【連載】つげ義春 「ガロ」時代 第3回 text 正津勉

第三章 李さん一家

地べたを這いずり 

「チーコ

第一章「沼」、第二章「紅い花」。これらの二章に「ある秋の旅から」と副題している。そうして房総の旅籠での短い滞在それが、突如、つげ漫画の開花を招いた様相を跡付けてきた。いまそこでふれた作をまとめて〈寿恵比楼篇〉とでもして棚にあげておこう。

本章においては、「地べたを這いずり」、副題をそうした。なんでどうしてなのか、そこらは以下読まれれば、おわかりいただけよう。

旅は良いが、旅は終わる。終われば、帰らねば。つげにとって、帰るところが喧噪きわまりない、どうしようもなく死にたくなるような、帰りたくない東京なのである、ほかにはない。

できるならばこの街など早く逃げ出してしまいたいだけ。きようまでずっと生まれてこのかた喰うためにあくせく、飢餓線上、ぎりぎりいつだって人さまにさげすまれ長らえてきたのだ。であるならばこの街での生き死を描いておくとしょうか。

――死に土産に……

そのようにも貧困窮したはてものした。ここであえてジャンル分けするなら〈私小説的篇〉とでもしてファイルに収められるたぐい。そのしょっぱな一作目がこれなのである。

「チーコ」(66・3)。「沼」の翌月発表だ。これがさきに第一章で書いたように、「沼」ともども漫画界ではひどく不評をかった。それはどうしてか。それまでの漫画とはちがった、とても相容れない、ありえない漫画だったからだ。いうまでもない。

ところでこれがいかなる新しさを拓いたものであったか。「チーコ」、これからこの〈私小説的篇〉の出発的作品にふれてゆく。つづいて当方が偏愛してやまない、このジャンルをなおいっそう深化、展開させたとみるつげワールドたる、つぎなる二作の世界についておよぼう。

山椒魚(67・5)

李さん一家(67・6)

「ガリ ガリ」。ペンを走らせ漫画を描く青年。粗末なアパートの一室。「フーッ」。とそこに同棲する若い女性が急に引き戸を開けぎわ、「あんた!」と、同意を求めるのだ。

「ねぇ買ってもいいでしょう」。それで何を買うかと、「文鳥」を飼いたいと。「文鳥ってどんな鳥だっけなあ」と、とぼける彼。「ほら まっ白で嘴だけ まっ赤な…………」と、にこやかに彼女。二人は、その日、駅前の鳥屋で文鳥を買う。彼女のヘソクリ600円也でもって。彼女は、その足で勤め先の飲み屋へ急ぐ。彼は、文鳥を持って部屋に戻る。

その夜、駅頭で煙草を吸いいつものように彼女を待つ彼。しかしその眼の前にどうしたか今夜にかぎり終電がすぎたのに姿を現わさない。それで仕方なく戻ると彼女が泥酔して俯せ眠っている。どうしたのかきくと指名客とドライブをしたとか。

「ぼくは駅で二時間半も待ってたんだぜ」。激しく叱責する彼。「せっかく指名してくれたんだもの断れないじゃない」。怒鳴り返す彼女。
そんなに私のことが気になるのなら 早くお店をやめさせてよ

そしてそれから幾日だろうかすぎた一日。チーコと名付けた文鳥とじゃれあい可愛がる二人。
「ほらあんた もう窓をあけといても 逃げたりしないわよ」
これぞチーコが仲立ちとなったおかげ。いまや二人はいつやらの二人ならず。ほんとうに仲睦まじくなっている。

「ぼくたち チーコが来てからけんかしなくなったね」、「チーコは 幸せの青い鳥よ」
そしてとある日のことである。彼女は、夜の仕事へ。彼は、部屋に残る。そして「そうだ 絵を描いてやろう」と思い立つこと、「サッ サッ」と、チーコをスケッチ。動くと邪魔なのでチーコをピースのタバコケースに入れて一筆。「さあ出来上り」。彼は、すっかり良い気分になって、「それッ!」と、チーコを宙に放る。するとケースを脱ぐように羽ばたくチーコ。「うまい!」

「もう一度」。ケースに入れてチーコを放りあげる。「高い 高い」。となんとチーコは垂直にケースごと落下。

「ヒユーッ」。「ド サ」。「チチ チチ」。「クエーッ」。「ク ク ク」

彼は、目の玉を剥き、呟く。「嘴が まっ白になっていく」
どうしょう? どうしたら? 彼は、ぼっと夜の庭にでて、チーコの亡骸を草陰に埋葬するため、ひとり土を掘るのだ……。

さきに「チーコ」を「〈私小説的篇〉の出発的作品」とした。これがまさにそのとおり見本よろしいものといえよう。つげは、このように作の背景を明かしている。

一九六〇(昭35)年 23歳

 コケシというアダ名の女性を知り、大塚に転居し同棲する。精力的に作品を描くが、零細な貸本マンガで二人分の生活を維持するのは困難をきわめ極貧に喘ぐ。……。安保の騒ぎもまったく知らずに過ごす」(「つげ義春自分史」)

この一年、つげは、「二人分の生活を維持する」ために、なんと27篇と多数の作品を発表している。さすがに乱作気味ではある。しかしながらなかには異才つげにしか描けないような名品があるのである。いまここでふれる紙幅はないので一作にかぎって題名だけをとどめよう。それは「鬼面石」(「別冊忍風4」1960・11)である。まあこれが凄いのである。ぜひとも読まれたし。それはさて苦しいのだ。どうにも喰えないのだ。

「マンガを描きながら少しでも時間を惜しんで、手のあいているときは電気の笠貼り、水筒のヒモ付けなどの内職もした。……。貧困がもとで互いの気持ちがささくれ、いさかいも絶えなかった。稼ぎの悪い私は常に劣勢で、いつもK(註、コケシ)の顔色をうかがいビクビクしていた」(「苦節十年記」)

ここらあたりの男女の事情についてはそうだ。たとえばつぎの二つのシーン、彼女から渡されたモヤシとソーセージを炒めるコマ(つげの焼きそば作りの腕やよし、参照「散歩の日々」)と、彼がひなのチーコにエサをやるコマ(竹ベラで差し餌をする細やかさ)と、そのちがいを較べてみたら。いわくいいがたき微妙な関係のそのゆらぎ。

「ビクビクしていた」という。そこを経済でみると、彼女→彼→チーコ、という順序になると。シビアきわまりないのである。

これだけでじゅうぶんで説明はなくもがなであろう。いやそれでは不案内にすぎるかも。もうちょっとくわえて引用をほどこしておくべきか。ここは『つげ義春漫画術』をみる。つげは、のっけから繰り返しいいつのる。

「ええ、話そのものはほとんど忠実です」「そう、文鳥をタバコケースに入れて死なせちゃったのもその通りなんです」「だから、話はほとんど実話です」「そうです。ただ部屋の間取りとか細かいところはちがうんですけれども」

というここで立ち止まってみよう。「文鳥をタバコケースに入れて」。とあるその銘柄が高価な「ピース」であること。つげは、じつはこの頃シケモクを拾って吸うような貧しさだった。であれば「ピース」にはその語義も含めてつげのつよい作為を感じられないだろうか。

「これほどシリアスなマンガはほかにはまったくなかったし、『ガロ』にだってまだ誰も描いていいないですもの。……私小説的なドラマを描くことにためらいはなかったんですか?」。つげのこのときの、この問への答えが、いかにもっぽい。

「そういうこと全然考えなかったですよ。何も考えなかったですね。……。文学に私小説の世界があるなんていうのも知らないのに自然とこういうのが描けちゃった。これもラストページの大コマね、うまくいっているなと」

それでは、かくいうラストの「大コマ」がいかがなものか、みてみる。

「本当だってば」。チーコは、逃げた。「まだ疑うのか」。彼は、嘘をつく。「信じられないわ」

「私がチーコをあんまり可愛がるから あんたヤキモチやいて殺したのよ」。しかし突然のこと、庭を掘り探しつづける彼女ががらりと引き戸を開けていう。「あんたチーコいたわよ」
エッ!」。庭に下りる……。植え込みに……。「アッ!
「ネ 本物みたいでしょ」。「チーコ チーコ」。彼女は、呼びかけ、枝先で「チユッ チユ」と画をつつく。「アッ」

風が吹き、画が空へ。飛び去る画へ、もう一度声をかける。「チーコ チーコ」
 ――最終の一頁。二人が見上げる空高く、チーコが飛んでゆく……。
「うまくいっているなと」。しかしながら、このエンディングは、どんなものか。そのさき二十歳のわたしは、どういったらいいものか、なんとなし疑問符(はてなマーク)であった。こりゃあれや、まあファンタジーや、ないやろかと。 

このことに関わってみる。つげは、のちに「チーコ」の男女の行く末の再画をこころみた。それは「別離」(「COMICばく」1987・6、9)である。ついでながらこの作品以後、いま現在まで、新作発表はとだえたままだ。つげは、これにふれて以下のようにいう。つげ後年の目は容赦ない。

「『チーコ』も、鳥が飛んで行って最後に別離を暗示するような、不幸な終わり方だけれども、まだ、甘いんですよ。……。まだどこかに救いが残っているような感じがあると思うんですね」「『チーコ』を描いたときは、まだ自分自身が若いでしょう。どっか若さとか甘さがあるような気がしてね」(『つげ義春漫画術』「別離」の項)

なるほどである。さきにあげた「つげ義春自分史」をみればわかる。なっとくである。

一九六一(昭36)年 24歳

 主に仕事をしていた三洋社(註、長井勝一経営)の倒産により、経済的に行きづまり、彼女とも別離する破目となる」

一九六二(昭37)年 25歳

 錦糸町の元の下宿に戻り、家主の経営する装飾屋に勤務する。

 下宿で睡眠薬自殺をはかるが、病院にかつぎ込まれ未遂におわる」

ついでにこの一件について書いている一節がおかしいのだ。ここに紹介しよう。なんとこのとき不審に思った(?)アパートの大家さんの飼い犬がつげの部屋までついてきたそう。

「……部屋の扉を開けたまま犬にお手をさせたりするうちに眠気が襲ってきた。……。/犬は部屋の入口にきちんと座っていた。私は体が泥沼に沈んでゆくような重さを感じながら、犬に「バイバイ」と横になったまま手を振ってみせた」(「自殺未遂」)

死にかかりながら犬に「バイバイ」してみせる。このなんとも寂しいユーモア。これまたつげの才というべきだろう。

死に損じてしまったからには! あとはずっともう呼吸が停止でもしないかぎり。生き損じつづけなければならない!

どんなものだろう。まさに「地べたを這いずり」ぱなし。そのものでないか。

「チーコ」。つげは、ところでこの一篇をものしたこと。これによりいま一つ新たに〈私小説的篇〉なる道を拓いたのである。

こののち「下宿の頃」「義男の青春」などなど……。つげは、つぎつぎとこの分野で秀作を発表してゆくのである。