【連載】つげ義春「無能の人」考⑨《前篇》 text 正津勉

第九章 〈無能の人〉後三篇
「やもり」/「海へ」/「別離」

「やもり」

「やもり」は、「comicばく10」(1986・9)に発表。40ページ。〈無能の人〉シリーズ第5作「カメラを売る」と第6作「蒸発」の間に掲載された。
まずなぜこの作をシリーズに挟んだのか。それはいわずもがな、〈無能の人〉シリーズ続編を仕上げることがかなわなく、その帰趨に困難をおぼえていたからだ。そこには年譜の引用でみたように、心身不調いちじるしく最悪の状態にあったことがある。そんなのでどうにもこうにも筆を執れず暗礁に乗り上げたようになったらしくある。
さらにはみてきたように、すぐこのあと「蒸発」で井月を出したことで、いうならば〈無能の人〉の究極を描いてしまった、といったらいいだろうか。そういうしだいで、これをもって一端シリーズそのものを、(いまそのように仮に断っておくとして)、いたしかたなくも中断せざるをえなくなったと、おぼしくあるのだ。
くわえてするうちに、そこにべつに一つ狙い目がくわわった、そのようなふしがある。それはできるならば、本作から次項の「海へ」ほかを含め前述序章の「大場電気鍍金工業所」から繋がる〈私漫画〉の新局面を構想した、とみられるからである。ついてはここにそこらを勘案し「〈無能の人〉後三篇」と章題とするゆえんとするしだいだ(参照・『漫画術』)。

まずもってこの扉絵をどうみられよう。薄暗い筵敷きの室内、手前の低い板棚の置かれたアルミ弁当みたいな蓋の上に、一本の蝋燭と燐寸。いったいこの不気味さはなにゆえか?
それではこれから早速、本作をみてゆくことに。いやだけどその前に〈私漫画〉であれば年譜を拾っておくべきか。

「一九四五年(昭和二〇年) 八歳
……。疎開先(註・新潟県赤倉温泉)で敗戦の玉音放送を聴く。一〇月頃、兄とともに東京に戻る。葛飾区内で転々と間借り生活が続く。母が行商や仕立物の仕事をして一家の生計を支える」
「一九四六年(昭和二一年) 九歳
葛飾区立石駅近くの廃墟のようなビルに無断入居。母が再婚、養父の冷酷乱暴な仕うちに怯える。この頃から「のらくろ」「長靴の三銃士」「タンク・タンクロー」「冒険ダン吉」などのマンガや、雑誌「譚海」(博文館)にふれる」
「一九四七年(昭和二二年) 一〇歳
……。妹(長女)が生まれる。元漁師で戦後は泥棒に転職した祖父(母の養父)に溺愛され、当時の物価からすると高額だった手塚治虫のマンガ本をしばしば買ってもらう」

時代は敗戦直後、舞台は東京下町、葛飾区界隈。主人公は小学3年生の春男。1ページ1コマ目、凶暴で飢餓感にみちた獰猛そうな野良犬が2匹。みんな誰も野良犬同然の身だった。2コマ目、「戦後間もない頃……」との1行。バラック塀の路地に屯する軍服の復員姿の男たち、路傍で七輪に鍋を掛けて煮炊きをする女ら。
2ページ1コマ目、路地で遊ぶ子供ら。2コマ目、「できた な」と、ケンちゃんに笑いかける春男。2人の傍らを通り掛かった若い夫婦。「それ パン焼器 でしょ」。「ニクロム線と ブリキで できて いるんだ」。「上手に できて いるね」。「これ オジさんに ゆずって くれないか」
手製パン焼器。これは内側をブリキ貼りにして電気を通す仕組みである。トウモロコシ粉やイモ粉で焼くが、温かいうちに食べないと喉を通らないしろもの。「でき上がったら 届けてくれないか」と、2人に住まいの場所を告げて、帰り掛けタバコの吸い殻を捨ててゆくオジさん。そいつを拾ってポケットに入れている春男。
家に帰ると兄と弟と、赤ん坊の妹を負った母ちゃん。「母ちゃん タバコ 三つしか なかった」。手製の紙巻器でタバコの吸い残しを薄い紙(註・インディアンペーパー、辞書などに使われる)で巻いているほつれ髪の母ちゃん。むろんこれも売り食べ物を買う銭に換わるのである。

なんにもなく口に入るのはタクアンだけ。夜なべに仕立物をする母ちゃん。それでメリケン粉を分けてもらうのだと。蒲団の3人の兄弟。鴨居のそこに飾られた、そうしてじっと3人を見守っているような、そんな父ちゃんの写真。
翌日か翌々日。福助足袋の看板の店の裏手に住む若夫婦宅。そこにでき上がったらパン焼器を届けるケン坊と春男。夫婦は台紙にホック(註・洋服などに付ける鉤状または丸形の留め金)を止める仕事をしている。それでこの訪問を機に近所の子供が集まって「小遣い稼ぎ」をすることに。そこでガキどもが歌う歌が哀しいったらない。

そんな「♪海の底から うまそな 匂いが するわい 朝めし前の ♪攻撃 済んで」なんて。これがわたしら戦後生まれなど知らない「潜水艦の台所」(作詞・横山隆一 作曲・服部一郎)という御機嫌よろしい軍歌であるからなおだ。
というところで止まってみることにする。まだこいつらガキどもはいい。このようにものの本にみえるのである。

一九四五年九月五日 浮浪児、上野の山に二百余名
十一月十七日 この日までに上野、愛宕、四谷署管内で百五十人餓死

猪野健治(『東京闇市興亡史』草風社 一九七八)

場面変わって部屋で遊ぶ3兄弟。「ガラッ」。とそこに突然入ってくる気味悪げな冷血漢めくオヤジ。髪の薄いYシャツの暗い男、孫六。「母ちゃん いないのか」。「うん」。恐怖で固まる3人。「ジロリ」。睨む目。「ピタン」。戸を閉め切る音。「父ちゃん 行っちゃった」と、弟。「バーカ 父ちゃん じゃ ねえだろ」と、兄。「オジ ちゃん?」
若夫婦宅でひとりホック止めに励む春男。ときに春男の手足に点々とある「タバコのあと」に夫婦が気づく。そこには春男の母の内縁の夫「中耳炎のオジさん」の存在がある。
短髪でランニングシャツを着た、左耳の後ろに大きな穴がある男だ。「その穴 暗くて 恐いんだよ」。「恐いよお~」。というその穴の画が恐いのったら! 春男の母と孫六の関係を疑っており、「お前が孫六に 逢えば」「こいつに 一つ お灸を すえると」と、春男の手足にタバコを押し付けるという残忍な仕打ち。でもうそれを止める母ちゃんを殴るわ蹴るわのひどさ。
春男の回想に出てくる。そんな「う~~ちの かあちゃん 酋長の娘」なんて。母ちゃんと、「中耳炎……」と、孫六、3人の酒飲みシーン。「ズロース 脱いで 裸踊り やれ」。「バカね 孫六さんの 前で」。「笑っちゃ うわね」。なんて笑えっこない春男があまりに痛すぎる。
「ね~え 春ちゃん うちの 子になら ない」。若夫婦の奥さん。「オバさんの 子になったら 可愛がって あげるわよ」。心温かい誘いに答えず立ち上がる春男。「オレ もう帰ろっと」

帰り道、「コーモリ コイ コーモリ コイ」、竹竿を振り回すコーモリ捕りの少年たち。荷馬車の尻にぶら下がる春男。なんという下町版戦後的シーンなるか。日の暮れにその姿が浮かぶ。「あ 母ちゃん だ」
医院の待合室。「奥さん アサリに 海苔、干物は いらんかね」。母ちゃんは、千葉の海の出。こんなふうに妹を負い行商で歩き回っているのだ。「汚らしい」。「しっ しっ」。なんてそんな犬や猫のように追い返されようとは。その夜の母ちゃんの涙の話。ただもう胸を塞ぐばかり。
翌朝、千葉へ仕入れに行く母ちゃんを3人で見送る。帰り道、パンパンを抱いた進駐軍の兵士が吐いたガム。ラッキー! なんて拾って口にする春男。そんないつかあの恐い冷血の孫六が一緒に住むようになる。鴨居の遺影、それを片づける母。「父ちゃん の写真 しまうの」と、兄。孫六を「父ちゃんと 言うんだよ」と、母。「オレ 言えないよ」と、兄。そこにある夜に事件が起こるのだ。
「こんなところに 落書きしたの 誰なのか」。土壁の隅に福助と書かれた文字。犯人は春男で助の字の中の棒の一本が足りない。しかし口を割らない。「オレを 馬鹿に した」。「ゆる さん!」と、怒り心頭の孫六に耳を引っぱられ春男は外へ追い出される。外の塀に坐る春男。母ちゃんがそっと差し出す蚊取り線香とそしてふかし芋。
耳を震わせひびいてくる笛の音。「ピ~」。「ピ~」。お目くらさんが杖をついて吹きふきくる音だ。「ピイ~」。このときこんなふうな座頭市ごときがいらしたとは。

恐怖でもう。我慢ならぬ。突然そのとき「ね~え 春ちゃん」の声を思い出して若夫婦宅へと駈け出してゆく春男。「カタ カタ カタ」。途中、「あっ」、福助の店の看板の文字を見た春男。「やっぱり棒が 二本か」。ここらの細部への細心さをみよ。
縁側に出て浴衣姿で涼む両人。しばらく玄関の生け垣の蔭に坐る春男。蚊帳のうちの仲睦まじげな夫婦。そのとき立ち上がって玄関の門灯を見上げるとなに? 丸硝子蓋の白熱電球。そこの面に四肢の指を広げ貼り付く奇怪ななに!
ぶるぶるものの、気味悪い爬虫類、ぞっとするあれ。「あっ ヤモリ だ」

最終40ページ。1コマ目、大写しになる、全体が暗灰色の鱗、多数の褐色斑が散る、魔物めくさま。恐怖に震える春男。ここで想起される言葉がある。家庭小説をもっぱらものした庄野潤三(1921~2009)。そのさき読んだ短篇にあったこんな一節が浮かぶのだ。

「家庭の危機というものは、台所の天窓にへばりついている守宮(やもり)のようなものだ」(「舞踏」)

春男は、どういったらいいか日頃、義父にいたぶられている。それでネグレクトの子供としてこのときにふと、この夫婦の家にもここにいう「危機」というかなにか不吉な影をみた、そういったらオーバーな見方すぎというものか。
2コマ目、突然に駈け出す春男。3コマ目、「カタ カタ カタ」。下駄の音をひびかせ暗い夜の街を駈けてゆく必死の背。

いったいぜんたい、この児は何処へ帰ろう。というのであろう……。