♯3 『ナッシュビル』
2012年2月21日 アルテリオシネマ
みなさん、こんにちは。neoneo編集室・若木康輔です。この『二丁目のエランヴィタール』は、短文コラムとイラストによる“ドキュメンタリー(的表現)見聞絵日記”です。
今春のサイト開設時に試験的に掲載したままでしたが、そろそろ、軽いよみもの連載が隅っこにあってもよいだろうということで、レギュラー枠に育てて頂くことになりました。しばらくはストックを出しますので、見聞の期間が空いているのはご容赦を。
力の入った他の記事の合間に、たま~に、お立ち寄りください。
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35年振りにリバイバル公開された『ナッシュビル』には、たまげた。ロバート・アルトマンは巨人だった。思い知らされた。
雑多に積み重ねた群像劇を佳境で一息にテーマに収斂させる大局観と、こまかいジョークや皮肉に凝る性分とが、同じ生理に共存している。諦観の眼差しで遊んでいる。アルトマンの魅力はもしかしたら他分野の巨星、ガーシュインや手塚治虫と比べてみるとより深く味わえるのかもしれない。
ここでは『ナッシュビル』の、まるでドキュメンタリーを見ているような、と思わせる瞬間が横溢している点について書く。僕も含めて、映画の文章を書く人はこれまでにずいぶん「ドキュメンタリー・タッチ」という表現を便利に使い、また、頼ってきた。なんだかナマな感じやリアリティがあって良いねーと好感を持った点を書くときは、すぐに「ドキュメンタリー・タッチで描かれている」云々。
しかし、冷静に考えると、実はけっこう中身のアヤフヤな表現だ。そんなタッチ、マイクや照明機材みたいに現場用にレンタルされているわけじゃない。
今後気をつけるためにも、『ナッシュビル』では、効果を出すためにどんな仕込みが成されたのかを確認しておきたい。パンフレットに採録されているアルトマンのインタビューによると―
① よく組む脚本家をナッシュビルに先乗りさせ、滞在日記を書くよう指示した。その内容を脚本のベースにした。
② その上で、各俳優に役のキャラクターづくりを任せ、要所要所で即興の演技を求めた。さらに歌手役の俳優には、自作のカントリー・ソングを歌ってもらった。
③ 常に街を走る、狂言回しの大統領候補選挙カーはロケと別働隊。演説草稿は政治の世界に近い作家に依頼し、疑似キャンペーンを実際に街中で展開させた。そして、走路と撮影スケジュールを調整し、カメラがある場所に、いつも偶然に通りかかるよう指示した。
主な3点だけでも、この映画の「ドキュメンタリー・タッチ」が並々ならぬ周到さで独自に醸成されたことが分かる。②はタレントが番組のキャラのまま自作自演の歌を出す企画(バラエティにおけるドキュメンタリー手法の援用)の、先駆かも。③は、スゴイの一言。
キャストやスタッフをノセる工夫は、おそらく他にもたくさんあっただろう。虚実のあわいにクルーを立たせ、楽しませている。だから、クライマックスに用意した大フィクションが震えるほどに効く。的確な現場のコントロールのことを演出と呼ぶのならば、『ナッシュビル』のアルトマンがまさにそれだ。
もうひとつだけ、専門家の方に教えてもらいたいこと。定点観測のつらなりのような構成。1本ごとに違う業界の裏側を覗き見る作風。アルトマンは、フレデリック・ワイズマンをどれぐらい意識していたのかな?
【作品情報】