59%と戦後最低の投票率、安倍晋三率いる自民党圧勝と、これが本当に3.11後の日本で起きたことなのかと我が目を疑わざるを得なかった昨年末の衆議院選挙結果。参院選を来月に控えたこの6月、選挙に関するドキュメンタリーが3本公開されるのは、そんな結果に対する苛立ちを反映してのことであろう。私たちの社会の方向性を決める儀式であるとも言える「選挙」、そして現実を映し撮る鏡であるはずの「ドキュメンタリー」、この2つがどんな形で手法として融合し、果たして私たちにどんなことを訴えかけようとしているのだろうか。それはすなわち、現実に対して「映画」が何ができるかという、3.11後最も重要となった問いに対する答えでもあるだろう。それぞれに手法も方向性も違う3作をさっそく見ていこう。
『選挙2』/想田和弘監督
「リサーチや事前の打ち合わせ・台本なし」「ナレーション・説明テロップや音楽もなし」という「観察映画」と呼ぶ方法で数々のドキュメンタリーを撮影してきた想田監督。『精神』はとても衝撃を受けたし、『演劇1』『演劇2』も力のある刺激的な作品だった。ただ、この作品の前作となる、同じく山さんこと山内和彦さんが05年の小泉自民党の補欠候補として徹底したドブ板選挙を行った様子を撮った『選挙』は、実はあまり面白いと思わなかった。
氏名を大書したタスキをかけ、白い手袋をはめた手で道行く人に握手を求め、自らの名前を連呼しながら選挙カーで街を周る候補者の山さん。カメラは愚直に山さんを追いかける。それらがNYでの生活が長い想田監督にとって違和感をもつものであることは理解できるが、私たちにとっては見慣れたものでしかない。それらを相対化するには何か要素が欠けているような気がする。端的に、自民党の傘下でお金のかかる伝統的な選挙活動を行う山さんが、勝とうと負けようとどうでもいいような気がしてしまうので、物語にスリルがない。勝ったらダルマに目を入れてドブ板選挙が型どおり完結するだけだし、負ければ多少は私生活も知って感情移入の対象になっていた山さんにちょっと同情するだけだ。「観察映画」は『精神』のように精神病を患う人たち、或いは『演劇1』『演劇2』のように劇団を切り盛りする平田オリザ、などあまり一般人には知られない世界を扱った時のみ面白味が出る手法なのではないか。ワイズマンだってNYのサラリーマンの生活を撮ってはいないだろう。
それらの不満がほとんど全て解決したと言えるのが『選挙2』だ。なにしろ、そこに撮られているのは「いつもの日本」ではない。撮影が開始されたのは2011年の4月3日、東日本大震災の直後なのだ。当時首都圏にいたものならみな、この時の空気を今でもありありと思いだすことができるだろう。ネットを検索しまくり、薬局にマスクを買いに急ぎ、目に見えない「放射能」の不安に怯えていたあの日々。決してそれをメインにしてるのではないのだが、画面には「あの時の空気」が確かに刻印されている。加えて、山さんが実行するのも「いつもの選挙」ではない。05年の補欠選挙では当選したものの、07年の統一地方選では自民党の公認を得られず不出馬。4年間主夫として子育てに専念していた山さんが、東日本大震災が起きたことにより急遽思い立った出馬なのだ。組織なし、カネなし、看板なし。準備もなし。14人の候補者のうち、当選するのはわずか9人という激戦区ながら、山さんは選挙カーや事務所を使わず、タスキや握手も封印。脱原発を筆頭とした政策を明記したポスターとハガキのみで闘い抜こうとする。
もちろん、それは一人の父親である山さんの怒りの表明であり、捨て身の戦闘であろう。そして昨年の衆院選の結果を知っている私たち観客にとっては、いかにその闘いが勝利の可能性が低いものなのか分かってしまっている…。そこで映画は、ほとんどフィクション映画なみの物語強度を持ち始め、私たちは山さんや、山さんの奥様、通常であれば殆ど意味をもたらさないはずのお二人のお子さんの一挙一動まで、目が離せなくなる。撮影する想田監督自身も、他の自民党候補の選挙活動を撮影中に、撮影するなとクレームをつけられる。長々と続く選挙運動員、或いは候補者との小競り合い。想田監督自身も闘いに加担していることを思い知らされるシーンだ。
想田監督は、義務感に駆られて撮ったはいいものの、そこに映っていたものに対してどういう態度を取ったらいいのか分からなくて、編集する気が起きなかったそうだ。それが変わったのは2012年の12月16日、自民党が圧勝した日。「あの時見たものは、実はこういうことだったんじゃないか」とひらめくものがあったそうだ。その「実はこういうこと」はもちろん「観察映画」なのだから、テロップで流されたりも、ナレーションで語られたりもしない。私たちは、ラストシーン、山さんがどんな服を着て、どんな演説をして、周りの人がどんな反応をするのか、固唾を呑んで見守り、そしてその人なりの文脈で理解するだろう。もちろん作品に既にコンテキストはあるのだが、ややもすると強硬なメッセージになりがちなこのような作品が、2012年の12月16日に、選挙に行ったり行かなかったり、自民党に投票したりしなかったりした人、それぞれのコンテキストに染める余地があるところが本当に素晴らしい。想田監督の「観察映画」の傑作の一つに数えられるのではないだろうか。
『映画「立候補」』/藤岡利充監督
マック赤坂が大きくフィーチャーされた宣伝ビジュアルからして攻撃的な、マック赤坂を筆頭とした泡沫候補を取り上げたドキュメンタリーである。そのビジュアルだけ見ると、なんとなく悪い予感がしないでもない。当選する確率がほとんどないのに、立候補する泡沫候補は「イタイ存在」であり、できれば苦笑しながらやり過ごしたいのが本音であろう。その彼らがスクリーンの中で主人公になる。よっぽど撮り方に工夫と覚悟がないと、面白い映画にはならないであろう。
しかしそんな懸念は、映画を観始めてすぐに消し飛んでしまった。冒頭、こんな言葉がスクリーンに現れる。「問:あなたは次の内どちらか? A.今の政治に満足だ。B.今の政治に不満がある」「問:Bを選択した人がとるべき正しいものはどれ? 1.家の中でグチる 2.家の外でガナる 3.投票へ行く 4.立候補する 5.革命を起こす」。このシーンだけで、例えば昨年の衆院選の結果に関して、私も含めてツイッターなどSNSで世を憂い愚痴った人は多いと思うが、そんな自分たちよりは少なくとも、実際に立候補という行動に移す彼らは偉いのではないか、という疑念が生まれる。
そして大阪府庁に場所が移り、マック赤坂が立候補の届け出をするのが映し出され、立候補者は7人いることが紹介される。次のシーンでは、マックの記者会見の様子を伝える。途中マックのスマイルが決まるが、記者たちは全く笑わない。立候補届け出後の選挙管理委員会で、選挙報道の不平等を訴えるマックが映る。どうして記事の大きさが人によって違うんだとマックは必死に訴える。そこにこんなテロップが流れる。「マックは3年前に朝日新聞を訴えて…負けた」。全てがこんな調子である。ギャグは冴えていて、対象に対して愛があり、テンポがよい。観客はマックの挙動とテロップのギャグに笑わされながらも、マックがあう冷遇にホロリとせつなくなる。
街で古いディスコミュージックをバックにシャカシャカとマラカスを鳴らし、ノッて踊るマック。人々は奇天烈な恰好をし、真面目に政策を訴えることなどしないマックを奇異な目で見る。政見放送でもポジティブシンキングの、スマイルの重要性を訴え、「10度、20度、30度!」とほとんど道化で終わってしまった。マックの政見放送はYouTubeで選挙期間中に40万回再生されたらしいので、見たことがある人も多いと思うが、みながそれを見て多分最初に抱くであろう疑問、何故マックが選挙運動においてこのような、ふざけているとしか思えない戦略を取るのか、という疑問を映画はほとんど追わない。
なので、観客の中でも自然とその疑問が膨らむことになる。それは戦略なのかもしれないが、がしかしマックという人物に対する理解は深まらない。映画は、代わりに他の6人の泡沫候補を追う。客観的に見ると本気で当選する気があるのが疑いたくなる候補者たち。そこでマックだけでなく「泡沫候補という存在」が抽象的に立ち上がってくることになる。さらに周りを固めるという意味でマックの一人息子が登場する。マックの会社を代わりに代表として経営する真面目そうな青年、健太郎。「彼の会社ではスマイルダンスは行われていない。」とのテロップの後、健太郎のインタビューが流れる。「目立ちたいから立候補したと思っていたが、最近は違うのかなと思っている。仮に道楽だとしたら私自身が失望します」。映画はマックの秘書、櫻井のインタビューも取る。18トリソミーという遺伝子の病気の赤ちゃんがいるという櫻井は、マックが踊る傍で、マックを咎めようとする警察や公安と闘うのに忙しい。人の好さそうな櫻井の受け答えは、仕事と割り切っているようにも、マックに愛情を持っているようにも見える。
この映画はマックに対して行うインタビュー一つないが、そんな「マックを取り巻く人々」の丁寧な描写が、代わりにマックの内面を、いやむしろ「マックという現象」をとてもよく表現している。白眉は、選挙戦最終日の橋下徹との対決であろう。見渡す限り橋下支持者の人の波である橋下陣営に乗り込んだマックは、演説をさせろと要求する。マックに飛ぶ罵声。マックの演説が終わり、橋下はマックに小馬鹿にしたようにこう言う。「マックさん、10度20度やってくださいよ~」
当然のことながら、マックは最下位で、当選は叶わなかった。しかし一年後の2012年12月15日の秋葉原。再びマックは安倍陣営に乗り込んだ。演説会場は日の丸集団が自民党を取り囲んでいて、「マック帰れ!」という罵声が何度もあがる。「恥ずかしいわ。おまえが立候補しているなんてよ」という声に、その場にいた健太郎が突然怒り出す。「一人で戦っとんねん。一人で戦って何が悪い!?」。安倍晋三が壇上に登場して、大きな歓声が湧き上がる。マックは安倍に声をかけるが、誰もマックの声に耳を傾けない。自民党の演説が終了したあとも、秋葉原はまだ興奮した日の丸の群集に埋め尽くされていた。マックに対して罵声を浴びせる群衆たち。マックはただ、ロールスロイスの上で踊っていた。
2012年12月15日は、自民党が圧勝した日、そうあの日の前日である。そのことに思い当たる時、古いディスコミュージックにノッて、奇天烈な恰好で踊り続けるマックを、苦笑してやり過ごすことはできないと思う。マックは少なくとも橋下徹と安倍晋三に闘いを挑んでいる。その日、私たちは何をしていたんだろうか。ツイッターで、同好の士に向けて、自分の意見を呟いただけではなかったのか、若者よ選挙に行けという内容のツイートをリツイートしただけなのではなかったか? 私たちは「負けて」さえいないのだ。闘っていないのだから。そう考えた時マックはただの泡沫候補ではなく、私たちの闘いの象徴、「マックという現象」となる。
笑わせられながら、泣かされ、最後には「おまえはどうなんだ」と突きつけられる、非常に問題提議力の強いエンタテインメント・ドキュメンタリーである。
『ムネオイズム~愛と狂騒の13日間~』/金子遊監督
前作『ベオグラード1999』では新右翼の一水会を撮った金子遊監督が、「ニッポンの政治シリーズ」第二弾として今度は鈴木宗男の2009年の夏の衆院選を追いかけた。時期的に3.11の直後だった『選挙2』、昨年の衆院選をクライマックスに持ってきた『映画「立候補」』に比べたらタイムリーさは薄れるが、キモは当時、東京地裁で「あっせん収賄罪」の有罪が確定し、最高裁が上告を棄却すれば、すぐにでも懲役1年5ヶ月の実刑で収監されてしまうという鈴木宗男のグレーさ加減であろう。宗男は、チラシの渡し方を選挙運動員の女の子に懇切丁寧に指導し、街で出会ったOLと一緒にケータイ写真に収まり、徹底的なドブ板選挙を行う。2週間宗男に密着した金子監督は、宗男を善人とも悪人とも描かず、常にニュートラルな立場からカメラを向け、街の人々にもインタビューを行う。この辺りは一水会の書記長・木村三浩という、描きようによってはいくらでも色をつけれそうな人物を、一人の人間として詩情をもって描いた風格を想起させる。宗男があくまで気のいい、エネルギッシュなおじさんとして私たち観客に映るからこそ、その後ろ側にある選挙を中心とした日本の政治、利権構造が透けて見えてくるような仕組みになっている。
ただ2005年9月に一水会相談役の作家・見沢知廉が飛び降り自殺し、2006年11月に一水会事務局で5年間働いていた金子監督の元恋人が死んだという事実から、強い動機をもって作られた前作の『ベオグラード1999』は、金子監督のプライベート・フィルムという側面もあった。なかなか一般人は窺い知ることができない一水会の実情と、金子の元恋人への想いを中心とした詩情溢れるナレーションという、本来は相容れないはずの二つが絶妙なバランスで溶け合い、傑作となっていた。『ムネオイズム』では金子監督の立ち位置が前作に較べると前面に出ていず、つまり較べてしまうと、金子監督に魅力があるだけに地味な印象が否めない。
がしかし、ジョナス・メカスに傾倒していたという金子監督が、成り行きのような形で作品として形にしてしまった『ベオグラード1999』を出発点として、カメラ一つで「ニッポンの政治」に本格的に斬り込んだ一歩として評価と期待をすべきなのではないだろうか。そこでは、北海道という閉じられた地域の特異さがそのまま「ニッポン」のローカリティと繋がっていく様がリアルに描かれ、2009年のニッポン、3.11も自民党圧勝も未だ経験していない「あの時」が生のまま刻印されている。そして「あの時」の空気が確かに3.11も自民党圧勝も内包していることに気付く時、この映画は一種の空恐ろしい「予言」となって私たちの前に立ち現れてくることになるのだ。
さて、「観察映画」の傑作『選挙2』、泡沫候補にスポットを当てたエンタテインメント・ドキュメンタリー『映画「立候補」』、ニッポンの選挙を検証しつつ現況を予言した『ムネオイズム~愛と狂騒の13日間~』の3本を見てみた。あなたはどの候補者に、もといどの映画に投票するのだろうか? 忘れてはならないのは、選挙が投票しないと始まらないように、映画は観ないと始まらないということだ。まだ闘いは始まったばかりだ。さぁ、誰の演説から聞きに行こうか。
【作品情報】
監督:想田和弘 キャスト:山内和彦 配給:東風
公式サイト http://senkyo2.com/
7/6(土)より、シアター・イメージフォーラム他全国順次公開
©2013 Laboratory X,Inc.
監督:藤岡利充 撮影:木野内哲也
出演:マック赤坂、羽柴誠三秀吉、外山恒一ほか
公式サイト http://ritsukouho.com/
6/29(土)より、ポレポレ東中野ほか全国順次公開
監督:金子遊 宣伝協力:岩井秀世
出演:鈴木宗男、松山千春、佐藤優、石川知裕ほか
公式サイト http://yher.sakura.ne.jp/muneoism/
6/22(土)より、オーディトリウム渋谷ほか全国順次公開
【執筆者プロフィール】
夏目深雪(なつめ・みゆき)
批評家、編集者。対象はおもに映画と演劇だが興味はダンス、思想、文学と幅広く、「批評」と「編集」によって世界を切り取ろうと奮闘中。F/T11劇評コンペ優秀賞受賞。共編書に『アジア映画の森―新世紀の映画地図』(作品社)がある。またもやアジア映画本鋭意編集中。