フィンランドという国の名前を聞いて、ムーミンを真っ先に思い浮かべる人も多いかもしれない。それだけ日本ではムーミンの人気は高いのだが、それは誰もが知るように1969年にトーベ・ヤンソンの(イラスト入り)童話を原作としたアニメが制作され、長年にわたって(再)放送されてきたからである。
その原作者のヤンソンは1971年、新アニメシリーズの宣伝をするために、恋人のトゥーリッキ・ピエティラと来日した。この時、2人はコニカの(スーパー)8ミリフィルムカメラを入手し、それ以降、そのフィルムカメラを用いて、私生活で撮影を続けたとされる。そうしたプライベートフィルムを映画として公開すべく、二人を口説いたのが、カネルヴァ・セーデルストロムとリーッカ・タンネルである。
そして、今年のトーキョーノーザンライツフェスティバルでは彼らの3本の映画(3部作)から『トーベ・ヤンソンの世界旅行』(93年)と『ハル、孤独の島』(98年)が日本初公開され、十数年ぶりの大雪となったにも関わらず、数多くのムーミンファンを集めた。確かにこれらの映画はムーミンファンにとっては興味深いものであろう。というのも、ヤンソン本人の映像に加えて、登場人物トゥーティのモデルとなったピエティラの人物像を伺い知ることができるのだから。ただ、ここでは映画祭で公開されたこともあり、一般の映画としての可能性について考えてみたい。
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|映像と文学の関係
あるカップルが残したプライベートフィルムを作品にするために何をすればいいだろうか。もしその2人が有名人であり、しかも公然の秘密が存在し、作り手がそれを扱うことを躊躇している場合に。優れた作品にすることは絶望的であるかのように思われるが、ともあれセーデルストロムとタンネルが採用した手法は2つである。
その1つは過去の映像を前にして、当時の思い出を語ってもらい、その音声を映像に重ねる方法である。『世界旅行』では1971年にヤンソンとピエティラが世界各地を旅行した時の映像を20年後に見てもらい、彼女たちのコメントを録音した。この間、社会や価値観は大きく変化し、大人たちは老い、20年という時の隔たりはその残酷さとともに、様々な物語を形作るはずだが、彼女たちは画面には登場せず、「現在」(今、我々はどのような時代に生きているのか、何がこの20年で変わったのか)に対する意識も希薄であるため、(過去と現在の落差が生み出す)批評性と物語は存在しない。
その次に作られた『ハル、孤独の島』と『トーベとトゥーティの欧州旅行』(04年)では異なる方法が用いられた。それはヤンソンの文学作品を下敷きにすることである。ヤンソンとピエティラは20年以上も夏になると小さな無人島で2人だけの生活を送ったが、その時の体験については『島暮らしの記録』(93年)でヤンソンがフィクションを交えて書いている。『ハル』ではその文章を基にして(シナリオにして)、そこに合う映像が選び出された。
一方、『欧州旅行』で2人のヨーロッパ旅行の映像に用いられたのは、ヤンソンの大人向けの小説の一節である。こちらは残された映像に関連した小説の一節を2人の監督が探し出したと思われる。こうして、いずれの作品においても、文学性を帯びた語りが用いられたのだが、映像と語りの間に乖離が生じることになった。というのも、ピエティラがプライベートで撮影した映像は、目の前にある出来事や風景、人物を面白いと感じた、その時の「現在」に観客の関心を向けるのだが、ヤンソンの文学的な語りは観客をそこから遠ざけて、別の場所と時間に連れていこうとするからである。
そもそも旅に出て、ある一定の時間、カメラをしっかりと腕で保持して撮影する時、その行為はその瞬間を肯定しつつ(「この光景を記録しておきたい」)、その対象に観客の注意を向けるわけであり(「私が見たこれをあなたも見て!」)、そうした映像に文学的な語りを重ねても言葉が力を持たないのは当然である。そうした乖離は『トーベとトゥーティの欧州旅行』において一層大きくなり、ヤンソンにとって旅とは小説の材料を探す場所でしかないようであり、現在を楽しむ撮影者のピエティラとの性格の違いを浮き彫りにする。
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|ヤンソン/ピエティラの映画の可能性
こうして見るとこれらの映画は一般の観客ではなく、やはりムーミンファンに向けられたものであると言えるだろう。ただ、『ハル、孤独の島』については現代的な映画として、芸術的な可能性を見ることができる。それは1970年代、2人の女性が大きな波が来れば島全体が水没しかねないような岩礁に小屋を建て、電気も水道もないなかで、20年近くにわたって、夏のヴァカンスを過ごしてきた、その生き方に対してである。
ヤンソンはイギリスのイーブニング・ニュースで6年に及んだ連載を弟に譲り、日々の激務から解放された後は荒れた海に囲まれ、強風が吹き付ける、誰一人いない孤島で恋人と生活し、絵画や小説の執筆に取り組んだ。姉の仕事を引き継いだ弟は彼女が着想したムーミン童話を矛盾なき世界に完成させ、キャラクタービジネスを確立し、そのイメージ(資産)が毀損されないように注意しながら、その遺産を子どもたちに受け渡していくだろうが、ヤンソンは同性愛者であり、こうしたブルジョア的な蓄財には関心を持たない芸術家であった。
そうした芸術家の生活をピエティラが面白がって撮影していたのであり、『ハル』では厚い雲に覆われた黒々とした海、雲の間から差し込む太陽、太陽と水面の波が作り出した不思議な模様といった自然だけでなく、小屋を作り上げること、強風に煽られながら服を干す様子、小屋の周りに小さな橋を架け、石を敷きつめ、花々を植えるといった社会から隔離された二人だけの生活を全面的に肯定する映像が並べられている。
この時、写真集『デレク・ジャーマンのガーデン』(95年)と対比できるかもしれない。イギリスの映画監督のデレク・ジャーマンはHIVの感染が判明した後、原子力発電所の近くの海岸にあった木造の漁師小屋を購入し、社会から離れて一人でそこに住み込み、庭を作り始めた。肉体が衰弱していくなかで、雑草しか育たない痩せた土地に植物を植え、花を咲かせ、そこで拾い集めた流木や石、錆びた金属を用いたオブジェを点在させながら、孤独感に満ちた、人工的で美しい世界を作り出した。その制作の過程を痩せたジャーマンの身体と共にハワード・スーレイが撮影したが、それらの写真はあまりに静かで、痛ましい。
この写真集ではジャーマンの人生、私生活そのものを芸術の対象としたのである。残念ながら『ハル』において、そうならなかったのは(監督の一人でもあった)ヤンソン自身がこうした芸術観と無縁であったからで、彼女にとっての芸術行為とは現実から離れて空想の世界に入ることであった。(『島暮らしの記録』では、興味深いはずの日々の生活の詳細は書かれず、すぐにおとぎ話特有の語り口が入り込む。)とはいえ、ドキュメンタリー映画『ハル』において、スウェーデン語の語りの意味を探ることなく、美しい音声として耳で聴きながら、肯定的な力に満ちた映像を受け止めた時、『ガーデン』にあった自意識や屈折、悲劇とは無縁の芸術家の生き方、そこで作られたものを一つの表現として見出すことができるはずである。それこそがこの映画の可能性であると言えよう。
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★あわせて読みたい★
【Interview】 生誕100年★トーベ・ヤンソンの映画3部作/ムーミンからフィンランドの映画事情まで――リーッカ・タンネル監督
|作品情報
『トーベ・ヤンソンの世界旅行』
原題:Matkalla Toven kanssa 英題:Travels with Tove
監督:カネルヴァ・セーデルストロム
1993年/フィンランド/フィンランド語・スウェーデン語/58min
※DVD未発売
『ハル、孤独の島』
原題:Haru, yksinäisten saari 英題:Haru, the Island of the Solitary
監督:カネルヴァ・セーデルストロム、リーッカ・タンネル
1998年/フィンランド/フィンランド語/44min
★DVD発売中 発売元:ビクターエンタテインメント
『トーベとトゥーティの欧州旅行』
原題:Tove ja Tooti Euroopassa 英題:Tove and Tooti in Europe
監督:カネルヴァ・セーデルストロム、リーッカ・タンネル
2004年/フィンランド/フィンランド語/58min
★DVD発売中 発売元:ビクターエンターテインメント
with photographs by howard sooley
Thames & Hudson (1996)
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|プロフィール
藤田修平 Shuhei Fujita
1973年神戸生まれ。台湾で映画制作を始め、日本と台湾の歴史を扱ったドキュメンタリー映画の制作に取り組む。手掛けた作品は『寧静夏日』(2005、監督)、『緑の海平線』(2006、企画・制作)など。『緑の海平線』はゆふいん文化・記録映画祭で第1回松川賞大賞を受賞。
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