【連載】つげ義春 「ガロ」時代 第2回 text 正津勉

西部田村事件

「紅い花」、ようやくこの力稿をものしえた。翌月、「西部田村事件」(67・12)発表。これがまた寿恵比楼関連作品なのである。さきに「紅い花」の項で「つげは、釣り好きの白土に連れだって夷隅川のいずこかで竿を振っているのだ」と書いた。

舞台は大多喜町西部田村。寿恵比楼の南方へ徒歩2、30分近くの集落。冒頭2コマ目、以下のような記述がみえる。しかしいまその根拠はなんぞやなどと喋々することはよす。ただここに説明ぬきで引用しておこう。

「土地の人は今でも部落と呼んでいるので 昔の部落民の集まりでできた村であろう」

これなどはさしずめ、当作においては(今日の観点からすると考慮すべき表現も数少なく散見される箇所がありますが……)うんぬんと註記、されるたぐいだろう。

はじめに作中に西部田療養所として描かれる精神病院(現、大多喜病院)の所在について。じつは釣り場への途中、病院の側を通ること。そのあたりの経緯は描き出し部分で綴られているが。つげは、その道すがらあそこから患者さんが逃げ出したらどうなるかと案じた。するうちにだんだんとストーリーがふくらみつづける。

さてそれではここからは、順にコマに沿い、みてゆくことにしたい。

「沼」と同様にハヤ釣りに来ている作者に近い青年。そこへ村の消防団員が現れて凄い剣幕で怒鳴る。

「おめ こんな処で釣りなんかしているばやいじゃねえぞ」。「病院の気違いが一人逃げたので村中大騒ぎだ」、「えッ」

「この只ごとならぬ事件は、村人を相当に興奮させたようだ 皆んなてんでんに、まきだっぽうやこん棒を持ち、中には昔のゲートルを巻いている者もいる」。「さっそく捜索隊が編成された」

緊急事態発生! みんなが殺気立っている。青年が、「でもまさか殺すわけではないでしょうね」と問いかけると、「そのときの調子ってもんだペサ」と返ってくると。それからもう必死にも滑稽なる捜索がはじまる。いやもうこの妄動、脳天気な、わいわいがやがや、馬鹿騒ぎ、軽挙はなんなのだ。

どうしょうもないどん百姓さまであるのったら。いまこの場面で関東大震災の自警団による朝鮮人虐殺が想起されると。そのようにいったら撲殺されてしまうだろうか。あの「まきだっぽうやこん棒」それ、でもってひところり。

一悶着、二悶着……。青年は、とても付き合っていられず、ひとり釣り場をさかのぼる。「ギヨッ」。とびっくり松林のそこの茂みにしゃがみ、なにかとマツタケを採っている患者とばったり。

「おや あなたは釣師ですね それは丁度よい」

「案内しましょう」。とやおら自分の知る穴場に誘ってくる。青年は、一瞬たじろぐが、逆らわずしたがう。患者は、道々、身の上を語る。身体を悪くして、大学を中退し、現在入院中とか。「彼は思ったより正常のようだ」

やがて堰堤のある穴場へいたる。でそこで二人で釣りを楽しもう、という矢先なんと、なんとも彼が岩に穿たれた穴に足をはめる。実際、ここはこの場面はさきに白土三平が当の場所、蟹取橋下は堰堤工事の杭穴跡、そこに膝くらいの深さまではまった事実から着想をえたと。

「穴の底に魚が一匹いるようです」。逃げ場をなくした魚が足裏をくすぐる。「魚のやつびっくりしているんだな」、「ああくすぐったい」。ここらのつげの技の冴えをみられよ。ほんとう上手いものだ。

そして青年がすわ、「きみッ これは助太刀を頼まなくてはならんぞ」と、病院へ連絡に走り、現場へ引き返す。みるとその足は抜けていたが。「ハックシン」。谷間の日は翳るのが早い。彼は、風邪を引いたようで、医師に連れられて行った……。

ところでなぜそもそも、脱走精神病患者、なのではあるのだろう。

ついてはその幼時たけでもいい。そのことはつげの個人史をのぞけばわかる。いやまったく歴然もいいのである。

1941年、4歳、千葉県大原町で幼稚園に入園。しかしながら集団生活になじめなく3日でやめている。

翌年、5歳。父の死に遭う。出稼ぎ先の旅館の部屋で錯乱状態のまま他界してゆく父。死因はアルジソン氏病。享年42。

「天井までとどきそうに積みあげられた蒲団の谷間のような隙間に、父はどす黒い顔をして挟まっていた。目はおびえたように大きく見開き、のび過ぎた爪で空を掻くような真似をし、誰も近づけさせなかった。……ぼくは、ただ事でない恐怖を覚えた。おそらく生れて初めての恐怖であったと思う」(「断片的回想記」)

幼児にこのときの衝撃はいかほどか。了解しがたい、わからぬ事態。自分もまたいつか父と同じように狂死しはてるのでは? つげは、そのはじめから生い立ちにさかのぼり暗く塞ぐしかなかった。そうして生まれ落ちた環境もだけど、くわえて巡り合わせた時代がひどい。

45年3月10日、東京大空襲。それこそいっぱいさんざん焼け焦げた屍体を目の当たりにさせられただろう。新潟県赤倉温泉に学童疎開。ここでもやはり集団生活になじめず赤面恐怖症になっている。じつをいうとその昔に当方も同病で苦しんでいるのだ。

「この奇癖のおよぼす影響は、すべての将来をろくでもないものに決定してしまった。……この傾向は、のちに六年生頃にはもっと著しくなり、秋の運動会のとき、大勢の人の前で走るのが恐しくて自分の足の裏をカミソリで切ってしまった」(同前)

これをみるだけでいい。脱走精神病患者、いうならばそれはそのまま、幼い日からジグザグを繰り返し、やまないしだいそっくり、遁走曲的自画像。そうであるにちがいない。

というところで最終頁をみることにしょう。かくかくしかじか一件落着というようなしだい。青年は、岩場に腰を下ろし煙草を一服、ゆらめく紫煙の吹き出しの台詞にある(つげは、ついでながら健康のために吸うという愛煙家であられる)。

「彼が何故 無断で病院をぬけ出したのかそれは分らない…………秋の散歩と しゃれたのであろうか……」

そしてつづく1コマをみたい。青年は、患者がはまった穴底。やおらそこへ腕を突こみくだんのハヤを助け出してやるのだ。

「とんだ巻きぞえをくったハヤは 穴の底でクッタリとなっていた」

それでそいつをどうかするのか。一拍おいて、最終3コマ。そのしまいがよろしいのったら。

「そっと流れに放してやると」
「猫柳の下でしばらくじっとして……」
「それから勢いよく泳いでいった」

 

【執筆者プロフィール】

正津勉(しょうづ・べん)
1945年、福井県大野市生まれ。詩人。詩誌「ポエム」編集に携わり同誌上、つげ義春と湯治場巡り「桃源行」(1976・10~77・5)連載。「特集つげ義春」(77・1)刊行。ほか対談・小論など。本稿は、はじめて積年のつげ漫画読解にいどむ論考である。