【連載】つげ義春「無能の人」考⑨《後篇》 text 正津勉

「別離」

「別離」は、「COMICばく13、14」(1987・6、9)に発表。全48ページ。
これもまた扉絵からみてみよう。ひっそりとした夜景色がそれとのぞまれる。一つ点る街灯のそこだけ、照らされて明るくあり、手前に狭い橋がかかる。人影が絶えはて、かなり長い時間。坂道が奥の方へ折れ曲がり、木陰の向こうへ消えている。どこにでもありそうな光景といえるがどういう。なんとなく暗示的でもあるぐあい。
はじめに本作について。これがさきに発表の「チーコ」(「ガロ」1966・3)の男女の行く末の再画であること。みなさんご存知だろう。さらにまた本作以降、新作発表をみないと。
それでは早速、本作について。「やもり」は、幼年期。「海へ」は少年期。今回の「別離」は青年期。これをみても連作の意図がよくわかる。ここでもさきに年譜をみておこう。これがじつに以下の年次どおりに物語が進行しているのだ。

「一九六〇年(昭和三五年) 二三歳
コケシというアダ名の女性と大塚で同棲を始める。二人分の生活費を得るために精力的に作品を描くが、零細な貸本マンガで生活を維持するのは困難をきわめ、電灯の笠貼り、水筒のヒモ付けなどの内職までしなければならなかった。……。三洋社社長・長井勝一を知る。生活に追われ、安保の騒ぎもまったく知らずに過ごす」
「一九六一年(昭和三六年) 二四歳
主に仕事をしていた三洋社が倒産。……。同棲相手とも別れる破目となる」
「一九六二年(昭和三七年) 二五歳
錦糸町の元の下宿に戻る。家主の経営する装飾屋に勤務して一切作品を発表せず。アパートで睡眠薬自殺をはかるが、病院にかつぎ込まれ未遂におわる」

60年、つげは、「二人分の生活費を得る」ために、なんと二七篇と多数の作品を発表している。そのさきに挙げたあの秀作「鬼面石」(第三章)がこの年の産物なのである。それはさて苦しいのだ。どうにも喰えないのだ。
「マンガを描きながら少しでも時間を惜しんで、手のあいているときは電気(ママ)の笠貼り、水筒のヒモ付けなどの内職もした。化粧品の訪問販売を始めたK(註・コケシ)と一緒に重いカバンを下げ歩き回ったりもした。貧困がもとで互いの気持ちがささくれ、いさかいも絶えなかった。稼ぎの悪い私は常に劣勢で、いつもKの顔色をうかがいビクビクしていた」(「苦節十年記」)

これからもその苦闘ぶりがしのばれる。それはさて本人は「チーコ」をいかに位置づけているか。のちにつぎのように告白しておいでだ。
「『チーコ』も、鳥が飛んで行って最後に別離を暗示するような、不幸な終わり方だけれども、まだ、甘いんですよ。……。まだどこかに救いが残っているような感じがあると思うんですね」「『チーコ』を描いたときは、まだ自分自身が若いでしょう。どっか若さとか甘さがあるような気がしてね」(『漫画術』)
どんなものだろう。おそらくここらあたりの反省から本作への構想がふくらんだとみられる。わかるようである(参照・『前著』第三章)。

1ページ。1~3コマ目。「二年間生活を共にした国子とぼくは別居することになった」。むろん生活に困窮してだ。彼女は某会社の住み込み賄婦に。自分は製本工場の寮に住む兄の厄介に。
ぼくは何もする用もない。それでしょうことなく終日終点のない山手線乗りをしているのだった。「そんなある日国子と同棲する前まで」「長年住んでいた下町の大平荘へふらふら行ってみた」
この「大平荘」とは、つげ作品にお馴染みのアパート(参照・第二章「池袋百点会」)。墨田区錦糸町にあった賄い付きの下宿屋斉藤アパート。つげは、この下宿に「長年(註・1957年秋~59年秋)住んでいた」。でそこへ行くと「そこにはレタリングをやっている木本さんがいた」と。

これを幸、木本さんの部屋へもぐりこみ、彼の手伝いをして下宿代を払ってもらう。しかしタバコ銭もなくモク拾いをするざま。下宿の賄いは二食につきいつも空腹で悩む。
「こんにち は」。「ルームメイトは いないの」。ある日、突然、国子が訪ねてくる。そうしてやっぱり聞かれているのだ。そんな「あんた マンガ 描いている」。「描いても 食えないじゃ ないか」なんて。ときにある事件が起こることに。
「少し お金 貸して よ」と、無心するぼく。だが国子は拒否する。彼女がトイレに行っているスキにハンドバッグをさぐる。すると避妊具がある。「な いいだろ」。「な ちょっとだけ」と、ぼく。拒絶する国子。男がいるから拒むのだろう!
「じゃ、その中の 避妊具は なんだ」。「あんたってそんな あさましい人 だったの、人の バッグをのぞい たりして」。「お里が しれるわね」

ほんとうに最低、最悪でしかない。しかし情けなくも彼女のほかに頼れない。ぼくは国子の寮へ残飯を貰いに行くのだ。そのうち国子の世話したのは、ずっと以前から片思いしていた、コジローなる野郎と判明する。
「国子はぼくのことは のら犬で、その男は セパードだとよく 噂していた」。ここから9ページにわたり、よくあるおかしい一人の女をめぐりセパードとのら犬との鞘当てごっこがある、だがここではスキップしよう。
ただこのコジローが、モデルよろしく柄物のスーツの上下にスカーフでびしっときめている、とんでもイヤミとくる。くわえるになんとボディビルまでおやりになると。
「それからしばらくして国子に新宿へ呼び出された」。そうしてときに告げられることに。「私もしかしたら 妊娠してるかも しれないよ」。なんと相手はセパード・コジローではなく別人である。それは彼女が貸本屋のアルバイトをしていたときの常連客の一人という。ひどく冴えない奴なのだ。このシーンも八ページつづくが、これまたこの年頃によくある性愛、リビドー問題のたぐいと片付けられれば、やっぱりスキップするとしよう。
ここでは「ぼくは国子に千円たかりG駅前でブロバリンを百錠買った」のくだり。当時は誰だって薬局でこんな眠剤を買えたのだ。1950~60年代、二〇代を中心に睡眠薬自殺がブームとなった。成分一般名はブロムワレリル尿素で「ブロバリン」の名で売られた。つげが心酔した太宰治も当時の売薬名「カルモチン」で何度も心中未遂した(参照・鶴見済『完全自殺マニュアル』太田出版 1993)。そうしてそれと帰りに「木本さんの馴染の店に」寄って、飲めない酒を呷ったことである。かくしてつぎにみる事件とあいなっていると。

「下宿の台所でブロバリンを 八十錠ほど飲んだ」

なんとこのとき不審に思った(?)アパートの大家さんの飼い犬がつげの部屋までついてきた。ここではこの一件について書いたエッセイ「自殺未遂」をみてみたい。
「……部屋の扉を開けたまま犬にお手をさせたりしているうちに眠気が襲ってきた。同時に唇がしびれ膝の力がぬけ、私は万年床の上にごろりと横になった。
犬は部屋の入口にきちんと座っていた。私は体が泥沼に沈んでゆくような重さを感じながら、犬に「バイバイ」と横になったまま手を振ってみせた」

ここが作品では以下のよう。「ばい ばい」。「それがこの世の別れの挨拶だった」。このなんとも寂しいユーモア。そんな「ごめんよ~」だって。おかしすぎるのったら。このことに関わって。当時つげと親交のあった遠藤政治が前出(第二章)のインタビューで応えている。
「ある日、斉藤アパートへ行ったら「つげさんがちょっと自殺を図ってね」「ええ? それでどうなりました?」「いまは二階にいる」って、まるで「李さん一家」みたいな(笑)」「(彼女の浮気と)あと彼はね、描けなくなっちゃったんですよ。頭のなかが空っぽになっちゃって「アイデアが何も出ない」って。その挙句に、結局は自殺を図ったんですよ」
わかるようなわからないような、それはさてとしてである。「その後のことは 木本さんにきいた」。以下5ページにおよび治療報告がつづくことに。医師が脱糞と放尿のためにオムツをしようとするが強固に抵抗する病人。いやこれがもう哀しくもおかしい。どうにもなんとも腹皮をよじらされる、それは死の淵を彷徨い果てて目覚めるや、はじめてのとんでも放尿シーンなのである。

老朽病院の旧式の男子便所。「看護婦はぼくの尿器をとり出した」。「膀胱が膨張し 尿器も膨張し」。じょじょんと小便が便器の枠上を直射し、はじきやまない。壮絶なる放尿!
「もっと下に 下に向けて」と、もう可哀想なのったら小便まみれになる看護婦さん。「ぼくは飛沫をあびながらも寝小便をするような快感を味わいながら長々と放尿した」
それからずっと三日目の朝まで眠りつづけたとか。そうしてまた退院の際の大騒ぎすることに。「あれ?」。「オレの 靴がない じゃない か」「これは おかしい ぞ」と、ほんとうにいきなり怒鳴りまくっているぼく。
「寝惚けるな 裸足のままかつぎ こまれたんじゃないか」と、鉢巻きの大家のおやじ(参照・第二章「隣りの女」)。そんなんでもういたしかたなく裸足でトラックの駐車場までとぼとぼとゆくほかない。「一切が もうろうとしているなかで」。「足の裏の感触だけが妙に生なましく感じられた」
最終48ページ。1コマ目、壁に長く映る影。「冬の淡い日射しをうけて今にも消えいりそうな自分の影を見て」。2コマ目、生気のない、やつれた髪ばさばさ髯ぼうぼう、ひどい顔貌。
ラスト三コマ目。「ぼくは涙がとめどもなくこぼれた」。壁に斜のぼくの、どこだか残りの命みたくに、とっても薄い影……。

というところでおしまいとなるのである。だがそこらをどういったら理解がゆくような説明となりうるものなのやら。わけがわからないのであるがそうである。
なぜなのだろう。このときその亡霊のごとき影がわからなくも突然、意味不明、支離滅裂、唐突にもつぎのような詩句もどきを呟いていたりして。いるのではないか。
などとどうにもおかしいのったらないが。どうしてかそんなふうに当方にはほんとうに想起されてならないのである。それこそこんなへんてこなぐあいなのを。

丁丁丁丁丁
     丁丁丁丁丁
 叩きつけられてゐる 丁
 叩きつけられてゐる 丁
   …………
  熱 熱   丁丁丁
    (尊々殺々殺
     殺々尊々々
     尊々殺々殺
     殺々尊々尊)
宮沢賢治「〔丁丁丁丁丁〕」(『校本 宮澤賢治全集』)

――以上、つげ義春、ほんとに意志的なる漫画家なること。「やもり」、虐待体験。「海へ」、密航事件。「別離」、自殺未遂。幼、少、青、とてもペンを執れるような心身の状態ではないなか、これをかぎりに一番の外傷(トラウマ)それを描ききったのだ。

というところにきてさいごに一拍おいてみることにしたい。ここまでずっとつげの生い立ちからしつこく繰り返しくりかえしその歩みを辿りつづけてきたのだが。はたしてわたしらにつげの漫画はいかがなるものだったか。
わたしらはそこにその表現にぜんたいなにを感受したものであろう。しまいにこのことに関わってそうである。いったいその作品はというと、敗戦後日本の現実を下層最低辺の視線から、あくことなく描破したものだと。やはりそのように考えられることである。いうならはっきりと覚悟してたじろがない作家がいるとみたからだ。
そうしてそれこそがつげをして格別な存在となさしめたしだい。そこらはマニアならず誰もが頷けることではないか。ひいてはきょうまで広範な読者をえるにいたっているということ。
ついてはどんなものであろう。わがつげ義春をおいて、いったい異議申し立ての六〇年代に輩出した多くの表現者のうちで、どんな名前があがるか。ちょっとありえないのでは。
かくしてそのさきはなかったのだ。いつもつねに前線にありつづけた。そんなわけで心身ともにぼろぼろ。もはやありうるべくもないのだ。

「一九八七年(昭和六二年) 五〇歳
春先から持病の強度の発作が襲い苦悶する。座禅やヨガ、漢方薬によって窮地を脱するがマンガを描く余裕はなく、「COMICばく」も廃刊(註・第一五号で)する。……。
『連作〈石を売る〉総集版!! 無能の人』日本文芸社、七月」

あとがき

助三地蔵。そんな愛称で呼ぶ地蔵がある。こちらが蟄居する書斎兼寝室の四畳半のゴミ部屋のそこに。いきなり山積みの本や袋が崩れ落ちて圧死しそうな。そんなところに得体のしれぬ邪魔なものが鎮座ましますのである。いうたら、昔の生家の漬け物石、まがいが。
いつかこの助三さんを材にして拙詩をものした。いったい本稿といかがな関係があるものやら。まったく当人ながらよく説明できそうにない。だがつげの読者ならば笑いなかば了解されようか。
わけがわからないままであるのだ。だがこれをしまいに引いてあとがきに替えることしてしまう。というのはいけないことだろうか。

なんでこんな解らないものを祀っているのか
銘石どころかどこにでも転がっているだけの石塊
人の頭より大きめで重さ約九キロ

あれはいつどこの山の帰りであったろう
降りたった磧でかじかみ震えていて目にとまった
でもってこれで何をいたさんとして

よっこらしよと背負ってきたものやら
ともかくも壁際の隅っこの文机に置くことにした
それからどんーと鎮座ましますところ

おぼえずそれに視線がいっていたりして
ともうどうしても目が離せなくなるようなしだい
へろへろと腹かわを皺よせているのだ

みよこいつのこの充溢度をしかとみてみよ
ぜんたい手前などは造物主さまの設計ミスもいい
ほんとまったき不良品よろしくないか
            「石塊」(『奥越奥話』)

謝辞
本連載の終了にあたり、まずは読者に礼を申したい。ご愛読有難う。掲載については「neoneo」編集室若林良氏にたいへんお世話になった。ここに深謝したい。なお本稿は、こののち大幅に朱筆をいれて、今秋、作品社より上梓される。

【執筆者プロフィール】

正津勉(しょうづ・べん)
1945年、福井県大野市生まれ。詩人。詩誌「ポエム」編集に携わり同誌上、つげ義春と湯治場巡り「桃源行」(1976・10~77・5)連載。「特集つげ義春」(77・1)刊行。ほか対談・小論など。