【Interview】『毎日がアルツハイマー』関口祐加監督インタビュー text 小林和貴

認知症の母の介護というともすれば重いテーマを、ユーモアたっぷりに描いて好評の映画『毎日がアルツハイマー』。監督の関口祐加は、オーストラリアでドキュメンタリーに出会い、映画監督としてのキャリアを積んできた、異色の履歴を持つ“里帰り映像作家”だ。

いわゆる家族もののパーソナル・ドキュメンタリーは、近年日本でも数多く作られているが、関口監督の発想は、その出発点からして根本的に異なるようだ。作品と同じく、パワフルで笑いの絶えないお話の随所に光る、徹底した“プロフェショナル”な意識に、大きな刺激を受けた。
(取材:neoneo編集室)

 

———『毎日がアルツハイマー』では自分の母親を被写体にし、姪っ子や息子も出てきます。家族を被写体にすることに抵抗はありませんでしたか。

関口 全くないです。家族を見せるということは、ドキュメンタリーを撮る上で、とても挑戦的な事だと思います。映画監督は、つねに挑戦をしていかなければダメだと思っていますので、抵抗はありませんでした。優しいことばかりしていても、おもしろいものは作れないですからね。

それに、何よりも母がドキュメンタリーの被写体としてとても魅力的だった、ということがあります。母は何か仕掛けると、とても面白い反応を返してくれます。一番始めに撮った、2009年9月22日の誕生日のシーンもそうでした。初めに誕生日を撮ったのは、イベント事を撮るときっと何かが起こるだろうと思ったからなのですが、みんなで祝ったその晩、母は9月22日の日めくりを見て「誰も祝ってくれなかった」と言ったです。あ、やっぱり忘れてる!と思ったその瞬間を撮りたかったのですが、お風呂あがりで裸だったので、カメラを持っていませんでした(笑)。でも、撮れなかった時に撮りたいものが分かるので、実は、撮れないという事は、とても大事なんですね。

母が誕生日を祝ったことを忘れている場面はどうしても撮影したかったので、今度は私から、誕生日のことを聞いてみることにしたんです。母屋には毎晩姪っ子が来るので、姪っ子が来たときに、私のほうから一言「今年はおばあちゃんの誕生会をやりました」と投げかけたんです。すると母は「えっ!?そうだったっけ?」と反応し、後は、母と姪っ子のやりとりをそのまま撮影したんですよ。

撮りたい場面を撮るために、こちらから何かを仕掛ける。それがドキュメンタリーにおいての演出だと思います。演出するからこそ、ああいった面白いシーンが撮れるんだと思います。しかし、母は役者ではなく生身の被写体です。何かを仕掛けたあと、どういった反応をするかは予測不能です。でも、その予測不能な反応というのが、きわめて面白い。いつだって私が撮りたいのは、そんな予測不能な自然な反応なんです。で、それを撮りたいがために色々と画策するんですよ(笑)。

自分でカメラを持っていると、冷静に母や物事をとらえる“監督としての私”の視線が発生します。私の頭の中に“監督としての私”と“娘の私”が分裂して存在していて、“娘の私”が自然な反応ができるよう、“監督としての私”が仕掛けたがるんですね。つまり、監督としての私は、娘の私をどう撮るかを、常に冷静に考えているわけです。自分を演じるというより、さらに1つ上の段階でしょうか。投げかけ、仕掛ける、それが今回の演出プランでした。

————物事を冷静に捉えられているのですね。

関口 それは、多分、私の中に英語脳と日本語脳があるからだと思います。英語脳が、自分の日本語脳と日本の文化を冷静に見つめようとします。逆も同じです。

———監督自身が、かなりタフなようにも思えます。ということは、母親がアルツハイマーだとわかったときも、あまり動揺はしませんでしたか?

関口 病院に行く前から認知症だとは、確信していましたが、医者から正式に言われると、やはりショックでしたよ。でも、監督の私は、娘の私が動揺するところを撮りたいわけです。自分の頭の半分は、ショックを受け、残りの半分は、ほくそ笑む、みたいな分裂状態(笑)。

ただ、撮影をしてビューファインダーから見える母は良い感じでした。これはどこでも言っているのですが、私は認知症になった母の方が好きなんです。母はアルツハイマーになる前と後では全くの別人です。いえ、むしろ本性が現れてきたと言った方が、いいのかも知れません。アルツハイマーになる前は、とても真面目で、いつも人の目や世間体を気にする人で、正直、苦手でした。私は自由奔放に生きてきた父の血を引き継いでいますので、母とは真逆でしたからね。子供の頃は、よく叱られていました。私の勝手な解釈ですが、母はアルツハイマーになることで、初めて人として解放されたんだと思うんです。

『毎日がアルツハイマー』では、母のアルツハイマーの初期症状の苦しみが描写されています。アルツハイマーは記憶障害の問題です。理解度は低下していっても、むしろ感性は素晴らしいのです。東日本大震災のときも、理屈で理解できないのでとても混乱していましたが、大変なことになったと泣いて、胸を痛め、同時に恐怖を感じていました。

その事がわかったので、心のマッサージをしてあげようと努めました。縞状に記憶を忘れてしまう苦しみと心の辛さを理解しなくちゃいけないと思ったんですね。チャップリンの言葉に「人生はクローズアップだと悲劇だけど、ロングだと喜劇だ」というのがあります。ああ、辛いときこそちょっと引いて笑おう、と。そして、笑う事でその辛さを乗り越えようと考えました。

最近、母は私や姪っ子に冗談で「どなたさん?」と、よく聞いてきます。私は「隣のおばさんです」と言い、姪っ子は「レディーガガです」と答えます。そうすると母は「私はレディーババです」と返してくるんですよ(笑)。とてもユーモアのあるやりとりでしょ?だけどそれは、いつかみんなの顔がわからなくなってしまうかもしれない、という母の恐怖からくるものなんじゃないか、と思うんです。介護の話になりますが、ほとんどの人が介護する側の苦しみを訴えます。でも私は、その苦しみにはあまり興味がないのです。私が、一番興味があるのは、介護される側の母の苦しみなんです。被写体になってくれている母が、今何を感じ、何に対して恐怖を持っているのか。そこを敏感に感じていたい。たとえ私の顔を忘れてしまっても、私は隣のおばさんで良いのだと母に伝えたいのです。だから、いつも明るく笑いをとることで、母の不安を少しでも軽くしてあげたいんですね。

 

『毎日がアルツハイマー』

———『毎日がアルツハイマー』では、イラストや文字でのツッコミ、再現イメージシーンを入れていますよね。

関口 日本では、アルツハイマー病のイメージが暗いので、そのイメージを少しでも柔らかくしたかったからです。文字でのツッコミは、編集しているときに思いつきました。母が言っていることと、撮影しながら私が思っていることが違うので、それを出したら面白いのでは?と考えたんです。

再現イメージシーンを入れたのは、監督としての色気じゃないかな(笑)プロデューサーは、アイデアとして、あまり賛成ではなかったと思いますが、最終的に映像として、また何よりもストーリーとして納得できれば良いので、そのように作った自信は、あります

『毎日がアルツハイマー』

————先ほどからお話を伺っていると、監督の考え方やスタンスは、日本のドキュメンタリー監督とは、様々な点で異なるように感じます。オーストラリアでの経験が、作品にもかなり影響されているのでしょうか。

関口 そうですね。映像の勉強は日本ではせず、すべてオーストラリアでしましたからね。オーストラリアでは、海外でも活躍しているような監督や、カメラマン、俳優は、ほとんど国立映画/演劇学校で勉強します。ですから、私も国立映画学校に行って勉強しましたよ。もちろん、学校に入るために選抜試験がありました。何千人もの志願者がいて、50人くらいしか入れません。学校に入るだけでも大変なのです。

選抜試験では、自分の作品のアイデアの売り込みしなければなりません。映画は一人で作るものではない、という大前提があるので、人をどうやって説得していくのか、ということが重要になってくるんです。また、表現する人間は、自分の思いを客体化できなければなりません。作りたいという気持ちだけでは、誰も付いてきてくれませんから。オーストラリアでは、映画は自己表現だけとしての媒体ではないのです。ドキュメンタリー映画もハリウッド方式で作らなければならず、一本作るのに最低三千万円はないとダメです。そのことを学校では、徹底的に学ばされました。

オーストラリアの良いところは、国が映画にお金を投資していることと、映画のプロを育てる意識が強いことです。ですから、映画監督は、厳しい職業であることを徹底的に叩き込まれ、そう簡単に監督にはなれないんです。映画学校を卒業しても、9割以上が監督になれないんじゃないかな。その辺りが、日本と大きな違いだと思います。

日本に帰ってきて、日本のアマチュアリズムの強さや人気には驚かされました。なぜ、こんなにもアマチュアリズムが成り立っているのか。でも、これでは海外ではやっていけないと思います。日本のドキュメンタリーは、テーマ性は素晴らしいと言われていますが、作家性を押し付けられるものが多いという評価で、海外ではなかなか理解されにくいように思われます。自分自身やテーマ、手法を客体化できている監督が、少ないからなのかもしれません。私も今のようなドキュメンタリーの監督になれたのは、やはり日本ではなく、オーストラリアで映像を学んだからだと思っています。きちんとストーリーを構築できなければ、監督として生き残っていくのは難しいですからね。

 

———オーストラリアでの厳しい環境の中で、映画を撮り続けてきたモチベーションは何ですか。

関口 マーガレッド・ミード(米国の文化人類学者。1901-1978)の民族学的な作品を見た瞬間から、自分の天職は映画監督だと直感しましたし、ああ、映画を作るために自分は、この世に生を受けたんだって思ったんです。大げさですね(笑)。何よりも人間が大好きで、異常な関心がある(笑)。例えば、反天皇の人が天皇から勲章は喜んで貰っちゃうとか、そういった生臭い人間の部分にすごく興味が沸くんです。あまり社会正義の方向には、いかない・・・そういう映画を撮ってくれとも時々言われますが、そういう映画って、見る前からどんな映画かわかってしまうじゃないですか。右か左か、どちらが正しいかしかないですよね。でも、人間はそうはいかない。その時々で、わからない。監督である自分自身も、面白いと感じ、チャレンジされるようなものを作り続けたいです。

 ———次回作の予定はありますか。

関口 いま、フィクションとドキュメンタリーの狭間が、すごくおもしろいなと思っています。母は役者ではなく生身の被写体なのに、演技をしているときがある。NHKの取材が来たときも、見事に舞台女優のような振る舞いをしましたからね(笑)。生身の人間でも、仮面をかぶって、演技をしますよね。逆にフィクションでも、役者に演技をさせないような演出方法があるんです。私の作りたいストーリーのあるドキュメンタリー映画とドラマ仕立ての劇映画は、どこが違うのか。そんなところに興味があります。

だから今度は、役者さんと一緒にドキュメンタリーとフィクションの狭間をやってみたいと思っています。内容としては、詐欺のおばあさんの話。詐欺のおばあさんだから、何が本当で何が嘘なのかわからない。うちの母親だって、何が本当で何が嘘だかわかりません(笑)。でも、そこがおもしろいんですよね。母親いわく、うちの父親は40年以上前に死んでいて、自分一人で私と妹を育てたらしいです(笑)。ちゃんと自分をヒロインにして、昔話を脚色しているんですよ。私、そういうのがすごく好きで。そんなアルツハイマーの脳が大好きなんです。

『毎日がアルツハイマー』

【公開情報】

9月15日(土)よりポレポレ東中野にて上映
9月8日(土)より大阪第七藝術劇場、9月22日(土)より名古屋シネマスコーレほか順次公開

【作品紹介】

『毎日がアルツハイマー』

企画・製作・監督・撮影・編集:関口祐加

プロデューサー:山上徹二郎 / ライン・プロデューサー:渡辺栄二 / アソシエイト・プロデューサー:栗尾知幸 北岡賢剛 大和田廣樹 エグゼクティブ・プロデューサー:渋谷昶子 / 共同編集:大重裕二 整音:小川武 / AD・編集助手・撮影協力:武井俊輔 / イラスト:三田玲子 宣伝デザイン:宮坂淳 / 製作:NY GALS FILMS / 製作協力・配給:シグロ / 宣伝:ブラウニー
特別協力:シネマテーク動画教室 バリアフリー映画研究会 / 協賛:第一三共株式会社

長編動画/1時間33分/HDV/2012年 © 2012 NY GALS FILMS
推薦:厚生労働省  後援:一般社団法人 日本老年精神医学会

 http://www.maiaru.com/

【監督紹介】

関口祐加 せきぐち・ゆか

1957年横浜生まれ。大学卒業後、オーストラリアに渡り天職である映画監督に。1989年『戦場の女たち』で監督デビュー。ニューギニア戦線を女性の視点から描いたこの作品は、世界中の映画祭で上映され、数々の賞を受賞した。その後、アン・リー監督(『ブロークバック・マウンテン』他)にコメディのセンスを絶賛され、コメディを意識した作品を目指すようになる。2009年、自身の奮闘を描いた『THE ダイエット!』(英題:『FAT CHANCE』)が日本で劇場公開。2010年1月、母の介護をしようと決意し、帰国。現在は、横浜で母親と二人暮らしをしている生粋の浜っ子である。

著書に『毎日がアルツハイマー』(パド・ウィメンズ・オフィス刊)など