【記録文学論⑤】 桐山襲『未葬の時』 text 中里勇太


都市は、未だ葬られていない時のただなかにいる。

小説家・桐山襲の遺作『未葬の時』。その表題は、いま、おそらく桐山も意図しなかった意味を重ねて、幾重にも響きわたる。

記憶のない都市そのものを描いた『都市叙景断章』をはじめ、桐山の多くの作品において、首都は全共闘の記憶が抜け落ちた都市として描かれる。それは主に、この国の高度経済成長の、消費社会の絶頂を迎えた80年代の首都である。だが、桐山が死の病床で書いたこの遺作において、全共闘または首都という文字があらわれることはない。そこでは次のことが断片的に暗示されるにすぎない。40代半ばにさしかかった男と女、そして死者。男と女は、互いにむかしどこかで会ったことがあると訝しんでいる。そして「こんなところで生きていたなんて」という、女の決定的な一言。


 「その男と出会っていたときの情景は、なかなか像を結ばないのだった。

  彼女には分かっているのに、何かが真っ白く抜け落ちて、はっきりと

  した風景が現れてこない――」


『未葬の時』は、桐山が42歳で死去した1992年に遺作として発表された。東アジア反日武装戦線を題材とし、意図に反して数奇な運命を辿った『パルチザン伝説』によるデビューから、わずか8年あまりの作家生活のなか、『スターバト・マーテル』では連合赤軍事件、『風のクロニクル』では早大全共闘と1906年の神社合祀令、『聖なる夜、聖なる穴』では、狂死した謝花昇を幹とした沖縄の多声的な歴史を描くなど、その作品群はつねに闘争と革命に導かれていた。しかし遺作である本作においては、桐山自身の先行きを予見するように、癌で亡くなった40代の男の身体が火葬されていく時間が、詩的に、そしてリアリスティックな情景として描かれる。

物語は、死者の身体を釜のなかへ収めた火葬係が扉を閉めたところから始まり、死者の身体が焼き上がった時点まで、ひとつの直線上の時系列のうえを、多声的に展開される。途上で言及されるブラームスの「クラリネット五重奏曲ロ短調」同様、4つのパートに分かれており、それぞれのパートは、火葬係の男、死者の妻、死者の2人の娘たち、死者である男が語り部である。死者が葬られるまでの時間を生者が待つという共通の場面設定を持つ最初の3パートにおいて、火葬係は、職務として、全身が骨として焼けあがるのを待機している。3ヶ月にわたる凄惨な闘病生活のはて、死ぬ前に弔いの日々を過ごしてしまった妻は、暴力的な技術によって屍体が骨にされるまでの形式的な時間を持て余している。2人の娘は、空をのぼっていく父が天国へ行けるように祈りを届けようとする。だが、最終パートの語り部である男は、おそらく霊魂のような、男のたまとして、すでに骨になろうとしている身体から抜け、火葬場のうえを、まちの上空を浮遊している。身体が焼かれ、骨になったのちも、男のたまが葬られるまでには1週間という猶予の時間があった。男にとって、自らが葬られるまでの、言わば「未葬の時」である1週間がこれから始まろうとしていた。男は、「とりあえず珈琲でも飲みに」行こうとするのだが、読者の立場からすれば、こう想像することもやぶさかではないだろう。1週間の猶予のなかで、死後の桐山はなにをしようとしたのだろうか。桐山のたまはなにを求めて首都のうえを流れていったのだろうか、と。また、はたしてそう想像することは、作者から読者に贈られた最後の物語だろうか、それとも読者の喉元に突きつけられた切っ先だろうか。

桐山自身の「未葬の時」についてその答えを知る術はないが、わたしたちはこの作品の冒頭からすでに、桐山にまつわるいくつもの記憶を喚起する。「黄金色の飾りのついた扉」とは、『聖なる夜、聖なる穴』のジャハナが、皇居の広間で目にした大きな金屏風、「薄寒い広間の奥の屏風の、腐ったパパイヤの肉のような色が、「金」であろうなどとは思いもよらなかった」、あの金色ではないか。あるいは、「死者の肉体が決してこちら側へ引き返して来ないということの告知であり、かつそのことの保証」である「火葬係の一礼」は、『風のクロニクル』で神社を守ろうとたったふたりで村人と闘った神官とその姉、不吉な死者が子供を産むことがないように、殺害された姉の屍体の陰に突き刺された剣を想い起こしはしないか。桐山にとって、「金屏風」も「一礼」も大文字の歴史に加担するものたちの符号だろうが、それらの符号に囲まれた空間で職務を営む火葬係の独白が、いまは亡き先輩のじいさんとの会話を思い出した独白が、あるひとつのことを暗示する。

火葬技術や設備の“進歩”にともない、ひとの身体はほんの一時間や二時間で骨となるが、はたしてそれでいいのだろうか。もっとゆっくり時間をかけてこそ、死んだものも、残されたものも得心するのではないか。慌てて骨にしてしまっては、葬ったのかどうか、本当は誰も分かっていないんじゃないか、「本当は誰も分かってなんぞいねえんだ」。この身体の火葬を、桐山の作品群と照らし合わせたとき、それは実のところ都市にまとわりつく忘却された記憶についても、「本当は誰も分かってなんぞいねえんだ」、忘れた振りをして暮らしてきた、本当にその記憶が葬られてしまうまでに、まだ残されている時間がある、それへの隠喩であることに思い到る。

死者の妻の独白は、弔いについて思考しているようにみえて、また別の角度から、都市に生きる人間の在り様、空間としての都市における身の置き方を照射してゆく。彼女にとって、待合室での時間は「時間の穴ぼこ」とも「宙吊り」になった時間とも感じられた。死にゆく男の傍らで長すぎる時間を嘆きつづけ、「弔いの日々を、死ぬ前に既に過ごして」しまったからだ。しかしそれは、待合室で儀礼としての弔いを過ごす人々にとって、抜け落ちた時間、触れざる時間でもあった。弔いの果てにひとり佇む死者の妻と、待合室をつつむ不安定なざわめき。「人間はきっと、死者のために嘆いたり悲しんだりすることよりも、屍体への恐れから逃れることの方を優先しているのにちがいない」と死者の妻は言い、清浄な骨を求め、骨化を待つ時間を、「生きている者たちが、必死で恐れに耐えている時間」であると独白する。生きている者たちは、その不安定な時間がすぐにでも葬られるよう、「誰もが「早く、早く」と願って」いた。弔いという抜け落ちた時間が眼前にあらわれることによって、なによりも恐れる不安定な空間と時間に身を置くことを強要されたひとびとは、それを覆い隠すことに必死だった。

しかし、いかに近代的な設備や儀礼を整えようと死者がただようことをやめないように、意識外へと追いやった記憶から、身体を覆い隠すことは可能だろうか。「この天井の高いホール」のなかで「会ったことがある」という感じに捉えられる火葬係が、懐かしさと同時に、自分の記憶や体のどこかにぽっかりあいた黒い口から「見知らぬ昏い風景」を見るとき、それは自らが忘却し、歴史にはけっして還元されることのない、無数のちいさな綻びである。「街の中ではそんなことは一度もない」と言う火葬係だが、その身体にはちいさな綻びがまとわりつきはじめている。あるいは、ちいさな綻びに向けて開かれつつあるその身体を街なかに晒すとき、彼のなかにいかなる変化が生じるだろうか。前出した決定的な一言によって、互いを見知る火葬係と死者の妻は、「あのとき、あの場所にいた」ということばを符号として共有しており、おそらくそれは彼(女)らの20年前の記憶、60年代後半から70年代初めにかけての、未だ葬られてはいない記憶として、彼(女)らのうちに在るのだ。「同い年くらいだから、三人のうちの誰が死んでもおかしくはなかった。いや、三人が三人とも死んでもおかしくはなかった」と、知らず知らず口にした火葬係の頭をどんな情景が掠めたのか。

3・11以降あらたに、いや幾度も繰り返されている、この首都で起こり続けていることを、首都は、都市としてどのように記憶していくのだろうか。そしていずれわたしたちは、ふたたびそれを忘れた振りをして暮らしていくことになるのだろうか。現に多くのことを看過しているいま、首都はあらたな忘却を生みだすだろうが、それでもそこに葬られることのない時や記憶が、ちいさな綻びとしてまとわりつき、首都の、そしてわたしたちの身体の芯から離れることはないだろう。


【作家紹介】

桐山 襲 きりやま・かさね 1949−1992
本名=古屋和男。東京都杉並区出身。早稲田大学第一文学部哲学科卒。在学中に学生運動(三里塚闘争)に参加。卒業後は東京都教育庁に勤務。1982年『パルチザン伝説』で作家デビュー。1992年死去。

 【書誌情報】

『未葬の時』 (講談社文芸文庫) 1999年刊
他に『風のクロニクル』『スターバト・マーテル』所収

【執筆者プロフィール】

中里勇太 なかさと・ゆうた

81年宮城県生まれ。編集業・文筆業。『KAWADE道の手帖 深沢七郎』(河出書房新社)に作品解説を寄稿。他に評論「死後・1948」(文藝別冊「太宰治」)、「応答としての犯罪的想像力」(文藝別冊「寺山修司」)、「わたしたちは想像する」(祝祭4号)など。Zine「砂漠」クルー。