1954年当時、日本は原子力発電所をアメリカから誘致する計画を練っていた。その為に原子力発電所がどれだけ安全かを広島・長崎被ばく者に演説させ、大都市で安全性を知らせる博覧会を開いていた。ビキニ環礁水爆実験により2万人の被ばく者が出たのはこの矢先のことである。日本にとっても、またアメリカにとっても不都合なことこの上ない。第五福竜丸事件がクローズアップされて、日本人は魚介類を食べなくなった。経済に打撃が加われば戦後の復興もままならない。寿司屋に足を運ぶ人も減り、失業者も出始めていた。
日本政府とアメリカ政府は、互いの利益の為に手を組み緘口令を敷いた。アメリカは日本に200万ドルを渡し、この後出るだろう病気や病人に対して一切の補償をしないことを決めた。日本はその金額を受け取り、魚はすでに安全だとキャンペーンを繰り広げ、被ばくからわずか数か月で漁も販売も解禁した。そして、被ばくした漁師2万人は、”いなかったこと”にされ、十分な医療は行われなくなった。遠洋マグロ漁業の漁師たちは船を次々に乗り換えるため、被ばく情報が共有されなかったことも、事件の再発掘を困難にしていた。また、国が何も言わないのだから安全だろうとも考えていたため、誰も声をあげられずに「何の疑いも持たないままにみんなバタバタ死んでいった」という。
漁師たちの早い死に疑問を感じたのは、たまたま彼等の話を聞いた1人の高校教師だった。何かがおかしいと考え、教え子と共に取材を始めた。思想は右にも左にも上にも下にも偏っていない。高校教師、山下正寿さんは30年に及ぶ年月、死にゆく漁師たちの言葉と病状と妻子との関係柄を記録し続けた。
その山下正寿さんを映像として残しテレビ番組で紹介したのは南海放送のディレクター、伊東英朗さんだった。2011年3月まで放射線についての話題は広島・長崎においても「遅れたもの」と捉えられていた。また「華々しい話題」ではなく、「人々が関心を持つ話題でもない」と思われたため、番組に載せることを断られた。それ故、伊東さんは、仕事の合間を縫い、休日に自費で取材を敢行し続けた。TV業界は生き馬の目を抜く厳しい世界である。油断すれば番組枠も浚われる。その中で、取材を続けることの難しさを、表現者たちは理解できるだろう。
現在において、英雄とは、巨悪を倒し、他人を薙ぎ払う人間ではないと思う。誰かの傍に寄り添って救済できる人を英雄と呼ぶと、私は思う。黙々と努力を続けてきたこの2人の英雄によって光の当たった新事実は、見る人の目から鱗を落とし、新しい常識を与えた。
そして世論が動き2013年――日本政府は、2万人の被ばく者のデータを公開した。それまで”存在すらしていない“と言われていた患者の”存在しないはずの病状データ”は、山下正寿さんが30年間調べたものに匹敵する量だった。
もしも、この2人の英雄が疑問に思い行動しなければ、2万人の死は歴史の波に葬られていただろう。
1つの作品によって国が動き、2万人の過去と未来が救われ、ようやく、重い扉が開き始めたのだ。
『放射線を浴びたX年後』のなかに、忘れられない文章があった。
1つ目は、ある漁師の遺骨の話である。その漁師の遺骨は、一番太い骨でも細くちぢこまり、粉々に砕けていたという。
2つ目は、被ばくして亡くなった漁師の幼馴染の言葉である。「みんな若死にやもんねぇ(中略)元気でやりよった人がどんどん亡くなるけん」
最後は、「子や孫が差別を受けないように、自分自身が村八分にされないために、黙ることを選んだ」という被ばく直後の状況を表した言葉である。
1つ目の言葉は、祖父の同僚が言っていたことと同じだった。広島で被ばくし原爆症で死んだ人の骨は白く細いという。さらさらと手から零れ落ちるほどだったという。
2つ目は、原爆症で死んだ祖父やその同僚を見て、祖母が言っていた言葉そのものだった。
3つ目は、東京電力福島第一原子力発電所事故にあい、その後東京に引っ越してきた従姉妹が、電話口でよく言う言葉だ。
私の家族の言葉と、書籍の中の言葉が重なり、心の深いところが、しんと痛んだ。
広島と長崎の被ばく者も、水爆実験の被ばく者も、東京電力福島第一原子力発電所事故の被ばく者も、同じことを考えている。同じことを伝えたい。同じことを気にしている。全ては一瞬だけ、1人だけの問題ではなかった。
あの日は今に繋がり、今はあの日に繋がっている。
取材の舞台裏や、困難な道の歩き方を読みときたい人には書籍版をお勧めしたい。苦悩や苦痛を赤裸々につづった書籍版で、私たちは極限状態を乗り越える方法を学ぶだろう。
一方、事件の詳細を知りたい人には映画版をお勧めしたい。事件の知識量の点においては、書籍版は足りていない。裏話に収まってしまい、国を動かしたほどの情報が書き込みきれていない。第三者の視点で冷静に、事件の情報を入れて整頓した本がもう1冊あれば、この事件と英雄の道のりは、更に語り継がれるであろう。
映像や3Dがにぎわう現在でも本が売れる理由は、読者が好きな時に本を閉じ、開けることができる点だ。DVDの早送りや巻き戻し機能よりも、本の方が楽に操れる。この本という媒体を活用しない手はない。
最後に。前述した生徒には、まだこの作品の内容を伝えていない。教科書がこの真実を伝える日のために――私たちだけが知っていればよい事実ではなく、誰もが学べる事実になる日の為に――。
(※書影以外の画像は、全て映画『放射線を浴びたX年後』より。無断転載お断りします)
【関連記事】
【Review】『放射線を浴びたX年後』に見る TVドキュメンタリーの映画化の意味 text水上賢治
【鼎談】「ローカル・ドキュメンタリー」が拓くテレビと映画の新しい関係 阿武野勝彦×伊東英朗×大槻貴宏
【書誌情報】
『放射線を浴びたX年後』
伊東英朗 著
2014年11月刊 講談社
定価 1,600円(税別)
【執筆者プロフィール】
神崎 晃(かんざき・あきら)
1987年生れ。祖父母が広島にて被ばく。従姉妹家族が原発事故に巻き込まれ、伯母は震災後、自殺。祖父母は奄美諸島出身だったが、戦後アメリカにより統治されたため故郷に帰れないまま命を閉じている。大学卒業時に『被ばく三世から見た2011年』を刊行する予定だったが、出版社が倒産。現在、電子書籍出版やゴーストライター、リライトや校正で糧を得ている。現在、『40万で処女を売ったA子』が発売されている。
◆映画『放射線を浴びたX年後』全国各地で自主上映展開中!
上映のお申し込み、上映情報はこちらから
http://x311.info(申し込みが入り次第、随時HPでご案内しています)
お問い合わせ先
ウッキー・プロダクション
〒102-0074 東京都千代田区九段南4-3-3
シルキーハイツ九段南2号館606号室
TEL:03-5213-4933 FAX:03-6800-3686
Mail:yus@solid.ocn.ne.jp
URL: http://ukky.jimdo.com/