アルツハイマーの症状が現れた母親との日々を描いた、関口祐加監督のドキュメンタリー『毎日がアルツハイマー2〜関口監督、イギリスへ行く編』が、好評につき8/16からポレポレ東中野で再上映される。前作『毎日がアルツハイマー』同様、母親とのやりとりをユーモアたっぷりに見せつつも、舞台はイギリスへと移り、一人一人に合わせる最先端の介護法「パーソン・センタード・ケア」を学ぼうと、関口監督は自ら話を聞きまくる。
「この映画は、介護のハウツーにとどまらないですよ!」という関口監督に、そのパワーの源を訪ねた。
(取材・構成 佐藤寛朗)
お客さんの要望が『毎アル2』を作らせた
——『毎日がアルツハイマー2』は、大ヒットした『毎日がアルツハイマー』の続編です。「わが家の介護問題」として、シリーズ化していくことになりましたね。
関口 先日「ドキュメンタリストの穴」(インターネットのニコニコチャンネルで放送)という番組で、鎌仲ひとみ監督(『ミツバチの羽音と地球の回転』『内部被ばくを生き抜く』など)と話をしたんですね。世間では最近、彼女は脱原発、わたしは介護、というテーマでドキュメンタリー映画を作っているイメージになっていて、私と彼女とは同世代なんですけど、我々がたどり着いたところは、作品至上主義では無くなってきているよね、と。
映画監督というのは、いろいろなことに出合う中で、自分が作りたいものに出合って作品を作るわけです。我々もその道を通ってきて、そこで賞をいただいてきたりしてきているんだけれども、ついに二人とも、生涯的なテーマに出合った。そうなったのは、それこそ偶然としか言いようが無いけれど、見にくるお客さんが大勢いるから、というのは確かなことなんですね。
今までのように映画好きで、作品性を議論するお客さんではなくて、ほんとうに映画の情報なり、私の母をみるなりすることを必要としている人たちがたくさんいるのです。『毎日がアルツハイマー』(以下、『毎アル1』)ではそんなふうには思ってもいなかったのですが、今回の『毎日がアルツハイマー2』(以下、『毎アル2』)は、本当に続編を作ってほしい、というお客さんの要望から生まれた作品なんですよ。
——ということは、当初は『毎アル2』は構想していなかったということですか?
関口 潜在意識にはあったかもしれませんが、『毎アル1』を作り終えた時点では、正直それで精いっぱい、という感じでした。母のアルツハイマーが現在進行形で、映画が終わっても介護が終わるわけではない、ということを含めてなんですけれど、私の中に、母のアルツハイマーのストーリーだけで終わってよいのか、という自問自答もありました。だから続編を作ることに、はじめは躊躇していたんですね。
ところがふたを開けてみると『毎アル1』は爆発的に広がって、ありがたいことに満員御礼が続く状況になった。この間も横須賀で500人が観にきたし、高松でも700人ぐらいかな。地方に行けばいくほど、お客さんがバスに乗って『毎アル1』を観にくるような状況がおきたんです。もう本当にビックリしましたね。
そこで「イケメン介護士とお母さんはどうなっているんですか?」とか「お母さんの症状はどうなりましたか?」と、お客さんが知りたがるんです。作品至上主義じゃないところで、みなさんが映画を共有してくれている。不思議なんだけれど、そこが鎌仲さんと話したところですごく一致したわけ。
——neoneoとしては、ドキュメンタリー映画つながりで、鎌仲監督の映画を観た人が関口監督の映画を観るような状況を作れたらいいな、と思います。
関口 理想は、確かにそうですね。ただ、お互いそれぞれのターゲット・オーディエンスなんですよね。作品を純粋に観にくる以上に自分の救いを求めて観にくる、ということですね。そこが私たちの映画の難しいところで、本当は広くあまねく色々な人々にみてもらいたいんですよ。でも同時に、映画としては、本当の意味で作品の力が問われるところでもあるんです。
テーマが決まり、作品至上主義ではなくなってくると、編集でもついニーズがある人や情報を視野に入れちゃうじゃないですか。一番肝心なストーリーの展開を気にするよりも、与えなくてはいけない情報を入れる。それはテレビ的にもなってくるし、結果として作品としての広がりを閉ざしてしまう面もありますね。
そのことを監督としてキチンと理解し、観たいものを求めるお客さんがいることも分かった上で、なおかつ映画として面白がってもらえる作品を作る。それが『毎アル2』の目標でした。純粋に自分が作りたい作品を作ってお客さんを捜すより、前のお客さんがいることも想定しつつ、でも全く別の作品を作る。監督として、今後必要になってくるスキルではないでしょうか。とてもやりがいのあるチャレンジでした。『毎アル2』には、続編を作るからこその面白さがあり、同時に苦しさもあったんです。
続編、というチャレンジ
——続編だからこその面白さがあり、苦しさがある。具体的にはどういうことですか。
関口 編集に半年も掛かりました。これまでなかった経験で、本当に苦しかったですね。
まず、お客さんが欲しいものだけを与えるだけで良いのか?という大きな疑問がありました。イケメン介護士と母のその後とか、母の症状はどうなったとか、『毎アル1』をみて、母を共有してくださった方たちの要望に応える必要が確かにありますよね。でもそれだけでは『毎アル1』と変わらないじゃん、という葛藤があったんです。
もうひとつは『毎アル1』を見ていない人たちにも『毎アル2』を届けなくてはいけない、ということです。『スター・ウォ―ズ 帝国の逆襲』や『ゴットファーザー PARTⅡ』じゃないけど、それだけを観ても分かる映画。でも『毎アル2』を見終わったら『毎アル1』を見たくなる、という編集をしたいと思ったんです。
我々の編集のやり方は面白くて、まず編集マンが繋いでくれて、それを戻してくれたものを今度は私が繋いで、最後に一緒にとり組むことにしています。それは、お互いのいいところを使って編集しようという意図ですね。編集マン(大重裕二氏)は非常に優秀で、元々劇映画の編集マンなんです。だから、ストーリーのつむぎ方がものすごく上手。そういうストーリーは、監督は撮っている時は意外と分からないものです。編集は、椅子に何時間も座りながら苦しんで、撮れたものを何回も観て相対化する作業。今回は『毎アル1』より、ずっと難しかったですからね。
——その中で、関口監督は自らイギリスに出向き、「パーソン・センタード・ケア」(後述)を学びにいかれます。お母様の状況を入れつつ、ご自身のアクションを中心に据えた理由を教えてください。
関口 今までは、自分が母を撮影する視線で母の認知症の状況を見てきたんですね。でも、ふと、これからの母はどうなるんだろうと思った時に、自分が出ざるを得ないんじゃないか、と思ったんです。セルフ・ドキュメンタリーの意味合いとはちょっと違いますけれど…つまり『毎アル』シリーズは、私にとっては常に「認知症とは何か?」というクエストなんですよね。その思いが顕著になって、今回はイギリスに行くと決めたんです。
ところが、編集になった時にイギリスと日本の母の状況をつなげるのがめちゃめちゃ大変で、編集マンが「別々の章立てで作ろうか」と言ったぐらいだったんです。イギリスもキチンと撮れていたし、母の面白い日常もいっぱいあったし、子どもたちの関わりも前と同じようにあった。家族の豊かな世界とイギリスが、どうしても繋がらないんです。頭を抱えましたね。
『毎アル1』は明らかに家族の物語で、姪っ子も息子もみんな出てきました。母を撮ることは家族を撮ることでもあったんです。でも『毎アル2』では思いきって、家族のシーンはみんな捨てました。その決断に時間がかかりましたね。いいシーンがいっぱいあるから、そこは辛かった。編集マンは最後まで入れたがったのですが、そこを入れると『毎アル1』と同じになっちゃう。『毎アル2』はイギリスを生かす、という英断です。そこは本当に苦悩しましたよ。
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