母に毒を盛れるかもしれない、という恐怖
——『毎アル2』のポイントのひとつに、認知症の人に対する虐待の話がでてきます。そのことは、日本でお母様と接していて気がついたのですか?
関口 そもそも、虐待はなぜ起こるのだろうって、私はずっと考えていました。介護だけではなくて、親が子どもに対して食べ物を食べさせないとか、今の世の中に虐待っていっぱいあるじゃないですか。
母がアルツハイマーの中等期になって、苦しみから解放され、幸せになって良かったなと心底思います。普通だと、そこで介護がしやすくなったと思うんでしょうけれど、私は逆に怖い、と思ったんですね。このままだと、素直になった母は、私に毒を盛られた薬でも飲んでくれるじゃないかって。圧倒的な立場にいる人間、つまり私がそれだけの力を持つ、つまりは権力を握っているんですよね。
そのことがある日ふっと浮かんできて、母を殺そうと思ったらできちゃうぞ、とビビったんです。母の幸せは幸せで良かったんですけれど、今度は私が、母の命を預かる重い責任みたいなものを感じたんです。あの気丈だった母が今は私に全てを任している、そんな力を人が手にしてしまったら、虐待は起こるべくして起こるだろうという恐怖感です。いわゆる絶対的な介護者としての恐怖感。
映画で話しているへザーさんも「私の父親を殺そうとした人はいい人だった」と言っていますが、介護をしたい人って、きっと基本は、みんないい人なんだと思います。特にプロの介護士さんたちは、志も高く、助けてあげたいって思っていることでしょう。そんな「いい人」が、介護されている人間を殺したくなるということこそ、ドキュメンタリーが追求していかなくてはいけないところだと思いますね。
——「自分の言うことを聞いてしまう母親の命を預かる責任」というのは、監督としては「映画に撮らなくては」と思うのでしょうが、娘としては、やはり引き受けざるを得ないのですか?
関口 娘として引き受けざるを得ないところにビビっているんじゃない?私には妹がいるんですが、妹と母の今の関係はまるで他人のよう。実は、母が認知症になる前は険悪な関係だったんですね。母がまじめだったせいもあるんだけれど、妹はそんな母に、ガチンコでぶつかっていたんです。私は海外にうまく逃げたりして、母と距離を保ちつつ、上手につきあってきたつもりですが…その妹に反発された、嫌な記憶が母には残っていて、今でも妹が母にパジャマを買っても絶対に着ないし、ご飯を作っても絶対に食べない。
母は、妹が嫌いというのを隠さないんですよね。だから、私が引き受けざるを得ない。子どもの命とは違って、死にゆく人の命を預かるなんてやったことがないし。しかも自分の親ですからね。それはやっぱり、ビビリますよ。
「監督としての私」と「娘としての私」
——『毎アル2』では、関口監督が話の軸に登場することで、介護する側の葛藤を面白くみられた部分があります。日々の感覚や苦労が『毎アル1』と比べ変化した部分はありますか?
関口 『毎アル2』の場合はねえ…『毎アル1』の時も思いましたけど、監督の私と娘の私が頭の中に2人いる、という感覚は依然としてありますね。
不思議なもので、映画を作っていると思うと、本当に24時間365日、監督としての意識を働かせているんですよ。映画を作ることが、常に前提にあるんです。カメラに母を向けているときには、常に監督の私がいる。監督の私は、母に対していつも距離をおいていて「今はこういう画が必要だな」とか、どこかで必ず俯瞰で見ている。その意識は『毎アル2』では、さらに徹底したかもしれないですね。
例えば、イギリスでウンチをもらしちゃった時の対応の話を聞いて、帰国したら、母が風呂場の私の洗面器にウンチまみれの自分のズボンを入れていた、というエピソードがありますよね。あれは本当に偶然、そんな状況が発生していたんですよ!洗面器がウンチまみれになっていて、とっさにウギャーって反応しちゃった…監督の私は、そういう風に反応する自分を撮りたいと思っている。慌てている自分を画的においしいと思っているんですね。つまり、監督の私にとっては、娘の私はあくまでも被写体なんです。劇映画だったらそういう風にシナリオを書くのかもしれないけど…ドキュメンタリーの凄いところは、その偶然を呼び込んでいくところですよね。
母は、映画監督の私にとっては、大切な被写体なんですよ。母親が魅力的だから撮りたいと思うのであって、アルツハイマーだから撮りたいと思っているわけではないんです。母がボケようとなにをしようと、私にとって大切な被写体ですから、被写体を尊重する。何かあったら先ず本人に聞いてみる。その姿勢は大切にしたいですよね。「アルツハイマーだから何も知らないだろう、分からないだろう」という世間の一般的な偏見を、ドキュメンタリーの監督は持ってはいけないんです。
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