【Interview】嘘のない感情を描くために演出を仕掛けた―『わたしたちに許された特別な時間の終わり』太田信吾監督インタビュー

8月16日よりポレポレ東中野を皮切りにロードショーが始まる映画の、監督インタビューです。
監督は、岡田利規主催の「チェルフィッチュ」に参加する俳優でもある太田信吾。

2010年12月に、太田はずっと撮影していた高校の先輩であり友人のミュージシャン、増田壮太を自殺で亡くした。彼自身もそれ以来かなり苦しんだが、遺書の中に自分へのメッセージ、「映画を完成させてほしい。できればハッピーエンドで」を見つけ、後押しされるように映画を完成させたという。それが、『わたしたちに許された特別な時間の終わり』だ。

読んで頂く前に、おねがいを……。

この記事は、映画の内容の裏側に触れています。
できるだけ、見た後にお読みください。

太田監督に、演出・構成の意図や、虚実皮膜の部分についての具体を中心に聞いているためです。これから観客になられる方の、感興を削いでしまう面がかなりあると思われます。

映画は、死者になった壮太を太田自身が演じる大胆なフィクションが織り込まれ、ドキュメンタリーのパートでも一見ではどこまでが演出なのか判然としないシーンが多数出てくる。しかし、どの作為にも太田なりの、のっぴきならない必然があることだけは、一見でもひしひしと伝わる。友人への複雑な思いは、全て映画のなかで形にしようとのたうちまわっている。読んで頂くのは、それを感じてもらってからのほうがいいと思うのです。
よろしくお願いいたします。
(取材・構成:若木康輔)



 
「お前だけ出ないで、人の痛いところばかり撮っているのはおかしい」

 ――増田壮太さんが亡くなる前を過去、亡くなった後を現在、とすると、現在と過去を往還させる展開がたいへんに複雑です。彼がステージで歌っているところに没後の展覧会のようすがインサートされるなど、お互いの時間の中に飛び込んでくるつくりになっています。どれぐらい綿密に構成されたのでしょうか。あるいは、編集しているうちにそうなった、多分に感覚的な面があったのでしょうか。

太田 編集に入る前に、構成を書いている時間が相当長かったです。どう編集するか、プロデューサーになってくれた映画監督の土屋豊さんと一緒に半年近くは考えました。まず、撮ったテープは全部文字起こしして、それを紙の上で切ったり貼ったりしながら、映像を掴む作業を。その上で編集作業に入っていったんです。

もちろん、編集しながら変わっていったり、より付け足したりした部分もありますが、常に紙での構成を参照しながらでした。

――撮影の途中で壮太さんが亡くなったのは2010年の12月。その後、太田さんは、2012年9月に都内で行われたフィンランドのプロデューサー、イーッカ・ヴェヘカラハティ氏の企画オープンディスカッションに参加されたと聞いています。土屋さんと一緒に具体的な構成に入ったのは、イーッカさんのプレゼン・ワークショップの後と考えてよいですか?

太田 そうです。それまでは編集には全然入っていなくて。イーッカさんへのプレゼンでも、素材のなかの10分間長回しで撮ったところをそのまま上映しただけで。もう、どう手を付けていいか分からない状態だったのかもしれません。コンセプトというか、こうやりたい、というのだけはあって。イーッカさんの会の後、それをどう具体的にしていこうかと。土屋さんに入ってもらい、それに、いろんな人と話し合いながら進めていきました。

――その長回しの部分は、映画の中で使われているんですか?

太田 冒頭の、壮太が引っ越しをしてこれから地元に帰る場面になっています。あそこは10分あるんです。彼がどんどん自分を追い詰めて感情を爆発させるまでが、ワンカットの中にあるので。

 ――部屋には、引っ越しを手伝っている男女の友達がいます。壮太さんの元バンドのメンバーですか。

太田 あれは……。彼の実際の引っ越しは、予定が合わず撮れなかったんです。あそこは、あの2人の部屋なんです。ちょうど引っ越すと聞いて、壮太の部屋ということで撮らせてくれと。

壮太とは友達でもなんでもない、あの日、初めて彼と会った2人です。引越しを手伝っている風にやってくれ、と頼んだんです。

――そうでしたか! 解散したバンド仲間と別れて、ひとり埼玉に戻る。そういう風景だと思い込んでいました。

太田 あれは、そうじゃなかったんです。

――そこが、ますます面白いですね。この映画は、ドキュメンタリー・パート、フィクション・パート、そしてどこまで演出されているのか虚実ハッキリしないところの、3面に大きく分かれています。その点については、おいおい伺うつもりでしたが、引っ越しの場面まで仕込まれていたと知ると驚かされます。

実際に、その場にあるものを撮ることに拘る考え方。そこで起きたことは事実なのだから、カメラの前で再現してもそれは嘘にならない、という考え方。両方あるわけですが。

太田 僕はそっち(後者)です。作り物の中だとしても、その人の個性が画面から出てくればそれは全然ありだし。むしろ、そうやって仕掛けていかないと、ただ撮っていても何も出てこない場合がけっこうあるんじゃないかと思っています。

映画『わたしたちに許された時間の終わり』より

――映画は、埼玉に戻った壮太さんが、映画のもうひとりの主人公といえる冨永蔵人(くらんど)さんとユニットを組み、その活動を太田さんが撮っている姿が中心です。
壮太さんは〈太田が撮っている自分〉を意識できる、演じられる人だったんですか。

太田 そうですね。僕に撮られていること前提で着る服を替えたり、「もう1回違うアングルから撮れ」とか言ってきたり。「こういう場面が欲しい」と自分から提案することもありました。

例えば、包丁を僕に突きつける場面がそうです。「お前だけ出ないで、人の痛いところばかり撮っているのはおかしい。俺と蔵人がお前にブチギれる場面を撮ろうぜ」と。

――ああ、試写で拝見してご挨拶させてもらった時に「芝居だった」と伺い、それにしたって、どこまでが……と思っていた場面ですが。じゃあ、その前段、「金を払え」「いやだ」と壮太さんと太田さんが電話で言い合うところも?

太田 はい。喧嘩が生じるためにはどんなことが起きればいいのか考えて、ああいう形になりましたし、何回も撮り直しました。シチュエーションに演出は入っていて、それが嘘だと言われたら嘘なんだけど、そのシチュエーションのなかにいる自分を含めた3人の感情に嘘はなかったと今でも思います。
【次ページへ続く】