『北朝鮮強制収容所に生まれて』より ©Engstfeld Film GmbH/BR/WDR/ARTE 2012
単なる政治批判にとどまらず
過酷なリアルを通じ
「人間とはいかなる存在か」を描いたドキュメンタリー
わたしはこの作品を、単なる「北朝鮮批判を企図するプロパガンダのドキュメンタリー仕立ての映画」と想定していた。であるならば、「別の面を知った者として、批判もせねばなるまい」などと考えていたのだ。なぜなら、現在までにも、さまざまな北朝鮮を批判的に扱うドキュメンタリー、ドラマ、映像インタビュー、インタビュー記事などに触れてきて、事実の一面ではあろうが、あまりに一面的で作為的なものも多いと感じたからだ。ところが、実際、この作品は監督をはじめとする制作陣のみならず、インタビューなどに応じる申東赫(シン・ドンヒョク)さんですら、冷静な視点を保持している。しかも深い人間論を湛えており、わたしは驚嘆させられた。そしてそこには、想像力が追いつけないほどの過酷な「リアル」が横たわっていたのだ。
父と母の「表彰結婚」により北朝鮮(政治犯)強制収容所で生まれたが親の罪状はもちろん収容理由すら知らないままに育ったシン・ドンヒョクさんは、インタビューに応じながら、「できるだけ休むようにしています」と語る。後の監督へのインタビューによれば、彼は「悪夢にうなされ、夜は眠れない」、「じっと座っていることができ」ない、「突然、3日間姿を消し」たりするそうだ。鉄条網で囲まれた強制収容所で、6歳から炭鉱での労働に従事し、銃殺などの刑を目の当たりにし、日常的に暴力にさらされて死者が出ることすら特別なことではない環境で生まれ育ってきた。
彼の過酷な現実は、イラストやアニメーションを用いて再現される。静かなタッチながら、ヒリヒリとした「リアル」が伝わってくる。母親と兄の脱走の企てを感じ、文字どおり「食べ物の恨み」によって、それを密告。だが、当時、そこに罪悪感はなく、もし自分が密告していなければ家族皆殺しだったろうと考えている。ただし、密告によって彼や彼の父親もまた、監獄へと入れられ、ひどい拷問にさらされてしまう。その際に変形させられた自らの身体を目にするたび、現在でも激しい怒りがこみ上げてくるそうだ。また、そのような場所においても存在した、人とのふれあいについても語る。
さらに悲惨な体験としては、ようやく監獄を出された直後、実の母親と兄の公開処刑に、父親とともに立ち会わされたこと。これは想像を絶するこの世の地獄とおもわれるが、彼は「家族の愛を知らなかったので、何も感じませんでした」「母のせいで投獄され、憎くて仕方ありませんでした」「密告の教育は受けても、母親が処刑されたら泣けとは教育されていません」とすら口にする。
『北朝鮮強制収容所に生まれて』より ©Engstfeld Film GmbH/BR/WDR/ARTE 2012
このような重い告白を、前後の表情、無言の時間もあわせてカメラは捉えていく。しかも、カメラの外に、これらの告白を引き出すための膨大な世間話の時間、失踪したシンさんをひたすら待ちつづけた時間が流れているという……。
そんな彼が脱走をおもったのも密告のとき同様、食べ物に関することが動機だった。強制収容所の外に広がる「豊かな」世界の食事について自慢げに語る言葉に、触発されたのだ。「明日、死ぬとしたら、これを口にしてから死にたい!」。そのような素朴なおもいが引き金となって、ある日、命がけのリスクを乗り越え、脱走に成功する。
そして彼は、公的な場での発言を、可能な範囲で試みる。切り刻まれるような痛みを抱えたまま真実を伝えんとする彼の姿に、わたしは「人の役割とは、かほどに重いものなのか」と感じた。人権を尊重する世界を実現しようとするために、あれほどの惨苦に耐えねばならなかったというのだろうか……。
また、この作品には、かつての司令官と、収容所の警備員という、秘密組織の高官も登場する。彼らもまた、シンさんのことだけに触れようとしながらも、カメラが向けられている前で、いつの間にかある種、赤裸々に、自らが過去に手がけた拷問の様子などについて語りはじめる。そして、「こんな話はしたくない」と口にする。監督の人柄や粘りもあろうが、やはり人は「誰かに聞いてほしい」「理解してほしい」と望んでしまう生きものなのだろう。
そしてラストシーン、シンさんが口にする、些細で実現可能性は未知数だが、驚くべき希望……。これは、ぜひ、劇場に足を運び、あなたの目でたしかめてほしい。そして、彼が失ったもの・取り戻したものはなんであるのか、金銭を知らずに育ったシンさんが疑う資本主義社会、それが失ったものはなんなのかも、実感していただきたいとおもう。
いまなお20万人もの人々が政治犯収容所に収容されているというが、当局は収容所の存在自体を否定している。また、日本の死刑制度や、中世といわれる司法の状態、過去に北朝鮮に対して日本が何をしてきたのかをかんがみても、一方的に他国の批判をする立場でないと考えている。しかも、北朝鮮はアメリカ・日本・韓国にとって敵国だが、ピョンヤン市内で筆者は実際、多くの欧米人を目にしてきた(アメリカ人ですら教育などに訪れているという)。もちろん、北朝鮮で生きる人々も同じ人間であり、思いや考え、言い分というものがあるのだ。
『北朝鮮強制収容所に生まれて』より ©Engstfeld Film GmbH/BR/WDR/ARTE 2012
もう一方にある、北朝鮮の過酷な歴史と
それを超えて行こうとする、人々の生きる姿の一部をレポート
それではここで、わたしが2013年夏に目にした、北朝鮮、ピョンヤン市内の様子をお伝えしたい。
たとえば、ピョンヤン空港から市街地へ向かう途中には牛や山羊もおり、300万人弱の全市民を食べさせるための農場を現在、つくっている。道路は広く、ここ1〜2年で自家用車もタクシーも増加。鉄道路線や路面電車、タクシーなども充実している。アパート(マンションも含む)のなかには、窓辺に西洋風の愛らしい装飾などがみられたりもするのだ。宿泊したポトンガンホテルは広く清潔で、タオル類やアメニティも充実。世界中の番組に加え、日本のテレビもBSを2局、観ることができる。1階には食堂やバーのほか、日本語訳の書籍も置く書店、日本製品も豊富な日用品の売店などがあった。
また、ピョンヤン市内だけでもいくつかの遊園地やプールがあり、どこも人があふれかえっている。凱旋青年公園という遊園地では園内のファストフードとワッフルを提供する食堂で、遊園地の女性従業員へのインタビューも試みた。彼女は、「希望を出してここに就職し、育休・産休はあわせて5カ月取得できる(もちろんマタニティハラスメントのようなものは存在しない)。でも、現在は恋人もいない。また、大学受験に失敗して就職した人でも、職場の推薦によって、学業に戻れることもある。趣味も遊園地で遊ぶこと」などと語ってくれた。しかも、園内の最新式のジェットコースターでは、「オモニー(お母さ〜ん)」などと叫びながら人々は楽しんでおり、同行の仲間もそれをまねて交流を試みていた。ゲームセンターでは軍隊所属経験のある、ライフルゲームが得意な女性などもいた。
食事は、人気の王流館冷麺、万寿橋肉商店食堂での焼肉、大同江食堂での朝鮮料理はもちろん、ハンバーガーショップやイタリアン・ピザ食堂でもとった。ピザの店は平壌市内に2店舗あるそうで、こちらはイタリアで修行した方が手がけているという。また、トイレは和式と洋式があり、手桶で流すところもあり、郷愁のようなものをそそられる。ちなみに、「水」が合わないため、日本人は腹をくだしやすい。
レストランや食堂、ショップなどで接客を担当したり街を歩く女性は、なんとなくピュアな感じの魅力を漂わせ、素朴な心根が表れたような美しい人が多かったような気がする。いっぽうでファッションは想像していたよりもずっと垢抜けていた。また、女性たちが食堂の廊下で討論し、それに人が群がるのも目にした。これも、よくある光景だという。
もちろん、万景台の金日成氏生家や、最近リニューアルオープンして豪華さ・見応え・工夫を大幅にアップした祖国解放(朝鮮)戦争勝利記念館(アメリカ帝国主義に「勝利」したことを記念する博物館で、もちろん今なおこの国は韓国と「休戦」状態)、錦繍山太陽宮殿前の広場(日本の終戦の日=あちらではお祝いの日としてのイベントが催される場所)なども訪れた。また、あの「アリラン」のショーも堪能して、芸術的な価値の高さを実感し、「大変だった、でも今、この国は存在している」というような感慨に打ち震えさせられもしたのだ。これらの施設や公演は、社会主義国家らしい街中の彫像同様、否、それ以上に、金日成氏や金正日氏、そしてその血を受け継ぐ金正恩氏を力強く称えている。私が旅にあたって読んだ書籍には、「周辺や社会主義国が次々と攻撃を受けて祖国を『破壊』されるなか、最も安定的に国を守る方法として世襲を選んでいる」旨が書かれていた。そのような視点で眺め、理解をもってすれば、「ギリギリの選択をしてきたのだな」と、共感の余地がある。世襲が民主的でないことはたしかだが、先述の終戦を祝う日、高齢の市民男性に取材を試みたところ「前日、日本の植民地時代の映像を目にし、日本に対して嫌悪感をもっている」と断られたこともあり、頭では理解していたものの、足元がゆらいでいくような感覚も味わった。
社会主義国家であり、米、季節の野菜、服、さらには腕時計までが配給される。朝鮮の方がいうには街に目安箱のような意見箱もあるそうで、「強権政治に人はついていかないものだ(から、日本で報道されているような強制・洗脳・虚飾に満ちた国家ではありえない)」ともいっていた。また、「核やミサイルをもつことによって安心感を得たうえ、生活を豊かにするための費用が捻出できるようになった」という。過剰な軍備は否定されるべきだ。アメリカの核の傘の下、基地を置かれ、戦争に参加することもある自衛隊の立場がゆれている国に住んでいるわたしに、周辺や社会主義国家が追い詰められるさまを目の当たりにしながら亡国の危機にさらされてどうにか祖国を守ろうとする彼らに対し、真っ向から反論などできるはずもなかった(もちろん、核やミサイルを手放さない国が、いまさら一方的に強制力を行使せんとするなどありえないとも考える)。
でも、核とミサイルを手放させ、強制労働収容所を通常の刑務所にし、世襲をなくして民主的な部分を取り入れることを願うなら、やはり太陽政策や人と人との友好な関係によって安心感を与え合わなければならない。にもかかわらず、日本のメディアでは、アメリカや日本の政府・報道と同じ論調で、自国をかえりみずに北朝鮮を異常な国家として批判する。
人権というものは、ある種、厳しく守っていかなければならないことはたしかだ。だが、一面的な視点を手放し、相手の言葉にも耳を傾けながら、話し合っていかなければ、人権や民主主義、平和が尊重される世界などありえないのだろう。この作品を観て、現実の一面を憂うなら、それをともに考えたい。
【作品情報】
『北朝鮮強制収容所に生まれて』(原題「Camp 14 – Total Control Zone」)
(2012年/ドイツ/106分/カラー/HD/1:1.85)
監督:マルク・ヴィーゼ
撮影:ユルグ・アダムス
編集:ヨハン・マルク・レスギロン
アニメーション:アリ・ゾーサンデ
プロデューサー:アクセル・エングストフェルト
提供:マクザム
配給:パンドラ
宣伝:原田徹(スリーピン)
公式サイト:http://www.u-picc.com/umarete/
予告編:http://www.u-picc.com/umarete/#prettyPhoto/0/
3/1(土)~渋谷・ユーロスペースにてロードショー
以降、大阪・名古屋ほか全国順次公開
【執筆者プロフィール】
小林蓮実(こばやし・はすみ)
1972年千葉県生まれ。ライター、エディター。現在、フリーランスのための「インディユニオン」執行委員長で、組合員には映像やWeb制作者も多数。友人にも映画関係者が多く、個人的には、60〜70年代の邦画や、ドキュメンタリーを好む。近年、『週刊金曜日』『労働情報』や業界誌などに映画評や監督インタビューも執筆。独自の視点で作品を深掘りすることを試みている。訪朝には、知人からの声がけで参加。