件名:ごぶさたでっす
奈良さん!
ども。
横美の展覧会、拝見しました。
いや~っ、ヤバいっすね。とても、良かったです。
(・・・と、月並な感想しか言えない自分が恥ずかしいのですが。。。)
なんというか、本当に観られてよかったです。
小山ギャラリーで展示してたセラミック(陶器)作品のときも思ったのですが、奈良さんの彫刻、好きだなあ。
映画で奈良さんのドキュメンタリーを撮ってから、「奈良さんって、どんな人ですか?」って聞かれることが多いのですが、これまでだいたい「・・・絵のうまい人です。超うまいっす。」って答えてたんですね。でも、これからは、「絵も彫刻もすげーうまい人」って答えようと思います(笑)。
photo by: TSUKAMOTO Minami
映画で追いかけてたときは、奈良さんの中では「チーム」っていうのがすごく大きくて、一緒に組んでいた「graf」のメンバーだったり、ボランティアのみんなと一緒に、ひとつの展覧会を作り上げていくことに意味があったと思うんですね。
(まあ、そんな流れもあって、俺のことも「準メンバー」の一人みたいな感じで、“撮影担当”として受け入れてくれたのかなーなんて思っています。)
でも。
でも、みんなで作る「一体感」みたいなのは、いつか終わってしまうことが前提なわけで。
だからこそ、学生時代の「文化祭」みたいに、楽しくて、はかなくて、一生懸命で、青臭くて、くだらなくて、かけがえのないものだったのだなあと、思うのです。
もしかしたら、そのことを一番分かっていたのが、奈良さんだったのかもしれないですね。
撮影してた頃、奈良さんが言っていた言葉を覚えています。「最初ずっと独りで制作してて、『みんな』で作るよろこびを知って、いままた『一人』に戻りたい」、そんなようなこと。それは、「飽きた」とか「逃げたい」とかじゃ、もちろんなくて。
で、映画のときは、一人にまた戻るってのを暗示して終えたわけです。
その後、たまーに会ったり、電話で話したり、ギャラリーに個展を見に行ったりしてはいたけど、今回が美術館規模で初めて観る「一人」に戻ってからの作品でした。(・・・って書いてて思ったけど、実は、かなり劇的な設定!全然意識してなかった。。。)
で、横浜美術館に行くと、何年かぶりの懐かしい顔ぶれが、そこここにいて。それは、俺にとっての“大切な時間”を思い出させてくれる人たちで(ふふふ、なんか甘酸っぱい感じだ)。
最初の展示室に入ると、薄暗い中に、だーっと並んでるブロンズの彫刻が。
その彫刻をひとつひとつ見ていて、それは、顔?というか、頭?その存在感というか、質量というか・・・。吸い込まれるように向き合わされる引力というか。
向き合うっていっても、顔や表情だけじゃないんだよね。当たり前だけど、絵は裏側がないわけで、でも彫刻には上も横も後ろもあって。まあ後ろに回ったら、よう分からん物体(と言っても、後頭部か)なんだけど、それもふくめて存在全部と向き合わされる・・・あ、まあ言うだけ野暮か。
とにかく、そんな頭たちに圧倒されて、なつかしい顔ぶれの人たちと、「すごいねー・・・」「やばいねー・・・」って言って、その後にとても言う言葉が見つからないような、そんな時間を味わったわけです。
で、正直なところ、俺は、心を揺さぶられて、涙をこらえるのに必死だったよ。
それは俺が奈良さんを個人的に知ってるから、とかじゃなくて、甘酸っぱい記憶がよみがえったわけでもなくて、やっぱり「作品そのものの深さ」だと思うわけなんす。
「独り」から、「みんな」を経て、そしてまた・・・という流れをたどったからこその“深さ”というと安易かな。安易だな。
奈良さんが描く「女の子」の絵って、奈良さんは“自画像”だって言うじゃないですか。で、自分が変化するにつれて描く「女の子」の年齢も上がっていくだろうって。まさに、そのとおりになってると思うんだけど、彫刻は特にそう感じるかな、うん。・・・というか、もう「年齢」とか、そういうのを超えてた気がする。
やっぱり震災かな。
奈良さんが、地震の後、しばらく絵が描けなかったって、記者会見で言ってたじゃないですか。で、絵画じゃなくて、先に作ったのは彫刻作品だったって。
筆とか鉛筆とかキャンバスを介さない、自分の手で、生の土をつかんで作られた物質感。
そして、作家がいなくなっても、たとえ地震があっても、何百年も残るだろう「ブロンズ」という素材感。
この話を聞いてなくても伝わってきただろう、すごい「力」がこもってたと思います。あの「頭」のひとつひとつには。
真摯に「時代」に対峙して、そしてその時代に生きる「自分」にどこまでも向きあった結果、生まれた作品は力強いよ。
あー、ほんと、今回の展示は、去年の311以降を生きる人に、ぜひ観てもらいたい。
もちろん、そういう“文脈”とか関係なく、自立した「作品」として観てもらいたいってのもあるんですけどね。
だからこそ、変な話なんだけど、同時に思ったのは、100年後に生きる人と一緒に観てみたいなあって。きっと、同じ感情を分かち合えるんじゃないかって思わせられる、「普遍性」みたいなのを、今回、特に感じました。やっぱり、「すごいねー・・・」「やばいねー・・・」って言って、その後に言う言葉が見つからないような感じ?
思うんですけど、現代アートって「ドキュメンタリー」みたいなもんだなあって。(→アートも、ドキュメンタリーもよく分かってないのですが。。。)
なんつーか、現代アートの作家さんて、いまこの時代を生きて作品を作ってるわけで、否応なく世の中で起きてることは影響しちゃうわけじゃないですか。
そんな風に生み出される作品を、継続的に見ていくのって、「ドキュメンタリー」にほかならないんじゃなかろうかと。
で、長くなりましたが、何が言いたいかっていうと、奈良さんと同じ時代に生きられて、よかったなあって。ゴッホさんとか、マティスさんの、(同時代に生きて「変化」を目の当たりにするという意味での)“ドキュメンタリー”は見られないですからね。
でね、さらに言うと、この時代に、奈良さんが「ものをつくる」人としていてくれて、よかったなあとも思います。
俺ね、福島出身者として、それなりに複雑な思いを抱いておりまして、いま。
もちろん、直接の被災者じゃないし、近い人もみんな無事でした。でも・・・、地震のこととか、原発のこととか、平常心で考えられないんですよね。
ちょっと心にフタしてたみたいなところがあって、まして直接的に作品の題材にするなんて、「ムリムリ!!!」って感じ。ただただ、この1年ぐらい、自分の目の前にある仕事を、脇目もふらず、突っ走るようにやってきて。
でね。
で、そんな心に、奈良さんのブロンズの彫刻が、ぐわ~~~~って入ってきて。
癒されたのかもしれないし、カサブタだと思ってたものが全然そんなんじゃなくて、あらためて傷口をじっと見つめたような気もするし。
なーんて、これが、俺の個人的な感想です。
きっと、観る人によって、その人それぞれの受け止め方が、きっとあるんでしょうね。
兎にも角にも、なんにせよ、
ありがとうございました。
いい作品をつくってくれて。
つくり続けてくれて。
俺ね、実は、映画の仕上げ中も、映画が終わってからも、夜中にひとりで編集とかしてて、「いまこの時間、奈良美智という人も、世界のどこかで一人で戦ってるんだ」っていうのが、けっこう支えになってたりしたんですよね。
で、この前、作品を観て、思ったんです。「俺は、ちゃんとやってるか? 戦ってるか?」って。
だからかなあ、あの日は、奈良さんに声もかけず、打ち上げにも参加せず、ひとり、家路につきましたとさ。
・・・な~んて、直接伝えられないので、この場を借りてこんな風に書いてみました。
まあ、また!
ビールでも呑みましょう~!!(焼酎、またはマッコリでも可!)
さかべ
奈良美智:君や 僕に ちょっと似ている
横浜美術館 2012年7月14日~9月23日 開催中
青森県立美術館 2012年10月6日~2013年1月14日
熊本市現代美術館 2013年1月26日~4月14日
そのほか、アジア・オセアニアを巡回予定。
【執筆者プロフィール】
坂部康二 さかべ・こうじ
1973年生まれ。東北新社所属。「情熱大陸」など、主にテレビドキュメンタリーを中心に手がける。2007年、アーティスト・奈良美智のドキュメンタリー映画「NARA:奈良美智との旅の記録」を監督。奈良が、クリエイティブユニットの「graf」、そしてのべ数千人におよぶボランティアスタッフと共に、故郷の青森で開催した大規模な展覧会「Yoshitomo Nara+graf:AtoZ」に至る道のりを記録。撮影期間は約1年半。韓国、イギリス、アメリカ、タイ・・・と世界各国をめぐる“旅”となった。