【Review】トランスジェンダーが「普通」になる日のために 『女になる』text 荒井南

『女になる』を観終えた時、以前参加したLGBTs映画の上映イベントで、ある女性との苦い記憶が思い出された。折しも著名な女性の同性カップルが結婚式を挙げたことが話題になっていた頃で、私は性的マイノリティについての明るいニュースとして、彼女に話を振ったつもりだった。ところが女性は少し苦笑しながら「彼女たちは有名人ですから」とつぶやいただけだった。その微妙な表情を、後から思い返してはっとした。もし私だったら、ルックスもよく、輝かしい生き方を謳歌する彼女たちのように、世間にカミングアウトし、性的マイノリティのメンター(助言者)として堂々といるだろうか。黒と白の中間のグレーの中に、当事者は考え方も生き方も多彩なグラデーションでもって存在している。私の発言は「LGBTs当事者の誰もがそうだ」という無意識な暴力だったのだった。

諸外国では、性的少数者が宗教に基づいて処罰されたり、理不尽な暴力に晒されることが少なくない。それゆえ、当事者たちは団結し、苦しい闘いを強いられることになる。一方、日本ではテレビをつければ異性装のタレントが人気を博している。なるほど、一見クィア(性的少数者)には寛容に思えるかもしれない。しかし、この国にも深く下ろす差別の根の抜きがたさを、強く感じることも多々ある。テレビのお笑い番組で、マイノリティに対する前時代的な差別認識に基づく「いじり」に、敢然と抗議する当事者たちに対し、マジョリティ側は「同性愛者を笑っているのではなく、演じているその人を笑っているだけ」、「まるで腫れ物にでも触るように扱うことこそ差別だ」と言い放つ。どんな姿であれ、マジョリティが作り上げた「少数者のイメージ」を、当事者が受け容れなければならない理由はない。私はあの日、イベントで出会った女性の困ったような顔に、そう教えられたのである。

『女になる』は、心と体の性別の不一致を抱えてきた未悠が、性別適合手術を受けて女性の身体を得るまでに密着したドキュメンタリーである。性的少数者からタトゥー、ピアッシング、さらに身体改造に至るまで、あらゆるマイノリティに迫った『凍蝶図鑑』の田中幸夫監督へ、映画を観た未悠から「性別適合手術を受ける予定の私を撮って欲しい」との申し出があり、実現した作品だ。

作品には、未悠の他に2人のトランスジェンダーが登場する。カメラの前の彼女たちに、撮られていることに対する抵抗や遠慮が見られない。3人は恋愛経験から性意識まで実に赤裸々に語り、劇中でも長くシーンが取られている。そして(大変失礼ではあるが)、皆どこにでもいそうな容姿で、アクティヴィスト(活動家)でもメンターでもドラァグクイーンでもなく、ごく平凡な生活を送っていることが印象的だ。ホモフォビックな出来事には、ほとんど触れられない。未悠自身、「学校でいじめられた記憶がない」と言うのだから、作品の演出というわけではなく、経験自体がないのだろう。

むしろ未悠は、性別適合手術を受けた女性として生きること、つまり「女になる」ことによる困難に直面していくのではないだろうか。トランスジェンダーは性的少数者の中でもとりわけ少数で、コミュニティの中でさえも差別を受けることが多いと言われている。担当医の言葉にもあるように、ゲイやレズビアン、バイセクシャルは「性的志向」である。カミングアウトしなければ外見的に分からないため、本人が公にしたくなければ、黙っていることができる。一方トランスジェンダーは、見た目と心との性が一致していないのだから、外見の性を完全に変えなければならない。加えて性別適合手術では、生殖機能は完全に失われてしまう。身体的な負担は、想像に難くない。ゆるやかなテンポで進んでいくかにみえた本作だが、施術直後の未悠の様子は、前半からは想像できなかった緊張を観客に与える。映画の中では綴られなかったトランスジェンダーとして生きていくことの厳しい現実が、予兆されているかのようである。 

世界のトランスジェンダーたちは、率先した政治参加に出て、性的少数者としての権利の獲得に動いている。自由に生きようとするだけで差別と迫害となるという苛酷な状況と、個人が抱える苦しみは、ともすれば前者ばかりに注目が集まり、社会を変えようとする努力こそ意味のある行動だとして奨励されやすい。この映画は、LGBTsの権利を社会に訴えていこうというのではなく、どこまでも個の生き方として尊重していくことにコミットメントしている。だからこそ平凡で、どこにでもいて、無意識に無理解でいる大多数に響くのではないかと、私は期待している。そして、性的マイノリティ当事者たちだけを、彼ら彼女らの闘いの矢面に立たせてはいけない。「未悠」は、きっと私たちの周囲にいるのだから。

【作品情報】

『女になる』
(2017 年/日本/HD(16:9)/74 分)

製作・監督・撮影・編集 田中幸夫
助監督・技術統括 北川 希/音効 吉田一郎 石川泰三
ヘアメイク 川瀬雅美/撮影協力 酒井謙次
宣伝写真 谷 敦志/題字・デザイン 東 學
企画・製作・配給 風楽創作事務所
配給 オリオフィルムズ/宣伝 細谷隆広

※写真は全て©️風楽創作事務所

10 月 28 日(土)〜新宿ケイズシネマにて
運命を変えるロードショー

【執筆者プロフィール】

荒井南 Minami Arai
映写見習いおよび映画記者。「シネマコリア」ライター、「ことばの映画館」編集委員。「韓国映画で学ぶ韓国の社会と歴史」(キネマ旬報社)が発売中。Twitter:@33mi99