【Report】『愛のゆくえ(仮)』 上祐史浩(「ひかりの輪」代表)×木村文洋監督 トーク


『愛のゆくえ(仮)』は、「犯罪者を美化するな」「映画化など不謹慎」という一句のもとに、公開前からひどく叩かれた映画だった。観ていない作品の存在自体を否定する。映画にして考えること自体を否定する。あまりにそういう声が多い結果、スタッフが取った選択は「だったら、オウム真理教の一連事件の証人の方にトークに来てもらい、お客さんの前で話を聞いてみようじゃないか」だった。

以下、2012年12月26日にポレポレ東中野で行われた、上映後の緊急トークイベントの模様である。言い回しの整理こそしているが、要素の割愛は無し。ほぼ完全採録だ。直接話を聞き、対話してみることの価値によって、映画にも新しい視点をもたらすトークになっていると思う。当日は、補助席も用意される満席だった。

「ひかりの輪」スタッフの皆様、録音と採録記事掲載を許可してくださり、有難うございました。
(写真/構成:若木康輔)

木村文洋監督(左)と『ひかりの輪』上祐史浩氏(右)

 

― 『愛のゆくえ(仮)』にご来場くださいまして、ありがとうございます。早速ですがこれよりトークを始めさせて頂きます。まずは本作を監督した、木村文洋監督です。 

木村 年末の忙しい時期にお越しくださいまして、本当に有難うございました。これから30分ほどお話いたします。お時間のある方、ぜひお付き合い頂けたらと思います。

― それでは本日ゲストとしてお呼びいたしました、「ひかりの輪」代表・上祐史浩さんです。

上祐 みなさん、こんばんは。この映画は非常に深刻なオウム真理教の事件をモチーフにしています。オウムの逃亡犯は今年(2012年)、全員が逮捕されるに至りました。この教団の中でかつて高い地位にあり、重要な責任を有する者として、みなさんに長い間ご迷惑をかけたことを改めて深くお詫びいたします。申し訳ありませんでした。
今日はそのことも含めて、いろいろとお話しさせて頂きます。

木村 今日はありがとうございました。映画の率直な印象からお聞きします。どんなことを感じられたでしょうか。

映画『愛のゆくえ』(c)team JUDAS 2012

上祐 そうですね、言語化することが少し難しいのですが……うーん。
映画のモデルとなった平田信と彼と逃亡生活を共にした女性(以降の表記はS)は、教団内では幹部と末端信者でした。この上下関係が、17年間のうちにだんだんと並行関係になっていった。まあ、そういうことはあるだろうなと。映画の設定は、彼らの現実をよく表わしている気がしました。
初めて拝見した後、主演・共同脚本の前川麻子さんともお話したのですが、Sは日中の間、ずっと仮名を名乗っていたわけですよね。それが映画のモチーフになった。映画では俳優さん、女優さんが虚構の自分を演じますが、Sにはそれを見てくれる観客がいなかった。それを考えると、相当つらかっただろうなと感じました。

もうひとつ、それ以上に言語化しにくいことをお話します。
私はこの映画をサンプルのDVDで拝見したのですが、見ているうちにひどく疲れてしまい、途中で再生を停めて休憩しました。その間に、悪夢を見てしまいましてね。これは一体どういう意味だろうと考えさせられました。
平田にとってはオウム信仰がひとつの悪夢だったのかなと、思うところはあります。この点については、後でもう少し詳しくお話しします。

上祐史浩氏(現『ひかりの輪』代表)

木村 逃亡していた17年は、彼女と彼にとっては外側に蓄積することがない時間だった。そんな17年間は、もしかしたら1日という時間となんら変わり無いのではないか。そう考えながら、『愛のゆくえ(仮)』を作りました。
上祐さんが出された『オウム事件 17年目の告白』を読み改めて、1995年に上祐さんが地下鉄サリン事件後にモスクワ支部から急遽帰国され、教団の事件への関与を薄々感じながらテレビで弁明を続け、ご自身が(偽証および有印私文書偽造で)逮捕されるまでの7ヵ月間と、2人が出頭するまでの17年には重なり合うものがあるのではないかと感じました。
2人の出頭が報じられた時、どんな思いを持たれましたか。

上祐 うーん。思いがまとまらない、というのが半分以上です。彼等2人の生活がどんなだったかは、我々には分からないだろうなと思いますね。もしも17年前ならば、彼らはこんな関係で、こんな会話をしていただろう、それしかできないだろう、など容易に想像がつくのですが。

私達が知るSは、オウム真理教附属医院という施設の看護婦です。おとなしくて真面目で、従順な女性でした。平田もそうです。中堅幹部ではありましたが口数は多くない。大抵の人が平田の人格を「優しい」と評していました。その2人が17年の間にどう関係を結び、変わっていったのかは分からない。
ただ印象深かったのは、Sの「平田への尊敬が、だんだん愛情に変っていった」という言葉です。その言葉に集約されているのかなと思います。

木村 分からない、という点は何より僕もそうで……。読めるだけの報道記事は読みましたが、それを写生するのではなく、なにがこれまでの自分たちの実感とつながるか、を想像するということが『愛のゆくえ(仮)』の製作上のテーマでした。
特に想像するよりなかったのは、平田被告が昨年(2011年)の大晦日に出頭した時の理由です。「東日本大震災に不条理を感じ、改めて自分の立場を考えた」というのですが、かつて17年前に通常の生死観を超越する信仰を持ち、あれだけ長い逃亡生活に耐えてきた人が、果たしてそういった理由で出頭するだろうかと最初は信じ難いものを感じましたし、だからこそよく考えたいと思いました。上祐さんは平田被告とはあまり深い関わりは無かったそうですが、出頭の理由についてどう推察されましたか。

木村文洋監督

上祐 私には、震災がきっかけとなったという言葉に、それほど違和感はありませんでした。そして、実はさきほど木村さんと打ち合わせしている時のことなんですが、ああ、これが答えかな、とパッと浮かんだことがあります。
オウム真理教の教義の中核は、ハルマゲドンなんですよ。ハルマゲドンから地球を救う。ないしは、ユダヤ・フリーメーソンの起こすハルマゲドンに対して、オウム真理教が自作自演して起こすハルマゲドンのほうが人々を幸福な来世に導く救済につながり、正しい人の真理の世界が残る。そういった妄想を突き進めた1995年に阪神大震災があって、本当にもうすぐハルマゲドンが来る、サリン事件を起こすという展開になりました。

しかし、教祖の麻原彰晃が「預言」した1997年にも、ノストラダムスが「予言」した1999年にも、ハルマゲドンは起きなかった。そこで私達はそれぞれが強く当惑したのです。信仰の中核がある意味では虚構だった、ずっと悪夢を見ていた状態に近かったのではないかと。
2001年9月11日、ニューヨークに実際に降ってきた「恐怖の大王」は天変地異でもハルマゲドンでもなく、イスラムの人達の怒りを反映する飛行機でした。そして2011年に東日本大震災が起きた。私達はハルマゲドンによる真理の救済を信じていただけに、そんな現実の大災厄を経験すると、取り組まなければいけない問題は虚構の破局よりも目の前にある、と深く悩まざるを得なくなる。
平田もそういうことをよくよく考えるうちに、自分の信仰に醒め、まちがいを自覚するようになったのではと想像しています。

平田の出頭は麻原の死刑執行を阻止するためだった可能性を疑う説が一般によく唱えられていますが、私の知っている限りでは、逮捕された後の元信者の証言は、これまでほとんどが事実です。ですから、平田の言うことも本当だろうという前提に立てば、今まで自分が信じてきた非現実的なハルマゲドンではなく、現実の社会の苦しみはこうなんだ……と東日本大震災で知ったんだと思うのです。原発事故を命がけで食い止めた人達や、人命救助にあたる人達の姿を報道で見て、自分は本当に人を救うようなことを考えてやってきただろうか。むしろ教団の行為は人を傷つける結果になったのでは……と、深く目覚めたのではないか。そう捉えています。

木村 2011年3月11日以降に上祐さん自身もお考えが変わった、深まったということ、あるいは変わらないもの、はあるでしょうか。

上祐 私自身は、震災を経験して妄想のハルマゲドンと現実の災厄との区別が初めてついたというタイプではありません。1997年と1999年の時に、麻原のハルマゲドン教義は非現実的なのだなとすでに心境の変化を感じるようになっていましたので。ですから、震災が自分の心境に変化を与えたかどうかは、まだはっきりしません。

しかし、2011年から2012年にかけての出来事が、私を含めた元関係者に非常に大きな影響を与えたのは確かです。6月に菊地直子と高橋克也が逮捕されたのも、平田の出頭が大きなきっかけになったと思います。あれで、オウムの事件に対する一般の注目が再び増大することになりました。
そして、特別指名手配中の元信者が全員逮捕され、警察のオウム捜査はひとまず終わった。『オウム事件 17年目の告白』の執筆に本格的にとりかかったのはそこからです。実は3年ほど前から、オウムにいた時代を総括する本のお話は数社より頂いていたのです。しかし、やはりリスクのあるテーマでもあり、最終段階で二の足を踏まれるようなことが続いていたのですが、ひとつの区切りが生まれたことで今回の出版につながりました。

上祐史浩氏

木村 上祐さんが「アレフ」を脱会し、特定の教祖・神をもたない団体「ひかりの輪」を設立したのは2007年です。いま振り返って現在の信者の方について改めてお聞きしたいのですが、かつて信仰を持っていた人間は『愛のゆくえ(仮)』の男女のように平凡な結婚を望んだり、震災がきっかけで出頭したりするはずがない、と違和感を指摘されることが上映中にありました。

上祐 いやいや、そんなことはないと思います。もう17年経ちましたからね。オウム信者はピーク時で1万人いましたが、1995年以降、現在の団体に残っている者は5%まで減りました。元出家信者で結婚した人は沢山います。夫婦生活の相談を受けることもありますよ。一般社会に戻ったほうが割合はずっと多いはずです。
マスコミの作ったオウム真理教の狂信のイメージがあまりに強く残っているから、あの人達は一生変らないと錯覚を持たれているのではないでしょうか。人はやっぱり変わっていくものだと思います。平田やS、菊地もそうです。高橋はまだ麻原信仰は残っているようですが、それでも4人のうち、3人は変っている。映画で描かれていることはオウム経験者の現実に近いと思います。

木村 『愛のゆくえ(仮)』の男女にもし続きの物語があるとしたら、それは1999年に出所した上祐さんの、現在までの歩みと重なり合う気がします。二人の時間のその後に、どういった想像が許されるでしょうか。

上祐 麻原信仰を捨てた後でも、元オウム信者同士が夫婦や友人になる例は多いです。もともとの仏教やヨーガへの興味や生活習慣などの価値観が共通しているからです。かつて同じ信仰を共有した者同士には、すぐに通じ合える安心感がある。そうでない人とはどうしても、目に見えない薄い壁で隔てられている感じがあるのだと思います。

前川さんにお話を伺うと、俳優さんの世界でもそうらしいですね。演じる仕事が生活の大きな部分を占めているから、結婚も交流も似た世界の人同士が多くなると聞いて、近いものがあると思いました。ですから映画の終盤のモノローグ、「それでもまた彼と一緒に生活したいと思っています」にはとても現実味があります。彼ら二人が、寄りを戻す確率は半分位あるんじゃないでしょうか。
私の場合はM・Kさんという元恋人がいて、彼女も一緒にオウムに出家して、彼女のほうが早く脱会して。そのまま縁は戻っていないのですが、これはどういう巡りあわせか……。ええと、何を言いたいのか分からなくなっていますね(笑)。

それに平田に関しては、もっと早く出頭していればという思いもあります。彼は仮谷さん拉致監禁致死事件などに関わりましたが、すぐに出頭して服役し罪を贖っていたならば、今はもう出所し再出発できていたかもしれない。ただ、私自身も信仰が変わるまで相当の時間がかかりましたから、平田が17年かかったことも必然として理解できます。そのあたりは、胸中複雑です。

木村 真理、ということについてお聞きしたいんですが、僕は宗教団体に所属したことが二度ありましたが、どうしても拒否反応があったのが、集団が一つの真理を皆信じていかなくてはならないと感じた点です。それに対して、真実はそれぞれにあると考えられるのが映画だと思いました。簡略に言えば、少なからず自分の中で大きな発見だったんです。ですので、この映画で一つ言えることは「真実はひとつ」を信じる男は信仰の側であり、「それぞれの真実がある」を信じる女は映画の側なんです、自分のなかでは。ですがそれも安易な二極化かもしれない……と思うことも当然いまあるんです。「ひかりの輪」では善悪の二元論を戒め、全ては輪のようにつながる一元論の思想を重視されていますね。

木村文洋監督

 
上祐 現在流行している宗教はどれも、自分の教祖や神のみが絶対で真理はひとつ、という教え方をしますから、木村さんが違和感を覚えたのはもっともです。私はその世界にかつて没入したわけですが。
映画はその点さまざまなことができると思いますが、確かに、宗教は一つの真理だけを追究するが映画は多様だと言い切ってしまうことも、ある種の偏りにつながってしまうかもしれませんね。

 「ひかりの輪」でオウム真理教の時代を反省し、至った結論は、簡単に言うと人間には「真理が分からない」ということです。分からないことを自覚する「無知の知」こそが、最高の智恵ではないでしょうか。
人は誰しも不完全で何が真理かは分からない、唯一「未来の時」のみが知っている。それを土台として、様々な宗教を認め、様々な政治思想を認め、多様な考え方を受容したほうが、正しいのかなと思うようになりました。ですから「ひかりの輪」は宗教団体ではなく、「新しい智恵の学びの場」であると表現しています。謙虚さという智恵に基づき、多様性を重視し、皆を尊重することが、ある意味では、新たな次元の真理につながるのではないか。そう考えながらやっていきたいと思っています。

木村 最後に「日本人」ということについてお聞きしたいと思います。上祐さんは著作のなかで、「私たちは転生を経て修業を共に続ける、魂の集団―オウム人であると思った」と当時を振り返っています。それを日本人であることに帰属するより、優先させた、と。昨年(2011年)以来、「日本人」である現実に恐らく色々な方が戸惑いを覚えていると僕は思います、現在政局もこれだけになって。上祐さんは、今、どう「日本人」であることと付き合っているのでしょうか。どこに良さ、悪さを見て。

上祐 オウム真理教では「麻原尊師とともに輪廻転生を繰り返す聖なる魂の集団」という意識が、信者の間で形成されました。それによって日本社会に対する帰属意識が無くなったことを、私は『オウム事件 17年目の告白』のなかで、「『オウム人』であるかのよう」と表現しています。これはひとつの比喩で、当時の信者がオウム人、オウム民族、麻原民族などといった言葉を使っていたわけではありません。

そこをお断りした上で言えば、日本人である我々が日本社会を相手に戦争する過ちは、その帰属意識の乏しさゆえに起きたのです。オウムはどうしても地下鉄サリン事件などのテロ事件が目立ちますが、あの行為自体に宗教的な目的が存在していたわけではありません。麻原が唱えていたのは日本や世界と戦う武力革命であり、その構想の途中で生まれた犯罪です。信者は麻原の誇大妄想を盲信し、あくまで国と国の戦い、麻原を王とした国と日本社会との対立のように考えていたのです。

そして、木村さんが今お持ちの課題は、敗戦後の日本がずっと引きずってきた問題だと私は思います。
敗戦までは日本だけが「神国」、アジアを統べるべき神の国でした。そういった精神性や思想が果たして間違っていたかどうか、明確な総括がないままですよね。無謀な軍部に騙されて大国アメリカと戦う羽目になった、いや、アメリカに嵌められたんだ、日本が悪いわけじゃない……など、思想がまとまっていない。
しかし、我々は日本人である前に地球人でもあり、地球全体のことを考える時代に生きています。オウムの教義の独善性を超えるのとシンクロした思考をしていけば、ナショナリズムを超えた、国際国家としての日本が私達の新たなアイデンティティであっていい。今の日本は、どんな個性を持った国なのか、があまり明確ではありません。大日本帝国が敗れて思想も宗教も壊れてしまい、国を支える精神的な柱が無くなった。そこで残ったのは経済成長で経済大国になることでしたが、そのアイデンティティもバブル以降は失われた。だから、世界の中でどんな役割を果たせばいい国なのかが誰にとっても不明瞭なまま、将来は経済が不安、少子化が不安と言い合っている状態です。

大日本帝国の失敗、私達オウムの失敗を明確に乗り越えた、新たな国際国家としての国家像、思想はどうあるべきか。私は古きに原点回帰し、飛鳥時代の聖徳太子に学ぶべきことが多いと思っています。
聖徳太子が「十七条憲法」第一条で説いたのは「和を持って貴しとなす」。融和の思想です。東アジアを統治するのではなく、大きな和という精神的資産によって東アジア諸国間の融和に貢献する。そんな国に脱皮できたらいいな、というイメージを持っています。名高い「十七条憲法」に、今回出した本の書名は『オウム事件 17年目の告白』。私の誕生日は、12月17日です。いろいろと符合しているのです(笑)。

今の政治は、韓国や中国に負けるな譲るな、ですが、それで果たしてよいのかどうかは、これから分かることでしょうね。ナショナリズムに傾斜するならば、一度とことん挫折するまでいって、その後に、それを乗り越えるということになるのかもしれない。挫折から学んで反動で戻ってくる例は、人間の進歩の歴史においてよく見られることだと思います。ヨーロッパが、EU連合として、一つにまとまってきたのは、第一次、第二次と世界大戦を2度もやった後でしょう。
一方、日本や中国の東アジアは依然として分裂状態ですね。もちろん、今後の日本が、なるべく失敗・挫折・犠牲が少ない形で、次の脱皮に入っていくことができるように祈っています。ただ、私達のオウム真理教の経験者の場合は、一度くらいの失敗ではなかなか変われず、様々な失敗の連続を経ずには、何が正しいのか分からない、言い替えれば、闇を知らずには、光の価値が分からなかったという人生になってしまいました。ですから、この手痛い教訓が、今後の日本にとっての反面教師などとして、何かしらの役にたつならばと思います。


― そろそろ時間になりますので、木村監督、最後に一言どうぞ

木村 遅くまで本当に有難うございました。私も結論を急がず、「日本人」とは何かについてじっくり考えながら、これからも映画を作っていきたいと思います。

上祐 会場のみなさん、お集まり頂き有難うございました。大変気持ちよい時間を過ごさせてもらいました。

 

(拍手)

 

― (場内アナウンス)本日はご来場くださいまして誠に有難うございました。只今カウンターにて、『愛のゆくえ(仮)』主題歌を収録したCDを限定枚数で販売いたしております。こちら500円にて販売いたしております。どうぞこの機会にお買い求めください。
ロビーでは、『愛のゆくえ(仮)』パンフレットを無料配布しておりますので、こちらもぜひお受け取りください。
また、同じくロビーにて、本日のゲスト上祐史浩さんの著書も販売しております。どうぞこの機会にお買い求めください。只今の時刻、23時を過ぎておりますので、お帰りの時間、充分にお気を付け下さい。
本日はポレポレ東中野にご来場くださいまして、誠に有難うございました。

 

【書誌情報】

書籍『オウム事件 17年目の告白』

上祐史浩著 有田芳生検証 扶桑社

http://www.fusosha.co.jp/book/2012/06749.php

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【映画情報】

映画『愛のゆくえ(仮)』

全国順次公開中

公式サイト:http://teamjudas.lomo.jp/aikari.html

『愛のゆくえ』(c)team JUDAS 2012