【連載】つげ義春「無能の人」考⑦ text 正津勉

第七章
「カメラを売る」

ガラクタ屋

「カメラを売る」(「comicばく9」1986・6)、シリーズ〈無能の人〉第5作である。全34頁。
まずもって扉絵からみよう。背にコンクリート壁。前に置かれたドラム缶の上、中古カメラ一台。これはどんな意味を構成するのだろう。缶に寄りかかり立つ力のない虚ろな目、草臥れきった様子。これからあと助三はどうなるか。
1ページ1コマ目、境内に市の立つ縁日。その昔から縁日には祭祀や供養が行われ、この日に参詣すると普段以上の御利益があると信じられた。そんなわけで参道や境内に参詣人めあての露店が出てにぎわう。「毎月一度の天神様の縁日には古物仲間が店を出している」

この「天神様」とは、じつはつげの近所の神社がモデルである。このように『日記』にみえる。「正助を昼寝させマキと布田(ふだ(ママ))神社の縁日に行ってみる。ガラクタ屋の多奈加(たなか)さんも店を出していた。昔のインク瓶を三百円。マキは人形を五百円」(1976・2・25)。「布田神社」は、正しくは布多天神社。水木しげるの「墓場の鬼太郎」「ゲゲゲの鬼太郎」の舞台、ここの本殿の裏の森に鬼太郎が住んでいる。縁日は毎月第2日曜日に開催。20~30ほどが出店する。
2コマ目、継ぎ痕が目立つブレザー姿の助三と、坊主頭の三助と。縁日らしいわたアメ、わたがしの屋台。「オレは淋しくなるとそこへ出かけて行く……」。するとつぎつぎと「古物仲間」のお三方が声掛けてくるのである。みなさん縁日の馴染みの業者で貧乏っぽい。「よお 久し ぶり」。「よっ 石のほう うまく やってる」。「カメラは最近 出ないよう」
これからも助三が石を売るいっぽう、ここにきてカメラに手を出しているのがわかる。だが実際の話としては、この順序は逆なること。つげが手掛けたのは、カメラが先で「石のほう」はその後である(このことに関わっては、「石を売る」12ページ、5、6コマ目をみられたし。ほんとうなんとも哀しいのだこれが)。
「みんないい人ばかりなんだ」と、機嫌上々の鼻下髭氏。「古物商は海千山千のペテン師が多いが その日暮しの末端の業者は他愛ないものだ」。なんていっていると三助がやらかしている。「わーーっ」。なにごとかと買って貰ったワタアメを地べたに落としてしまって。「また 買って え」
「え~ん え~ん」。大泣きの三助くん。するとそこに優しい助けの声があるのだ。「オジさんが タコ焼き あげるよ おいで」。みると中田さんだ。
「中田さんはオレの師匠だ」「いろいろお世話になりました」。というここからやおら回想シーンとあいなってゆく。

そのときはまだ三助が生れていなかった。助三、とてもひどく生活は不如意をきわめていた。「そんなときにふだん通った事もない袋小路の裏に中田さんの家をみつけた」。これがはじまりである。雑多にガラクタが積みおかれた店先。「アンチック 奈加多」なる看板。ここでおわかりだろう。中田さんが、ほかならぬさきの日記にある「ガラクタ屋の多奈加(たなか)さん」であることを。

助三は、勇を鼓して扉を叩く。もともと貧乏人であるにもかかわらず骨董好きなのだ。「ま 上がって下さい」と、頭にバンダナで髯の優しげな中田さん。ゴム草履を脱いで上がる慎三。ここで留意されよ。じつはここまで慎三が履いていたのは、前作の「探石行」の甲州行きの際も同様、ずっとこの草履の一つきりなこと。まったく貧乏極まれりだ。それはさてここから中田さんとの骨董談義がはずむことになる。
「ガラクタ ばかりの ゴミ屋でして」。おっしゃるとおりゴミの中に埋もれておいでになる。すこぶる中田さんのその風情がよろしい。「それを見て自分は自分の姿を中田さんに置きかえて想像してみると」「悪くない商売のように思えた」と。仕入れのことから、縁日、客層のあれこれまで。ひとこっぱ話は盛り上がっていく。それで帰りに何か一つ買ってと。
「とくに欲しい物もなかったのでしかたなくカメラを 買った」。「みんな故障品 ばかりですから どれでも千円 です」と、愛想のいい中田さん。「カメラというと高価だと思いこんで いたが故障品だとタダみたいに安い」

助三、その一つを買って肩にかけて帰る道すがら思うのだ。「山井書店 古書」の看板。「古物屋か…いい商売だな」「悪くないな」。「マンガなんていつまでも 続けられるものじゃないし」。「早いとこ見切りをつけたほうが賢明かもしれない」

「中田さんの家はたしかこんな間取りだったな」。早速、帰宅するや机上でプランを練りはじめる助三。自宅営業でも大丈夫だ。「いいなァ骨董品に埋もれるようにして………」。「オレ自身骨董品のようになって……」、年老いた助三が市松人形を両手にし独言。「市井の片隅に埋もれる人生……」。このことに関連して『日記』にこんな記述がみえる。
「住宅新報を見て家探しをする。骨董と古本と中古カメラ屋を兼ねたような商売をしてみたい。一軒家を借りて多奈加のように自宅でやれたら店舗を構えるより気楽だ」(1978・2・2)

千円で買ったカメラは簡単に修理できた。それで試し撮りに、細君にヌードのポーズをさせる助三。「えーっ こんな 格好で」。両手で顔を隠す細君。かなりえぐいポーズのプリント。「あの頃の女房はまだ可愛いとこあったよな……」。というところで一拍おいてみることに。つげがはじめてカメラに関心をもったのはいつか。
「一九六八年(昭和四三年)三一歳
旅行を題材にした「旅もの」が好評を博す。……。六月、本格的なカメラを購入。マンガの資料を兼ね、旅先での風景を撮影するようになる」
このことでは当方も秘湯行をともにし、つげのカメラ魔ぶりについて、そのさきに『前著』第八章ほかでふれた。だからというか、つげがなぜ中古カメラ売買をやるのか、わかるようなのだ。ずっとひとりだまりこくり閉じ籠もっていじくり弄び淫していられるというのだ。

中古カメラ

17ページ1コマ目。「あのときのカメラがオリンパス35Ⅳ型だった」。麗々しき記念の一眼レフ。それがなんと新宿の中古カメラ店で、一万四千円也の値札が付いているとは!
「やったぞ一万三千円 トクした!」。「わっ わっ」。店先にしゃがみこむ助三。「どう したの?」と、細君。「急に 疲れた」と、膝を屈し手を突く助三。「気の 小さい 人ね」
それからはもう中田さんのところに日参することになる。カメラの故障はほとんど、シャッター以外にはないとか。カメラの値段は専門誌の広告で覚えること。「二千種の機種も資料によって頭に叩き込んだ」。さすが資料魔つげだ。「欲がからむとオレはにわかに実力を発揮するのだ」。といういやはやなんとも哀しいようなおかしさったら。
そのうち中田さんの仲間「鈴本さん深田さん」そして「蛇屋から転業した工藤さんなどの古物商を知った」。冒頭、縁日のシーンで声を掛けてくれたお三方。みなさんそれぞれ良いお顔をされておられる。なかでもそう、「工藤さん」の容貌のその蛇顔っぽさ、はどうだろう。
このかたがたの「おかげでまたたく間に二百台以上も集まった」というから「ふっふふふ 私という人間の 底力がおそろ しい」。なんてほくそ笑むことになる。「骨董屋より カメラ業に なれるぞ」
「買い占めたのは、アルコ35、オリンパスワイドスーパー、アサヒレフ、ミノルタ35、キャノンSⅡ、マミヤマガジン、オリンパス35Ⅰ型、トプコン、コーワSW等、あとで値うちが分るとドキドキするようなものがあった」(「カメラ商開業未遂」)

カメラ音痴もよろしい当方などには、ぜんぜんまったくもって「ドキドキする」べくもないがこれが、マニアの友人にきくと垂涎ものだとか。だがこのカメラが妻とのいさかいの種になるのである。「そんな趣味やめて マンガ描いて くれないと」、「趣味 だって」。こうなるとどうしても毎度のケンカがおっぱじまる。
「オレは貧乏の恐ろし さを骨の髄まで 知っているよ だから 真剣にやってるんだ」。いやそこらは痛いほどわかる。「マンガの注文なんて この一年間なか ったじゃないか」。「墨汁にカビが 生える始末だ」
なんぞとえんえんとつづきやまないのだ。「でもあなたのマンガは 一作ごとに評論され たりして芸術的なん だもん」。「マンガ業界に 芸術は無用の 長物なんだよ」。そんなことがあってそれからどれほどか。

そのうちいつか。クラシックカメラ・ブームが起きてコレクション専門誌が発刊されたという。どういうものか。作中では「カメラコレクション情報」とされる。だがこれが実際はちがって『日記』にこうある。
「カメラコレクターズ誌(マニアの交換売買誌)を購読するようになった。カメラの売買をしてみたい」(1978・1・10)と。というここでまた一拍おくことにする。この件であるがこれは「無能の人」のそれとそっくり同じだ。
それはそのさきにみた、「そのうち「愛石情報」なるコア・マニア雑誌を探してきて、なんと「愛石交換会」なるオークションの存在を知ることに」、というところのことだ。でその売買欄に「五六台売りに出してみると 思いがけず四十通の 申し込みがあった」そうな。
「それからは毎月売りに出し好調に売れた」。郵送の荷造りをしたり、返信を書いたり。「あちこちの古物市へ出かけハタ師(業者から掘り出す)をしたり」。

28ページ5コマ目。そうしてとうとう「通信販売の目録も作った」とチラシを作ってまでいるのだ。それがなんと「より安い! 通信販売! ピンチ商会 代表助川助三」というのだと。つげは、序章でみたようにこの頃、将来を案じ古物商の免許を習得、「ピント商会」を設立して中古カメラの売買の副業に手を出しているのだ。
実際、つげは「ピント商会 柘植義春」なる名刺を持っていた。だけどそんな誰も漫画のつげ義春と気づいてないと。ほんとうに真剣だったのだ。しかしなんと「ピント商会」をしてマンガチックにも「ピンチ商会」にしようとは! そうしてなんと結果としてまさに、そのとおりの終末をむかえるとは!

29ページ1コマ目。たしかに商売繁盛らしい。「雨にも負けず 風にも負けず」。なんて雨を衝いて前のベビー椅子に三助を乗せて自転車を漕ぐ助三。「デクノボウと 云われようと」
「メリ メリ」。「ああっ」。このとき哀しい事件が起きるのだ。ここからのコマは「日記」の記述をみるとしよう。
「ダンボール箱いっぱいのカメラを自転車の荷台にくくりつけ、前のベビー椅子に正助を乗せ、片手に傘を持ち片手操縦で難儀だった。……。途中でダンボール箱が破れカメラがこぼれ落ちたりして、拾い集めるのに濡れ鼠になり、正助を自転車からおろし傘を持たせたが、うまく持つことができず泣き出す始末で、道行く人の不審な視線も意識され、泣き出したくなってしまった」(1977・8・25)
「あ~ん あ~ん」。泣きじゃくる三助。「ギャア ギャア 泣くんじゃないよ」と怒るや、おぼえず「パシッ」とばかり、三助くんの頬を叩いている助三。
「え~ん え~ん」。いやひどい土砂降りだったら。濡れ鼠の大泣きの三助を抱き締める助三。こりゃどうにもちょっと泣けてくるシーンでないか。