』について。ナレーターやコメンテーターたちは、当時その過激さからウィーンでは公演禁止となり、「妄想と性的な倒錯の産物」と酷評された歌劇『サロメ』との関係、クリムトが新しく発明した技法を駆使した背景の描き方、作品に描かれた精子と卵子のシンボルなど、作品にさまざまな観点を与えながらクリムトと性の表現を語る。一方シーレは、この作品と同じテーマ、構図で枢機卿と尼僧の接吻を描き、当時のオーストリアで大きな物議を醸した。コメンテーターたちは彼の作品について、モデルを精神的にも肉体的にも追い込む彼の暴力的な創作方法、それと一見矛盾するようだが、彼の絵が女性のセクシュアリティを肯定する、当時としては革新的な表現方法だったことを読み解いていくのだ。
こうして一本の映画を見終えるころには、クリムトとシーレという二人の画家についてはもちろん、彼らが生きた世紀末ウィーンという時代そのものがはっきりと目に浮かぶ。オーストリア=ハンガリー帝国のもと、類まれなる文化の成長をみせたウィーン。サロン文化が開花し、ベートーヴェンやモーツァルトが口ずさまれ、抑圧のなかからクリムトらのように新たな表現を求める芸術家が誕生した一時代。しかし背後からは世界を混乱に陥れる二つの大戦が迫り、ハプスブルク家のもと花開いた絢爛な文化に少しずつ影を落とす……。ベルサイユ条約が結ばれる前年、クリムトとシーレはともにスペイン風邪でこの世を去ったが、それはウィーンの黄金時代の終わりをも意味したのだ。作中にはクリムトやシーレの作品を所蔵するアルベルティーナ美術館やベルヴェデーレ宮オーストリア絵画館、美術史美術館、分離派会館、レオポルド美術館、ウィーン博物館、ジークムント・フロイト博物館も次々に登場。スクリーンに映し出されるのは現代のウィーンだが、語りに耳を傾けながらゆっくりと映像を目で追えば、そこかしこでクリムトらが生きたウィーン黄金時代のかけらを感じられるだろう。
© Belvedere, Wien, Photo: Johannes Stoll
【作品情報】
『クリムト エゴン・シーレとウィーン黄金時代』
(2018年/90分/イタリア/ドキュメンタリー)
監督:ミシェル・マリー
製作総指揮:ベロニカ・ボッタネッリ 脚本:アリアンナ・マレリ 撮影:マテウス・シュトレツキ
編集:バレンティーナ・ギロッティ キャスト:ロレンツォ・リケルミー、リリー・コール
配給:彩プロ
公式HP:http://klimt.ayapro.ne.jp
6月8日(土)より、シネスイッチ銀座ほかにて全国順次公開!
『クリムト展 ウィーンと日本 1900』 東京都美術館で開催!(4/23-7/10)
【執筆者プロフィール】
舘 由花子(たち・ゆかこ)
奈良県出身、東京都在住の編集者。大学院では映画学を専攻。『なら国際映画祭』にたずさわり、作品選定や翻訳、カタログなどの編集・ライティングを担当する。