「放射線」という言葉から、私たちは何を連想するだろう。4年前の東京電力福島第一原子力発電所事故だろうか。
大きな揺れと津波の後に起こった人災。燃え上がる赤い炎と、毎日報道される放射線量。錯綜する情報。ネットで行われる論議。母親や子どもの切なる疑問の声を思い出すだろうか。原子力発電所事故による人的被害は、未だに終息を見せない。身体への負担、精神への負担、それらによる金銭的負担を国家がどう保障するか。出口の見えないトンネルには、カナリアの籠さえ未だ存在しない。
あるいは、広島市と長崎市への原子爆弾投下を思い出すだろうか。きのこ雲や死の灰を思い出すだろうか。証言者が減り、記憶が薄れていく、あの戦争を思い出すだろうか。
どちらも、今を生きる私たちが抱えて行かねばならない重要なテーマであり、今後も多くの表現者が携わっていくことになるだろう。だが、それと同じくらいに大規模かつ重大な被ばく事件があったことは、今まで余り知られてこなかった。その事件を白日のもとにさらしたのが、今回紹介する『放射線を浴びたX年後』である。
大元は、地方局で編まれていた番組だった。その内容の濃さからドキュメンタリー映画『放射線を浴びたX年後』となり、数多くの映画賞を受賞するほどに大きな反響を呼んだ。そして、その取材と撮影の舞台裏を書籍化したのが、同名タイトルの本書である。
書籍版の『放射線を浴びたX年後』を読んでから、家庭教師先の子どもに聞いてみた。「ビキニ環礁水爆実験って知っている?」と。生徒は「もちろん!」と頷いた。「水爆実験によって、第五福竜丸が被ばく。無線機長の久保山愛吉さんが死んだ事件だよね!」彼は都内で1番難しい中学を受験しようとしていた。教科書以外にも、ネットで調べた上での答えだった。テストだったら、満点の答えだ。この本を手に取る前の教師や世論も、満点を与えている答えだろう。
だが実際には「第五福竜丸」以外の数千の漁船と民間船が被ばくし、「久保山愛吉」さん以外にも、2万人の漁師とその家族が若くして命を落としていた。新聞も、知識層も、広島や長崎の被爆者も、誰も知らなかった事件が、今、1つの作品によって、周知されようとしている。
ノンフィクションは不思議な表現分野だ。
芸術作品ではない。かといって文学的・芸術的要素が欠けていれば魅力は薄れる。視覚的美しさを文章で追求すれば現実を見ろと云われ、美談に持ち込めば圧力がかかる。しかし、悪点だけを羅列すれば読む人は途中で放り投げる。さじ加減ひとつで良作が劣作に代わり、劣作がノーベル賞を取るまで深化できる可能性の広い表現分野である。
これまでに世論を大きく変えた作品というと、『アンネの日記』がまず浮かぶ。戦争中に前向きに生きる少女の姿は、発表された当時にも大ベストセラーとなり社会情勢を動かした。現在も毎年売り上げを伸ばし戦争の凄惨さを伝えるノンフィクション界の巨作である。
石牟礼道子『苦海浄土』は、水俣病患者の実情を世間に知らしめ、時代は犠牲者の救済へと動いた。鎌田慧の『自動車絶望工場』は高度経済成長期の人柱になっていた労働者たちに光をあて、心の豊かさを見つめ直していく契機となっている。また、それまで少なかった潜入ルポという取材方法を、ノンフィクション界に認めさせた作品でもあった。
私自身は、今回の『放射線を浴びたX年後』は、これら3作と肩を並べて良いほど、世論を動かした作品だと思っている。
私の祖父母は広島で被ばくしている。祖父は原爆症によって亡くなった。
まだ若い私の叔父や叔母7人のうち、4人が癌で闘病中である。だからこそ、私は被ばく二世に影響はないという報道を信じる気にはなれない。祖父の孫である私の従姉妹は、2011年当時、東京電力福島第一原子力発電所の近くに住んでいた。年内に第二子の妊娠が分かり、2012年1月2日、将来を儚んだ叔母は、孫と娘のいる自宅で首を吊った。震災関連死という言葉がまだ騒がれていなかった時のことである。
そうした背景により、並々ならぬ関心を被ばくに対して持っていた私も、ビキニ環礁水爆実験による問題は、殆ど知らなかった。本にもネットにも情報がなかったからである。2011年の時点では、入手できるビキニ環礁水爆実験に関する本は10冊に満たなかった。しかも、そのほとんどが「第五福竜丸」に焦点を当てた本で、他の船や船員については書かれていなかった。なぜ、情報社会において、この件が広く知られなかったのだろう? まるで誰かが意図的に隠したかのように、ビキニ環礁水爆実験については語られてこなかった。では誰が、何の目的で隠ぺいしたのだろう? このWHYを、『放射線を浴びたX年後』は深く掘り下げてゆく。
【次ページへ続く】