毎年3月の恒例行事となった「大阪アジアン映画祭」
2005年の第1回から奮闘してきた編集者・江利川憲が悪戦苦闘の日々を振り返る
第1回からかかわってきた「大阪アジアン映画祭」も今年で9回目を迎え、3月に開催された。第1回は「韓国エンタテインメント映画祭」の名称で2005年に開かれ、第2回から上記の名称になった。開催月の変更に伴い2008年は開かれず、2009年から「おおさかシネマフェスティバル」を一部門に組み込んで開催。また、この年に暉峻創三(てるおか・そうぞう)氏がプログラミング・ディレクターに就任、2011年にコンペティション部門を創設し、今日に至っている。
その内容も、出品本数、出品国・地域、観客動員数が年々拡大し、回を追うごとに内外からの認知度・注目度も高まってきている。また近年は、世界初上映・海外初上映・日本初上映などの作品選定が高い評価を受け、この映画祭でなければお目にかかれない作品が多数を占めている。
今年、マスコミ等で最も注目されたのは、台湾映画の大作『KANO』(監督:マー・ジーシアン)で、内外メディアの紹介ぶりも加熱し大きな反響を巻き起こした。日本統治下の台湾、嘉義農林高校(嘉農=KANO)の弱小野球部が甲子園大会に出場し、準優勝を果たすまでの実話を基にした物語。野球を通じ、国や人種を超えて友情と団結を育む青年群像を熱く描いている。今回の映画祭オープニングを飾った同作の上映後、会場から自然発生的に湧き起こったスタンディングオベーションの感動は忘れがたい。
超ハードな日々
この映画祭において、当初からそのポスター、チラシ、公式カタログ等の編集・校正を担当してきた私にとっては、映画祭直前の1〜2カ月は超ハードな日々を覚悟しなければならない時期となっている。
今年を例にとれば、AB判・16ページのチラシは15日間で、A4判・70ページの公式カタログは16日間で仕上げている。ほかにも、ほぼ同時期に、ポスター2種、おおさかシネマフェスティバルのB5・1枚ものチラシ、A4・4ページのパンフレットも手がけた。こう書いても、その大変さが伝わらないようなのがもどかしいが、多忙さを極めた1カ月と少しの間は、もちろん休日なしで、食事・トイレ・シャワー・切り詰めた睡眠以外の時間は、べったりと机とパソコンに貼り付いていた。
なぜ、こういうことになるのか。大きな原因は、出品作のラインアップがなかなか決まらないことにあると思う。そこには、出品者側の思惑、映画祭側の意向などが複雑にからまり、ギリギリまで最終決定ができないという事情もあるのだが、映画祭の開催時期はズラせないわけで、作品ラインアップの決定が遅れると、さまざまな面に支障が出てくる。これはどの映画祭にもつきものの悩みかもしれないが、わが大阪アジアン映画祭においても、改善していくべき課題であろう。
また、映画祭の規模は年々拡大しているのに、予算とスタッフ数はほぼ変わっていないことも根本的な原因に挙げられる。
見えない舞台裏では
前述した印刷物の編集段階では、作品データの変更、求めている情報が出品者側から来ない、審査委員の顔ぶれが決まらない、作品解説の誤り等々、小さなトラブルは数多くあり、それらを的確に処理していくことが編集の仕事でもあるのだが、今年はそういう些事を上回るトラブルがいくつか発生した。
まず、インド映画『走れミルカ、走れ』の出品取りやめ事件。これは映画祭側の不手際というより、出品者側の都合によるところが大きいようだが、結果、上映できない作品の情報をチラシに載せてしまうことになった。そして、それに代わる作品として『友へ チング2』を上映することになったが、これの最終決定もギリギリまでもつれ込んだ。
さらに、当初は特集企画「台湾:電影ルネッサンス2014」に入っていた『失魂』が、「特別招待作品部門」に移行した件。チラシの「台湾:電影ルネッサンス2014」のページから『失魂』を消すことはできたが、「特別招待作品部門」のページレイアウトを変更してそこに組み込むことはできず、最終ページの「上映スケジュール」にのみ、ひっそりと『失魂』が記載されているという、おかしなことになった。しかし、印刷所に入稿を済ませていたその時点では、それができうるかぎりの善後策なのだった。
そして、CO2(シネアスト・オーガニゼーション大阪)助成作品『大阪サーモグラフィー』(映画祭に完成品として提出されたのは『解放区』ではなく、同タイトル)の上映辞退問題。この問題は紆余曲折を経て未だに決着を見ていず、私も詳細を知らないので、あえて言及を避ける。いずれCO2事務局から正式な発表があると思うので、そのホームページ(http://co2ex.org/)等にご注目いただきたい。
これらのことを書いたのは、露悪趣味からではなく、ひとつの映画祭の裏ではこのような悪戦苦闘が日々行なわれていることを知ってもらいたかったからだ。そして、「正確な情報を読者に届けたい」という思いが、私たち裏方に共通するところであり、それが印刷物等のクオリティーを維持する力になっていると考える。
転換期を迎えた本映画祭
さて、今後の大阪アジアン映画祭を考えるとき、以下に述べる事柄は同映画祭の転換期を告げていると思われるので、簡単に触れておきたい。
まず第一に、大阪観光局が主催した、『KANO』のスタッフ・キャストや招請したゲストが多数登場するレッドカーペットイベントの開催である。これは、暉峻創三プログラミング・ディレクターの言葉を借りれば《映画祭を文化芸術の既成の枠に閉じ込めることなく、街に出てより多くの人々の目に触れるものとする試みであり、また映画祭自体を国際的な観光名所とする試みでもあります》とのこと。
3月7日にJR大阪駅「時空の広場」で開催された同イベントでは、待ち時間も含めると2時間ちかく寒風に吹きさらされながら『KANO』を応援するファンの姿も見られ、その無垢な情熱に打たれた。来年以降、こういった催しがアジアン映画祭にふさわしいものとなっていくかどうか、注視していきたい。
第二の転換点は、第1回から事務局長を務めてきた我が友・景山理(かげやま・さとし)が、今回を最後に事務局長を引退したことである。ここにも諸々の事情があって、一言では書けないのだが、今後はオブザーバー的な立場で映画祭を支えていくという。
「目立ちすぎる」等の批判もあるようだが、名実ともにこの映画祭を牽引してきたのは彼なのであり、それに代わりうる人がいるとは私には思えない。これまで、彼と二人三脚でやってきたつもりの私も、彼が辞めるなら、それと同時に完全に身を引く覚悟であったが、景山自身の希望が「大阪アジアン映画祭の灯を消さないでほしい」ということであると分かったので、とりあえず今後の1年間は、同映画祭に対してこれまでと同じかかわり方をすることにした。
私のオススメ作品
ここまで、映画祭の話なのに映画そのものにはほとんど触れられずにきたが、この稿の最後に、私が注目した作品を紹介しておきたい。機会があれば、どこかで見ていただければ幸いである。
ミディ・ジー監督の『アイス』は、ミャンマーの貧しい農村に父と暮らす朴訥な青年が主人公。農業では食っていけず、牛を売って中古バイクを買い、バイクタクシーを始める。同じく寄る辺のない女がいて、やむなく“アイス”(覚醒剤)の密売に手を染める。客として女をバイクに乗せていた青年は、いつしかそのヤバい仕事を手伝うようになり、自らも“アイス”に身も心も蝕まれていく……。どうあがいても堕ちていくしかない男と女を包み込む自然の風景はどこまでも美しく、そのギャップが切なく哀しい。
アダム・ウォン監督の『狂舞派』は、香港の女子大生・ファーが主人公。ヒップホップダンスを踊ることに熱中し、恋あり、ライバルあり、敵味方を超えた友情ありという青春を生きる。そこに太極拳が大きな位置を占めているのも「アジア」映画らしくて良い。ともかく、ダンスシーンの迫力がすごい。体を動かすことの楽しさ、青春の躍動感がスクリーンに横溢している。
※写真提供:大阪アジアン映画祭事務局
【大阪アジアン映画祭】
毎年3月上旬開催
第9回大阪アジアン映画祭「大阪発。日本全国、そしてアジアへ!」
2014年3月7日(金)~16日(日)
会場:ABCホールほか、大阪市内各会場
主催:大阪映像文化振興事業実行委員会
・コンペティション部門
・特別招待作品部門
・特集企画
《台湾:電影ルネッサンス2014》
《Special Focus on Hong Kong 2014》
《東日本大震災から3年「メモリアル3.11」》
・インディ・フォーラム部門
CO2(シネアスト・オーガニゼーション大阪)助成作品
CO2ワークショップ作品
日本の若手監督作品
【執筆者プロフィール】
江利川憲(えりかわ・けん)
1951年、神奈川県生まれ、大阪在住。フリー編集者。ミニシアター「シネ・ヌーヴォ」取締役。NPO法人「コミュニティシネマ大阪」理事。3月の大阪アジアン映画祭以後、緊張の糸が切れたのか、4月・5月と立て続けに風邪をひく。眼科では白内障の初期と診断され、原因不明の左手親指のしびれが2カ月も続いている。日付を間違えたり、インターネットで映画チケットを買えば作品違いなど、急速に老齢化している。嗚呼!