【Review】祈りとソフトクリームーー『スーパープレミアムソフトWバニラリッチ』チェルフィッチュ text 井上里

一度しかみないことが普通である芝居のパンフレットに、岡田利規が――それこそ特に大きな意味はなかったのだろうが――次のような挨拶文を寄せたことは興味深い。「ひとまず、チャラチャラーっとした感じで見てもらえたらとおもっています。この“ひとまず”という言葉は、岡田利規の芝居に向きあうときに重要な姿勢だ。

たとえば『三月の5日間』においては、ことさらその姿勢を求められる。なぜなら、次のような一節があるのだ。

「私はいつもと変わらないはずの渋谷を、まるで旅先の街を歩くときのようにして歩いた。そのことを私はもちろん不思議に思った。でも実はこのとき私は、不思議に思うことでそのモードが消えてしまったり元に戻ったりするのではないかと、少し心配していた。(中略)だけどしばらくそうしているうちに、この感じは意識すると簡単に消えちゃうとか、そういう脆いものではどうやらなさそうだ、ということが分かってきて、それからはもう、そのことにそんなにナーバスじゃなくなっていった。」

(『わたしたちに許された特別な時間の終わり』岡田利規作/新潮文庫)

タイトルにある“5日間”とは、彼女がこの「モード」でいることができた幸運な短い期間のことである。

偶然出会った男女がラブホテルに五日こもったときの話が渋谷を舞台に展開されるこの芝居よりも、『スーパープレミアムソフトWバニラリッチ』は転変性が強い。場所は明らかにされないが、舞台はどこかに――どこにでも――あるコンビニエンスストア。そこに、男性のアルバイトがふたり。ひとりはこの仕事を愛するうさみ。もうひとりは最低限の仕事をすればいいと考えるいがらし。生真面目な店長がひとり。新たにアルバイトとして入ってくるみずたにという女性。女性客と男性客がひとりずつ。そして、店長をやくざまがいの激しさで恫喝するSV(スーパーバイザー)のまみや。登場人物同士のつながりは、5日間の関係を終えたあとは連絡先さえ交換せずに別れる男女よりも、さらにもろい。コンビニに関わる者たちの関係は間断なく更新されるという前提があるからだ。

商品の七割が一年後にはなくなり、常に新陳代謝を続けるコンビニにおいて、ふたりのアルバイトと本社出向のSVは名前を持ち、それぞれ特徴的な話し方をする。アルバイトはいつ辞めるかわからない。SVはSVで業績不振を責められている。流動的な存在である彼らとは異なり、店長はコンビニ側の人間の中ではゆいいつ名前を持たない。その口調は、店長という存在をカリカチュアライズしたかのように個性がない。この場所をコンビニエンスストアたらしめているのは彼である。だがその店長も、セックスレスに悩んでいることをアルバイトたちの話のネタにされ、コンビニ弁当が交尾をしている夢をみたことをSVに話し(そしてまたどなられ)、彼が考案した(実際には前のアルバイトから盗んだ案なのだが)新しい釣銭の渡し方を本社に採用されて喜び、その後ボツにされて落ちこみ、結果的にコンビニ側の人間の中ではもっとも多く私的な面をみせる。つまり、彼の存在もまた、転変的なものであるということだ。芝居が終わりに近づくころ、居丈高なSVにキレた店長は「やってらんねえよ店長なんてまったくよう、ふざけんなよ、なんなんだよ、やってらんねえよ、コンビニなんて、まったくよう」と同じ台詞を延々繰り返しながら、チェルフィッチュ特有の機械的な動きをさらに激しくさせる。このとき、彼の動きは、コンビニの儀式性の象徴から、個人的な怒りの表出へとあっけなく転換される。

ふたりの客もまた店長と同様に無名だが、女性客の方はある意味では店長よりさらに私的な部分をみせる。彼女はいつも買っていたソフトクリームが製造中止になったことを知ると、「どうすればいいんですか」と取り乱し、上の者を出せとみずたにに詰め寄る。だが、それからしばらく経った頃、みずたには彼女に、改良を加えたソフトクリームが“スーパープレミアムソフトWバニラリッチ”という名で発売されることを教える。女性客は、ソフトクリームがなくなって以来生きる気力をなくしていたが、その知らせをきいてやっと元気が出てきたと喜ぶ。新製品が店頭に並ぶ週明けの月曜、女性客がさっそくソフトクリームを買いに訪れる。ところがそれは、彼女が思い描いていた製品とはまったく違うものだった。客に不必要な期待を持たせてしまったことに責任を感じたみずたにはアルバイトを辞めることにする。ユニフォームを脱いだ彼女は、その瞬間に客の側になりかわり、いがらしとうさみの「ありがとうございました」をききながら店を出ていく。

まみやSVの、コンビニの勃興は千葉の九十九里浜か宮崎の高千穂に第一店舗が宇宙船のように舞い降りたことに端を発するという“神話”を引くまでもなく、この芝居においてコンビニは、神社のような意味合いを帯びた存在として描かれる。どの町にもひとつはあること、万人を受け入れること、掃除を徹底していること。これらはそのまま神社の特性でもある。機械的な動きは、この舞台において、コンビニと神社に相通ずる儀式性を強調する役割をも担う。そしてまた女性客のように、ある商品を手に入れるために日参する者さえいる。いうなれば彼女のソフトクリームへの執着は祈りだ。

祈りとは無責任なものだ。みずたにが責任を負って辞め、ソフトクリームがないことで店長が責められたように、祈りが叶えられなかったとき、責めを受けるのは神社/コンビニのほうだ。だが、もちろん、時に叶えられ、時に許されてしまうからこそ、祈りは切実なのだ。コンビニの客たちの祈りは、『三月の五日間』の彼女が感じていた、他人に話せばおそらくは消えてしまっただろう「モード」と同じく、個人的で、軽く、いつ消えるかわからず、常に失望と背中合わせにある。それでも、わたしたちが生きることができるのは、渋谷をよその国のように思えたり思えなかったりする日常であり、お気に入りの製品があることを願ってコンビニに日参するような日常でしかない。

この芝居は、女性客の、あるいは店長の、祈りが叶えられなかったことに――矛盾しているようだが――依拠して成り立っている。彼女の祈りが代替可能なものではなかったことに、七割が新陳代謝されてしまう中に浮かびあがってくる個人的なことがらに、カリカチュアライズとも新陳代謝とも別のところにある、ささやかで貴重な恣意性が立ち現れる。それを壊さないようにつかむには、まちがいなく「チャラチャラーっと」眺めるしかない。


『スーパープレミアムソフトWバニラリッチ』

作・演出:岡田利規

出演:矢沢誠、足立智充、上村梓、鷲尾英彰、渕野修平、太田信吾、川﨑麻里子

美術:青木拓也

衣装:小野寺佐恵(東京衣裳)

舞台監督:鈴木康郎

照明:大平智己

音響:牛川紀政

編曲:須藤崇規

【公演情報】

詳細はチェルフィッチュ公式ページを参照 
http://chelfitsch.net

『スーパープレミアムソフトWバニラリッチ』
メディキット県民文化センター(宮崎県立芸術劇場)(宮崎)

3/7(土)19:00
   3/8(日)14:00

岡山県天神山文化プラザ(岡山)

3/14(土)19:00
 3/15(日)14:00

 
『地面と床』
生活支援型文化施設コンカリーニョ(札幌)
3/21(土)19:00
 3/22(日)14:00
仙台市宮城野区文化センター(仙台)

3/29(日)14:00

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【執筆者プロフィール】

井上里(いのうえ・さと)
1986年生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。翻訳者。訳書に『それでも、読書をやめない理由』(柏書房)、『サバイバーズ』(小峰書店)、『エンドゲーム・コーリング』(共訳・学研マーケティング)などがある。