【Interview】嘘のない感情を描くために演出を仕掛けた―『わたしたちに許された特別な時間の終わり』太田信吾監督インタビュー

 
それでもやるしかない、映画にはしようと

――もう少し粘らせて頂きたいのが、この映画の重要なキーワード「自殺の才能」です。

自決、自裁、自尽など複数の表現があるように、自分の生命を自分で断つことは、美意識の完徹として許されるという感覚が日本にはあります。

太田さんは7月下旬に行われた日本外国特派員協会(FCCJ)の試写でのQ&Aで、壮太さんの自殺は「計画的なものだったことが分かってきた」と話されていますね。それは遺書が見つかって、のことですか。

太田 そうです。それに亡くなった日、12月23日は彼の祖母の命日なんです。

その前にも彼は別の日に、遺書を3回位書いていて。映画では明言はしていませんけど、おばあちゃん子だったということもあったし。命日に実行したのには、やはり彼なりの考えがあったのではないかと。

壮太は遺書で、自分のことを責めるだろうひとりひとりに対して、メッセージを残しています。突発的に自殺する人の行為とは捉えにくい。ある程度、計画は絶対にしていたな、と考えました。

――壮太さんは、うつの闘病をされていましたよね。処方薬を見せる場面があるから、通院していたと思うんですけど。

太田 はい。そうです。

――うつ病の人の場合、死にたいというよりも、強いうつ状態から否応なく死を望まざるを得なくなる。死ななければいけないという思い込みが強くなる。そういう場合が多いと聞いています。

だから、申し訳ないけれど、「自殺の才能」というキーワードは誤解や認識の混乱を招きやすいと感じるんです。もしも壮太さんの自殺の原因が病からだったとしたら、それは才能と表現できるものではないはずだし。

太田 混乱というのは、「才能」が自殺を肯定的に捉える意味に聞こえてしまう、ということでしょうか。

――うーん、そうなのかな……。前半のフィクションの部分が甘美に見えてしまう、逆に魅かれてしまう人がいるかもしれない、とは思ったんです。

太田 ああ……。

――もちろん、映画で言いたい結論はそういうことではないぞ、と後半にきっちりと太田さんは描いています。

……いや、おそらく聞いても仕方のないことを僕は聞いているんですよ。壮太さんが病から逃れるため自殺を選んだのか、それとも、それこそ三島由紀夫的に強い美意識と現実の相克の末に自決を選んだのか。本当の理由は、それは誰も分からないことなんだけれど。

太田 どっちもあると思うんですよ。根本的にはそういう、人間の……何でしょう……肉体的な部分も相当あったとは思います。病気になってから、彼の視野がどんどん狭くなっていっちゃうところはありましたし。

――あのう、本来インタビューする側がすべき話ではないんですけど。いつのことかボヤかして言いますけど、好きな女性が、うつ病だったんです。もともと、大変なんだな……とは思っていましたけど、いったん惚れてしまうとね。「高い所に立つと引き込まれる」みたいなことをブログに書いてあると、読んでるだけで自分の肋骨にヒビが入ったかと錯覚するほどで。

太田 ああ……。

――その女性の場合、書くことでバランスをとっていた面はあったと思うんですが。なので、この映画を拝見して、よかったし……まあ、すごく困っちゃったわけです。

太田 はい。

――壮太さんが自殺したと知った時。最初に現れた感情はなんでしょう? ショックだったか、あるいは怒りに襲われたりしたのか。

太田 僕は涙が出なかった。蔵人はボロボロ泣いてたんですけど。葬式に行くまでは、絶対に嘘だろうと思っていました。

その前のライブに全然お客さんが入らなかったと聞いていたから、いよいよ葬式ってことで人を集めるようになったかと。半分は疑ってかかっていたんです。

――じゃあ、予感も無かった。

太田 予感は、全然。当日の朝にもメールが来ていたんです。「映画を完成させてくれ」って短い文章が。僕はそれが遺言とは全く思わずに「分かった。まあ、気長に待っててくださいよ」といった返信をすぐに送って、何も悪い方向には取らないまま、その日を過ごしていました。

気付く人はそこで、アレッとなるのかもしれません。僕が違ったかたちの返信をしていれば、とはどうしても思います。「分かった」と答えたことで、壮太は安心して死んじゃったんじゃないか。もしも「あんな映画、もういいんじゃないか」と答えたら、彼は映画に頼らずにもう一回なにか違ったものを、となったかもしれない。そういう思いは、けっこう。

葬式の後に、やっぱり、ジワジワと。辛い部分も出てきて。まあ、それでもやるしかないと。映画にはしようと思ったんですけど。

自分のカンの鈍さというか、こう……。自分は今死にたい、と言葉に出せない人も多いと思うので、そういう人達にどう接していくか。意識的に考えていきたいと思っています。

映画『わたしたちに許された時間の終わり』より

 
壮太は理想が高かったから、音楽は気軽にとはいかなかった

――映画の具体的な部分へ戻ります。蔵人さんが天龍村へ移り、ユニットが解散した後半。就職を決めた壮太さんがSkypeで蔵人さんと話す長い場面がありますね。完成された映画を見ると、壮太さんの顔から精気みたいなものが消えているのが分かります。少なくとも、前半の壮太さんと同じ状態ではない。

あそこは太田さんが仕掛けた、蔵人と今話せと求めた、という気がしているのですが。

太田 そうです。彼の家に僕が押しかけて撮った場面です。今日は嫌だ、来ないでくれみたいなことまで言われたけど、なんとかやらせてくださいと。半ば無理やり。もうパジャマになっていたのに、またワイシャツを着てもらって。今思っていることを蔵人に話してください、と頼みました。

亡くなる1ヵ月半前で、一番、死に近づいている日ではあったかなと思います。

――その後、天龍村で演奏する蔵人さんに会いに行く。あれは時系列ですか。

太田 そうです。あの天龍村のイベントが、僕も壮太と会った最後の日です。

打上げの席で、壮太が蔵人と離れた席に座っているのは、僕はノータッチです。壮太が所在無げにしている、居心地が悪そうなのはすぐに感じましたが。

一緒に村から帰ってきて、別れて。それからしばらく会っていなかったら、そうなってしまった。

――おそらく天龍村に移った後の蔵人さんが、友人と将来について話していて「10年やっても評価されないものには意味が無い」という言葉が出てくる。そこに太田さんの姿がインサートされます。これは俺自身の話でもあるのだ、と吐露している。そう解釈してよいでしょうか。

太田 そうですね。僕も映画をやり出してちょうど10年位だったので。ここでやらないでいつやるんだ、と自分自身に問い詰めていましたから。構成は、何度も何度も書き直しました。これでいいのか、もっと深くいきたいと思って。

――インサートでいうと、風景ショットが、入れどころも含めていいですね。街、夕焼け、命尽きる蝉……。気が付くと撮っていたのか、それとも、どこかで集中的に撮り溜めたのですか。

太田 気付いた時に少しずつ、です。季節も変わりましたから。あの蝉は、家に帰る途中で見つけて。部屋に入ってから、撮っておかなきゃマズいんじゃないかという気になってカメラを持って戻ったんです。その時は構成も何も無かったので、ひとつひとつ、自分の心を動かした風景や物をその場で感覚的に、でした。

――特に夕陽が印象的です。

太田 夕陽は、壮太へのトリビュートなんです。彼がすごく好きで、「俺は夕陽評論家だ」と言っていた時期もありました(笑)。「落日」という曲も歌っていたほどで。

――ああ、そうだ。これを聞きたかった。映画の中盤、とつぜん太田の「ルーティンをナメんなよ!」という叫びが入ります。これに驚かされた。フィクションの太田はまだ死後の壮太を演じ、現実の太田は編集中のパソコンに殴りかかっているところで。あれは一体、誰の言葉なのでしょうか。

太田 ちょうど映画の半分位で、だんだん(超然とした死後の壮太を太田が演じる)化けの皮が剥がれていくあたりですね。

2人(壮太と太田)の価値観が混ざっている。そういう意味です。自分の気持ちを言うというよりもむしろ、自分の中に入ってきている壮太が言っている。そんな意識で叫びました。

――でも意味通りに取れば、夢追い人を卒業して堅気になった人のセリフでしょう。ミュージジャンとして成功したかった壮太さんの言葉とは想像しにくかったんですが。

太田 壮太はよく、プロのミュージシャンはサラリーマンと変わらないんだと言っていました。

――あ、そうか。ファミレスで蔵人に話していたように。

太田 アーティストなら、突発的なものを生み出すことが美化されますけど。壮太はルーティンワークの中でいいものを生み出すようでなくてはダメだ、とよく言っていましたから。僕の中では、彼が言うだろう言葉だったんです。

メジャーな存在になりたい、売れたい欲は強くある人でした。自分が作ったものにそれだけの自信があって、多くの人に聴いてほしいという。

当然、高校生の時にコンテストで何千組の中から優勝した実績も、彼の中では大きくて。もっといけるだろう、という思い、プライドはあったと思います。理想が高かったから、音楽は気軽に趣味で、という風にはいかなかった。ストリートで演奏するのも……映画の後半にあるように、蔵人がいなくなった後、ひとりでやりはしたんですけど。そこに活路を見出そうとして。でも途中で、これじゃないんじゃないかと、やらなくなって。

バンドはいつかまた組みたいと望んではいましたね。音楽のことで一緒に闘える仲間がいない孤独感はあったと思いますから。

【次ページへ続く】