劇中には、血を連想させる、重く赤い色彩を持った絵の具を塗り込められた油彩が、何枚も登場するのだが、私は過去に美術を専攻していた学生時代を不意に思い出した。ある絵画実習の際、担当する講師が「昔は赤を使う時に血を垂らす物がいてね」とぽつりと呟き、はっとさせられた事を思い出したのだ。また、私は染色の仕事に携わってもいるのだが、職場の先輩に「昔はどうも¨ある赤い色¨を表現する為に、少量の血液を混ぜた職人がいたそうだ」と教わり、これにも又、驚嘆させられた事を思い出した。他にも美術書の文献などを調べてみると、これに近い行為が数々の場面で有る事が判った。絵画では無いが、自らの指を切り、その血液を用いる事で、誓いの強固さを表した「血判状」は、その最たる物である。血を作品に混ぜる事で、本当にその色がある特別な色に、そして劇的に変色するとは、現実的にはまず、考えられない。むしろ「血を混ぜる行為そのもの」に意味があるのだ。劇中で光男によって描かれた油彩は、全て「血の赤」が用いられ、更には光男が筆を持つ右手には常に血の跡が、まるで呪いの様に刻印されているのだが、それが表すものとはつまり「命の象徴」なのだ。「僕は綾野を血で描く、線では決して描けない」という光男の言葉の本意はここにある。人物を描く本質は、単に輪郭線や形態を描写する事には無く、描く対象の感情や、魂そのものを、捉えようと努力する試みにこそ或るのだ。光男が描いた数多くの絵画は、芦別の風景画と、天を仰ぎ見る信子の裸身画である。それらは全て、何層にも塗り重ねられた深みのある青であった。青は、静けさ、悲しみ、水、涙、等の静的な感情を観る者に与える色彩である。それに比べ、赤とは躍動感、熱、血、等の動的な感情を鑑賞者に想起させる色彩である。光男は深く青い絵画に「生命の赤」を一滴垂らす事により、絵画そのものに命を吹き込ませようと試みたのだ。そして、ここで最も重要な点は、パブロ・ピカソが「ゲルニカ」を、全て白と黒のモノトーンのみで統一させ、画面に一切の躍動する生命力を排除した事に、大林監督が意識的に対比させた事が、非常に明媚な試みであった。大林監督は本作を「シネマ・ゲルニカ」という作品を作ったと、私は冒頭で述べたが、その理由は光男によって描かれた何枚もの「赤い血の絵画」を考察する事で、より明確に解るのだ。
ピカソが「ゲルニカ」に置いて写実ではなく、キュビズムという、多角的な視点で物事の本質を捉えようとする画法を用い、戦争の悲惨さを描き、戦争の記憶を風化させない為にという意図で描いた事柄と同じくし、大林監督は物語を、リアリズムの手法に頼らず、生者も死者も同時に存在する時間と空間を、映画内において、不思議で美しい芸術的手法を用いる事によって、3・11の出来事や凄惨な戦争の記憶を風化させない様に考えたのである。
前作『この空の花 長岡花火物語』は戦争と震災に遭った新潟県長岡市の歴史と、そこで毎年打ち上げられる花火についての映画だった。「みんなが爆弾なんかつくらないで、きれいな花火ばかりをつくっていたら、きっと戦争なんか起こらなかったんだな」と言い残した、パスカルズのメンバーである石川浩司さんが演ずる画家・山下清の強い言葉が、非常に印象深い長編大作であった。この映画で印象的な点が「登場人物の視線」であった。主役の玲子(松雪泰子)はじめ、登場する役者が悉くキャメラに向かって台詞を語りかけている。役者の視線をキャメラに向けさせる事によって観客を映画に介在させ、無意識に劇中へと引き込み、映画内で語られる凄惨な過去、混沌や混乱を、他人事として終わらせず、一緒に考えていこう。という大林監督の意図であった。3・11の出来事を我が事として、映画の中に入り込んで欲しいという思いから用いられた手法だったのだが、さて本作『野のなななのか』では「視線の手法」をある限定されたシーンにのみ用いられていた事が興味深かった。それは物語中盤に主人公、光男が樺太での凄惨極まりない戦争の記憶を語るシーンである。終戦が8月15日という認識は誰もが持つ共通認識であろうが、光男は北方での戦争は実は9月5日まで続いていたと語る。知られざる重要な詳言を劇中で独白する、その眼光は刃物の様に鋭く、又、語られる口調には切羽詰まった鬼気迫る思いを感じ、思わず背筋を正された。これは、大林監督が様々なメディアを通して言及されている、戦争に対する我々の認識を、より感化させようとする意図であろうと思われる、非常に印象的なシーンであった。
私は映画『野のなななのか』を鑑賞し、物心がついたであろう、まだ幼い頃の、私自身の強い体験をふと思い出した。それは、今は亡き祖父に「オマエの命も、あと10センチだった」と言われ、幼心に衝撃を受け、そんな祖父に対し畏怖、畏敬の念を覚えた思い出である。(記憶の中の祖父が、劇中の光男の姿に、ことごとく重なって私には見えたのだ!)祖父は戦場へ赴き歩兵団の一員として沖縄南海上の戦地から帰還した人物だった。祖父の左上腕部には、戦中、敵の銃弾に当たり、貫通した傷跡が青黒く、それは何かの怨念のように、はっきりと張り付いていた。祖父は戦争について、多くを語ってはくれなかったが、私はその銃弾の傷跡を見るだけで、如何に戦争というものが恐ろしい事であるかという事を、幼心に少なくとも想像する事は出来た。私の命は、あと10センチ外れていたら、今、この世には無かったのだ。時に祖父のあの言葉を思い出すと、私は言いようの無い恐ろしさに包まれるのだが、一方で、その10センチで生き得る事が出来たのかも知れない誰かが、何処かに居たのかも知れないと想うと、どうにも居たたまれない気持ちになる。生きるとは、人の命の繋がりとは、生と死を想う事、そのものに違いないと私は考える。私の母や、親せきによる祖父に関する詳言を聞くと、鬼の様に恐ろしく、とにかく厳しかった祖父は、戦後帰還し、まるで人が変わった様に寡黙になり、一心不乱に働いたという。そして、他人には誰に対しても優しく、情を持って接したと聞いた。
参考文献
「このショットを見よ」フィルムアート社
「日経新聞朝刊 シネマ万華鏡」2014年5月16日、
「東京新聞朝刊 戦争国家への道筋」2014年7月5日
「朝日新聞朝刊 夏のきわみに思う」2014年7月9日
「なぜ若者は老人に席を譲らなくなったか」大林宣彦著、幻冬舎新書
「キネマ旬報 2013年10月上旬号 大林宣彦2013 前編」前野裕一著、キネマ旬報社
【公開情報】
野のなななのか
(2014年/日本/カラー/アメリカンビスタ/171分)
監督:大林宣彦 制作者:大林恭子
企画/制作:芦別映画政策委員会、株式会社PSC
原作:長谷川孝治「なななのか」 脚色:内藤忠司 大林宣彦 脚本:大林宣彦
出演:品川徹、常磐貴子、村田雄浩、松重豊、柴山智加、窪塚俊介、寺島咲
撮影監督:三本木久城、録音:内田誠、美術監督:竹内公一
映画音楽:山下康介、主題曲コーディネイト:大林千茱萸
スペシャルサンクス:鈴木評司、鈴木晴美、鈴木日苗
配給:TMエンタテインメント=PSC
公式サイト http://www.nononanananoka.com
第6回TAMA映画賞最優秀作品賞受賞
11/15よりニュー八王子シネマ、12/13より沖縄・桜坂劇場ほか全国公開中
【プロフィール】
小川学 Manabu Ogawa
1981年、秋田県生まれ。フリーランスライター。武蔵野美術大学卒業。染色業に携わる。文学を原作とする映画、インディペンデント映画に強い関心を持つ。冊子「ことばの映画館」11月24日発行予定。