まだペンキの匂い新しい白を基調としたギャラリーの壁に、亀山亮(かめやま りょう)氏が今回の写真展のために厳選した大伸ばしの写真25点がダイナミックに展示されていた。
亀山亮写真展『AFRIKA WAR JOURNAL』。そのオープニングレセプションで、私ははじめて亀山氏にお会いした。氏はとても穏やかで人当たりが良く、初対面で年下の私にも屈託なく接してくれた。
しかし、氏の写真を見ているうちに、その穏やかさの内に秘めた人間としての強さ、そして狂気にも似た写真家としての情熱を感ぜずにはいられなかった。写真家としてのキャリアも浅い若輩の私が氏について語るなどまるでおこがましいが、この写真を、なにより亀山亮という写真家を、より多くの方に知って頂きたいという勝手な思いから、僭越ながら、敬意を持って以下に書かせて頂きたい。
昨年、アメリカでバラク・オバマ大統領の再選が決まった。それからまもなくして、イスラエル軍によるパレスチナ自治区ガザへの攻撃が再開された。圧倒的な武力弾圧を前に、ガザでは老若男女問わず、多くの人々が傷つき、命を落とした。この繰り返される現代のジェノサイドに対して、しかし、日本のメディアにおける報道はあまりに小さかった。
写真家の亀山亮氏は、2000年の秋に起きた第2次インティファーダ(住民蜂起)を撮影する為に、パレスチナへ向かった。「一枚で戦争を強烈に物語るような写真」を求めていたのである。そこで、イスラエル軍とパレスチナ住民との衝突を撮影中、イスラエル軍が放ったゴム弾を被弾して、左目の視力を失うことになる。しかしそれでも、亀山氏は根気強くパレスチナへ通い続けた。
「土埃と暑く乾いた日差しの中、焼け焦げた臭いと腐った死体の臭いが漂っている。身体の芯から搾り出すような叫び声。怒りを込めてこちらをじっと凝視する眼。決して表舞台に出てこない彼らの遠音、小さな声、気配を、写真に少しでも写し込みたかった。」
彼を現場に駆り立てたのは、理屈や建前ではなく、写真家を写真家たらしめるのに必要不可欠な、心奥からの衝動だったのではないだろうか。
そうまでして撮られた写真は、しかし、日本のメディアには見向きもされなかったという。何十年も続くイスラエルとパレスチナの問題には新しさがないという理由である。亀山氏は、その時の思いをこう吐露している。
「自分が見た現場をどうやったら写真で効果的に伝えられるのか。誰にも必要とされていない写真をなぜ撮る必要があるのか。明確な答えは出なかった。」
この亀山氏の言葉は、ドキュメンタリーを撮る写真家たちの思いを代弁している。誰も見たがらない、誰のためにもならないかもしれない写真を、時には身を危険に晒してまでなぜ撮るのか。ドキュメンタリーを撮っていて、そう自問自答しない写真家は恐らくいないだろう。そして誰もが、亀山氏のように明確な答えを持ち得ないまま、ある者はカメラを置き、ある者は葛藤の中でシャッターを切り続ける。
亀山氏はもちろん、シャッターを切ることをやめなかった。パレスチナの撮影の後、「現場に行き、直接体験しなければ戦争を理解できないと思った。」という絶えることない心奥の滾りは、氏をアフリカへ向かわせることになる。
2003年の内戦が終結したばかりのシエラレオネを皮切りに、リベリア、アンゴラ、ブルンジ、スーダン、コンゴ、ケニア等、血なまぐさい暴力と混乱が続くアフリカの国々を、亀山氏は8年の歳月をかけて撮影して回った。この時代のアフリカを撮るということは、まさに死と隣り合わせの行為に違いない。我々が知る常識や倫理観など、まるで通用しないだろう。生に飢えた、まさにむきだしの人間たちを前にして、自らもまた、本当の意味で自分という人間の本性を問われることになる。そのような苛烈な環境の中にあって、亀山氏は、戦時下の街や人々が醸し出す恐怖やカオスから、次第に、戦争によって深く傷つけられた人々の悲しみや憤りへと、その眼差しを移していく。
ブルンジの精神病院で撮影された写真がある。戦争によって受けた精神的な苦痛から逃れることの出来ない人々を捉えたものだ。戦争によって肉体的にも精神的にも打ちのめされた彼、彼女らの瞳は、総じて悲しみに濡れている。そんな彼らに寄り添い、氏はシャッターを切っていく。戦争の表層から、深淵へ。戦争を理解しようとすればするほど、亀山氏は、戦争の淵、つまりは人間の淵へ、より深く潜っていかざるを得なかったのかもしれない。そうしてアフリカで撮られた写真は、やがて3万枚以上にのぼる。
亀山氏は今年9月、写真集『AFRIKA WAR JOURNAL』を上梓した。8年間にわたるアフリカ撮影の集大成である。それに伴い、東京都墨田区曳舟に新しくオープンしたギャラリー、Reminders Project Strongholdにて、冒頭で触れた写真展『AFRICA WAR JOURNAL』を開催した。
私も写真家の端くれとして、亀山亮という名前は以前から存じ上げていたが、恥ずかしながら、これまでその写真に直接触れる機を得なかった。実際に会場で目の前にした氏の写真は、一枚一枚、まるで被写体がそこに存在しているかのような生々しさを纏っていた。そして、圧倒的な静寂を湛えた〈あちら側〉に引きずり込まれるような、不思議な感覚をさえ覚えさせられたのだ。
〈深淵を覗くとき、深淵もまた、こちらを覗いている〉というニーチェの言葉がある。この、見ているつもりが見られている、という不気味で落ち着かない感覚は、亀山氏の写真にそのまま当てはまる。亀山氏の写真は深く、簡単には見れない。彼らに見つめ返される覚悟があって、はじめて見ることが出来ると言って良いかもしれない。このような写真は、当然ながら、決して誰もが撮れるものではない。戦争とは何かを問い続け、人々のあいだに深く入り込み、長い時間をかけて、まさにその深淵を見ようとした亀山氏だからこそ撮れた写真なのだろう。率直に言えば、私は亀山氏の写真に、嫉妬を覚えた。そして、自分もいつか、このような写真が撮りたいと思っている。
繰り返される戦争の悲劇は、目に見えないところでも起こっている。表も裏も含めて、戦争の、ひいては人間の本当の姿を見たいという亀山氏の思いが、写真集というかたちをとって力強く結晶したもの、それが『AFRIKA WAR JOURNAL』である。101枚もの写真から成る写真集の最後は、こう締めくくられている。
「不条理で受け入れがたい状況の中、見知らぬ僕を受け入れてくれた人たちに深く感謝したい。彼らのやさしさがなければ、撮影は決してできなかった。撮影を重ねるたびに、深い暗闇のうねりの中に自分自身も溶けていきそうだった。写真を通じて、植民地時代から数百年ものあいだ連綿と葬られ続ける生命の断片に気づいてくれたらとても嬉しい。」
※「」内の言葉は全て亀山亮写真集『AFRIKA WAR JOURNAL』巻末に添えられた手記より抜粋。
※AFRIKA WAR JOURNAL 亀山亮写真展は2012年11月4日(日)-11月30日(金)の間 東京・東向島のREMINDERS PROJECT & REMINDERS PHOTOGRAPHY STRONGHOLD にて開催されていた。
【写真集情報】
『AFRIKA WAR JOURNAL』 亀山亮
2012年9月25日 初版
定価:2200円+税
発売:リトルモア
【執筆者プロフィール】
丹羽理(にわ さとる)
1983年愛知県生まれ。写真家。www.satoruniwa.com