【連載】つげ義春「ガロ」時代 第7回 text 正津勉

第七章「ねじ式」

  テッテ的に

 

「ねじ式」(「ガロ増刊号 つげ義春特集」1968・6)は、事件であった。

「ねじ式」とは、いったい何なるのか。いまこの一編を要約するなどとは、はなから無理な相談というものだろう。
海辺に泳ぎに来てメメクラゲに左腕の静脈を噛み切られた少年。ぼくが医者を求めて息も絶え絶えになり漁村を訊ね廻る。そうしてようやく見つけた女医、その人から性交をするような姿態でもって「シリツ(手術)」を施され、静脈にねじを付けられてしまう。そして最後のコマ。なんともなんと「そういうわけで このねじを締めると ぼくの左腕は しびれるようになったのです」としておしまい。

「そういうわけで」とは、いったいぜんたい、どういうわけなるか? 
漫画史上になかった奇想天外、荒唐無稽きわまりない夢魔漫画。などなどとこの作は発表時より数多く論じられてきたこと。ひるがえってみるにつけ今日にいたるまで研究・評論のたぐいは枚挙にいとまがないほどだ(つげ主義たちの「漫画主義」の応援論考がその嚆矢であった)。
こちらもそのうちのかなりの数を読んできてはいるものだ。だがそのいずれも隔靴掻痒といったらいいか。なんだかどうにもこうにも飲み込めないようなものばかり。
「ねじ式」は、難しい。とんでもなく易しくないのだ。こちらなどにはとても論じられないし、そうしてまた論じたくもなかった。そういうしだいで気ままにその都度自由、勝手解釈をほしいままに愉しむことにしてきた。
それがしかしなんという。これからこの作に向かおうという。いったいどう何から書いたらいいか。ほんとずっと書き出せないでいる。どうしたらいいものやら。
こうなるとやはりつげ自身の文章からみておいたほうがいいか。つげは、本作をめぐり以下のように告白している。

「(昭和)42年だったか、ぼくはその頃、調布の水木しげる氏の近所のラーメン屋に下宿をしていた。
二階の四畳半の部屋だったが、窓のすぐ下に屋根があり、布団を干したり昼寝をするには便利な部屋だった。屋根に上ると家主にどなられることもあったが、その屋根の上でウタタ寝をしていて、「ねじ式」のもとになった夢をみたのだった。
「ねじ式」はあとで、芸術作品だとさわがれたのだが、ラーメン屋の屋根の上でみた夢なのだから、およそ芸術らしくないのだ。
で、その夢をマンガに描いた動機というのもいいかげんなので、原稿のしめ切りが迫り、何も描く材料がなくて困っていたので、ヤケクソになって描いてしまったものなのだ。
そんなわけだから、当時、ぼくは夢にはまるで関心がなく、夢を描くことは何ほどの意味もなく、デタラメを描いているような気持ちで「ねじ式」を描いたのだった。だから「メメクラゲ」の「メメ」が「××」の誤植であっても一向に気にしていなかったのである。
なのに、そんな作品がひとたび芸術というヒョーバンをとってしまうと、いかにも芸術らしくみえるのだから、ホントーに夢みたいな話だ」(『ねじ式――異色傑作選1』小学館文庫 1976)

どんなものだろう。どれほどかその人を知っていれば、いかにもつげなるか! というほかない言い草だろうこれは。しかしおぼえておこう。
ここで「ヤケクソになって描いてしまった……」、「デタラメを描いているような……」という。

「ヤケクソに」と、「デタラメを」と。

 

ヤケクソに、デタラメを

1頁目全1コマ。ここから物語の開幕を告げる、この一頁が重要と考えられる。ここに「ねじ式」という複雑このうえないねじを開けるヒントのすべてが出揃っていると見ていいだろう。

まさか こんな所に メメクラゲが いるとは 思わなかった」「ぼくは たまたま この海辺に 泳ぎに来て メメクラゲに 左腕を噛まれて しまったのだ

台詞はこのようにあるきり。画面はどうなっているか。

➀、正面、海からメメクラゲに噛まれた左上腕部を右手で押さえた主人公ぼくが登場する。
②、上空、ぼくの頭上、全体を覆う赤い空のかなり低いところから飛行機が飛んでくる。
③、海中、ぼくの背後、数多くの黒い杭のような得体の知れぬものが突き出ている。

はじめにこの三点の表象からみる。それらが何事を意味するのか。

➀、さきになぜ海であるのか。それはいわずもがな、ここまでみてきたように、つげが海の子だからだ。つげにとって海は故郷でこそあった。というところで筆をとめて、あらかじめ、こちらの思いをのべておく。
それはつぎのようにつきつめていえるか。つげは、あるいはひょっとしてこの作品で海(=故郷)の災厄を描かんとしたのではないか。ここからそこらのことにふれてゆきたい。
そうするとまずいったい、なんでまたぼくが「メメクラゲ」なるものに「噛まれてしまった」となるものか、わかりよくならないか。ただふつうクラゲは「噛む」はずはなく「刺す」。海浜で「噛む」としたら、ウミヘビかウツボぐらいか、小型のサメ類かであろう。だがこの「メメ」のやつは「噛む」。「メメクラゲ」とは、しかしなにものではあるか。まるで正体不明なる海中生物なまま。「デタラメ」なる、なにかとでもしておくほかない。ぼくは、いずれにせよそのために生命も危ぶまれるような、はたしてそんな罰を受ける重い罪を犯したのかどうか、わからぬもひどい傷害を負わされることになった。
そういうことであるらしい。だがそもそも当のぼくからして誰であるのだろう。それすらもよくわからない。つげ本人論にはじまり、〈まれびと〉異人論まで。そんなそれこそ「こちらもそのうちのかなりの数を読んできてはいるものだ。だがそのいずれも隔靴掻痒といったらいいか。なんだかどうにもこうにも飲み込めないようなものばかり」というありさま。
というところでそうだ。ほんとまったく突然も「奇想天外、荒唐無稽」で唐突きわまりないが。いってしまおう。

ゴジラ? 「この作品で海(=故郷)の災厄を描かんとした」。そのようにみる文脈の側であれば、当方、当然、ゴジラの再来を浮かべるのである、と。
あれあの、映画「ゴジラ」(監督・本多猪四郎、特殊技術・円谷英二 1954年、東宝)、それをだ。同年3月1日、第五福竜丸のビキニ環礁でのアメリカの水爆実験による放射能被爆という海の災厄を背景に作られた作品。「核の落とし子」、「人間が生み出した恐怖の象徴」、などと謳われた怪獣。
制作は戦後の9年目。であれば思いみれば海の藻屑と散りっぱなし帰らなかった夥しい兵士の御魂がいまだ生きていた。さらには空襲下の恐怖がゴジラの襲来に二重写しになる。このことに関わって当方はまた思うのだった。いうならばゴジラは「さまよえる日本人の象徴」でこそあろうと。いわずもがな「ねじ式」のぼくもまた。
ずっと戦前、戦中、戦後ただもう……。わたしらは「さまよえる日本人」だったのだ。そして目下、只今、現在なおまだ……。

それはさてゴジラがいかに姿を現わすにいたったものだろう。たしかただもうやにわに海から上がって来るというのではなかったか。ぼくのほうもそれとほとんど同じ変わらないといえるのでは。
そこからこんなふうに想像するのはどうだろう。ゴジラのあの着ぐるみを脱ぐとなんとも、なんとリトル・ゴジラまがい、ぼくがあの歪んだような顔をのぞかせる。なんぞとはあまりも出来たおはなしすぎようか。
それはまあたしかに突飛というものだろう。なにしろゴジラはというと、五〇㍍超の巨獣で、首都を闇雲に破壊しまくる。だがどんなものだろう。つげリトル・ゴジラであるが、一・五㍍弱の小躯で、外房の漁村で命乞いに歩くきりと。どこをどうみても真逆でしかないのだから。
だけどまるっきり誤り偏執と退けられることか。海の子つげ。海人の末裔だ。そうであるなら海の冒涜は赦されることでない。
ぜったい第五福竜丸の被爆に無縁でありえなく、このときガイガー・カウンターを当てられ築地市場場内の地中に埋められた「汚染マグロ」に衝撃をうけたろう。あるいはそこにまた「猫踊り病」以来、進行形の水俣病もかさなったろうか。そのようにもつよく思われてならないのである。それはじつをいうとつぎの②に関わることもあってだ。

②、なぜこのとき全体を覆う空が不吉に赤くあるのか。さらにどうして向こうの空から飛行機(爆撃機?)が陸のほうへ飛んでくるのか。それもなぜぼくの頭上すれすれの低空であるというのか。このことではやはりつげの幼時の空襲体験の痕跡からおよぶべきだろう。

一九四四(昭和19)年 7歳

 葛飾区立本田小学校に入学。たび重なる空襲を体験。近所の中川べりで不発弾処理を見物中、近くに落ちた爆弾のため土手から転落し、軽傷を負う。この頃から絵ばかり描いて遊ぶようになった」(「つげ義春自分史」)

かくして翌45年3月10日、東京大空襲に遭遇したのだ。同日零時、東京湾上を飛来してきたB29三百機は、江東地区に次々と焼夷弾を落としてゆく。この日、風速20数メートルの北風が吹き荒れていた。炎は風に煽られどこも市中はまたたたく間に火の海と化した。2時間半の空襲で1783トンの焼夷弾が落とされた。
つげは、ことあらたに作品でもエッセイでも空襲についてはっきりとは言及してはいない。しかし幼時に逃げまどった空襲の恐怖はいかばかりか想像に難くない。

ことはそれだけにとどまらない、記憶はというと時間とともに増殖、しつづけるものだからである。幼時期のそれが消え快癒したようにみえてながく、ときへてなにかのきっかけで、青年期にいたり悪化し現れたりすることさえある。

一九六四(昭和39)年 27歳
 貸本業界が不景気になるとともに飢餓状態に追い込まれる。孤独と絶望の季節であった」

64年、ときにベトナム戦争は拡大し泥沼化の一途をたどっている。同年8月、米原潜シードラゴン佐世保寄港。65年2月、ついに北爆が開始される。つげは、北爆のニュースにさぞや歯軋りしやまなかったろう。ナパーム弾(さきの大空襲の焼夷弾のことだ!)で丸裸の背中に大やけどのケロイドを負い逃げまどう少女の映像……。するうちにだんだんと空襲の恐怖がよみがえってくることに。
つげは、ときにぼくの頭上の近くゴーッと低空を飛行するその機影を描いたのでは。というところで③の画が浮かんでくるのだ。

③、いったいぜんたいこの黒い杭はなんであるのだろう。ごくふつうには東京湾の木更津市や富津市あたりで行われている支柱式の海苔養殖の列柱群とみられようか。だけどそれにしては乱雑なるそのさま、長さ、太さ、並び、傾き、ともにひどく不揃いすぎではないか。
これはちがう、養殖の柱群、などではない。これこそそう、恐怖の遺構、そんなたぐい。大空襲にかぎっても、罹災家屋は約27万戸、罹災者は約100万人、死者は9万5千人超、大殺戮というさまだ。焼け棒杭、卒塔婆、墓標の列……。あえていうならば阿鼻叫喚のモニュメントだろう。
1頁目全1コマ。みてきたようにここに「ねじ式」のきっかけとなった夢。そのおおもとのすべてが出揃っているといおう。
それにしてもなぜここで「出血」というモチーフを選ぶことにしたものだろう。それはもちろん空襲の被弾の凄惨さがもとにあろう。だがこのことに関わって思われるのである。じつはこの「出血」の裏側には戦時のそれに、とどまらず、くわえて戦後の「売血」の現実があるのでは、と。つげ十六歳、違反を承知で、ただもう腹を満たすために血を売っている。

つげが同世代の漫画家として唯一高く評価する、弟つげ忠男(1941~)。彼の作品集について寄せた一文にある。

「血を売るということは、命を売ることであるが、命を売って生きるという救いのない生活にどんな意味があるのか。意味なんかないのかもしれない。ただのゴミクズだから」(「つげ忠男の暗さ」)

いまここでこの一節しか引かないが、じつになんとも凄い文章なのであるこれが。ぜひとも読まれたい。戦争で好きなように殺されるいっぽう、戦後も戦後で、空腹で血ぐらいしか売るほかないよな、「ゴミクズ」の最低辺層がいたこと。ほかでもなく自分がその一人だったしだい。
これをもって理解されるだろう。それがどんな意味のことであるのか。
「ヤケクソに」と、「デタラメを」と。