【Review】現在の映画の「場所」を巡る旅〜『映画はどこにある インディペンデント映画の新しい波』text 小岩貴寛 

なぜ「映画はどこにあるのか」を探さなくてはならないのか?
映画の居場所を探ることでいまの社会を見つめ直す「探求の書」

もしあなたが「インディペンデント映画」や「新しい波」といった言葉の並びから、この本を手に取ることをやめるのだとしたら、それをちょっと待ってはいただけないでしょうか。あるいは映画の、それもあまり目にすることの少ない監督たちについての本だということだけで、わたしには関係のない本だと思ってしまうことも待ってほしいのです。ほんの少しだけ、現在の映画の「場所」を巡る旅に付き合ってはいただけないでしょうか。

本書は1970年以降に生まれ、独自の方法で映画を発信し続けている12人の監督たちへのインタビューを軸にして、彼らの共犯者たち―プロデューサー、制作スタッフのみならず、配給や宣伝を手掛ける人々や、劇場の支配人、映画祭のディレクター、映画の新たな場としての映像配信に取り組む人々、そして観客たち―の声を一冊にまとめた、インディペンデントな映画づくりに関する証言集です。

本書は「映画はどこにある」と題されていますが、どうして映画の「場所」を「どこにある」のかと探さなくてはならないのでしょうか。現在、映画はどこにでもあるように思われます。携帯のカメラさえあれば、誰にでも気軽に映像を撮って、編集して、ネットで配信することも可能です。けれども、それで映画は豊かになったのでしょうか。確かに作品はそこかしこに増えたけれども、それらを映画と呼ぶには何かが足りないような気がします。本書に登場する証言者たちの多様な顔ぶれは、映画づくり=作品をつくることという従来のあり方から、作品をつくることと上映すること、観客にみせていくことがセットになって、初めて映画づくりが出来上がるのだということを私たちに教えてくれます。本書はそうしたこの時代特有の「どこにでもあるのに、どこにもない」という禅問答のような映画の状況に抗って「映画はどこにあるのか」を問う、探究の書でもあります。

そして、その「どこか」に向かって語られる言葉には、証言者たちの現在生きている場所へのまなざしが反映されています。作品を作ることに対するハードルは下がったけれど、それを続けていくこと、活動を広げることは非常に難しく、本書に登場する監督たちの中には別の職業に従事しながら映画を作り続けている人たちもいます。岡山でトマト農家を営みながら映画をつくり続ける山崎樹一郎監督はその顕著な例でしょう。また、撮る機会を求めて、様々な国を漂流するリム・カーワイ監督のような人もいるし、助成金など行政への働きかけも監督の役割の一つだと考える深田晃司監督のような人もいます。いずれにせよどの監督の場合も、映画を撮るために今まで以上に社会と密接に関わっていかなければならない現状があります。そうした従来の映画づくり=作品づくりとは直接には関係のない活動の中で、自分とは異なる人々・社会を発見し、それを自らの作品に取り込んでいることが彼らの実感を伴った言葉から読みとることができます。だから、たとえあなたが彼らの映画を一本も観たことがなくとも、本書を面白く読むことができるのではないでしょうか。なぜなら、それはわたしたちの社会について、映画作家の眼を通して語ってくれているものだからです。

大変なのは監督だけではありません、プロデューサー、宣伝や配給、劇場等々、インディペンデント映画を支える彼らも先が見えない状況で闘っていることが分かります。監督の苦労に目が行きがちなだけに、彼らのことを想像することはなかなか難しく、本書によってその不当さに少しでも光が当てられることを願いたいと思います。

そんな彼らの戦場は東京や大阪といった大都市だけではありません。地方に移り住んだり、日本以外の場所へと目を向ける監督たちも登場します。また、地方でインディペンド映画を上映する劇場の支配人たちや地方都市の映画祭のディレクターたちのように、大都市以外の場所でどのように人を集めるか、映画をみせていくかを考え、行動する人たちの動きも知ることができます。こうした試みの数々は、大都市だけが映画の場所ではないことを物語っており、逆に言えば、映画を立ち上げようと思えば「どこにでもある」のだ、という可能性をわたしたちに与えてくれます。

本書の証言者たちの様々なありようは、メジャー映画への一つのステップとしてでも、芸術家として孤高を気取るためでもなく、わたしたちの社会のありようを反映してくれる適切な方法として、インディペンデントな映画づくりというものが志向されているように感じられます。本書はそうした意味で、インディペンデント映画という語の居場所を変えることも提起しているのではないでしょうか。

400ページをゆうに超える本書はどこから読みだしてもよく、また、各監督のフィルモグラフィやインディペンデント映画を上映している劇場の情報も載っており、ガイドブックとして活用することもできるでしょう。あなたもまた、本書を片手に映画が「どこにあるのか」を求めて旅に出てはどうでしょうか。それは必ずや社会を見つめ直すものになっているはずです。

【書誌情報】

『映画はどこにあるーインディペンデント映画の新しい波』

寺岡裕治・森宗厚子=編
発行:フィルムアート社
定価 2,600円+税
2014年2月刊行 447頁

フィルムアート社公式サイト: http://bit.ly/1epcvux

〈本書登場の監督・執筆者たち〉
富田克也/相澤虎之助/深田晃司/山崎樹一郎/真利子哲也/濱口竜介/
三宅唱/山戸結希/松林要樹/木村文洋/リム・カーワイ/柴田剛/
桑原広考/大澤一生/高木風太/岩永洋/黄永昌/島津未来介/根本飛鳥/
今村左悶/直井卓俊/加瀬修一/岩井秀世/高野貴子/北條誠人/吉川正文/
千浦僚/岡本英之/橋本侑生/塩田時敏/菅原睦子/鈴木並木/平野鈴/野本幸孝/岩崎孝正/オーディトリウム渋谷/ユーロスペース[渋谷]/ポレポレ東中野/
K’s cinema[新宿]/名古屋シネマテーク/シネマスコーレ[名古屋]/
第七藝術劇場[大阪] /シネ・ヌーヴォ[大阪]/横川シネマ[広島]/シネマルナティック[松山]/森宗厚子

【執筆者プロフィール】

小岩貴寛(こいわ・たかひろ)

1982年生まれ。会社員。映画美学校フィクションコース・批評家養成ギブス修了。フィクションコース高等科修了作品として『愛の異端』(2012)を監督する。現在は地元東北にて稲作に関するドキュメンタリーが撮れないかと妄想中。5月に開催される文学フリマで出品される批評家養成ギブス同人誌『スピラレvol.2』に短評を書きました。

スピラレ⇒http://spirale-gypsum.blogspot.jp/