【連載】つげ義春「無能の人」考⑥ text 正津勉

第五章
「探石行」

うらを見せおもてを見せ……

「探石行」(「comicばく8」1986・3)、シリーズ〈無能の人〉第4作である。全27頁。
はじめに扉絵からみたい。かなり山深くの僻村だろう。鬱蒼と茂る杉木立、畑地の向こうに作業小屋らしき屋根。電信柱、カーブミラー。轍の跡がのこる曲がり坂。手前に鉱泉宿の看板が立つ。いかにも物静かな風景なること。まことに内容にふさわしいか。ここからページを繰りコマを辿ってゆくとする。
1ページ1コマ目。「思いがけない ことがあるものだ」。第2作「無能の人」に登場の山井書店の前に立つ助川助三。まずここで留意されたし。助三がここにきてなんとなし猫背ぎみになっていることを。おそらくその鬱屈することがとみに多く俯いてばかりいる姿勢がするのやら。
2コマ目。相変わらず病(やまい)的(?)な山井と向き合う助三。山井は、助三の原画を欲しがるファンが持ち込んだ彼の処女作『赤面夜叉』(註・実際は、つげ18歳のデビュー作『白面夜叉』若木書房 1955)を預かる。それでこの本を手に入れたく、原画3枚を3万円で、かわりに買う案を出すのだ(参照・『日記』1978・2・10に「現在古本屋で五万円もする」との記述あり)。
ヨロクで入った金である。これをどう使ったらいいか。今日現在すっかり漫画家を廃業し石屋稼業に精出している鼻下髭氏。助三は、「商売が沈滞 しているのは 商品に バラエティが ないからだ」、「何処かへ探石に行って」、などと考えて妻にはかる。そんな「三人で ハイキングを 兼ねてどうかね 奥さん」なんて。
チラシだろうか? それらしい束をそろえる妻。じつにこのコマではじめてその顔が描かれることになるしだい(しかし名は呼ばれない)。これが勝ち気そうな表情、でどこか疲れ気味の感じのする、働く主婦らしい顔なのだ(註・ついでながらつげ夫人マキさんの面影らしさはうかがえない)。どうやらまだチラシ配りをやっているようだ。
時刻表に見入る三助坊。鏡をのぞいたりして嬉しそうにしている妻。「ふっふ ふっふ」と、一人ふくみ笑いする助三。はてさてはたして一家三人の一泊旅行はいかがなりますか。

1人、旅費込み一泊、3万円。遠くへは、行けない。「で 手近な所で八王子から少し 先の桂川(註・相模川の上流の山梨県での名称)に 決める」。三助、妻、助三、三人ともが浮かれて仲良きこと。
当日。新宿駅発、中央線。駅頭からドタバタ。車中でもアタフタ。「三助の奴 初めての旅行で すっかり興奮 している」。「まるで 一家を 支えている ようだ」、「たのも しいのか 心配症 なのか」。たしかに三助くんの気配ときたら尋常ではない。そんなちょっと症状にあらわれる、それほどと心配になるぐらいに。あるいは、ひょっとすると日頃から父と母の諍いの間に立って幼心を痛めすぎるようなため、だからか。
到着。何駅かは、明示なし。しかしこのコマ画からまた舞台設定からほぼ中央線の四方津駅に違いないとわかる(今日でも駅舎はほぼ現状で変化なし。昭和レトロ木造である)。妻のスカートの継ぎ。「私に スカート一枚 買ってくれた ことないじゃ ない」(註・第1作「石を売る」)。助三のブレザーの肩と肘と、ズボンの膝の継ぎ。ここらも忠実な〈神ハ細部ニ宿リタマフ〉の実践とみよう。

腹が空く。三助が泣きじゃくり、駅弁を買いそびれた。「駅前と いっても 何もない わよ ひどい 田舎ね」と、細君。だがここは脚色ありである。だって駅前に甲州街道が通るから。ということは、はじめから駅の南口は桂川側の小路へ向かうことに、したのだろう。
古びた蕎麦屋に入る。金欠に付き盛り蕎麦3つ注文で我慢。ここでもまたアタフタ、ドタバタとくるのである。蕎麦を盛る小母さん。そこに「母ちゃん」とフルチンで出てきて硬めのウンコを「コロン」と洩らす赤ちゃん。すると「もう この子 ったら」と小母さんたら、ウンコを素手で拾い「チョコ チョコ」と蛇口で洗うだけ。でもって盛り付けたやつ。それを「うちのは 手打ちで おいしいですよ」だって。
「おれもクソ したく なった」と、怒り心頭の助三。便所から出ると、ぬいぐるみの犬があったので、ちょっと蹴っ飛ばした。とそいつが本物の犬でびっくり、アキレス腱を嚼まれてしまう。なんておかしいマンガチックなはちゃめちゃ。とんでもない店を出て3人、桂川の方へ歩いてゆくのだ。
「あの犬 狂犬病 じゃ ないだろ な」、「なにも けとばす ことない でしょ」。「おれとした ことが 軽率 だった」

桂川の橋上。たしかそこは川合橋というのだか。「桂川の岸は 崖が落ちこみ 川原がない」。実際、このあたりの桂川はここの描写どおりで採石はちょっと無理そうなのである。それでも川へ下りてみる。しかし泥ばかりで、まったく石はない。そこにきて行く手に水溜りが大きく広がるしまつ。これをどうして渡ったらいいか。
ここはどうしたって三助を背負わなければならん。妻か自分が負うか、じゃんけんをするが、当の三助が負け。激しく怒る妻。「三助におんぶ できるわけ ないでしょ」
水溜まりを越したが残念。「石は川の 中央に 堆積して いる」。しかも流れは早く渡れない。どうしょうもなく川原にシーツを引いて横にでもなるほかない。「あんたの やることって いつも……」と、奥方。「軽率だ ……… ………」と、助三。三助坊だけが佇み夫婦が横たわる鳥瞰図。なんという侘びしい景であること!

「こうして いると 一家心中に きたみた いね」「それも いいな」と、怒りなかば、諦めなかば、背を向ける細君。「どうせ これから 先は いいことも なさそう だし」、「ただ 寂寞と 年を とるだけ だ」と、わかっているのか、いないままなのやら、目を閉じる助三。
ひらりはらりと、ときにその臥す顔に紅葉の葉が降りはじめる、ひらりはらりと。つげは、これはつぎの良寛の辞世の句を念頭に描いたものという。

うらを見せおもてを見せて散る紅葉

良寛、74歳。死の床に臥す、臨終に付き添った貞心尼。この尼僧との歌句の遣り取りが伝わる。
〈いきしにのさかいはなれてすむ身にもさらぬ別れのあるぞかなしき〉と、詠む貞心尼。生き死ににこだわらない出家の身であるけれども、避けることができない別れがあることが悲しいと。それに良寛が「うらを見せ……」と返したと。裏も表もすべてみせて、もみじが自然に散るように、私も去り行くことにせん……。

ボロ宿

それからそうしてどれほど眠り憩うようにしていただろうか。「さ 帰ろう」「石が ダメなら 長居は 無用だ」と、急かす助三。いやはやほんとうまったく人の心をわかっていないのである。「イヤだよ せっかく ウサ晴しに きたのに」と、怒る細君。彼女が先に立つこと、温泉まで30分、3人は道を歩きだす。
「足の傷が ズキズキ するんだ よ」。助三、棒きれを杖にして、びっこを、引きつつ従ってゆく。「どうして おれはこう ついてねえの だろ」。それでもって言うにことかくもいい、なんでそうも自虐的乃至自嘲的であるものか、こんなふうに口にしているのだ。
「だいたい お前と 結婚して からと いうもの」、「また 人の せいに する」。「俗に貧乏オソソと いうのがあるけれど」「お前 まさか」。「失礼ね! 私のは名器 なのよ みんながそう」。「みんな!」。「昔の ことよ ………」
なんていうこの間の遣り取りがおかしい。「わん」。「わんわん」。「わお~ん」。だとかそんな狂犬の毒がまわった振りをする助三の悲しさったら。だんだん道は嶮しくなる。かなりな高地の描写がつづく。じつをいうと当方は山遊びをするので、ここらの地形は熟知しているが、これはつげの気持ちの高揚がすることだろう。このことに関わって「紅い花」の最終ページ、マサジがサヨコを背負いひたに傾斜をくだってゆく。そのシーンの背景がなんともアルプスよろしい峻嶮さをみせていた(『前著』第二章)。それとおなじような筆の乗りが描かせたといえようか。
さて、「鉱泉は 小さな 村の中に あった」。ようやく到着したそこ。この鉱泉とは、山梨県上野原市にある鶴温泉、宿は一軒宿「つるや」。中央線上野原駅または四方津駅から南下、桂川を挟んだ山稜部の金比羅山琴平神社背後に位置する素朴な鉱泉。ここでつげの「旅年譜」をみてみよう。
「一九八四(昭和59)年/九月〈山梨〉
中央線上野原駅近くには、鶴鉱泉、仲山鉱泉、金子鉱泉が点在する、いずれも昔ながらの田舎宿で、ボロ宿を好むのは今でも変らず、鶴鉱泉を訪ねる。あいにく泊まれなかったが、ひどいボロ宿で感激した」
「一九八七(昭和62)年/九月〈山梨〉
上野原の鶴鉱泉に立ち寄ると、二年前感激したボロ宿は改築中でがっかり。/温泉ブームの潤(うるお)いで、何処も明るく清潔に変ってしまうのを残念に思う」(『新版 貧困旅行記』新潮文庫)。

そのような「ボロ宿」のあらまし。だけどそこはいまや味気ない住宅風に「明るく清潔」に建て替えられ日帰り入浴可のみになっている。それこそ趣も何にもない。しかしなんといおう。ここではつげ好みの藁葺きの古い家屋が描かれているでは。しかもなんとである。
なんとじつはこの画は旧鶴鉱泉ではなく実際は長野県青柳宿(参照・「旅写真②」同文庫)の一葉から採っているのである(ほんとうに「がっかり」したあかしか)。鉱泉は老いた夫婦が営む粗末な宿だ。
「テレビも 鏡台も えもん掛けも カーテンも ない」「三人で 一万円なら しかた ないか」。ムードどころか窓には洗濯物がぶら下がっているありさま。いやそれにしても貧相な部屋であるのったら。ここでつげのボロ宿好みにふれておきたい。それはほとんど病気みたくあるのだ。
「貧しげな宿屋を見ると私はむやみに泊りたくなる。そして侘しい部屋でセンベイ蒲団に細々とくるまっていると、自分がいかにも零落して、世の中から見捨てられたような心持ちになり、なんともいえぬ安らぎを覚える」「貧しげな宿屋で、自分を零落者に擬そうとしていたのは、自分をどうしょうもない落ちこぼれ、ダメな人間として否定しようとしていたのかもしれない」(「ボロ宿考」同文庫)。
そこはそうなのである。第三章「無能の人」で、軽石さんが甲州の山奥でやっていた行商客や旅人を目当てにする貧窮な「湯屋(風呂屋)」。そんなところではないか。

しかしせっかく「ウサ晴しに」きた妻にはたまらない。「五時に早々と 夕食だ」。卓に淋しそうに平べったい皿がそれと並ぶ図。「これじゃ 寝る頃までに腹が空いて しまう」。すると畳に腹這い妻がメモ帳に鉛筆を走らせる。そんななんとも食事の原価を計算しはじめるのだ。
「ナスの おしんこに ナスの味噌汁に それから ナスの煮もの に………」。いやはやこのナスづくしはどうだ。これをみておかしくて笑い出されてならない。それはつげと当方の秘湯行の群馬県湯宿(ゆじゅく)温泉の一幕(『前著』第八章)のことである。
「S(註・正津)さんは「これでも温泉ですか。絶望的ですね」と感想をもらした。……、宿屋の食事が貧しかったせいもあるかもしれない。サツマ芋の輪切りの煮たもの、サツマあげの焼いたものが皿にぺたんと一枚、それが夕食の中心だった。……。しかし、さすがに宿代は安く、二千五百円だった。相場の半額以下だ」(「上州湯宿温泉の旅」)
ついでに(同前・第六章)で言っておいた。「つげ作品には飲食の場面は数少ない。というよりかまず無きにひとしいはず。いわずもがなずっと飢餓線上にあったからである」と。それにつけサツマづくしの湯宿はさてとしてであろう。
「ぜんぜん 金かけて ないじゃ ない」と、怒る細君。険悪な一触即発の表情。「さわぐな みっとも ない」と、返す助三。
そのときのことである。ふいにその笛音がするのだ。ほんとなにごとなるか。「プオ~」