【連載】開拓者(フロンティア)たちの肖像〜中野理惠 すきな映画を仕事にして 〜 第10話 text 中野理惠

開拓者(フロンティア)たちの肖像
〜中野理惠 すきな映画を仕事にして

<前回(第9話)はこちら>

第10話  事務所立ち上げのころ

ヘルスメーターの会社からは、翌年以降も毎年、大量に注文をいただいた。その会社の現在の社名はカタログハウスであり、<月日ノオト>に着目してくださったのは、カタログハウスを創業した齋藤駿社長であった(最初に会ったちょっと太めの男性ではない)。齋藤さんへの感謝も大きい。

手帳は「通販生活」のおかげで知名度が上がった 

大恩人との出会い

「月日ノオト」は伊東屋を始め、全国の文具店や紀伊国屋などの書店の店頭に並べていただくことができ、日本橋高島屋の文具売り場などのデパートでも扱っていただいた。それらは前述の志村章子さんの厚意に加えて、スタッフになってくれた最初の大学(早大教育学部)の同級生の宮重淑子(今もスタッフなので)の努力が大きい。手帳を持ち、文具店や書店を一軒一軒、歩いてくれたのだ。

大学時代に彼女は私を覚えていない、と言うが、私はその時の彼女の表情や仕草に至るまで、よく覚えている。学生時代、試験に備えて初めてノオトを借りた講義は社会学で、15号館2階の大教室だった。その教室の入り口で「この間サークル(出版事業研究会)で吉行淳之介のトコに行ったら表札にMMって書いてあったの。あれって宮城まり子の事なんですって」と、初対面に等しい私に向かって、人差し指でMの文字を書くようにして言う。ゴシップ好きの面目躍如たる出会いであった。学部は同じとはいえ学科も異なり、また、当時、大学はほぼ一年中と言っていいほどロックアウト中で(ロックアウトの合間に授業があった、と書いても過言ではないと思う)、ノオトを借りる以外の付き合いは全くなかった。

だが、卒業から数年後に、元夫同士(結果として二人とも離婚したので今では元となっている)が友人だとわかったことがきっかけで再会し、パンドラを始める前年の1986年に、リブ活動の一環として企画・編集をした「東京おんなおたすけ本」(現代書館発行)の際に、取材と編集を助けてもらい、以後、柔らかい表情と穏やかな語り口、そしてそれを裏切るクールで負けず嫌いな性分と明晰な頭脳で、それこそ、映画がヒットした時も、右翼に襲われた時も変わらずに、30年近く支えてくれている大恩人である。


友情には感謝のしっ放し

ところで、日本橋高島屋の文具担当者のところに、宮重と二人でセールスに行った時、交渉の席に、高島屋の社員だった高校の同級生の久永クンが、「心配だからよぉ」(「ワレがしんぴゃあだからよぉ」だったかもしれない)と言いながら、柔道経験者特有の歩き方で現れた。当時は、同じく柔道部だった山内クン(故人)と彼の二人が、時折パンドラの最初の事務所に現れていた頃だったから、事前に知らせていたのだろう。嬉しかった。おかげで、めでたく高島屋でも扱っていただくことになったのだった。

「東京おんなおたすけ本」と最初の事務所

最初の「月日ノオト」は1986年発行の1987年版だった。それと前後して、東京に暮らす女性に役立つ情報を提供しようとの趣旨で企画したのが、「東京おんなおたすけ本」である。現代書館の菊地社長が発行元を快く引き受けてくれたが、取材費はこちらもちだ。文庫サイズの157ページ、発行は1986年7月だった。掌に載る小さなものだが、思い立ってから発行まで2年間。編集者名義は<月日の種舎>。第9話に登場するビッキーさんや嶋田ゆかりさんたちと、当時、一緒に活動していたグループ名である。このグループ名は、この後、現在の社名を決める際のエピソードにもつながる。

出来上がったばかりの「東京おんなおたすけ本」を手にして、苦労を共にした仲間と共に。左からビッキーこと櫛引順子さん、中野、 嶋田ゆかりさん、家永まゆみさん(外国映画配給会社の同僚だった)

その当時は勤め人だったから、銀座にあった勤め先の会社から徒歩10分以内のところに、三人共同で事務所を借りた。間口半間くらいでギシギシと軋む急な階段を昇る木造の建物で、少し以上に南に傾いている。30年前とはいえ、銀座まで10分もない中央区のど真ん中によく残っていたような建物だ。私は気乗りがしなかったが、ビッキーこと櫛引順子さんが、腰をこごめて隅々まで見て回ると「ここいいわよ」、と言うではないか。彼女の目の方がシビアだと思ったので契約した。結果としてその建物、正福寺ビルには15年間くらい事務所を置いたことになる。駅から至近でわかりやすいのに、廃屋と思われたようで、通り過ぎでしまい、迷う人が多かった。


「東京ママおたすけ本 お母さんが元気に働く本

さて、1987年1月、帰国してすぐに取り掛かったのは、「東京おんなおたすけ本 お母さんが元気で働く本」(1987年11月発行)の企画と編集だった。内容は書名通りである。東京23区26市の子育て行政の実態を、一冊の情報本にまとめる。まず、予め地方公務委員のハマダ(第9話に書いたパンツの同士)に事務所に来てもらい、税の徴収や遣い方の仕組みの講義を全員で受けた。それぞれの自治体の総予算の中で子育てに割かれる予算額と割合も調べた。貴重な資料で、後もずっと保管してあったのだが、3回目の事務所移転、つまり現在の事務所に移る際に、遂に処分してしまった。残念でならない。表紙は「よいおっぱい、悪いおっぱい」の著者である、詩人の伊藤比呂美さんが描いてくれた。この本は前年の「東京おんなおたすけ本」の延長上として企画したもので、企画のきっかけや取材方法などは次話に書こうと思う。

  
「東京ママおたすけ本」の表紙(左) と「東京ママおたすけ本」の扉(右)

写真や資料を探していたところ、沢井信一郎監督と一緒に撮った懐かしい写真が出てきた。配給会社を退職してアメリカに行く前の僅か2ヶ月の間に、フリーライターとして受けていた仕事の中に、キネマ旬報から、ロケ現場取材があり、『ラブストーリーを君に』(主演:後藤久美子/1988年公開/製作・配給:東映)だった。写真は監督にインタビューをした時のものだと思う。

(つづく。次は6月15日に掲載します。)

中野理惠 近況
5月23日(土)岩波ホールで封切った『ゆずり葉の頃』は、おかげ様で、大勢のお客さんにご来場いただいています。6月19日(金)まで上映していますが、最終日近くは混みあうことが予想されますので、前売り券をお持ちの方はお早めにお出かけください。

6月27日(土)よりヒューマントラストシネマ有楽町でイタリア映画3本を特集する<Viva!イタリアvol.2>http://vivaitalia.link/!『フェデリコという不思議な存在』はエットレ・スコーラが、巨匠フェリーニを回想する映画ファン必見の作品。『夫婦の危機』は、新作が今年のカンヌ映画祭で、実は超話題となった鬼才ナンニ・モレッティ監督の快作。『ただひとりの父親』はハートウォーミングドラマ、と様々な楽しみ方ができる特集です!
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