フジテレビの『ザ・ノンフィクション』で旧・東池袋大勝軒を取材し、放送されたものの集大成となるこの映画。僕のように本放送をリアルタイムで見てきた人や、長い行列に並んだファンであれば大体の流れは既に知っているかもしれないが、旧・大勝軒の閉店から約6年経つ今、その原点となった場所の存在を再認識できる作品である。
今や大勝軒という名を冠するラーメン店は各地で開店し、「山岸一雄監修」という文字とともに本人の顔が載った商品が次々に発売されるなど、大勝軒・山岸一雄というネームが未だにラーメン界を席巻している状況を生み出しているのは、その味や人柄に魅了されたファンのみならず、作中にも数多く出てくるあの狭くて暑苦しい厨房に立った弟子たちの力が大きい。山岸氏はラーメンのレシピをどんな人にもすぐに公開し、修行した者の開店に際して大勝軒という店名を付けることに一切の金を要求しなかったという。中にはたった数日で修行を辞めた後、すぐに大勝軒の看板を掲げて経営する者や、大勝軒の名で積極的にチェーン展開し業界でもトップクラスの年商を得る者など、東池袋系を名乗る全ての店が目標とする”師匠”は同じとしながらもスタンスは弟子によって様々である。それらを分け隔てなく免許皆伝として認めてきたシステムが現在の大勝軒拡大の要因であると同時に、大勝軒は本質的に山岸氏の生身の手から徐々に離れつつある時期に来ているように思える。そのことを、僕は寂しさをもって捉えるべきか、あるいはかつてあの小さな店で体を張ってラーメンを作っていた山岸氏に魅了された人びとが、更なる多くの客を魅了すべき時代になったと捉えるべきか…。エンディングで多くの大勝軒系列店がクレジットされているのを見て、その多さに驚きつつ、ふとそんな複雑な気持ちになった。
僕はこれまでの人生が度々ラーメンによって揺るがされてきた。
ラーメンの魅力に開眼したのは6歳のころ。休日になると父親に連れられて行った新宿・桂花の太肉麺の味に惹かれたのがきっかけだ。豚骨スープにマー油が浮いていて、硬くロープのような麺にトッピングは豚の角煮と生キャベツ。全てが衝撃的だった。中学2年のころ職場体験があって、働いた場所は地元のラーメン屋だった。そこでスープの作り方を間近に見ることができ、これなら自分にもできると思い、合羽橋で寸胴を買い自作ラーメンを始めた。高校は地元から電車で30分かけて中野まで通った。都心に近い高校に行った方が下校時にラーメンの食べ歩きができるし渋谷や新宿で遊べると思ったからだ。志望理由がそんなものだったので学校生活はあまりにもつまらなく、授業が終わると学校生活のストレスを晴らすかのようにラーメン屋を食べ歩き、クラスメートが予備校に行って受験勉強に勤しむ一方、自宅で夜な夜なラーメンを作る生活をしていた。
ラーメンとともに熱中したのは映画制作だ。3年の夏休み、友達と一緒に”ソニームービーワークス”というワークショップで初めて映画を作り、その奥深さに出会った。そして僕は一浪して東京造形大学の映画専攻に入学した。
大学ではいろんなジャンルの映画を何本も作ったが、いつかラーメンを題材にした映画も作りたいと思っていた。ただ、ドラマか、ドキュメンタリーか、一体どのような形にするか全く見いだせず月日だけが過ぎていった。そんな中、4年生の頃に所属したゼミで「卒制でラーメン作ればいいんじゃない?」という話になった。ゼミ生みんなに自分のラーメンを食べてもらい感想を伺ったり、お爺さんが元ラーメン屋というゼミ生がいてそこへ取材しに行ったりと、いろいろ迷いながらも2012年1月の卒展を迎えた。
グラフィック、映像、テキスタイル、絵画、彫刻…と作品が展示されている中にラーメンを作る僕がいた。屋外のスペースに巨大なテントを張り、冷蔵庫、ガスレンジを持ち込み、スープ、麺、具材すべてを手作りする。そして事前にWebで予約したお客さんを会期中30分ごとに4人ずつ相席で招待し、僕が作ったラーメンを食べてもらう。予約した人はいったい誰と相席になってどんなラーメンを食べられるのか現地に行ってみないと分からない。『ラーメン』というキーワードだけでいろんな人が集まり、出会い、食べて、帰っていく。一生に何万回も繰り返すであろう食べるという行為のひとつに、あの日あの場所で食べた僕のラーメンが意識されていき、それぞれの記憶となっていくというのが狙いの体験型インスタレーションだった。
卒展を巡るついでに、という人もいれば、卒展自体には全く興味はないがラーメンだけ食べにここまで来たという人、今まで食べたラーメンの中で一番うまかったと言ってくれる人、チャーシューが好みじゃないという人など、その反応は様々だった。
しかし、僕の卒展はうまくいかなかった。展示の初日に大雨が降った影響でテントから大量の雨漏りがして、終わる頃には衛生的にラーメンを作れる状況でなくなってしまった。僕はやむなく最終日の展示を中止し、予約していただいた人を自らキャンセルするという最悪なことをした。最終日は午後からなんとかスープを作り、再開したものの時間は午後16時をまわっていて、既に会場に残っている人は少なかった。
搬出が終わった頃は僕は疲れと罪悪感で肉体的精神的にヘトヘトになっていた。僕の卒制は敗れたのである。
そんなこんなで大学を卒業して2年が経つ。人にラーメンを作ることは、あの時以来一度もしていない。
映画を見た後、大勝軒と自分の有り様をここに綴る際に、やはり一度は東池袋大勝軒に行き、自分自身の目で確かめるべきだと思った。
関東地方が梅雨入りして間もない2013年5月30日。小雨。強い風が吹いている。
池袋駅東口から徒歩10分、首都高の高架下に並ぶような格好で東池袋大勝軒本店はある。開店して間もない時間帯だったからか、行列はできていない。
作品で見た旧店舗とは全く違う広々とした厨房にゆとりのあるカウンターテーブル。平日昼間ということもあってか、客は8割がた昼休みのサラリーマンといった印象だ。それにおそらく山岸氏が元気にラーメンを作ってた頃からの常連さんと思われるお年を召した方も。
5分くらい経ってもりそばが来た。これがいわゆるつけ麺の元祖といわれるものだ。しかしここではつけ麺をもりそばと呼ぶ。これは大勝軒の源流が長野の蕎麦職人たちによって作られたことに由縁するのだろう。冷水で締めた蕎麦をつゆにつけて食べるもりそばが、名前はそのままに中華そば版となり従業員の賄い飯として出されたのがはじまりだという。それをお客さんに初めて売ったのが山岸氏なのだ。麺がかけそばを入れるような若干小さめの器にたっぷりと盛られてあるのもどこかルーツを感じられる佇まいだ。
甘みのある醤油味のつけダレは洗練されすぎていない、まさに庶民の御馳走を地でいくような優しい味だ。若干ウェーブのかかった麺、食べ応えのある分厚いチャーシュー、柔らかく煮あげたメンマ、固ゆで卵…どれもつけダレが優しく包み込んでいる。そして小口切りにされたネギがキリリとした辛みと清涼感を与えてくれていいアクセントになっている。完食。並盛りで十分に腹一杯だ。そう、大勝軒は誰もがおいしく腹一杯になることが大事なのだ。数年前のつけ麺ブームの折に世間のつけ麺はかなり進化して、その中でも大勝軒のつけ麺はとてもクラシカルな存在なのかもしれないが、タレ、麺、具は良いバランスで同居しており説得力があった。「ありがとうございます」の声を背に外へと向かうと行列ができていた。
記憶に残る味とか、幻の味なんて言葉があるがラーメンはそれを感じる機会の多い食べ物である。例えば、「あそこにあったラーメン屋、うまかったのにいつの間にか潰れちゃってて。あの店のオヤジ今何してんだろ」こんな体験は誰にでもあると思う。手元に20年ほど前に発売されたラーメン本があるが、そこに掲載されている店はことごとく潰れていて、今でも残っている店は数軒しかない。その現象が物語るのはラーメン屋がいかに自由で新規参入しやすくて、脆いものということだ。けれど、食べた人の記憶が残る限り、「今はなき幻の味」として語ったりできることもラーメン特有の面白さのひとつだと思う。自分がやった卒制も、あれから今までずっと同じレシピを造形大のあの場所で作り続けているわけでないので、あの日あの場所で食べてくれた人だけの記憶に委ねられてしまっている。その記憶がいつまでも残っていようと忘れ去られてしまおうとも、その儚さ自体が面白いのではないかというかなり投げやりな発想で作られた。
でも大勝軒はいつでも食べようと思えば食べられるという点で全く逆である。確かに山岸氏は引退したし、ファンの中には「オヤジが作ったものこそ大勝軒。今ある店は別物」だと仰る人もいる。その人にとっては大勝軒=幻の味になる。僕もその気持ちはよくわかる。それでも大勢の弟子が時代の流れに乗りながら山岸氏の魅力を色々な形で伝えていくだろう。彼らがその思いをアツいままドンブリに盛り続ける限り、これからラーメンを食べることを楽しみにする人にとって、時代に脆い真新しい味としてではなく常にそこにある味としてずっと大勝軒が存在するはずだ。僕はこのコラムの序盤で今の大勝軒を複雑な気持ちで見ていると書いた。けれどあの日、雨の中食べに行った東池袋大勝軒で、お年を召したお客さんが「そうそうこれだよ」と心の中でつぶやいてるかのようにじっくりと麺をすすってていた光景を見たときに、そのジレンマが少しばかり晴れたような気がする。ああ、この人にとって大勝軒は儚き記憶に残る味なんかではなくまさに人生そのものの味になろうとしているんだから。それも美しいのではないか。
大学を卒業してから2年もの間、僕はラーメンとは関係ない仕事を転々としている。
これまで度々卒制が中途半端に終わってしまったことを後ろめたく思い、いつかまたリベンジしようと考えては逃げていた。卒制のために買い集めた寸胴やテボはあの日からずっとベランダに放置したまま。製麺機の刃は錆び付きはじめている。今回、大勝軒の映画をめぐって綴ったことにより自分の卒制のことを思い出し、このままではあまりにも不誠実なのではと考えるようになった。
ラーメンをまた作る。
僕には大勝軒のように誰かの人生そのものになる味を作ることはできない。けれど誰かの儚い思い出になるラーメンはまだ作れるかもしれない。2年間胸に留めていたモヤモヤをぬぐい去り、あの日出会うことのできなかった人やこれから新しく出会う人にラーメンを食べてもらう場所を作る。
まずは調理道具をピカピカに磨くことから始めよう。
<後編へ続く>
【作品情報】
『ラーメンより大切なもの』
語り:谷原章介
原作:ザ・ノンフィクション「ラーメンより大切なもの」(フジテレビ)
監督:印南貴史
構成:岩井田洋光
撮影:山岸恵史
音楽:高田耕至
エンディングテーマ曲:久石譲「ふるさとのメロディー」
製作統括:塚越裕爾/企画:堤康一/エグゼクティブプロデューサー:味谷和哉
プロデューサー:西村朗 山田敏弘
協賛:カネジン食品/協力:大勝軒のれん会麺屋こうじグループ
製作:フジテレビジョン/制作プロダクション:メディア総合研究所
宣伝:KICCORIT/ 配給:ポニーキャニオン
公開中
シネマサンシャイン池袋 10:30/16:30〜
大阪:テアトル梅田 6/22〜
公式HP:http://ramen-eiga.jp/index.html
エイガ・ラーメン~完結編~
7月20日(土) 11:00-16:00
場所:武蔵野中央コミュニティセンター調理室
(JR三鷹駅北口より徒歩10分)
限定30食<完全予約制>
以下のリンクよりご予約ください(先着順)
http://kokucheese.com/event/index/96647/
【執筆者プロフィール】
髙橋亮介(たかはし・りょうすけ) ドキュ麺タリスト・映画監督
1988年東京生まれ。東京造形大学映画専攻領域卒業。自主制作映画の助監督として活動するほか、毎年3月に金沢21世紀美術館で行われている「こども映画教室」のメイキング制作を2011年より手がけている。現在、8月2日~4日に東京藝術大学横浜校地で行われる「ヨコハマこども映画教室」の開催に向けて準備中。
こども映画教室:http://movie.geocities.jp/childrenmeetfilms/
クラウドファンディング:http://motion-gallery.net/projects/kodomoeigakyositu