『平成ジレンマ』に『青空どろぼう』、今年の『死刑弁護人』と公開のたびに大きな反響を呼ぶ東海テレピ放送作品。第4弾の『長良川ド根性』が、11月からのロードショーを控えている。南海放送の『放射線を浴びたX年後』も、現在ヒット中だ。
地方のテレビ局の番組を東京などで公開する、テレビと映画、地方と都市部を往還した動きが、映画界の一角に新潮流を生みつつある。
作り手の活動拠点は当然各地方にある点と、作品はまず自局エリア中心に放送するためのものであり、映画館での公開は後になるプロセスの特性から、仮にこの動きを「ローカル・ドキュメンタリー」と呼ぶ。東京での拠点となっているのが、上記5作品の上映館であるミニシアター、ポレポレ東中野。
「ローカル・ドキュメンタリー」のニュー・ウェーブは、本物か。テレビと映画の新しい関係を生む流れとなり得るか。今まさに当時者の立場にいる、阿武野勝彦(東海テレビ放送プロデューサー)、伊東英朗(南海放送ディレクター)、大槻貴宏(ポレポレ東中野支配人)の3氏に話し合ってもらった。
なおこの鼎談は、東海テレビ放送作品の配給協力の東風と、『放射線を浴びたX年後』の宣伝配給協力のウッキー・プロダクションからの共同提案を、編集主幹が頂いたところから実現した。ひとくちにコラボといっても、両者の信頼やフットワーク、視野の広さが揃わないとなかなか出来ないことである。深謝とともに、前もってお伝えしておきます。
(進行・構成=若木康輔)
■『放射線を浴びたX年後』は大スクープです(阿武野)
― 阿武野さんと伊東さんは、初対面になるそうですね。お互いの作品の感想からお話して頂けますか。
阿武野 『放射線を浴びたX年後』が伝えている内容(1954年にアメリカが行ったビキニ水爆実験は世界規模の被ばく事件であった)は、大スクープだと思います。
僕の実家は静岡県伊東市の寺なのですが、近所のお寺出身の読売新聞記者が、第五福竜丸の被ばくをスクープした人だったんです。昔から聞かされていた話なので、より「ビキニ環礁の被ばく=第五福竜丸」の刷り込みが強かった。しかし考えてみれば、あの広い海に出ていた漁船が第五福竜丸だけと捉えるほうが不自然なんですよね。強いイメージには事実への思考にピリオドを打つ、思い込みで完結させてしまうところがある、と痛感しました。
『放射線を浴びたX年後』は分厚い取材と、伊東さんの取材への執念が結実していますね。それを映画館のスクリーンで集中できるかたちで拝見すると、テレビの画面とは違う、より迫るものを感じました。
伊東 実は、スクープと言って頂くのは初めてです。阿武野さんのふだんのお仕事のなかでの、正味の感覚としてはどうですか。例えばご自分があの情報を仕入れたら、取材されますか?
阿武野 「ビキニ環礁の被ばく=第五福竜丸」という、戦後に強固に刷り込まれたイメージを自分が越えられたかどうかはなんとも言えません。スクープの語源はスコップだと聞いたことがあります。つまり掘って、掘って、新しいものを見つける。もし僕がスコップを持っても、果たしてあそこまで掘り出せたか。しかし、伊東さんは掘り出している。そこが、私が大スクープと思う所以です。
『放射線を浴びたX年後』では、初めて明かされる事実が幾つも幾つも出てくるでしょう。伊東さんは(上映後のトークで)状況証拠だと話されていましたが、積み上げることでひとつの根拠になります。伝えることの大きな意味を、しっかりと感じてらっしゃると思いました。
伊東 阿武野さんにスクープと言って頂くのはとても意外でした。2009年に南海放送がアメリカ原子力委員会の機密文書を入手した時も、話題が大きく広がったわけではないですし。
意外というのは、福島の原発事故以前はなかなかこの題材に興味を持ってもらえず、悩み続けてきたからなんです。ビキニの後にもチェルノブイリなどがあったのに「50年以上も前の話を今やってどうするんだ」と、ずっと言われ続けました。テレビの世界で企画を揉む時に真っ先に言われる「なぜ今この題材なのか」を納得させる説明が難しかった。
その点では逆に、スクープ性の無い題材を追っていると思っていました。積み重ねたものをこうして映画として見てもらうことで、興味を持ってもらえる形ができたのかもしれません。
阿武野 山下先生が後半、お酒を呑みながら、巨大なコンクリートの堰に少しずつ穴を開ける「赤い子(カニ)」の話をしますよね。あの「赤い子」はそのまま伊東さんなんだ、と思えました。
それに、冒頭の海と、ラストの海は違って見えました。伊東さんが山下さんを追いつつ、そこからスパークして自らも現地で聞き取りをし、掘り出していく。その内容を見た後だと、なにげない日常風景としての海の映像が違う意味を持って映る。改めて教えられました。
伊東 僕が『平成ジレンマ』の海を見た感想も、まったく同じです(笑)。ああ、この海でヨットスクールが……と思っていると、実は違う角度が見えてくる。
『平成ジレンマ』の話をさせてもらうと、構成の組み立てや厚みなど、学ぶべきところがたくさんありました。今の僕にはとても真似できないなと。へりくだっているつもりは無いのですが(笑)。『平成ジレンマ』の全体を通して一番面白かったのは、森達也さんの『A』のように、戸塚さんを戸塚ヨットスクールの中から見ていって結論を出さないところですね。
僕もテレビの世界に入るまで、16年間公立幼稚園で先生をしていました。暴力が子どもに与える影響は永遠の課題なんですよね。放任と自由は違いますし、子どもへの愛情を持って手を上げるのか、自分の欲求なのかで全く違うのは、戸塚さんが言っていた通りです。ではどうあるべきか、ひとつひとつのシーンとその余韻によって見る人に考えてもらうつくりに感銘を受けました。
■個人的には、使命感のみなんです(伊東)
― お互いに日本民間放送連盟賞などの常連局です。ライバル意識のようなものは? 今日がお2人の初対面というのが意外でした。てっきりパーティーなどで面識があるのかと。
伊東 ライバルなんてとんでもない。東海テレビさんは凄いなと思っていました。
阿武野 授賞式などに行ってもあまり人と話さないんです。根が自閉的なので(笑)。お話ができるようになったのは最近なんです。
もともと番組は、賞を獲るために作っているわけではないですし、たまたまの結果として賞を獲ると次の番組がやりやすくはなりますが、実質的なメリットはそれぐらいのものです。賞に絡めとられていくととんでもない発想法になっちゃう。制作者にとっては取材対象がいて初めてスタートするもので、取材対象と賞は全く関係が無い。賞を狙える企画を、と考えるようになったら終わりでしょうね。
伊東さんにお聞きしたいのは、取材先が愛媛県から他県へ越境していることです。『放射線を浴びたX年後』を見ると、あれ、南海放送って高知県の局だったっけと思う。南海という名前もあってカン違いしちゃうんです。東海テレビがよく静岡の局と間違われるのに近いかな(笑)。高知まで越境した取材について、会社からは何も言われなかったのですか?
伊東 僕がこれまで何度か放送したのは、日本テレビと系列29局による「NNNドキュメント」なのですが、「NNNドキュメント」はエリアが広いんです。テーマと取材は全国各地に及びます。今回の『放射線を浴びたX年後』は結果として高知県中心だった、ということですね。取材をするにあたっては高知の系列局に仁義を切りますが、その手順さえ踏めば会社からは特にないです。
阿武野 そうですか、東海テレビとは条件は違うんですね。フジテレビの系列のFNSでは、「NNNドキュメント」のようにドキュメンタリーを全国ネット放送できるレギュラー枠が無いんです。「FNSドキュメンタリー大賞」という、放送局ごとに違う時間帯で放送する仕組みはあるのですが、放送時間は26時台などド深夜です。それも各局で年に1本ずつなので、東海テレビのように年間に2本、3本4本と作っても、1本の外は全国放送される可能性はほぼ無いんです。
『放射線を浴びたX年後』は、冒頭クレジットに「南海放送開局60周年記念事業」とありましたね。
伊東 はい、会社の記念事業のひとつとして映画化させてもらいました。
始まりは僕の非常に個人的な、忘れられた被ばくの事実を多くの人に知ってもらいたい思いです。それをプロデューサー(南海放送執行役員テレビ局長)の大西康司が受け止めてくれ、「NNNドキュメント」で放送できたら映画にしようと言ってくれて実現しました。
個人的には、この事件を解明したい、誰かがやらなければいけないという使命感のみです。愛媛や高知のなかだけで埋もれてしまうなら、どなたかにバトンタッチしたいと思っていました。僕より能力のある、良いものを作れるディレクターさんは沢山いらっしゃいますから、そういう方に喜んで譲りたいぐらい。実際、一度も実現しませんでしたが、他局の方と会うたびに「ぜひやってください、僕が今まで調べた資料も全て差し上げたいぐらいです」とお願いしていました。
阿武野 映画にして、手応えはどうですか?
伊東 すごくあります。番組を映画化したことがまず、多くの方に認識して頂く大きな機会になっていますし。単純に見る人の数だけなら、テレビの視聴者のほうが多いですよね。しかし、どうしても各世帯への放射状の一方通行で、見た人同士の連携が生まれにくい。映画では見に来た人同士がつながれる。今日もポレポレ東中野の上映後のロビーで、お客さんたちとワイワイ話し合えました。
ですから、劇場公開が終わった後も映画の自主上映をしていくつもりです。小さなグループに見てもらい、自分の近くにも被ばく者はいるんじゃないか、という情報交換の場にしてもらいたいんです。なんらかのアクションを起こしてもらい、それを山下先生や僕が吸い上げて連携を作れたらと期待しています。一ディレクターとしては踏み込み過ぎかもしれませんが、それだけ全く解明されていない大きな事件です。頼りになるのは、やはりネットワークなんです。
阿武野 そのためにも、ポレポレ東中野にお客さんが沢山入ってもらうことが大事ですよね。東京で成功しないと、全国に広がっていきにくいですから。
伊東 はい。個人的な思いを先に言いましたが、もちろん、地方局の番組が劇場公開されるケースに、後に続いてもらいたいです。
■新しい価値を作れる人は、続けかたを考えている人(大槻)
― 地方局のドキュメンタリー番組が劇場公開される例は過去にもありましたが、我々見る側の意識が変わったのは、やはり昨年の『平成ジレンマ』からです。『平成ジレンマ』『青空どろぼう』の公開と特集上映「東海テレビドキュメンタリー特集」が続いた時に、映画に乗り出す明確な意図が伝わりました。劇場公開に至る経緯をお聞かせください。
阿武野 先ほどもお話した通り、東海テレビの場合はどんなに広く観てもらいたい番組が出来たとしても、全国放送できる機会が限られています。それこそ、幾つ大きな賞を受賞しようと関係ない。また、「FNSドキュメンタリー大賞」の放送枠は、本編が46分45秒とフォーマットが決まっていて、その尺に押し込めないといけない。ずっとフラストレーションが溜まっていました。多くの人に広く見てもらいたいという気持ちを押さえ込むのは、表現者としては一番つらいところで。
そんな時に、産経新聞の記者から岩波書店『シリーズ日本のドキュメンタリー1』の書評を求められました。読んでみて、これは“日本のドキュメンタリー映画”だと感じました。テレビの扱いがあまりに小さいのです。いつまで映画とテレピを別物に分けているんですかと批判的な書評になりました。
すると岩波書店から、封書が届きました。クレームかと思いきや、第3巻への執筆依頼でした。映画とテレビを念頭にして原稿を書くうちに、そうだ、僕たちが映画館で上映したらいい、そういう窓の開き方ができれば、ずいぶん解放される、という思いが高まってきました。多くのテレビマンにとって映画館の上映はあこがれですから、スタッフも喜んでくれるなと。ちょうど、『平成ジレンマ』の制作中でした。
それで『平成ジレンマ』のスタッフに「これは映画になるよ、映画にするよ、映画だよ!」と全く上映の当てもないまま、とにかく何度も吹き込んで(笑)。放送番組の予算の範囲内でみんなに乗ってもらい、映画版まで作ってしまったんです。だから『平成ジレンマ』は、映画としての制作費はゼロ(笑)。
後は映画館でかけるだけだと単純に思っていたのですが、興行のシステムがだんだん分かってきました。宣伝費を投入しなければいけないし、東京で上映しなければ全国に広がらない、東京一極集中の構図は映画にも壁としてあった。どうしようかと考えているうちに映画プロデューサーの安岡卓治さんに行きあたり、安岡さんから配給宣伝の東風という会社を紹介して頂いたんです。
大槻 東風代表の木下さんから話を聞いた時は、すぐにピンときたんです。木下さんは、知っている人にはおなじみの口調で「いやー、ちょっと危険なんですけど……」。「なんなの?」「いやー……」「早く言ってよ」「実は……戸塚ヨットスクールで……」「そりゃ面白い」(笑)。それで、とにかくサンプルを見せてもらうことにして。どの映画に対しても同じ順序ですが、『平成ジレンマ』は内容を聞いた時点で絶対に面白いだろうなと思っていました。
テレビ局がドキュメンタリー番組を映画にしてかける、という話はよく持ち込まれます。ただ、大半は1本だけの単発的な話です。本当に映画として見せると考えているのか、何かの「ごほうび」でかけたいだけなのか、信用しきれないところがあるんです。
ですから阿武野さんと初めて会った時に、意地悪のつもりはないけれど「どこまで先を考えていますか」と聞きました。すると「3本はやります」。それで即決ですよね。だったらやりましょうと。
阿武野 本当は、3本なんて当てはありませんでした。ただ、1本で終ると一発屋だし、2本で終わってもやはり一発屋と同じ。歯を食いしばってでも、3本まではやりたいと思っていました。
大槻 目新しいこと自体は、誰でも出来ることで。それを本当に新しい価値にしていけるのは、どう続けていくか考えている人ですから。
伊東 お話を聞いていると耳が痛いです……。
大槻 伊東さんはね、いいんですよ。人柄だから(笑)。
阿武野 それじゃ、僕の人柄が悪いみたいじゃない(笑)。
■スタッフには「作品を私有してくれ」と言っています(阿武野)
― 東海テレビ作品や『放射線を浴びたX年後』の好評にはまず、いわゆるセルフドキュメンタリーが飽和状態になりつつあることへの反動があると見ます。個人や若いスタッフが小規模で作る私小説的な映画が増えた一方で、社会的な題材を組織力で掘り下げる、王道の作品を作り続けていたのはテレビだった。ポレポレの少なからずの観客が、灯台下暗しだったような発見を覚えているのではありませんか。セルフドキュメンタリーを無碍に否定するものではありませんが、映画好きがテレビドキュメンタリーに目を向けずに済むことにも、そろそろ限界は来ているので。
大槻 これは想像で言うのですが、テレビではディレクターさんが企画を出して、プロデューサーがゴーサインを出して、放送するまでに社内で何度もチェックして、いろいろな角度から揉む。ひとつひとつのハードルは、個人で作るドキュメンタリー映画とは比べ物にならないほど高いでしょう。
しかしそのチェックが行き過ぎれば、丸くてツルツルしたものになってしまう。劇映画の製作委員会方式にも、同じ難しさがあるのではないですか。だから、個人規模のドキュメンタリー映画のゴツゴツしたところにも充分に価値があります。
それでも、テレビ番組であってもゴツゴツの部分を残す、或いはツルツルしかけたものを壊す。この過程をさらに経た作品ならば、多くの観客の観賞に耐えられるのは当然だと思います。口あたりの良さばかりが求められているわけではないことは、お2人の作品が映画館で好評を得ていることで証明できているんじゃないかな。
― 僕はもしかしたらテレビの集団作業を、映画において絶対的な作家主義の評価へのアンチテーゼとして置きたいのかもしれません。
阿武野さんは、齊藤潤一さんが監督の『平成ジレンマ』『死刑弁護人』ではプロデューサーで、『青空どろぼう』と今回の新作『長良川ド根性』ではプロデューサー兼、若手ディレクターとの共同監督です。このクレジットの違いは?
阿武野 クレジットについては……便宜的なものですね。組織的には、何かあったらプロデューサーが責任をとる立場です。齊藤潤一監督作品であってもこれは変わりありません。齊藤や『青空どろぼう』の鈴木祐司、『長良川ド根性』の片本武志と僕との関係は、会社のなかではあくまでディレクターとプロデューサーです。
編集、効果、カメラ、VE、ディレクター、庶務デスクなど、プロデューサーの僕を含めて7、8人で作っていますが、番組を共有するのではなく「私有してくれ」と言っています。どのパートのスタッフも「私の番組だ」と言えるぐらいの気持ちで関わってくれと求めています。
もちろん、ディレクターは作品の精神性にきちんと目を入れる人間ですから、最終的にはディレクターの作品ですが、位相の違うところでは、スタッフみんなが自分の作品だと思ってくれている。これが作品全体を良くする仕掛けだと思っています。
だから僕たちの場合は、各パートの責任感がものすごく強いですよ。編集マンは、社内で立場が上の人に対しても、編集室に入ってきて横から茶々を入れたりすると「出てけ!」と怒鳴りますからね。編集の佳境でつまんないことを言ってくれるなと。庶務デスク(女性)も、編集の1稿、2稿の段階のスタッフ試写では「これだと意味が分からない」「主人公に好感が持てない」などとハッキリ言います。そういう意味では、作品に対してみんながディレクターの意識を持っています。
伊東 僕の籍は南海放送の制作部にあります。残念ながら制作部では、報道部と違って予算が出ない限り番組は作れないんです。それに、人が少ない。『放射線を浴びたX年後』は「NNNドキュメント」の枠で予算がとれたのでカメラやMAのスタッフの力を借りることができましたが、ローカルのレギュラー番組は、3、4年前から撮影、編集、スーパーやBGM入れなど、完パケまで一人で仕上げることが多くなりました。制作の面では、実は僕もセルフドキュメンタリー(笑)。
だから今の阿武野さんの話は、いいなあと思います。みんなでよってたかって作る良さは必ずありますから。
阿武野 東海テレビの場合は、年に3本から4本作れる予算を年間で持っていて、そこから東海・東南海地震を想定した特番や、自主企画をどう振り分けるかを考えます。登板するディレクターを決め、ディレクターが取り組みたい企画が決まったら、カメラスタッフを固定して、1年近く取材に泳がせます。ただ、もとから、こういう環境だったわけではありません。時間をかけて、部内、局内、社内の雰囲気が醸成して、予算も含めて定着していったんです。自社エリアでの放送も、もともとは深夜でしたが、仲間ががんばって作ったんだからというムードが高まり、土曜日曜の昼か夕方の放送になっていきました。
■『長良川ド根性』は、劇場公開の経験を活かした勝負作です(阿武野)
― テレビ版は基本的に1時間枠の中編。映画版は、テレビ版のOAの後に作ると考えてよいのですか。『放射線を浴びたX年後』の場合、「NNNドキュメント」と劇場作品では、まったく別物といっていいぐらい編集が洗い直されていますね。
伊東 『放射線を浴びたX年後』は、OAの後に新たに、章立てにして編集し直しています。これは実は非常に簡単な理由で、僕自身が長尺をつくるキャパを持っていない(笑)。だったら20分番組、30分番組を何本か作ってつなげるつもりでやろうと。逆にそういう作り方をすることで、やっと自分でも8年間調査した素材の内容を整理できたところがあります。
阿武野 オムニバスの形は薄味になって失敗する場合がありますけれど、『放射線を浴びたX年後』にそんなところはないですよ。
伊東 映画版の編集では、その章立ての合間の余韻を、どれだけ残しながら次に展開していくかに苦労しました。
― 東海テレビ放送の新作『長良川ド根性』は語り口にじっくりとした味が出ていて、画面に映らないものの豊かさを感じさせる。実はこれまでの4本のなかで、いちばん映画としての見応えがありました。
『長良川ド根性』も、放送の後で映画版に?
阿武野 ありがとうございます。『平成ジレンマ』以降は、『長良川ド根性』まで放送版と映画版をほぼ同時進行で制作しています。「映画作品は制作費ゼロ、宣伝費だけ必要です」というのが組織内の謳い文句ですから。
第1稿を作ってみると、放送版でも大体1時間20~30分の長さになっているんです。そこから、「FNSドキュメンタリー大賞」のような全国放送があるなら47分程度に縮める、自局エリアのみの放送なら90分枠まで考えるなどといった選択をします。1時間20~30分の第1稿が出来た段階で、これは映画に出来るか、放送だけにしておくか、直感的に考えます。
アビッドでノンリニア編集していますので、使いたい素材の出し入れは容易に出来ます。テレビ版と映画版の同時進行は、そう難しくないですね。
― 同時進行と聞いて驚きました。ノンリニア編集とはいえ、映画とテレビでは、カットのテンポひとつでもずいぶん違う難しさがあるのでは。
阿武野 映画とテレビでは、見る人の生理が違いますからね。だから同時進行とは言いつつ、編集はやはり劇場用に若干ですが、変えています。
1本目の『平成ジレンマ』は編集や音響効果でずいぶん試行錯誤しました。公開時にはそのスタッフが、僕は知らなかったんですが、ポレポレ東中野に観に来ているんです。編集マンは名古屋から自転車を持って東京駅まで来て、東中野まで来ていた。音声のスタッフも、ポレポレ東中野や名古屋、京都の映画館に通っていました。みんな志の高い作り手ですから、映画館ではどう映り、どう聞こえるのかを研究していたんですね。
2本目の『青空どろぼう』のスタッフも『平成ジレンマ』を映画館で見ていて、自分ならこうする、こうしたいと別の試行錯誤をしていました。『平成ジレンマ』とスタッフが重なる3本目の『死刑弁護人』になると、1本目の経験を生かしながら、劇場作品と放送作品を、ほぼ一緒にしてみました。放送の世界に劇場作品の流れを持ち込んでみたのです。
『長良川ド根性』では、編集も大幅に変えてみようかということになりました。放送版では全く使っていないシークエンスをガボッと入れてみたりしています。
― 長良川を堰き止める河口堰に最後まで反対し、建設を止められなかった後は一転して国と清濁併せ呑む話し合いを続けてきた赤須賀漁協組合長の秋田さん。「漁業存続のためなら悪魔とでも手を握るわい」と言ってのける姿にゾクッとさせられる、まさに「人物」です。自分の律を強く守り、一切ブレない「人物」から時代や社会を逆照射するつくりを東海テレビのドキュメンタリーが一貫させていることが、『長良川ド根性』を見るとよく分かります。
伊東 僕が『長良川ド根性』を拝見して特に印象に残っているのは、主人公である秋田さんの、後姿を撮っている場面です。
河口堰が作られてしまったことを前提にして長良川の漁業が生き残る道を長年模索してきた秋田さんが、県から手のひらを返したように河口堰不要論が出たことに、非常に複雑な怒りを抱いている。あの後姿を、無音でずっと撮っているところが良いですね。テレビだと尺の都合でストンと落としやすい部分が、映画では大きな魅力になっています。
阿武野 『長良川ド根性』は作品として勝負できると思っているし、したいんです。映画のたびに、会社から宣伝費を貰っています。最終的には映画作品を持つことが会社のプラスになると確信しているのですが、決して社内で応援体制が整っているわけではありません。「事業として如何なものか」と、テレビマンの時間軸でしか物事が考えられず、すぐに損得勘定したがる人々もいて、今回は予算の確保に揉めました。
映画の特性で、予算が下りる前からいろいろ準備しなくてはなりません。公開と試写会などの日程を進めていましたから、試写状ももうとっくに発注していたんです(笑)。最後は、自宅を担保にお金を借りるかとまで考えて。「(会社が)そんな考え方なら映画はもうやめた、やめた!」と社内で大声を出したら、直属の局長や報道部長が「やめるなんて言うなよ。志のないやつらの思うツボじゃないか。わしが頭を下げて回るから、実現させよう」と。『長良川ド根性』は、この2人のド根性の賜物でもあるんです。
大槻 いいお話じゃないですか。でも、芝居を打ったんでしょ。
阿武野 そんな悪いマネはできないですよ! 予算が確保できた2日後に「ハイ試写状」と配ったら、「なーんだ。やめる気なんか、はじめから無かったんだ」と呆れられましたけどね(笑)。
■結局はその人を信じられるかどうかですね(大槻)
― アビッドによるノンリニア編集のお話が出てきた通り、制作現場におけるテレビと映画の差はこの10年余でかなり融解しています。しかしポレポレ東中野のように、ビデオ撮りの作品だろうと映画として公開する、と早くから打ち出した劇場の存在が場として無ければ、今の動きも起こりにくかった。大槻さんはどの時点で、ビデオも映画だという方針を定めましたか?
大槻 ポレポレ東中野がオープンしたのは2003年ですが、もうその時点ではほぼ、デジタル作品はそのまま上映しようと決めていました。もちろん、フィルム撮影にこだわった作品はちゃんとフィルム上映しつつ。
あの頃はまだ、ビデオ撮影の作品を映画館でかけるためにプリントにする、キネコという行程がありましたね。キネコには、地方の劇場にデジタル上映設備が普及する前の、移行期間として必要な面があったと思います。しかしポレポレでかける場合は、僕は当時からおそろしくムダな行為だと思っていましたよ。作り手にも見る人にも、キネコをしてフィルムに焼いてやっと作品が映画になると安心する、ヘンな心理プロセスが90年代の過渡期としてあった(笑)。
― 僕自身もそうでした。ポレポレの前身のBOX東中野でビデオのドキュメンタリーを見ると、一時は映画じゃないものを見せられたと損した気持ちになったものです。そんなことを言っている場合じゃなさそうだと思ったのは、それこそBOXで見た『由美香』や『A』あたりからでしょうか。ですから劇場支配人の立場の判断は、翻ればかなり大きな役割を果たしている。
大槻 オープンして間もなく、ある作品のオリジナル版とキネコ版をテスト上映した時のことです。僕から見ればオリジナル版のほうが絶対にいいんですよ。キネコ版はコピーですから。見終って作り手に「ああ、これは決まりだね」と言ったら、「ハイ、ではプリントで」と言われてびっくりした(笑)。どこを見てたの! と説得するのにしばらく苦労しましたが、2、3年たったら全く無くなりましたね。
大勢として、デジタル上映は技術の革新による必然だったと認識しています。ドキュメンタリー映画に個人的な、小粒なものが増えたのは確かですが、女性の進出の面ではすごく良かった。若い女性監督によるやさしい手触りのドキュメンタリーが生まれるようになり、作って見せるチャンスが増えたのは、映画のデジタル化の素晴らしい恩恵だと思います。
当然、映画の数もそのぶん増えますが、数が増えること、分母が増えること自体は大歓迎です。だから、地方局のドキュメンタリーだって持ち込まれるのはとても嬉しい。興行できる作品かどうかの判断からは、こちらの仕事ですけどね。「面白くなーい」とかさ(笑)。
― 今後、他の地方局のドキュメンタリーの話が持ち込まれた場合は?
大槻 まずは一個の作品として見せてもらう。そこに変わりはないです。見て、戦略を聞く。
やっぱりまだ「ごほうび」感覚のところが多いと思いますよ。企業、個人を問わず、映画館でかけること自体が目的になっている。「そういうことじゃない」と、説明はします。「なんだってかけられるし、なんだってかけられるものじゃない。アナタはそれで何をしたいんですか」ということをね。乱暴なことを言えば、お金を出して劇場を借り切ってしまえばいいんです。「でも、アナタが映画館でかけたいというのは、そういうことじゃないですよね?」とひとつずつ話します。
― 「ごほうび」感覚のお話と、映画として見せる熱意を感じるお話。判断の基準はどこでしょう。
大槻 うーん、なんとも言えないな。「これだけのお金を用意しているから上映してください」。これも僕は素晴らしい熱意だと思っています。そこは平等に考えている。ところが、熱意はあるけどお金がないことを盾にしている場合もあって……2人ともごめんね(笑)。
結局は話し合って、その人を信じられるかどうかですね。一発で分かり合える人はいるし、何回話してもハッキリしない人もいる。年齢は全く関係ない。ベテランがみんなそれを持っているわけでもありません。それでもやっぱり、コケる時はコケる。ねえ、(同席の東風)渡辺さん!
■思っている以上に状況は早く進んでいる(阿武野・大槻)
― お2人は、ポレポレ東中野をもともと御存知でしたか。
阿武野 知りませんでした。
伊東 僕は幼稚園の先生をしている時に、個人で作った映像をイメージフォーラムに出したりしていたんです。その当時から、ドキュメンタリー映画を中心にやっているポレポレさんのことは知っていました。
大槻 ほら、ここが「知りませんでした」とあっさり答える人との人柄の差だ(笑)。
阿武野 映画館で上映するなんて、思ってもみなかったことなんですよ。ヒョウタンから駒。岩波の渡辺勝之さん(編集部注:『シリーズ日本のドキュメンタリー』担当編集者)から書評を頼まれなければ出なかった発想ですし、不思議な出会いが幾つも重なって、ここまで導かれたという気分です。
実は『死刑弁護人』の公開の時には、全国の地方局に呼びかけて特集上映をやりたいと考えていたんです。『青空どろぼう』の時に過去のテレビ作品を連続上映する東海テレビ特集をやらせて頂いたので、さらに展開を広げて各局に、ウチもやってみようと思ってもらえる仕組みを作ろうと。しかし、東海テレビが「セシウムさん」事件という不祥事を起こしてしまい、僕たちが音頭をとるわけにはいかなくなってしまった。ホップ・ステップまでは良かったのですが、ジャンプにつまずいていた。そんなところで、南海放送が『放射線を浴びたX年後』を劇場公開すると聞きました。最近では一番嬉しかった出来事です。僕が思っている以上に、テレビマンの作品の上映という状況が早く進んでいた。
こう言っては失礼ですけど、愛媛の南海放送さんが映画に参入したというニュースには、都市部の大きな局が映画を作ったというのとはワケが違う波及効果があるはずです。
― 多くの地方局の人にモチベーションを与えてくれるということですね。
阿武野 それに映画版なら、自分の作品を通常のOAとは違う時間軸で生き残らせることができる。BSでもCSでも、何年たった後でも映画として放送できます。実際、東海テレビのこれまでの2作やテレビドキュメンタリー作品について、他メディアから引き合いがありました。そういう作品があるというのは、その局にとっての財産です。
その意味でも『放射線を浴びたX年後』や、ポレポレ東中野で後に続く大阪・毎日放送の『生き抜く 南三陸町 人々の一年』はぜひ興行を成功させてもらいたいと思っています。
― 一方で、地方局のドキュメンタリーというだけで、中央のキー局が作るものより誠実な作品だというイメージが先行しがち。これもややアブナイと思っています。東京のお客は総じて「地方発」という言葉に弱いところがあるんですよ。一頃の食材のおとりよせブームがいい例で(笑)。
大槻 最初の段階では、その「地方発」というイメージは利用しました。あまり好きな言葉ではないけれど、打ちだしの段階でセールスポイントになると考えたのは確かです。
ただ、阿武野さんが「3本はやりたい」と言っていた時点で、これは一過性ではなく、いずれ大きな流れに確実になるだろうと予測していましたからね。
阿武野 あ、そうなの!
大槻 うん。でも、東海テレビの後にすぐ南海放送の『放射線を浴びたX年後』が出てきたことは、僕も阿武野さんと同じように凄く早かったと思っています。
『放射線を浴びたX年後』では、地元の愛媛で同時公開しようよと配給さんに早くからお願いしていました。東京公開から地方に巡回していくのとは別の形を提示したかった。
ですから、愛媛で同時公開したシネマルナティックさんでお客さんが沢山入り、同時期の他の映画の動員を越えたと聞いて、僕はものすごく嬉しかったですね。規模は違うでしょうが、人口比率からすれば東京と同じぐらい入っているんですよ。東京でヒットした評判の作品だから見てもらえるなんて、そんなつまらない話じゃないんだと証明できた。
阿武野 そうかなあ。それはちょっと美し過ぎる(笑)。だって、僕たちがもし名古屋シネマテークで単館公開してお客が入ったとしても、話題は全国に広がらないですよ。「名古屋局が名古屋で上映しているだけなら、映画館でやる意味が無い」と言われると、グウの音も出ない。ロジックとして、映画版を広く認知してもらうためにも、東京での公開はやはり重要なんですよ。
大槻 ああそうか、そこは了解。でも、まずは東京ありきで、そこから地方に下りていく形が定着すると他の映画の流れと同じだからさ。そこはなにか、崩せたら面白いと思っています。
■劇場公開は今後のテレビにとっても大きな経験になります(伊東)
― 東海テレビさんと南海放送さんは、今後も映画を?
阿武野 『長良川ド根性』までは、ずい分乱暴に会社に付き合ってもらいましたが、この後も同じように行けるかどうか。できました、だからお金を出してください、映画館でかけます。この繰り返しだけではいけないと思っています。自分達の中で新しくトライする要素を常に設定していかないと。
大槻 地方局が作るドキュメンタリーは大きな流れになるだろうとは言ったけど、「いいものを作ってるから」に胡坐をかくようだったら、すぐに商売にならなくて続かなくなるでしょう。それは言ってみれば最低条件で、なおかつどうするかまで考えてくれたら大丈夫ですよ。今年、公開を決めている作品の人たちは、そこまで考えてくれている人たちです。
阿武野 実は第5弾にあたる『約束』は、違う公開の仕組みを考えています。1961年に起きた名張毒ぶどう酒事件の奥西勝死刑囚(現在最高裁で審理中)をドラマで描いたものです。
私たちにとって映画はあくまで、番組づくりの流れの中で生まれる副次的なものですから、このまま続けられるかは何とも言えません。せっかく流れが生まれて状況に呑み込まれ始めているので、このまま呑まれてスーッと消えていくのも綺麗かなとは思っています。ああ、そういえば東海テレビの映画があったね、と後で懐かしく思い出して頂く(笑)。
大槻 引き際もちゃんと考えているわけだ(笑)。
伊東 僕自身は、次のアクションは起こせればと思っています。同僚のディレクターが作っている番組で、これは映画館で見てもらいたいと思えるものは沢山ありますから。映画監督と呼ばれる方の作品とディレクターが作る番組に、かけた労力や能力などでの優劣は全く無いと思っています。
それに、初めて劇場公開に関わって痛感したのは、映画とテレビの宣伝の意識の違いです。『放射線を浴びたX年後』でのウッキー・プロダクションさんの宣伝の動きを傍で見て、これからのテレビの人間はぜひ映画に関わって、見せかた、広めかたまで学んだほうがいいと思っています。
テレビは大きな媒体力を持っているぶん、作ってOAしたらそれでオーケー、と自己完結してしまいがちなんですよ。でも多チャンネル時代になり、スマートフォンや配信など見る形も多様化していますから、変化しないとどの局も生き残れない。その見せかたの多様化の、一番凝縮された形が劇場公開です。
制作者としては作品のケツを最後まで持てること、見たお客さんと直接話し合えることが経験としてすごく大きい。アナログ的で逆行しているようだけど、双方向のイベント型の事業は、実はテレビにはあまり無い面ですからね。多くの局が劇場公開を経験してテレビの世界にフィードバックさせ、双方にとって新しい見せ方が生まれてくることを期待しています。
大槻 伊東さんのおっしゃることはよく分かります。映画とテレビの見せかたはどんどん変わっていい。公開の初日とOAが同発になるとかね。実際、初日とインターネット配信を同時に行う試みはすでにしていますし。ただ、その中心にいつも映画館はいたいなと思っています。別に映画館がトップじゃなくてもいい。見かた、見せかたが多様になって、改めて不特定多数の人達と一緒に見る映画館の良さを知ってもらえれば。
阿武野 僕たちにとって、やはり映画館は豊かな文化空間です。この空間に多くのテレビマンが参入すれば、違う状況は生まれますよ。
【映画版・作品情報】
『放射線を浴びたX年後』
ナレーション: 鈴木省吾 朗読 :保持 卓一郎 撮影: 三本靖二 向井真澄
録音: 山内登美子 ミキサー: 山口誠 音響効果:番匠祐司
宣伝配給協力: ウッキー・プロダクション 宣伝美術: 成瀬慧
企画 :口羽則夫 宮部選 特別協賛: 大一ガス株式会社
協力: 日本テレビ系列「NNNドキュメント」Special Thanks: 日笠昭彦
プロデューサー: 大西康司 監督: 伊東英朗 製作著作: 南海放送
2012年/83分/HDCAM/カラー/日本/ドキュメンタリー
公式サイト:http://x311.info
全国各地で公開中(詳細は公式サイトでご確認下さい)
『長良川ド根性』
ナレーション:宮本信子 プロデューサー:阿武野勝彦 音楽:本多俊之
撮影:田中聖介 音声:小原丈典 編集:奥田繁 監督:阿武野勝彦、片本武志
配給:東海テレビ放送 配給協力:東風
2012年/80分/HD
公式サイト http://nagaragawadokonjo.jp/
東京・ポレポレ東中野で11月10日(土)より、名古屋・名古屋シネマテークで11月24日(土)よりロードショー