【Review】音楽が「差別」と闘うとき――映画『白い暴動』 text 日方裕司

 

 映画『白い暴動』の冒頭で、ステージに上がる前の緊迫感と血気盛んなオーディエンスの姿に多くのパンクスが心躍るかもしれない。しかしこのタイトルから推測されるような、日本でもお馴染みのパンクバンド、ザ・クラッシュのドキュメンタリー映画ではない。

 『白い暴動』は、人種差別反対を唱えたRAR「ロック・アゲインスト・レイシズム(Rock Against Racism)」の運動を追った回顧録だ。語り手として画面に現れたのはバンドでもオーディエンスでもなく左寄りの芸術家「レッド・サウンダース」。RARは1976年にカメラマンとして活動していた彼が、ザ・クラッシュのライヴ撮影へ訪れた際、その15分間の演奏に圧倒されたところから始まる。

 1970年代当時、財政政策問題を抱えていた英国の抱える負債はついに危険水準を超えてしまう。IMF(国際通貨基金)の救済を受け入れたことで市民の暮らしは一変。賃金・社会保障の切下げが起き、多くの若者は安定した生活を送ることが困難になっていった。社会不安の中に極端なナショナリズムが台頭すると、溜まる一方のフラストレーションの容易な捌け口となり、職場でも学校でも町でも共に暮らす移民に対する人種差別が日々暴力を生んでいた。

 NF「ナショナル・フロント(イギリス国民戦線、The National Front)」が勢力を伸ばし、同じく極右思想のイノック・パウエル議員をエリック・クラプトンが支持するとステージ上で発言。人種差別に拍車をかけた。

 レッドは「クラプトンは黒人音楽を搾取している」とクラプトンの言動を非難する記事を各音楽誌へ寄稿。この記事がきっかけとなりRARの運動は多くの理解と協力を得てZINE(雑誌)を発行。「音楽を愛し、人種差別を憎め」。このRARのメッセージに賛同したパンクバンドとライヴを敢行し、音楽好きの若者を中心に英国全土へ認知されるようになると各都市でRAR支部が創設するまでに。

 人種差別反対。たったこれだけのメッセージが、多くの人々の心へ届き、彼らを10万人規模のデモ行進へと掻き立てる。

 観賞中どうしても頭をよぎってしまうのは、新型コロナウイルスに揺れる今の世界、今の日本。この映画が回想しているのは1976年〜78年。1981年生まれの私にとっては生まれる前の出来事だ。この国に生まれ育ち、現在に至るまで社会は不況でこそあったが、暴動はなくデモ行進に参加したこともない。私という一個人が考える問題とは就職や収入、結婚など個人的な悩み程度のものであり、コミュニティに根ざした問題ではなかった。命に関わるのような苦労もなく、高望みもせずに「絶望がデフォルト」と言ってしまえばひどく退屈で平坦な人生を歩んできた。換言すれば、私たちの世代には闘うべき「敵」はいなかった。

 それが2020年に入り、新型コロナウイルス感染症こと「COVID-19」の猛威を前に私は動揺している。初めて明確に意識する「敵」。もちろん私や身近な友人だけではなく、世界がこの未知のウイルスに恐怖を感じている。第二次世界大戦以降、最大の人類の危機だとの声もきく。もちろん「敵」は他国ではなくウイルスだ。しかし本当にそうだろうか。感染防止のための自粛と保障をめぐる現状に反応するSNSの声。そこには人種・国籍・職業・性別・障がいを含むヘイトに溢れてはいないか。最初にウイルスの拡がった街へ。感染した者と検疫官へ。各国の対策と感染状況を比較しては感情の赴くままに放たれる暴言、嫉妬、嘲り。本当に「敵」はウイルスだけだろうか。いつの間にか、潜在的に、差別を許容する社会を許容するようになってはいないか。

 話を映画に戻そう。

 白人至上主義の極端な思想への盲信が警察の在り方さえも変えてしまう。SUS法「不審者抑止法(SUSーLAW)」の乱用で多くの無実の若者が逮捕・収監された。驚くべきはその強引さであり、事件が起きておらず、犯行日時も被害者も不明であっても、ただ歩いていただけの若者をその肌の色、移民であることを理由に連行するまでになっていた。そして身に覚えのない容疑をかけられて収監される。その日、たまたま警察官の虫の居所が悪かったということで刑務所送りにもなりえた。逆に言えば、出歩かなければ逮捕されない。そんな実質外出禁止の、非道な取り締まりが横行していた。

 『白い暴動』だけにザ・クラッシュのメンバーもしっかり登場する。失業手当をもらいながらバンドをやっていたということには驚いたが、彼らも当時の若者同様に困窮していたからこそ「若者の代弁者」に成り得たということか。肌の色とは違う「階級」という問題がある。学校を出た彼らを待ち受けるのは選択のできない未来。上流階級、中流階級、労働者階級と大きく分けて3つの階級がある。これらは血統と学歴にも強い結びつきがあるとされる。上流階級は資産家、地主、貴族が多く、最も血統と強く結ばれている傾向といえる。ほとんどが有名大学を卒業することになる。中流階級は比較的裕福な家庭環境であり、職種は公務員や一般企業のホワイトカラーを中心に幅広い。また、大学に進学することも多い。労働者階級はブルーカラーとも呼ばれ、その語源となった作業服からイメージするような肉体労働が主な職種となる。製造業、建設業、農業、林業、漁業など。高等教育を受けずに仕事を始める者も多く、見習いから始め、「手に職」を目指し地道にコツコツと経験を積んでいく。中には何世代にも渡り社会福祉制度に依存して同じ状況から抜け出せないケースも多い。大学に進学することは極めて稀である。

 劇中RARの支持者とNFの支持者との対立が描かれている。デモやライヴに参加する彼らは若い白人であり、それぞれには異なるバックグラウンドがある。双方どちらも、その主張が正しいと信じているのだ。

 私がザ・クラッシュを初めて聴いたのは18歳くらいのときで、「白い暴動」の歌詞にはずっと違和感があった。

「白い暴動、暴動を起こしたい」

 白い暴動って何?色なの?結局差別してない?映画はこの長年に渡る疑問も解消してくれた。

「黒人は多くの問題を抱えてる だけど平気でブロックを投げるんだ」

 でもこの暴動を生んでいるのは移民問題だけではない。

「白人は学校へ行く 奴らはお前に太り方を教える」

 この歌詞が教育に対して良いイメージを持っているとは思えない。英国に生まれ育った「白人」も「階級」に縛られ続けているという「問題」を抱えている。階級により教育の隔たりがあり、職種にも隔たりがある。それが移民へ向けられた差別意識に繋がっているのではないか。白人による暴動を起こして、この差別と闘いたいということではないだろうか。

 また、劇中で政治的・社会的背景が全編を通して語られるなか、随所を彩るアニメーションやコラージュ映像のセンスの良さに心奪われる。切り抜きで使われる素材選び、フォント・配色・配置、あたかも当時のバンドのレコードジャケットやRARが発行していたZINEやポスターが動いているかのようなこの演出について「当時のアートワークへのオマージュ」とアジア系移民の家庭に生まれた監督のルビカ・シャーは語っている。

 SNSも携帯・スマホもない時代に、ZINEとポスター、そして音楽ライヴで人種差別反対を訴えてきたRAR。わずか1年ほどで同じ問題意識を持つ若者たちの共感と連帯を生み、ひとつのムーブメントとなり1978年4月30日に至るまでの軌跡。

 2020年にウイルスという闘うべき「敵」を知った私たちに投げかける。

「まだ差別との闘いは終わっていない」

【映画情報】

『白い暴動』
(2019/イギリス/カラー/ビスタ/5.1ch/84分)

監督:ルビカ・シャー『Let‘s Dance: Bowie Down Under』※短編
出演:レッド・ソーンダズ、ロジャー・ハドル、ケイト・ウェブ、ザ・クラッシュ、トム・ロビンソン、シャム 69、スティール・パルス
配給:ツイン

4/3(金)ヒューマントラストシネマ渋谷、アップリンク吉祥寺他にて全国順次ロードショー!

公式サイト:http://www.whiteriot-movie.com/

写真はすべてphotograph by Syd Shelton

【執筆者プロフィール】

日方裕司(ひかた・ゆうじ)
1981年埼玉県生まれ。
映画制作を学んだのちにフリーランスの脚本家・映像作家として活動中。
インディーズのMV、企業VP、WEBドラマ、ショートホラー作品などを手掛ける。
現在、脚本・監督を担当する長編映画を企画準備中。