【Interview】『相馬看花』ほか 松林要樹監督インタビュー text 小林和貴

震災と原発による強制退去・放射能汚染。様変わりした福島県・南相馬市に暮らす人々を追った『相馬看花』が話題の松林要樹監督。彼もまた、松江哲明、野本大、小野さやかといった数々の人材を輩出し、近年の日本ドキュメンタリー史を語る上で欠かせない存在となりつつある、日本映画学校(現:日本映画大学)・映像ジャーナルゼミの出身である。しかし、その映画的な位相は、いわゆるセルフドキュメンタリー論争の渦中にあった同校の諸作品とは異なるように思う。

聞けば彼の卒業制作『拝啓人間様』は、原一男が激怒し、佐藤忠男に酷評された、日本映画学校でも指折りの問題作だという。その“問題児”が『花と兵隊』を撮り、続けて『相馬看花』を撮った。そのテーマと関心の幅広さは、今後ドキュメンタリストの“台風の目”となる可能性を秘めている。

現在『相馬看花』の続編を製作中という松林監督。今までどのような視点で映画を撮り、これからどこへ向かおうとしているのか。フィルモグラフィーを振り返ってもらった。

(構成協力:佐藤寛朗)

松林要樹監督

ドキュメンタリー映画を志したきっかけ

———松林監督が映像を撮り始めたのは、いつ頃ですか。

 松林 映像自体は昔から好きで、高校生の頃は、友達と8mmビデオを回して遊んだりしていました。大学でも映画研究会に入って、学生映画を撮ったりね。でも、合宿に行って楽しく飲む、みたいな雰囲気になじめなくて、中退しました。

 それからは、しばらくアジアを放浪していたんですが、売春、ドラッグ、酒の世界に出会って、今まで持っていた社会正義の感覚とかが、全部狂っちゃって。カンボジアなんかに行くと、大麻が市場に山積みになっているし、村全体が売春の村とかもあって、小さな女の子が「みんな買えるよ」と寄ってくるんです。何だ、この世界は?という感じですよね。戦争が終わった直後の国は、そういうことが当たり前のようにありました。

 パキスタンやアフガニスタンなんかもそうだけど、今までメディアでしか知らなかった印象と現地の感覚とは、全然違いますよね。そのギャップを、映像で伝えられたら面白いなと思ったのが、この世界に入ったきっかけです。当時、アジアプレスがそういう事を始めていたのも何となく知っていて、これで食っていけたらいいなと思って、日本映画学校に入ったんです。

 

 興味本位だった『拝啓人間様』

———日本映画学校では、『拝啓人間様』という作品を撮っています。なぜアジアではなく、日本のホームレスを撮ろうと思ったのですか。

 松林 日本映画学校2年の実習のとき、パレスチナで映像を撮ったんですけど、自分は日本のことを何も知らないなと思って。それで社会運動を調べたら、地元に近い、三井三池炭鉱の総資本対総労働の問題に、いちばん興味を持ったんです。本当は炭鉱労働者を撮りたかったんですが、2003年の日本には、炭坑という現場はもう無かった。それで社会の底辺って何だろうと思って、ホームレスを当たってみたんです。

 多摩川で壊れた家電を修理しているベトナム人の仲買人とか、若い頃殺人事件に関わったと言っていた世捨て人とか、いろいろいたけど、いざ撮影、となると、みんな逃げちゃうんですよ。ホームレスって、やくざの縄張りみたいなものもあるから、社会的なしがらみがあると、すぐに逃げちゃうんです。

 クランクアップの2月前になっても取材対象が決まらず、焦っていた頃に、唯一「ここから抜け出したい」と言い出したのが、主人公の江藤さんです。よし、このタイミングなら動きが撮れるな、と思って。ホームレスの共同体に「文句を言ってやる」と息巻いていたから、筋や道理が通らなくても、向かっていくところを撮れれば、というのもあって、映画の為にお金を貸したんです。今思うと、興味本位ですよね。

 

———主人公の江藤さんに、執拗に「逃げるな」と迫っていますよね。映画を機に社会復帰してくれるかもしれない、という期待はあったのですか。

 松林 いや、途中で逃げると思っていました。職探しを手伝って欲しい、と言われたけど、あそこにいるのが単に嫌だっただけでしょう。今だったら、話や記憶がコロコロ変わる面白さを狙って撮るとか、そういう知恵も働いたんでしょうけど。結果は散々でした。ドキュメンタリーって、深く相手を傷つけると、自分も傷ついちゃいますよね。まわり回ってどこかで。因果応報ですよ。

 

『花と兵隊』で目指したもの

———初の劇場公開作品『花と兵隊』では、逆に被写体との関係を大切にしている印象があります。

 松林 基本的には、自分は人間関係を軸にして映画を撮っていますから。『花と兵隊』の場合、今村昌平さんの未帰還兵シリーズに出てきて、まず会いたかった藤田松吉さんが怖かった、というのもありますけど(笑)。

 もうひとりの主人公、坂井勇さんの場合は、坂井さん自体をすごく尊敬していたのもあります。自分がアジアを放浪していた頃、日本人だから、という理由で、韓国人や華僑に嫌われたことがありました。彼らと腹を割って話すなら、日本の戦争責任をどう思うのか?というところから話さないといけないんです。そんな嫌われているはずの日本人が、地元に根を張って、華僑と一緒に仕事をしているのを見ると、やっぱり人柄って大事なんだなって思いますね。ひとりの人間として見られていることに対して、純粋に嬉しく思えた、というか

———『花と兵隊』では、未帰還兵の戦争体験だけでなく、彼らの家族や暮らしにも、かなり焦点を当てています。

松林 もちろん戦争を描く、というのは『花と兵隊』の大きな目標でしたが、彼らがなぜ、日本に戻らなかったかというのは、戦後の彼らの営みを詳しく見ていかないと分かりませんからね。自分が長編の映画にしたい、といつも思うのは、そういう部分の面白さを見せていきたい、ということなんだと思います。

 

『相馬看花』の特徴

———今回の『相馬看花』は、『花と兵隊』以上に、土地の歴史や生活のディテールを描く手法が深化していますね。

松林 現地の実情を伝えるだけだったら、取材した素材をテレビに売ることもできるんです。だけどそういうやり方は、記録としては残らないんですね。

 『相馬看花』では、主人公である田中京子さんが夫婦喧嘩をしますよね?だけど「今日、立入制限区域内では一時帰宅が行なわれましたが、荷物の積み出しで夫婦が喧嘩をしました」では、テレビのニュースにはなりませんからね。ふたりの場合は、撮り続けていくうちに、どんどん夫婦である必然性が見えてきた。夫の久治さんと神社に行った時、ここで結婚式やったんだ、と彼が言い出さなかったら、エンディングのシーンは作ろうとは思いませんでした。野馬追をやるところで終わろうと思っていたはずが、結婚式の写真ので終わる事なった。そのあたりが、生活の記録を続けていくことの面白さですよね。二人に出会えて、本当に良かったと思います。

 

———一方で、東京の反原発デモの様子や、記者クラブ批判のようなシーンも出てきますが、その狙いは何だったのですか。

 

松林 違和感があるから入れない方がいい、といろんな人に言われましたが、自分はむしろ違和感を感じてもらいたいと思って、入れました。ああいうデモの声は、地元の生活者には届かないんですよ。社会運動をしている人達と、現場で生活している人達との間に常にある溝を、映画で表現したかったんです。

 

そもそも、運動や活動というものと映画は、相容れないものなのかなとも思います。運動の道具として映画を使ってもらっても良いけれども、映画が運動の道具になるのは嫌ですよね。そういう意味で『相馬看花』は、編集の段階で、被災地の話だけでなく、主観でいろんな要素を入れて作ってもいいと思いました。原発反対というテーマを全面に打ち出して作ることもできるけど、大文字の標識を訴えるんだったら、わざわざ映画にする必要は無いですよ。何かの答え合わせのために、映画を作るわけではないですからね。

『相馬看花』©松林要樹

『相馬看花』第二部に向けて

———現在は『相馬看花』の第二部を撮っているそうですが、どのようなことがテーマになるのですか。

 松林 実は今、少し壁を感じていてね。

 長く撮影を続けると、撮られている人たちがどう思うか、という問題が出てきます。内面や地域の人間関係まで踏み込まれていると思うと、警戒しますよね。南相馬の上映会で「なんで久治と京子だけが出てくるんだ」と言われた時、基本的には、村社会であることに、改めて気付かされました。当事者ではない人が、当事者のために、という映画は、本質的に作れないのかもしれない。第一部は3ヶ月で撮れたから作品になったけど、時間をかけて、関係を深めて撮るからこその難しい問題がいっぱい出てきている、と思います。

 ———それでも、馬から南相馬の歴史をひも解こうとするなど、様々なアプローチを試みていると聞きますが。

松林 『花と兵隊』の藤田さんも博労だったし、第二部で出てくる予定のおじさんも博労だし、全くの偶然でも、そういう共通項が見えてくると、自分の中で盛り上がってきますよね。

———『花と兵隊』もそうですが、「歴史への言及」というのは、松林映画のひとつの特徴ですね。

 松林 自分がいつか劇映画やってやろうと思っているからじゃないですか。人の事をいろいろ調べて、丹念に洗っていく作業って、劇映画でキャラクターを作りこむときに、大事なんだろうなって思います。『ナイト・オン・ザ・プラネット』みたいな群像劇を、いつかは作りたいですよね。

 ———最後に3つの作品を撮って、ドキュメンタリー映画とは何か、分かったことはありますか。

松林 映画とは、あくまで考えるきっかけを提供するもの、ということかな。10年前は、映画で世の中を変えてやろう、と思っていたけど、今は変わらないよ、と思います。マイケル・ムーアみたいな影響力のある映画で、たくさんお客さんが入ったとしてもです。ドキュメンタリーの製作者は、少なからずアクティビストの視点を持ち合わせいるとは思うけど、世の中を変えようと思って映画を作ると、たぶんつまらない映画になると思います。

『相馬看花』©松林要樹

【映画情報】

『相馬看花』 —第一部 奪われた土地の記憶ー(2011年日本 HD 109分)

松林要樹監督作品 製作:3JoMa Film 配給:東風 後援:南相馬市

只今全国公開中

大阪・第七藝術劇場、名古屋・シネマテーク(−8/3)、新潟・シネウインド(8/18−31)

広島・横川シネマ(8/18−9/2)神戸・アートビレッジセンター(8/25−31)

下高井戸シネマ(9/1−7)

公式サイト http://www.somakanka.com/

 【監督プロフィール】

松林要樹 まつばやし・ようじゅ

1979年福岡県生まれ。福岡大学中退後、日本映画学校(現・日本映画大学)に入学。原一男、安岡卓治が担任するゼミに参加し、卒業制作で『拝啓人間様』を製作。卒業後は東京とバンコクを拠点に、アジア各地を映像で取材。2009年、戦後タイ、ビルマ国境付近に残った未帰還兵を追ったドキュメンタリー映画『花と兵隊』を発表。第一回田原総一朗ノンフィクション賞・奨励賞を受賞。2011年、森達也、綿井健陽、安岡卓治とともにドキュメンタリー映画『311』を共同監督。著書に「ぼくと『未帰還兵』との2年8カ月」(同時代社)、共著に「311を撮る」(岩波書店)。