【Book Review】ジグザグ道の途中で――『そして映画館はつづく あの劇場で見た映画はなぜ忘れられないのだろう』 text 鈴木里実

今年ほど、映画館へのさまざまな想いが交錯した年はありませんでした。緊急事態宣言下で映画館が休館し、それまで当たり前のようにできていたスクリーンで映画を見るという行為ができないことへの飢えや寂しさ、また、再び劇場が開いてからも、嬉しさと共に湧き上がってきてしまう不安、そして不安を抱くことへの戸惑い。そうして躊躇している間に見逃した映画を他人が見ていることへの焦り。戸惑いや不安が少しずつ緩和されても、表面化する映画館のパワハラ問題に対して、ただ傍観する立場にしかなれなかったことへの後ろめたさなど、個人的にも映画館との物理的/精神的な距離が刻々と変化した日々でしたが、こちらのちっぽけな感慨などは全く問題にならないくらい、映画館自身がその存在意義を問われることとなった混乱の年であったと思います。

この2020年の最後に、映画館という場所の「これまで」と「これから」、そして「上映」という営為について、映画館を取り巻くさまざまな角度からアプローチし、「映画館」という存在を改めて考える一冊がこの『そして映画館はつづく』です。全国から12のミニシアターの支配人や番組編成担当者が自館の成り立ちや上映作の方針、映画館のカラーについて語るとともに、コロナ禍を映画館はどう過ごしているかをそれぞれの目線で語る第1章。トップバッターとしてミニシアターの代表格であり老舗でもある渋谷ユーロスペースの北條誠人支配人がインタビューに明快に答えていきますが、「上映作品の方針はそれぞれのミニシアターの出自で変わってくる」という北條氏の言葉の通り、この後紹介されていく映画館はその成り立ちや地域との関係性など様々な条件によって、上映作品がこれでもかというほど多種多様なのです。まさに十館十色なのですが、さらに同じ映画館であっても、それぞれがシネコンの出現や映画のデジタル化などあらゆる局面を乗り越えてその都度柔軟に対応しながら変化しており、映画館はまるで生き物のようだと感じずにはいられませんでした。

また、地方の映画館が東京の映画館とはまた別の役割を担っていることもこの章で明らかになります。細分化された東京のミニシアター・名画座・シネコンとは異なり、その地方に唯一の映画館であったりする場合、例えばフォーラム山形の番組編成・長澤綾氏は自館のことを「シアター・イメージフォーラムでもあり、ポレポレ東中野であり、TOHOシネマズでもあるわけです」と語るように、アート系の映画もドキュメンタリーもハリウッドの大作もあらゆるジャンルの作品を上映するという複数の顔を持っていることがわかります。町づくりの一役を担っているのも地方の映画館ならではで、シネマ尾道が開催している子供向けのワークショップなど、自分が小学生だったら是非とも参加したいような趣向を凝らした企画があることにも、映画館を生き残らせるための創意工夫を感じます。

続く第2章では、映画監督の黒沢清氏や俳優の橋本愛氏といった映画の制作者サイドが持つ映画館への想いと個人的体験が、また、映画パンフレットのデザインを多く手掛けるグラフィックデザイナーの大島依提亜氏や、配給会社トランスフォーマーという映画館とは切っても切り離せない関係者たちのインタビューが掲載されています。この章において印象的なのは、映画ファンならきっとどこかで耳にしたことはあるであろう、黒沢監督の「社会の中で自分が何者であるかを認識する場所」という映画館への考えを述べた言葉ですが、それはその通りだけれど果たしてそのままでいいのだろうかという疑問を第3章で投げかける、boid・樋口泰人氏の姿勢と対で考えることができるのも本書の面白いところです。

今年、ミニシアターを語る上で「多様性」という言葉が幾度となく登場しました。「多様性」を守ることが大切と言われ、ぼんやりとそうなのだろうとは思いながらも、この言葉が出てくる度にまたか、と思ってしまうこともあり……。映画館がなくなっては困ると私自身ミニシアター・エイドのクラウドファンディングへの参加やいくつかの映画館のグッズを購入したりなどはしていましたが、映画の多様性を守るためにそうしているのかと言えばそうとは言い切れず、言葉が一人歩きをしているような印象を持っていました。この煮え切らない個人的な思いに答えてくれたのが第4章、コロナ禍におけるミニシアターの危機にいち早く対応し立ち上げられた「ミニシアター・エイド事務局」の座談会での深田晃司監督の発言です。ミニシアター・エイドの発起人でもある深田監督ご自身が、多様性という言葉は「どこか胡散臭い響きがある」という前置きをしながらも、収入も不安定で将来のあてもなく仕事もまちまちな映画業界において、続けていく選択ができるのはそもそも恵まれた環境にある人や場所であり、才能や努力とは一切関係のないところで勝負が決まっているこの状況を無視することは映画の多様性を失わせることだと語ります。それは映画の作り手だけではなく、配給も劇場も同じだと。

巻末に掲載されている「全国映画館ガイド」では総勢118の中・小規模の映画館が紹介されています。自分の知らない映画館が全国にはまだまだこんなにあったのかと嬉しい驚きと共に今後旅に出る際の新たな映画館ガイドになるのは間違いないとして、そこで本書の序文におけるフィルムアート社編集部の「映画館という場所について、私たちはあまりに何も知らなすぎるのではないか」という文章が思い出されます。本書を読み進める内に、私は今まで映画館について何も知らなかったのではなく、知ろうとしてこなかったのだ、ただ行きたい映画館で見たい映画を見ているだけで、映画館存続の危機感や、その中で発生している問題を積極的に知ろうとしてこなかったのだということに気付いたのです。数々の映画館の証言を受け、見たい映画を見られる環境はただ待っているだけでは得られないものなのだということも目の当たりにしました。

だからこそ、というわけではないですが、問題が表面化するまで知ることのなかった映画館のパワハラ問題に関する内容が、名古屋シネマスコーレの坪井篤史副支配人とミニシアター・エイド事務局座談会の最後に深田監督が語るわずか数行でしか触れられておらず、それらの問題がなかったことのように扱われていることは残念と思わざるを得ませんでした。それぞれの立場がある中で難しい問題だと思いますし、私が一個人として発言するほど簡単なことではないでしょう。しかし、2020年の映画館をめぐる問題として、事実あったこととして知りたかったのです。

本書のタイトル『そして映画館はつづく』はアッバス・キアロスタミ監督の映画『そして人生はつづく』から取られたものであることは言わずもがなのことでしょう。地震により家族や大切な人、家を失いながらも生き残った人々の続いていく人生を虚構と現実を織り交ぜつつ描いた『そして人生はつづく』は、主人公が旅する中で老若男女あらゆる人々に出会い話を聞きながら進んでいきます。本書も映画館・映画関係者へのインタビューや寄稿で構成されていますが、その声は経営者や代表者、業界の先頭に立つ方々のものばかりでした。それが当たり前なのかもしれませんが、映画館のことをもっと知るために、他の人にも知ってもらうために、小さな声こそもっと取り上げて欲しかったと思うのです。

映画キュレーター・杉原永純氏は第3章で「映画を上映することや映画館について結論を出すにはまだまだ経験が十分でない段階での、雑雑とした中間報告」として映画を見せることを考察しますが、本書も、今現在も継続して存在している映画館という場についての「中間報告」なのではないでしょうか。一つの映画館であってもその館の「これまで」と現在、そして「これから」はきっと違うものであるのだと思います。形を変えながらも存在し続けていて欲しい、これは私の願望なのですが。

【書誌情報】

『そして映画館はつづく あの劇場で見た映画はなぜ忘れられないのだろう』 

フィルムアート社編
定価:2000円+税
刊行:2020年11月26日
判型:四六版
発行元:フィルムアート社

ISBN 978-4-8459-2016-7

http://filmart.co.jp/books/review/mini_theater/

【執筆者プロフィール】

鈴木 里実(すずき さとみ)
映画・映像制作業に携わる傍ら、映画にまつわる刺繍作品の制作を行う。IndieTokyo所属。同団体のメルマガにて都内の名画座・ミニシアターを紹介する「シアター放浪記」を不定期で連載中。