【連載】つげ義春「無能の人」考③ text 正津勉

第二章
石を売る

「鬼面石」

いよいよ〈無能の人〉六連作となった。シリーズ第一作「石を売る」(85・6)である。当作以降、〈無能の人〉のシリーズ名のもとに、「無能の人」「鳥師」「探石行」「カメラを売る」「蒸発」とつづく連作に発展してゆく。
だがそのまえにまずつげが、ここにきてなぜそんな、石、などにこだわるのか、そこらをおさえておきたい。そのことではそうである。シリーズ以前のつげに石をずばり材にした2作がある。それからみるほうがいいだろう。
「魚石」(「ビッグゴールド4」1979・11)。これがいうなら、つげが石に興味をもち始めた作品として、よくあげられる。だがそれ以前ずっとそのさきにもう一作あるのだ。
「鬼面石」(「別冊忍風4」1960・11)。貸本マンガ時代のつげの時代劇作品である。ここでは順序としてはじめにこの一篇からみる。なぜこの作が〈無能の人〉に繋がるのか。
戦国の世、美濃国中巣村の下人・十万(じゅうまん)。勤勉で従順な、つゆ人を疑うことを知らなく育った、純粋な大男だ。しかしひどく醜い顔ゆえに、「鬼の十万」と避けられ、婦女子に恐怖心を与えるという理不尽な科で投獄され、重労働を課される。さらに脱走計画に加担させられて殺される寸前、通りすがりの殿様の気まぐれで助けられる。だけどそれは裏心のある救いであった。殿様も醜男で、十万を痛めつけては、優越感を得るのだった。そのうち足を切られ、目を矢で射られる。拷問にちかい仕打ちをうける。それでもなお人を疑わない十万。
そうして最後おしまい。十万は、恋したっていた下女の千代が殿様の手籠めになるのを助けようとした。そのために縄を掛けられて、顔面のみを地上にして、そっくり地に埋められると。しかしなんと殿様の側妾となった千代はというと、「お…… お千代 さん」と、助けを乞う、十万の顔面を冷然と、踏み躙ると。「ウワー」。「アッアアアアア」
ところでこの行為をどういおう。こちらには千代の姿がどこかで、わかるようには説明できないのだが、つぎにみる句の女人とかさなる。みなさんどう感受されますやら。

絵ぶみして生きのこりたる女かな 高浜虚子

いやしかしなんたる無残なるざまではあろう。 「路上に出 その顔は 永い年月 風雨にさら され化石と なっていた」「いまはしる人ぞなく 路傍の石と化した その顔はなおも多くの 行きかう人々に蹂られ 蹴られしている」。いったいこれほどの恥辱がどこにあるというか。
いまここに端折ってみたが、それぞれで実作にあたられよ。これがなんともいえぬ、陰惨きわまりない作品、であることがわかろう。じつはこの作品はある女流作家の小説から着想をえたとか。だがそれが誰彼の何という作か詮索はさておく。しかしここまで描出するとはなに、つげのその心底に渦巻きやまない、やるかたない憤怒がさせることでは。このことの関わりでいえば、つげは本作の発表時には困窮も最悪で、なんと一年に27篇と多数の作品を、めったやたら書きまくっている。まさにそのようななかでこんな快作をものしていようとはであろう(参照・『前著』第三章)。

それはさて問いはこうだ。いったいなぜ人が人の思いが石と成り変わりうるのか。これにどう答えたらいい。このことについては実例をあげて説明したほうがいいか。
もっともよく知られる石といえばこれ。「文知摺石(もじずりいし)」(福島市曹洞宗安洞院)。この有名な石であるが、都からの按察使(巡察官)、源融と土地の長者の娘・虎女の悲恋物語、「みちのくの忍ぶもちずり誰ゆえに みだれ染めにし我ならなくに」(小倉百人一首)、この一首で語りつがれる。虎女のつよく恋い焦がれる思いが石を鏡に変えて愛しい方を目にしたとの伝承。それから別名、鏡石ともいう。後に歌枕の地として知られ、松尾芭蕉や正岡子規など、多くの文人墨客が足を運んでいる。
くわえてこの寺には「人肌石」なるなんとなし人恋しくなるような情味溢れる石もまたあるのだ。ここではこの石と当方の偏愛なる画家の関わりをみたい(参照・拙著『河童芋銭 小説小川芋銭』河出書房新社 2008)。
小川芋銭(1863~1938)。つげが読んでいるかどうかは知らない。芋銭は、敬愛する芭蕉、子規の足跡を辿る、みちのくの旅の途上、同寺を訪れている。そしてこの石をめぐって、つぎのように綴っている。

西洋人は裸体を尊とび、東洋人は石を讃む、則東西美の両本山、我は石を礼するものなり。
嘗て福島に遊び人肌石を見る。
若緑信夫の丘に上り見れば
人肌石は雨にぬれつ
 「裸体と石」(『芋銭文翰全集』中央公論社 1939)

「我は石を礼するものなり」。これは老子を学ぶことか、あるいは仏典に拠るのか。とまれ芋銭の信条なること、芋銭にとって石は単なる無機物ではない。それどころか石は温かい生の宿るものである。たとえば画軸「石羊」(1912年)はどうだ。白い石は白い羊と同じ。ここでは石がそっくり羊になり羊がまた石にそのまま変わるさまが描かれている。くわえて「樹下石人談」(1919年)なる一幅ではそう。なんと石が話すこと。いったいなにを談じ合っているのか、大樹のもとで石像さんらが、ぺちゃくちゃと喋り合っているのだ。
ついてはどんなものだろう芋銭はさておくとしてもである。わたしらの祖先が石と親和するようす。そこにわれらのよろしき心性がよくあらわれているだろう。
だけどそれがこの十万にかぎってどうだ。なんという、なにあってかこの男は死して石と成り変わるも人の足に踏み付けられているのだ、いまもなお。いやまったくもう神仏なしのままでは。
なぜそんなもう死後にまでいたぶられる。というここで唐突とはさて思われるのは、差別戒名、なるなんとも救いのない問題なのである。つぎのようにも非道もあらざるたぐいの。
ほんと、なんだって「屠士(女)」「革門」「僕男(女)」「鞁男(女)」「非男(女)」なんぞなど、という(参照・『石よ哭け』水上勉 小径書房 1984 他)。
ついでにながらおかしいのだ。本作と同じ「鬼面石」(山形県南陽市金山)なる奇怪な石。そんなのがあるのだこれが。だがこの鬼面岩貌はその見立てから、神代の昔より磐座として祭祀の対象と伝わる、いわゆる巨石信仰の名残なこと。つげの作品とはまったく、まるっきり別物なよし。
おしまいにどういったらいいか。ほんとどうしてこんな作品をものしたのであろう。おそらくそれは、つげの誕生時から最低辺に逼塞せざるをえなかった辛酸の絶望的なる想像力がする、ことではないか。というようなぐらいしか推測できそうにないこと。よくわからないままなのだけど。
「鬼面石」。ちょっと言葉にならない凄まじすぎる快作……。

「魚石」

前項「鬼面石」。それとはほんとう、がらりと趣を異にする、どこかとぼけた味の作だこれが、おかしいのである。つげは、資料魔らしく、この作品について柴田宵曲(しょうきょく)(1897~1966)の採録「長崎の魚石」(『妖異博物館』ちくま文庫)という昔話をヒントにしたという。ここでまず言っておくが、いまでこそ宵曲は文庫化されてマニアがおいでだ、だけども本作の構想時にはマイナーであったこと、そのことを憶えておかれよ。なお「長崎の魚石」については、宵曲のほか柳田國男をはじめ数少なくない採録紹介がある。なかで筆者が推す一篇がそう「石の中の魚」長谷川四郎(『日本の名随筆88 石』作品社)である。それではここから本作を辿ることにしよう。
主人公は漫画家。彼は、郊外に住み、妻と小さな子供がいる。古本屋をはじめた二十年来の友人T(参照・『前著』第二章、つげの友人、馴染みの長髪で四角い顔の持主、立石慎太郎がモデル)が、古書展に初めて出品するというので幾冊か自家本を貸す。だがなんとも出品祝いの飾りに貸した愛蔵本まで売られてしまう。T は、そこでお詫びの印に古道具の市で手に入れた魚石という珍しい石を持ってくる。ここからやおら珍無類なる由来話がはじまるのだ。
江戸時代、京橋の万年屋という大店の主。見ず知らずの侍が持ち込んだ珍石。「長崎の魚石」では、これが長崎の商人の家に訪れてきた唐人とある。玉のように磨き込むと魚影が映し出されるという石。それをかたに五両を貸すのだが、侍はそのまま行方をくらます。そして一年後、再度、侍が現れ、そのさき主が預かった石を捨ててなくした、そのことに因縁を付け五十両を巻き上げるしだい。だけどここが「長崎……」では同工だが金の往き来が逆であること、唐人が一度目は三百両で、二度目に三千両で、買い取ると主張する仕立てだが。
これがなんと肝心の石を割ってしまい、あえなくも魚を死なす破目になるという。もともと小人間の欲を誡める教訓譚なのだろう……。
さて、Tは、じつはこれこそ侍が預けた話の当の石だとうそぶく。どうやら魚石というのは、なんとも石の中に魚が棲んでいる、まれなる奇石であるとか。石の裂け目からは水が染み出している。それが見分け方という。だがそれを割ってはならない。そのまま慎重に外を磨きつづけ、なかの魚の影が透けだす、そうなれば珍重な飾り物となるとか。だけどむろん本物ではありえない。そんなペンキで石の裏に恭しく書かれているのである。ほんとまったく、扉絵がわりにその写真がそれらしく掲載されているのが卓抜、おかしいのだ。
そんな麗々しくも「玉中に 魚の蟄せし 千金の器物 なり」という逸品なると。

それはさてとして魚石とはまたなんと、石への親和が生んだ伝承、というかできた物語ではなかろうか。わたしらの国では石は人間や動物と同じに生きている。
前項でみた、文知摺石や、人肌石の、由緒しかり。それこそこの国のどこにでも、夜泣き石や、雨乞い石、そのたぐいの石がごろごろとある。なかでもマニアによく知られる珍しい石をあげておきたい。これなど「魚石」と同工であろう。
一つ、「蛇石」(滋賀県犬上郡多賀町 金蓮寺(こんれんじ))。石本体は火成岩の一種、湖東流紋岩(ことうりゅうもんがん)、黒色の蛇体模様は角閃石(かくせんせき)(有色鉱物)で、マグマが冷えて固まったものだ。この石をわら草履で磨くと雨が降るという言い伝えあり。雨乞い信仰で知られる。
一つ、「子生れ石」(静岡県牧之原市 大興寺(だいこうじ))。海底にあった石灰分などが核になった小さい瘤状の突起が年とともに大きくなりできた、妊婦の腹みたいな球形の石。別名、無縫石。これが安産の石とも呼ばれ、また長寿の石とも称され、信仰を集めている。
魚石があればそうだ。ほんといたるところに世にもまれなる石がごろごろ転がっていることったら。鳥石だってあるはず。いや実際ある。いわく「鷲石(しゅうせき)」がそれだ(南方熊楠「鷲石考」『続 南方随筆』岡書院 1926)。
Tは、それはさて、ありそうにもない魚石の由緒話を内密めかしひとこっぱ、してしまい。「まあ 世にも稀れ なる魚石 大事に してよ」と、ほざいて帰っていく。「……… はい」と、相槌半ばの主人公。「私は釈然と しないまま やむなく 水をかけたり している」。そこからページは繰れ後日の話となってゆくのである。
いやそれがどうだろう。「その後私は 魚石に似た石を 見たことがある」。「群馬県の 長野原へ 旅行した おり……」。「泊った宿の ロビーに飾って あったものだ」。どういうものであるか。

吹飛ばす石は浅間の野分哉 松尾芭蕉

天明三年(1783)年、7月8日(旧暦)、浅間山大噴火。熱泥流が山腹を走った。鎌原村(現、嬬恋村鎌原地区)では152戸が飲み込まれて477名(供養碑に刻まれる数)が死亡したほか、上野国(現、群馬県)で1624名を超す犠牲者を出す大災害となった。
「熱泥流は川に 落ちこみ 川魚ものみこんだ」。宿の主は言う。「そして 冷却凝固 したものが この石です なァ」
しかしまあおかしいのである。「これ 頭と尾の 大きさが ちがいますね」。石は割れたものをそれらしく一つに合わせたようなあんばい。「別々のものを 合わせたんです 完全なものは 少ないですな」。なんていうようなおおらかさ。
ちょっと嬉しくないか。いやいいよなこの応接ぶりったらいい。旅館やホテルのロビーの陳列。ケースに鎮座するこのての遺物というのか、ほとんどイカモノというか、日本全国津々浦々、いずこもキッチュよろしき、なんとなし土産ものめくよな逸品くさぐさ。庶民のレジャーのチープな話種。これはこれで旅情のようなものなれば。なるへそと頷いてよし。
さて、おしまい最後はどうか。自室で魚石を手に目を凝らし見入る主人公。いやこの真剣さったら。彼は、おそらくまったく、信じて疑って、はいないのである、石を。
「魚石の中の魚は千年は生きると いう」「その姿を 見た者も 長生きを するそうだ」