【連載】つげ義春 「ガロ」時代 第1回 text 正津勉

不思議な絵」 「沼」まで1

「沼」。つげ義春、その名前をはじめて決定的にせしめた作品である。それはときにわたしらに一過性でないつよい読後感をもたらしたものである。じつはこの作の成り立ちには寿恵比楼滞在がそれは深く濃く関わっている。いやもっといってここで日を送っていなければ、ひょっとすると陽の目をみていなかったかも。そこでこれから「沼」に向かう心つもりでいる。だがそのまえにやはり、この地での散策や出来事や空想から生まれた作品を順に、ここにあげておきたい。これが凄いのだ。

「不思議な絵」(66・1)

「沼」(66・2)

「初茸がり」(66・4)

「紅い花」(67・10)

「西部田村事件」(67・12)

 どうだろう、つげ世界誕生をつげる名作続々、ではないか。

「不思議な絵」。まずもってこの一作を俎上にすることにする。じつはこの作が寿恵比楼滞在中に描かれている。

主人公は、貧乏長屋住まいの大酒飲みの素浪人。前作の「西瓜酒」も同様。この設定は自由人の象徴、つげの憧憬なろう(ついでながらご本人はというと、酒飲みの当方など大弱りの、まったくの下戸)。のらりくらり金目のものが落ちていないかとうつむき歩くような為体(ていたらく)のやっこである。

とある日のこと。ときにたまたま町中でひろった掛軸、それを広げてみるのだが、はたしてなんの絵なのか、判然としない奇怪なやつとくる。なんとなし樹木みたいかと、みようには地図らしくもある。

それじゃこれから退屈しのぎに掛軸の地図にしたがい町中をゆるりと探索することにすべえと。どうだろう、このふらつき歩きかげん、ここらにもこの寿恵比楼周辺をぶらぶらした、そんなのんびり感がただよって、みられないか。

はてさて、その地図は素浪人を何処へと、みちびく? するとなんとさきざき行くほどに掛軸の功徳あってか二度も只酒にありつく運にめぐまれているのである。そうしてしばらく地図の道のそこが「チョン切れて」いるのに気づかされるのだ。「これから先が空白ってのはどういうわけだい」。

いやいったい「空白にはなにがある?」「行ってみよう」とどれほどか。するうちに「だんだんと町はずれに」きていて「日もとっぷりと暮れ……」「ここから空白の地点だ」とつづき。そうしてつぎにまのあたりにするのだ。「なるほどなにもない……原ッパだ」。

「コーン コーン」、狐が鳴く。真っ暗な野中に一軒家の灯りひとつ。訪ねると絵師がいて、なんとその軸の絵は「でたらめをかいて捨てたのよ」と吹き出すのったら。もうたちまち打ち解けて「どれ一パイ」「おっとそうこなくちゃ」なんてぐあい。いきおい3度目の酒宴になっている……。

いったいこれをどう読んだらいいものか。はっきりと言い得ることは、そのさき66年発表の前記3作とくらべて、あきらかに趣を異にすること。それはどういう点においてそうなのか。

つまるところできるだけ貸本マンガ的約束事から自由たらんとしていることだ。よくいわれるように必ず〈起承転結〉に則るということわり。ありきたりもいい制約からこの時点において、それこそ「でたらめ」でまかせ、いやもう闇雲もよろしく逸脱せんとしたことだ。つげが、どれほど〈結〉というか、もっともらしいオチを厭おっていたか。のちにみる「沼」がそれこそ、バサリと〈結〉をチョン切ったこと、そのことを浮かべられたい。ここでいま一度地図の空白に戻ってみられよ。

地図のその空白。そこにさしかかると屋並みが途切れてしまい、いちめんの茫漠たる野原をまえにするのだ。町中→空白→野原、そのように彷徨するしだい。いわばその空白へ一歩、それこそが探しあぐんだ、作画の試行だったろう。いうならば新しい世界への踏みこみのそれ。

しまいにいわずもがなながら、あえてここにくわえておこう。

やはり〈結〉に関わって。しめくくりになくもがな謎解きをしていることである。つげにして、いまだチョン切れなかった、うらみあり。このことでは最終頁最終コマをみられよ。つげは、ここでこんなような吹き出しでもってしめくくっている。ほんとこの、すっとぼけ自嘲ぶりったら、どうだろう。

「話のしめくくりにならない」「イッヒヒヒヒヒ」

そうなのである。おもえばここは「沼」を描いたつげならば、さきの何もない原ッパを、最終頁全面、いっぱいただもう浪人の背中を無言で佇立させておくのでは。狐の鳴く真っ暗な闇へ目を剥き。

それこそそう、「沼」最終頁をしめる「ズド――ン」という発射音一発、さながらにも。

 

「初茸がり」 「沼」まで2

「不思議な絵」(66・1)につづき、翌月「沼」(66・2)が発表される。ならば順序で「沼」を俎上にすべき。だがしばし待たれたくある。

「初茸がり」(66・4)。この作を間に挟もう。ついては以下読んで戴ければ了解されようが。あえていえば、本作がもっとも素直に寿恵比楼滞在から着想をえている一幅、だからである。

ところでまず発表の経緯がおかしい。ほんとなんとも、マンガチック、なることったら! つげは、当時、66年2月から、水木しげるのアシスタントをしていた。それでその仕事に専念するべく「ガロ」への発表は念頭になかった。だがときに水木が「ガロ」に16頁描く予定だった作品が半分の8頁で完結してしまった。そのために急遽つげが穴埋めで仕上げたという。なんとそれも3日、4日ぐらいでとか。そこらを思ってみよ。

いったい何をどう描くべえか。七転八倒。いやそりゃ頭かかえ悩んだだろう。そのときふっと降ってくるように浮かんでいたのだ。

――寿恵比楼!

* 

山家にひとり侘び住む祖父の許に来ている孫。正太は、「ザー ザー」、雨が降りしく窓の外を眺めている。

「正太あしたは初茸がりに行こう」「ほんとおじいちゃん」。すると遠くの山の中ほどの一角だけに大粒の雨が降っている。それはちょうど初茸の生える赤松のあたりだ。「アッ!」と驚く正太。

「あれはバックの明暗であそこだけはっきりと雨が見えるのじゃよ」と祖父が説明。早く寝るよう諭す。正太は、だがあしたの初茸がりが楽しくてならず、床に就いたものの目が冴えるばかり、なかなか眠ろうに寝付けないと。

「カッチ カッチ」、大きな柱時計の音が静かな雨の夜の部屋に響く。不思議そうに柱時計を見つめる正太。なぜ大きな柱時計があるのか不思議に思い、問いかけるが、祖父は「グー」と大鼾をかき「鼻ぢょうちんを出してる」

明けて朝、祖父が起きて隣の床に声を掛ける「正太朝だぞこれ起きなさい」。「正太」「あれ??」。「正太どこだ?」。「正太…………」。そして最終頁最終コマは?

「グー グー」、正太は、大きな柱時計の振り子箱の中に入り込んで寝息を立て熟睡している。

「初茸がり」。いまここで、これはこの作は寿恵比楼が描かせたもの、そういおう。

実際、つげは、滞在中の1日、白土と初茸がりに出掛けている。もっともこのとき収穫はなかったとか。初茸は、名の通り、きのこ狩りシーズンの初めがベター。そのさき芭蕉が「初茸やまだ日数経ぬ松の露」と詠むように。これからもときに10月であれば季節はずれだったろう。

それはさて、もっと宿に関わって、みてみたい。つぎの2点は本作で肝要である。

一つ、はじめに大柱時計のことだ。じつはこれがそもそも寿恵比楼の母屋は大広間に掛けられていたとか。ほんとうのところは子供が入り込める寸法ではなかったそうだが。しかしどでかい自分の背丈を超えるさまが強烈に印象に残ったのだろう。

一つ、バックの黒い山の中ほどの一角だけに雨が降って見えるシーン。それもなんと寿恵比楼の2階のいちばん奥の六畳間の窓から見た「天気雨みたいに陽が差していた」光景からヒントをえたと。

じつはこのことが可能になったのは、白土に急用有り2日先に帰京する、というような事情があったからだとか。つげは、このとき描いていた前項の「不思議な絵」が出来ていない、そのため岩崎とふたり延泊するのだ。それでもってあの奇妙な降雨現象を目撃することになった。だけどもしも白土と帰っていたとしたら、はたしてこの小品が描かれていたかどうか。

さて、つづいて人物をみたい。登場は祖父と孫の両人。

祖父は、白土三平? 正太は、つげ本人? ではとの見方がある。白土は、このとき白髭をたくわえ仙人よろしき風貌だったと。つげは、でなんとなし白土を憧憬していたよし(『つげ義春を旅する』)。白土については当方もつげから伺っている。「畏れおおくて敬して遠ざける感じだったな」

祖父は、白土三平? なるほどわからなくもない。しかしわたしのそれはちがう。「私の祖父は一時泥棒をしていた」(自伝的エッセイ「万引き」)という、つげの義祖父である。

つげは、「四年生の頃から手塚治虫のマンガに夢中になりだした」。だが貧しさのため母に買ってもらうことはできず、3ヶ月に1度くらい帰ってくる泥棒の祖父を待ちわびて買ってもらった。その後窃盗で逮捕され1年間の服役のあと帰ってきた祖父を近所の本屋に引っ張っていってせびる。そしてつげが外で待っていると、「万引き!」の怒号……。

「ボッタ(ボロ布の謂)爺い」と蔑まれた祖父。孫のために手塚本を「万引き」する元泥棒のおじいさん。つげは、ひょっとしてこの優しくも哀しい義祖父をこそ胸に描いていたのでは?

それはさて。ここであらためて問い直しておきたくある。こういおう。

それはなんで、どうして祖父と孫であるか、ということだ。たとえばこのことの繋がりでこんな言葉があるのを思いだすのはどうだ。「祖父が孫に生まれてくる」(「先祖の話」柳田國男)。孫は祖父(または祖母)の生まれ代わり。などなどとここでそんな転生譚、翁童論めくことはよしとしよう。なんだかどうにも小難しくなりそうだから。よくいわれるように、老人はみな、物知りなり、ということわりだと。そしてそれはそう、もっともよく隔世伝承されるとそう、いっておけばいい。

「あの赤松のあたりがいいだろう」「初茸はひと雨ごとに大きくなるからな」「あれはバックの明暗であそこだけ……」。正太は、おじいちゃんのこの智恵のぜんぶを憶えていて生涯ぜったいに忘れようないのである。ついでながら私事におよべば、こちらには祖母がそうである。いつかつぎのように書いたりもしている。

「当方、バッちゃん子だったのだ。バァのしなびた乳を吸ったおもいはない、だがまあ、幼い日よりバァをとおし習い諭されてきた。もうニッポン全国の食卓のどっこにも、こんなへんな前代の遺風はみられない。バァは、三度の膳に必ず飯粒を二つ三つほど、のこす。バァは、孫に説き聞かせた。悪業の報い地獄に迷う亡者ら、それはあすのわが身のことでもあれば、ふびんな、餓鬼に一口、あげんと」(「彼の山へ」)。

それにしても祖父の起用はというと、いやほんと卓抜な着想ではないか。つげは、こののちじつに印象的な祖父(または祖母)役を画中に配してゆくことになる。

たとえば爺さんでは、「長八の宿」のジッさん、「ほんやら洞のべんさん」はどうだ。そうして婆さんでは「ゲンセンカン主人」の婆様達などなど。