【Review】 山下達郎『OPUS』「山下達郎」を残す為に 〜”ドキュメンタリー的”メディアとしてのCD〜 text 山本達也

山下達郎の曲を“ちゃんと”聴くようになってから、まだ実は3~4年しか経っていません。TOKYO-FM「サンデー・ソングブック」なんかを聞いてると、「山下達郎と共に年を取り、ずっと聴き続けてきて、今や親子二代でファン」なんて人がゴロゴロいるんで、私なんかは完全なペーペーでございます。

しかも、その入りが「ベスト盤から」という、何ともかる~い感じでありまして、古参ファンの皆さんから鼻で笑われてしまうんじゃないか、と、内心ビクビクしながらこの文章を書いています。

最初のきっかけは、確かどなたかのブログに貼ってあったYou Tubeを見て「おっ」となり、後日ベスト盤『GREATEST HITS! OF TATSURO YAMASHITA』(1982)を購入し「おおおっっ!」となってすっかりハマってしまった、という感じだったと思います。

その後は昨年(2011年)発売された『Ray Of Hope』を発売直後に買ってヘビロテし、シアターライブにも足を運んで大感動したり、と、すっかり「山下達郎のお手軽ペーペーファン」といった風情に。

なので、今回発売されたオールタイムベスト『OPUS ALL TIME BEST 1975-2012』もすぐに購入し、一人で「むふふふ」と聴きまくっているわけですが、「ベスト盤をドキュメンタリーとして考える」という(neoneo編集室から出された)テーマを頭に入れて聴いてみると、「果たしてこれはドキュメンタリーなのか?」という疑問、そして「結局CDってどういうメディアなの?」という疑問が自分の中で湧いてきました。


まず前者について。ベスト盤、というのは、「それまでのキャリアを総括する」という側面によって、(総括の仕方に様々な形式─例えばファンの人気投票による選曲とか、レコード会社が主導しての選曲とか─があるとしても)そのミュージシャンの歩みを否が応にも表す作品になる、極めて「ドキュメンタリー的な」形だと思います。

映像表現の“手段”としてフィクションとドキュメンタリーがあるように、オリジナルアルバムがフィクション、ベスト盤がドキュメンタリー、という言い方も出来るかもしれません(「何もない所から世界を作る」フィクションと、「今ある世界を見つめる」ドキュメンタリーの違い。というと、ざっくり過ぎて怒られそうですが)。

確かに、山下達郎のベスト盤の前作である、『GREATEST HITS! OF TATSURO YAMASHITA』と『TREASURES』(1995)を聴くと、「その時の山下達郎」をパッケージングしたドキュメンタリー、という雰囲気があります。しかし、今回の『OPUS』にはその雰囲気をあまり感じないのです。より作為的、というか。

それはもしかしたら単純に、「曲の量が多いから」かもしれないし、「時系列で曲を並べていないから」というのが原因かもしれないのですが、私は、それだけじゃない山下達郎本人の“意思”があるような気がしています。

その意思とは、今までのファンやこれからのファンに「山下達郎」を伝える為に、改めて自らの世界を一から作り、“残そう”という意思。

NONA REEVESの西寺郷太がWEBで「”研究・説明・実践”という3つのサイクル、そしてそのプロセスすべてが”面白い”ということの大切さを、僕は達郎さんから学びました。」と発言しているように、山下達郎は“伝える”事にかなり意識的なミュージシャンの一人です。「サンデー・ソングブック」が20年続いている事もその一つの現れでしょう。

そんな山下達郎が、CDが終焉を迎えつつあるなどメディアが日々変化し、「何が確実なのか」が怪しい今の現状を踏まえ、今ある世界を見つめる、のではなく、伝え、残す為に新たに世界を作り上げる必要性を感じたのではないか。今までのファンだけじゃなく、これからファンになる人にも「山下達郎」が伝わるように、新たな世界を必要としたのではないか。

まぁ、暴論ですけども、あながちズレてはいない気がするのです。

そして、“残す”為に「バックオーダーを取って、注文がきたらまた生産して供給できる。そういうパッケージ」(本人の発言から引用)であるCDという形態を選んだんじゃないかと。

 


ここで、2つ目の疑問に繋がります。「CDとはどういうメディアなのか?」。

山下達郎が言うように、CDの持つパッケージ=商品としての優位はまだ保たれていると私も思うんですが、ではなぜCDが今衰退しようとしているのか。そこに、パッケージとして、ではなく、メディア(=表現する為の媒体)としての「中途半端さ」が影響しているのではないか、と感じているのです。

少し雑ではありますが、音楽メディアは、

◆ レコード

◆ CD

◆ データ配信

という流れを経ています。雑ですね。

で、それぞれの特徴を挙げてみると、


◆ レコード

– 盤面に刻まれた溝を針で読み込み音を出す

– A面とB面が存在し、裏返す必要がある

– LP盤の場合は片面の収録時間がだいたい30分程度

 ◆ CD

– デジタルデータが記録されたディスクにレーザーを当て、その反射を読み取り音を出す

– 裏返す必要なし

– 収録時間は最大約80分

◆ データ配信

– デジタルデータをコンピューターで読み取り音を出す

– モノではない為、“裏返す”事が存在しない

– 容量と圧縮率の関係により長尺も可能


という違いがあります。

こうして見てみると、アナログであるレコードとデジタルであるデータ配信の中間に位置しているのがCDで、レコードの“モノ”としての側面とデジタルの“データ”としての側面を併せ持ったもの、と言えるかもしれません。そしてそれは、裏を返せば、それぞれの特徴を“中途半端”に持ってしまったもの、とも言えます。そこで、これらの事を踏まえた上でそれぞれのメディアを私なりに言い換えてみると、こうなるんじゃないかと思います。

◆ レコード

アルバムの場合、裏返すという行為によって生まれる流れの分断や収録時間の短さなど、作り手が意識する「構成」に影響する要素が多く、またそうして堅固に作られた世界観を聞き手が“そのまま”受け取りながら解釈していく

=劇映画的(作り手が作品の世界観をコントロールしやすく、且つ“どういう世界が描かれているか”が求められる)

◆ CD

レコードから引き継がれたアルバムの概念のもと、「構成」に対する意識を作り手/聞き手双方が持っているものの、デジタル化された時の聞かれ方は多様になる為、曲そのものの強さも意識される

=ドキュメンタリー的(“何が映っているか”と“それがどう構成されているか”が同じレベルで要求される)

◆ データ配信

自由度が高まったが故に、アルバム的な作り方/聞かれ方よりも1曲単位での配信が優位になり、「構成」よりも「曲の強さ」が重要視される

=ホームビデオ的(世界観など関係なく、“そこに何が映っているか”が重要)

 


ドキュメンタリーに関わる人の中には、「ドキュメンタリーはフィクションだ」と言い切る人もいます。まぁ私もそう考えているうちの一人なんですが、それと同時に「それってなんか中途半端だよなぁ」とも思ったりします。事実を扱ったフィクション、って事なの?みたいな。

ただ、ドキュメンタリーを観る事でしか感じられない感情や発見はもちろんあるし、おそらくこれからも(CDとは違って)ドキュメンタリーは作られ続けるし、何よりドキュメンタリーを観る事が私は大好きです。

それは、事実を扱うという「強さ」と、より受け手に伝わるように考えられた「構成」がそこにはあるから。すなわち、“中途半端さ”は同時に“いいとこ取り”にもなり得るのです。

そう考えると、じゃあなんで“いいとこ取り”であるはずのCDというメディアは衰退してしまうんだろう……。やっぱりその“中途半端さ”が影響してるんじゃないだろうか……。

そんな私の疑問に「それってこういう事でしょ?」って感じで答えを出してくれたのが、山下達郎の『OPUS』でした。

ヒット曲も多く含まれ、尚且つそのそれぞれに聞き手の思い出が乗っかった「曲の強さ」(例えば初期作品を聞いて夏や海を思い浮かべ、同時に自らの青春を回想する人もいるだろうし、タイアップされた商品やドラマなどを思い浮かべる人もいるだろうし、「クリスマス・イブ」のような大ヒット曲から何かを想起する人もいるでしょう。私は、メロウでスウィートで多幸的だと勝手に思い込んでいた山下達郎のイメージを一気に広げてくれた、ベースラインがかっちょいいタイトな一曲「BOMBER」が大好きです)と、作者本人の俯瞰的な視点が強く働いた「構成」。

“ドキュメンタリー”的な要素を使いながらフィクションを作り上げ、“ドキュメンタリー”的メディアであるCDで発売された『OPUS』。

CD表現の可能性を示したこの“ドキュメンタリー”で、私は「山下達郎」という新たな世界を今も発見し続けています。

【作品紹介】 

山下達郎『OPUS ALL TIME BEST 1975-2012』
2012 MOON/ワーナーミュージック・ジャパン

[通常盤]3枚組 ¥3,980

 ワーナーミュージック・ジャパン 
山下達郎特別サイト:
http://wmg.jp/tatsuro/

山下達郎公式サイト:http://www.tatsuro.co.jp/

 

【執筆者プロフィール】

山本達也 (やまもと・ たつや) 
 映画プロデューサー。2005年『ゴーグル』(監督・脚本:櫻井剛)でプロデューサー・デビュー。2006年からはトリウッドと専門学校東京ビジュアルアーツの産学協同企画「トリウッドスタジオプロジェクト」のプロデュースを担当。最新作『ふとめの国のありす』は2013年DVD発売予定。