本書は、ヒッピー・カルチャーの中⼼地であったヘイト・アシュベリー地区における、そのはじまりから世界的なムーブメントに発展していくまでの⽇々を記したエスノグラフィである。原題は“The Human Be-in”で、1967年10⽉21⽇のペンタゴン⼤⾏進の直後に執筆が開始され、1970年に本国で出版されている。著者のヘレン・S・ペリーは、カリフォルニア⼤学サンフランシスコ校の研究所に所属し、地区⼀帯の精神保健を調査する精神医学者であると同時に⼥性⼈類学者として、フィールドノートからの引⽤と研究者としての知⾒を交えながら、1966年10⽉からの約1年間を回顧する。フィールドワークの直後に書かれたこともあり、当時の熱量と未だ鮮明な記憶をもとに書かれた本書から、メディアや後年に書かれたテキストからは知ることができない、フラワー・ムーブメントの本当の姿を垣間⾒ることができる。
『ヒッピーのはじまり』を最初に読んだのは2021年の6⽉、邦訳出版されて間も無くの頃だった。当時、私は美⼤の芸術学科に通う学⽣で、最終学年だったため、卒論の章⽴てが⽬下の最重要課題だった。とあるSF⼩説について書くことは漠然と決めていたけれども、どういったアプローチで論じるのか、どこにオリジナリティを出していくのかについて頭を悩ませていた時期であった。主題として定めた作品の執筆期間が1960年代だったから、なんとなく「ヒッピーの時代だな」というのは認識していて、本書を⼿に取ったのは、論⽂執筆のために何がしかのヒントをもたらしてくれるのではないか、という⽬論⾒からだった。それ以前にも60年代当時に書かれたヘイト・アシュベリーに関する著作には⽬を通していたけれど、本書は著者が精神医学を専⾨とする学者であって、ヒッピーたちと完全に同化するのではなく、適度な距離を保ちながら観察した記録であるという点で、研究を進め る際の資料としてより適しているように思われたのだった(そして、実際に主要な参考⽂献となった)。
本⽂中にある通り、1966年はまだ“ヒッピー”という⾔葉が⼀般に浸透していなかった時期である。著者は⾃分の⼦供でもおかしくない年頃の若者たちが、親世代の作ったあらゆる規律を逸脱して新たな価値観の創造と実践を試みる姿を⽬の当たりにし、最初は⼾惑いながらも少しずつ彼らに対する理解を深め、フィールドワークを終える頃にはヒッピーたちを“癌に冒された親友”に例えるほど、親しみを持って関与するようになる。もちろん、著者は⼿放しにムーブメント全体を礼賛しているわけではない。その結末が悲惨な結果に終わったこと、精神科医として向精神薬の使⽤に関する危険性を認めた上で、彼らが現実逃避や⾃傷のためにドラッグを使⽤していたのではなく、LSDをインディアンのペヨーティズムや東洋の諸宗教を踏襲した新たな通過儀礼の「聖餐」として⽤いていたことを記している。また、ヘイト・アシュベリーがサンフランシスコ州⽴⼤学の学⽣の下宿先であったこと、地区には⼤学教員や⾼度専⾨職者も多くいたこと、フラワー・チルドレンの多くが中産階級出⾝であり、⾼等教育を受け、哲学や⽂学などの書物に親しみ、東洋思想に精通した学のある⼈々であったことを明らかにし、ヒッピーに対する従来のイメージを覆してゆく。
著者は本書の中で、ヘイト・アシュベリーにおける階級・年齢・⼈種・性別を超えた連帯について繰り返し⾔及している。フラワー・ムーブメントの中⼼となったのはヒッピーや学⽣といった若者たちだけではなく、地域に古くから根付いていた古参住⺠たちもその⼀翼を担っていた。ビートジェネレーションが栄えたノース・ビーチから⻄海岸におけるカウンター・カルチャーの中⼼地点が移動してきたとき、ヘイト・アシュベリー地区の住⺠たちはその地に特有といえる、多様性を重んじる寛容さを遺憾無く発揮し、若者の流⼊を抑制するために弾圧を繰り返す⾏政に対して、ヒッピーたちと運命を共にすることを宣⾔している。また、貧しい⽩⼈のヒッピーたちは、抑圧の歴史を背負った⿊⼈たちからその魂の在り⽅を学ぼうとした。1964年の公⺠権法制定からわずか数年後、⽩⼈の若者たちは⾃らの意思で⿊⼈と対等な関係を築こうとしていたのである。男⼥の格差についても、それまで当然とされていた性役割から解放され、男性であっても家事や育児に積極的に参加し、⼥性であっても⾃分の考えを持つこと・知的であることが認められた。男尊⼥卑が著しかった時代に、ヘイト・アシュベリーにおいては男⼥も対等な関係を結ぶことができた。⼀歩外に出れば⼈々が“鉄のカーテンに分断された世界”で、この価値観の変⾰は画期的なことだったはずである。
反戦デモや学⽣運動、それらを報じるメディアを通じて、体制側と若者をはじめとしたリベラル派が⼤きく隔てられていた当時、著者の⼼の中には、記録しなければ「無かったこと」にされる恐怖が少なからずあったのではないだろうか。インターネットやSNSが無かった時代において、事実をありのままに記し、書物として世に出すことそのものがカウンター的⾏為であったともいえるだろう。最終章となる第⼗⼆章「沈黙の終わり」からは、著者がこれからのアメリカを担う新時代の若者たちに希望を託している様⼦が窺える。それは、あらゆる肩書を取り払い、偏⾒を捨て、真実を⾒極める⽬を持つことができれば、⼈々の間に隔てられた壁を取り払い、互いに歩み寄ることが可能であることの証明である。
本書を初めて読んだとき、半世紀以上も前に書かれた書物であるにもかかわらず、かつてアメリカ⻄海岸で起こったムーブメントと現在進⾏形で⾝近に起っている事象との間に連動性を感じる瞬間が何度もあった。50年という⽉⽇と広⼤な太平洋に隔てられた2つの地点が確かに地続きで存在しているのだと気づくとき、本書は単なる⼿記を超えて、⼀種の黙⽰録的な趣を帯びてくる。刊⾏された 2021年の初夏といえば、コロナ禍も2年⽬に突⼊し、⽇本においては第3回緊急事態宣⾔が発令され、ワクチンの分配や医療機関の逼迫に関する情報が⾶び交うなか、政府によって東京オリンピックの開催が強⾏されていた時期である。ごく個⼈的なことでいえば、⼤学⽣活の半分をパンデミック下で過ごすことを余儀なくされ、先⾏きの⾒えない将来への不安に鬱々とした⽇々を送っていた頃だった。外出禁⽌令やワクチンの摂取率の話題においてなにかと若年層がターゲットにされていた当時、本書に登場する⾃分と同世代の若者たちの⼼情を共感を持って受け取ることができたのを覚えている。2021年の⽇本もまた、分断に⽀配されていた。
⼤勢の若者がヘイト・アシュベリーに流⼊することが予想されたにもかかわらず、現地の⼈々の⽀援要請に⽿を貸さなかったサンフランシスコ⾏政。未曾有の感染症が流⾏しているにもかかわらず、来たるオリンピックを前に効果的な対策を何⼀つ打ち出さなかった⽇本政府。⾃分たちの信じたいものにしか関⼼を向けず、都合の悪いことには⽬を瞑ろうとする。時代的にも地理的にも遠く離れているけれど、1967年のサンフランシスコと2021年の東京は奇妙な相似形を成していたのだ。今、⼈種やジェンダー間の格差に関して世界各地で発⽣しているムーブメントも、60年代のフラワー・ムーブメントと地続きで起こっていることである。本書が、オリジナルの出版から半世紀を経たこのタイミングで再び世に出されたことの意義の大きさは計り知れない。特に「Z世代」とも呼ばれている同世代の⼈達にこそ、この本を読むことを強く薦めたいと思う。
【書誌情報】
『ヒッピーのはじまり』
ヘレン・S・ペリー著 阿部大樹訳
定価:2970円(税込)
刊行:2021年5月31日
発行:作品社
ISBN 978-4-86182-845-4
https://sakuhinsha.com/politics/28454.html
【執筆者プロフィール】
齋藤 レイ(さいとう・れい)
1998年生まれ。会社員として勤務する傍ら、リキッド・ライトをはじめとした1960年代のアンダー・グラウンドカルチャー及び、現代魔女カルチャーについて探求中。2022年、多摩美術大学美術学部芸術学科卒業。卒業論文『砂の惑星の神話学──サイエンス・フィクションとカウンターカルチャーの邂逅──』で芸術学科優秀卒業論文奨励賞受賞。同論文を収録したZINEを準備中。
