東京・有楽町で開催中の映画祭「東京フィルメックス」。今年はイラン映画界の巨匠、モフセン・マフマルバフ監督が審査委員長を務めている。特別招待作品として上映されたのは、同監督のドキュメンタリー映画『微笑み絶やさず』(2013)。釜山映画祭の創立者であり、15年にわたってディレクターを務めたキム・ドンホ氏に密着するとともに、映画祭の裏側を描いた作品である。上映後のQ&Aでも充実した作品解説や質疑応答が行われたが、今回はそこでは取り上げられなかった話題を中心にマフマルバフ監督に聞いてみた。
(聞き手・写真/金子遊 聞き手・構成/宇野由希子 通訳=ショーレ・ゴルパリアン)
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イランの検閲、アラブの春
――「東京フィルメックス2013」の審査員の一人、イン・リャン監督が中国の検閲の問題で来日できませんでした。開会式でもそのことを話されていましたが、現在イランの検閲はどのような状況になっているとお考えですか。
マフマルバフ アフマディネジャド前大統領が在任していた8年間は、特に映画や芸術作品に対して検閲が厳しい時代でした。イランの歴史の中で一番だったといえるのかもしれません。映画監督が映画を作ることを認めず、刑務所に入れたり、処刑すると脅されたりすることもありました。そのような状況でしたから海外に亡命する監督もいました。今はロウハーニー大統領に代わっているので、少しは希望が湧いてきています。
――3年前の2010年から、いわゆる「アラブの春」と呼ばれる反政府、民主化要求の動乱がチュニジアから始まりました。イランでは大きな動きはなかったように見受けられるのですが、監督は一連の民主化要求の動きをどのように注視していらっしゃいましたか。また、その結果発生したシリアの内戦において、イラン政府はアサド政権を支持しています。そのことに関して、何かご意見はお持ちですか。
マフマルバフ 「アラブの春」というのは国によって状況が全く違います。どこかの国にとっては春でも、ほかの国にとっては冬だったり、夏だったりする。それを皆まとめてアラブの春というのは大きな間違いだと思います。イランでも1979年に革命が起き、新しい政権が誕生しましたが、今では国民は皆その体制を嫌がっています。そういうことを経験しているので、アラブの春はイランから見ると、30年前の私たちに戻ってしまったかのようにも思えます。
リビアで革命が起きた時、暴動が激しくなって、たくさんの人が殺されました。最終的に独裁者のカダフィは殺害されました。その例を見ているのでシリアのアサド大統領は怖がって、政権はあのような残虐な振る舞いをしているのでしょう。なぜこのような悲惨な出来事が起きているのか? 「アラブの春」の負の側面を捉えることも必要です。私はイラン人として、イラン政府がアサド政権を支持していることを恥ずかしく思います。シリアにイランの兵士を送っているのはとても悲しいことですし、すぐに撤退してほしいです。
シリア内戦の問題には様々な要因が絡んでいますが、一番大きい問題は、私たちが他国の問題に無関心であるということです。これは芸術家の責任でもあります。誰が「シリアで2年間に10万人殺された」ことについて、映画を作ったり、何かを書いたりしたでしょうか。誰もしていないですよね。私自身もそのことに関してシナリオを書いて、プロデューサーに持ち込んでみましたが、全く相手にされませんでしたね。
小さな映画の役割
――『庭師』(2012)と今回の『微笑み絶やさず』は、息子のメイサムさんとマフマルバフ監督の2人で、ハンディなデジタル・ビデオカメラを使って撮影するドキュメンタリーの手法をとっています。これは、いわゆる予算が大きくかかる劇映画の企画がなかなか通らないときに、ご自身の撮りたい題材を映像化するための手法なのでしょうか。
マフマルバフ そうですね、それが主な理由です。残念ながら、どの国でも作家性の強いアート映画にお金を出してくれる人はいません。その一方で、今はデジタルカメラを使えば鮮明な映像が簡単に撮れる時代になりました。また、本当に撮りたいものをそのときすぐに撮っておかないと、何ヶ月後かになって気持ちがどんどん冷めてしまうというモチベーションの低下の問題もあります。ですから、デジタル映像の場合、まずは思いついた題材を撮ってみて、後でじっくりと考えてみようというのはあるんです。『微笑み絶やさず』は釜山映画祭の名物ディレクターだったキム・ドンホさんのあり方を撮っておきたいと思ったので、ドキュメンタリーの手法で撮りました。この作品を何か月も何年もかけて資金集めをしてから撮ろうとしたら、きっとこみ上げてくる気持ちはなくなっていたと思います。
――『微笑み絶やさず』の上映後のQ&Aで、監督は「アート系の映画を支援してくれる映画祭それ自体を、今まで誰も映画で描いてこなかった」というお話をしました。たしか監督の『カンダハール』(2001)のときも、「アフガニスタンの難民を誰も描いていないから、自分が製作した」と仰っていました。映画の題材を選ぶときに、監督はまだ誰もカメラを向けていない対象を意識的に撮っているのでしょうか。
マフマルバフ その通りです。映画の役割は、誰も気がついていないものを皆に見せること、皆が忘れてしまっていることをもう一度思い出させることだと思います。皆がすでに見たり、話したりしていることを描くのは映画ではありませんし、作る意味もないと思います。そのことは常に頭に入れて題材やテーマを選んでいます。たとえば『庭師』では、バハイ教というイランの宗教の信者たちの話を取り上げました。イランの中ではバハイについて誰もしゃべらないし、誰も書いていないんです。私はその忘れられている70万人の人たちのことを描こうと思いました。『カンダハール』のときの発想もそれと同じです。イランには300万人、アフガニスタンから逃れてきた難民の人たちがいます。誰がこの忘れられた人たちのことを話題にし、彼らについて語るのだろうかと思い、あの映画を作りました。映画はそういうものであって、私たちはその役割を果たさないといけないと思います。
『微笑み絶やさず』 写真提供:東京フィルメッス事務局
政治的な映画、詩的な映画
――マフマルバフ監督の『ギャベ』(96)、『サイレンス』(98)、『セックスと哲学』(2005)は、とても色彩豊かに映像設計されており、映画の演出としても凝っています。そのような劇映画を撮るときと、ビデオ・ドキュメンタリーを作るときに使い分けていることはありますか。
マフマルバフ あはは、私の映画のなかでも特にカラフルな映画の名前を出しましたね。私の映画づくりの場合、政治的・社会的な問題を描くものと、詩的な映画、哲学的な映画の系統があります。『祝福された結婚』(89)や『カンダハール』のように社会や政治を説明しようとする映画もあれば、『愛の時間』(91)のように哲学的な映画もあり、『ギャベ』や『サイレンス』は詩的な映画にあたります。映画のテーマは何なのかというのが先に頭の中にあり、どういう色づかいをするかが決まります。
――マフマルバフ監督は映画の他に、著書を多く出版されていますね。著書『アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない恥辱のあまり崩れ落ちたのだ』は日本語にも翻訳されています。文字で表現することと、映像で表現することには何か本質的な違いはありますか。
マフマルバフ 私が本を書くときは、読者は1人で自分の部屋に座って読むものだという想定をして書いています。映画を作るときには、相手は社会で、大勢の人々です。描き方は自ずと違ってきます。本を書くときには深く掘り下げて書けるし、イメージを膨らませて書くことができます。映画のために書く脚本は映像にしないといけないので、映像を文字にして書いているようなところがありますね。それは映像に縛られているような書き物になるので、その点は大きな違いがあると思います。
――監督は友人や知人、家族を対象にした映画学校「マフマルバフ・フィルムハウス」を主催しています。そこから夫人や娘さんが映画監督してデビューしていることは有名です。その学校では、詩を暗唱させる授業があると聞きました。詩というものを重視するのはなぜなのでしょうか。
マフマルバフ マフマルバフ・フィルムハウスでは、あるときは1日8時間のあいだ、ずっと詩を勉強するという方法をとっていました。そして、この3日間はこの詩人、次の3日間はこの詩人、というように詩人をひとり一人勉強していきました。私はその詩を暗記してはいけないと言いました。なぜなら詩を暗記してしまうと、口先だけで覚えてしまうからです。でもそうではなくて、詩は自分の中に染み込ませるものなのです。そして、ある詩人のすべての詩を読んだあとで、「普通の人々の生活の中に行ってみなさい。そこに詩を見つけてください」という課題を出しました。
この広い世界では、政治的な目線を持って社会を見る人もいれば、宗教的な目線を持って社会を見る人もいます。しかし、詩的な目線を持って社会を見ることもできるんですよね。それを探してごらんなさいと言ったんです。たとえば、このペットボトルの水をどうやって見るのか。詩的な目で見るのか、政治的な目で見るのか。詩的な目で見たら何を書くのか。それを学校の学生たちに宿題として出していたのです。
――さいごに次回作についてお伺いします。監督はグルジアへ行って、民主主義というものをテーマにした映画を撮影する予定だそうですが、もう少し詳しく教えて頂けないでしょうか。
マフマルバフ はい。「デモクラシー」という大きなテーマで脚本を書いて作品を作ろうとしたところ、色々な障壁があり、映画の撮影ができる国が限られていることがわかりました。中近東は全部ダメでした。タジキスタン、ウズベキスタン、カザフスタンでも撮ることができない。グルジアであればそのようなテーマの映画でも撮れそうな感触があるんですが、映画の中ではグルジアであると分かるような地名を出さないことにしました。つまり、舞台はどこでもない国になります。役者たちが話すダイアローグは英語になります。撮影は2014年の1月半ばから行う予定です。まだそれ以上のことは話せませんが、楽しみにお待ちください。
(2013年11月25日 有楽町朝日ホール楽屋にて)
モフセン・マフマルバフ(Mohsen Makhmalbaf)
1957年、テヘラン生まれ。作家・映画監督。民主主義のために闘い、17歳で投獄、釈放後は文学や映画活動を通し民主主義と平等を追究する。30もの著作があり、30本の長編・短編映画およびドキュメンタリー映画を世界10ヶ国で監督。代表作品に『サイクリスト』(1986)『パンと植木鉢』(1996)『カンダハール』(2001)など。著作に「アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない恥辱のあまり崩れ落ちたのだ」(2001、現代企画室)など。映画一家であり、長女サミラ、次女ハナも映画監督となる。
【執筆者プロフィール】
宇野由希子(うの・ゆきこ)
山形国際ドキュメンタリー映画祭、東京フィルメックスにスタッフとして参加。ドキュメンタリー好き。
金子遊(かねこ・ゆう)
映像作家・批評家。neoneo編集委員。共著『アジア映画で<世界>を見る』(作品社)が12月刊行予定。