【連載】つげ義春 「無能の人」考① text 正津勉

 

前口上

昨年、2020年、当方は『つげ義春 「ガロ」時代』(作品社)を上梓。これがわたしの著作としては珍しく数少なくはない読者のかたから温かい批評をいただいた。そのなかに熱くもぜひ続篇として「ガロ」以後について一著をのぞむ声もみられた。そののちの達成やいかに、くわえてまた、ながらくの沈黙におよび。などなどとそんな困難な問題をめぐって、わたしごときが何事か一言できようか。はなはだ心許ないかぎり、であるが非才なりに、これから応接してゆこう。              

序章

――「ガロ」以後

「夢の散歩」

1970 (昭和45)年、33歳。「やなぎ屋主人」(「ガロ」70・2、3)。

つげの同誌最後の発表作となる。それはなぜなのか。「つげブーム」が起こり、予期せぬ印税が入り、漫画への気力が失せた。そのためだという。いかにもつげらしい遁辞ではあるだろう。だがこのことでいま一つくわえておこう。それは「ガロ」時代の頂点極北の「ねじ式」、「ゲンセンカン主人」の両作を描いて、あえていうならば燃え尽き症候群に罹ったようでもあったか。

60年代、漫画表現の天井を打った漫画家。つげはたしてつげ義春の「ガロ」以後はいかがなったか。つっかえしながら駆け足にならぬよう、その後のつげの歩みを、わたしなりに辿り直してゆくとしよう。ついてはそうだ、あらかじめこちらの思いを明らかにしておくのが、よろしくあるか。

「無能の人」考(「石を売る」「無能の人」「鳥師」「探石行」「カメラを売る」「蒸発」の5連作・1985・6~86・12)。そのように表題にしている。それはあえて、いうならばこの連作の解読にこそ「ガロ」以後の達成があるのではと、みるからである。くわえてこの関わりから、さらにまた今日までの沈黙についても、あわせて探れようかもと。

そうはいえどのように取り組めばいいものなのだろう。前著『つげ義春 「ガロ」時代』(以下、『前著』と略記)、そこでは「ガロ」掲載作にかぎった、だからむしろ見取り図は立てやすかった。だがそれからの活動が長期におよび、ふたたび中断をはさんで、それはずいぶん作風も変化している。そこで順序としては、ひとまずここで「無能の人」に至るまでのエポック・メイキングな作品と事象を辿ってみてゆく、という手続きをとろう。むろんのことその期間の全部の作品を俎上にしたくはある。しかしどうにも残念なことに紙幅がないのである。

さて、最初の突然の休筆。それから2年ばかり無音になった。この間、69年2月、つげは、状況劇場の女優、藤原マキ(真喜子)を知り、翌年3月から同棲する。つげは、もはや筆を折ってしまった。しこたま金が入ったうえ、綺麗な女優さんとできて仕合わせ一杯になってと。まことしやかに周辺でそんな噂話がささやかれた。だがわたしは甦りを信じて疑わないできた。待ちに待った。

72年、35歳。「夢の散歩」(「夜行1」72・4)。

つげようよう、再登場、おなりなりだ。発表誌「夜行(やぎょう)」(北冬書房)は、つげに心酔し「ガロ」編集に携った権藤晋により創刊された、不定期刊の漫画・研究誌。つげ義春、つげ忠男、林静一、佐々木マキ、滝田ゆうなど個性的な「ガロ」派作家を中心に書き下ろしを掲載する。いうならば志高い雑誌なのである。

「夢の散歩」? いったいいかなる画が描かれているのか。早速、ページを繰っていた。「夢の散歩」? いやこれがなんともいいがたい、理解に苦しむ、迷路に迷った、とでもいうほかないものだった。あらすじといって、それらしきもない。この一編こそ要約など不能。夢をほとんどそのまま見たとおりなぞるように描いたふうだからだ。

入道雲が広がる夏空下、横断禁止の大きな郊外道路。そこを渡ろうとして警察官に注意を受ける、自転車を押す青年と、母子と。子供は3、4歳の女の子、パラソルをさしたグラマーな母親。青年は、ガードトンネルへの近道へ回ろうと、歩道脇のぬかるみを下りていく。そのあとを母子がつづくも、ぬかるみに足を取られて四つん這いになり、なぜか母親のパンツがずり落ちると。青年は、それを目にして昂ぶり、背後から近づくとズボンの前を開き、そのまま性交におよぶ。行為果てて何事もなかったかのように自転車を押し、ガードトンネルの方へ向かう青年。二階建ての木造の一軒家をなかに、パラソルをさしてぬかるみを下りていく母子。そしてさいご彼の呟きでおしまい。

「あの奥さん 明日も 散歩に 来るかな」

エロティック・ファンタジー? そうみるには物静かすぎ意味もおぼろ空虚っぽすぎる。まず極端なまで簡素化された画面。真夏の昼下がりの気怠さ憔悴。また数少ない登場人物と台詞。顔形がわかるのは青年のみという(それもどこか神経症風なあんばいの)。こののちのつげ作品の行く末を暗示しているぐあいか。なんかそんな「白昼の暗黒」みたいなのだ。

それにつけても終わりまでなんか画はぼっーと白っぽいばかりで描きあましたまま。なんでまた本作でもって作風をこうも一変させたのか。〈夢〉漫画? ワカラン、ナモカモ。このことに関わってそのさき作者は当方のインタビューに答えている。

「もう黒っぽい画は描かなくなった。何か青空のようなものに魅かれるようになった」「青空? それはどうしてですか?」「さめてしまったかぼけてしまったかどちらかです。重々しいよりも軽々しい方が楽しいですから」

くわえて当時の生活について。昼頃起床、朝食兼昼食にはインスタントラーメンなどを掻きこみ、近所を散歩し、夕食はキムチか納豆ぐらいで済ます。深夜は三時か四時まで夜更かし、ただ机に向かい、妄想にふける日々であった。あとはもう惰眠を貪りつづけるばかりで、夢を多く見る、そんなので夢日記だけはちゃんとつけていた。そういうような生活が数年つづいたと(「月刊ポエム」77・1「特集つげ義春」)。

そんな自閉した日常のなか、ようやく本作をものし以降、さらに非現実へ闇雲に急傾倒をみせ、「夏の思いで」(「夜行2」72・9)、「事件」(「夜行5」74・4)など、なんとも不思議な描法の〈夢〉漫画を発表してゆく。

「夏の思いで」。銭湯の帰り道、先を歩くミニスカートの女性が、自動車にはね飛ばされる。草むらに倒れた女性に近づき「もしもし」と声をかけ、パンツの中へ手を入れる……。

「事件」。近所で起きたある事件の顛末を描く。狭い道を車で走り、自転車の男をさけようと、畑に突っ込む。町の人たちが助けるが車から降りてこず、ついには火をつけてしまう……。

妄想狂パラノイアチック神経画。両作とも若い夫婦が住むアパート界隈が舞台。当時、つげとマキが住んでいた調布のひなぎく荘がモデル。おかっぱ頭の奥さんが登場する。