ぽくぽくと、軽快な、もしくは少し間の抜けたリズムが鳴り響く。何の音だろう。チャルラータは引き出しからオペラグラスを取り出し、窓から外の景色をのぞく。太鼓を叩く男がいる。彼女はその後も多くのものをオペラグラスからのぞく。垣間見のようなその行いは、彼女が家にとじこめられている力のない女であることを暗に匂わせているようにも思う。彼女は窓から外の世界の観客に過ぎず、主体にはなれないのだと。
1880年、英国植民地時代末期インド・カルカッタ。若く美しい妻チャルラータは、新聞社の代表兼社長であるブパチを夫にもち、何ひとつ不自由のない生活を送っている。家事をする必要はなく、使用人にお茶とお菓子を運ばせ、自らは小説を読み、刺繍に時間をつぶす。絶妙な角度で弧を描く眉の、そのちょっと得意げな表情。彼女は自信に溢れながらも、少し孤独で退屈している。夫はよき人であるが、その興味は政治に注がれ、新聞の仕事にかかりっきりだ。年中多忙で、ほとんど妻とともに過ごそうとしない。夫はそんな妻に少しは申し訳なく思っているようで、妻の兄夫婦を呼び寄せる。義兄には仕事を与え、義姉には妻の話し相手になるようにと。
チャルラータの兄夫婦の訪れと前後して、大学の休暇でブパチの従弟であるアマルが訪ねて来る。快活な性格で、詩を諳んじ文学に詳しいアマルの出現は、次第にチャルラータの退屈な日常を鮮やかにする。世話を焼きながらアマルが気になってならないチャルラータのそれは、恋と呼ぶにはあまりに初々しく、そしてなんとも物足りないようにさえ感じられる。オペラグラスから窓の外の世界をのぞいていたチャルラータは、ブランコにのりながらいったりきたりする景色を眺める。大きく揺れるその景色の片隅にはアマルの姿がある。ブランコと恋により、オペラグラスよりもはるかに躍動的で鮮やかな景色を彼女は見はじめる。ぐるぐると記憶は交じり、そして言葉がうまれていく。
アマルはブパチより、チャルラータの話し相手になるよう頼まれた際に、彼女の文才を導くようにも頼まれていた。ブパチから妻にはばれないようにと言われていながらも、アマルはさらっと君の夫から頼まれたとばらしてしまい、へそを曲げたチャルラータは書こうとしない。しかしアマルの文章が新聞に掲載されると、彼女はむきになって書きはじめる。チャルラータの文章もまた新聞に掲載され、アマルはチャルラータの文書に驚き、もっと書くよう促すが彼女はもう書かないという。別にチャルラータは文才がほしかったわけでもなく、アマルのためだけに書いた。もっと正確に言うならば、彼と同じ世界の住人でいるためだけに。文学を志し、美しい物語を紡ごうとしているアマルに、チャルラータの心もちは決してわからないだろう。アマルは芸術のため、読者のため、自分のため文章を書く。チャルラータのように、ただ一人のために、自分が恋してやまないその人のためだけに書き、自分自身のためにすら書くことのない人の気持ちがわかるはずもない。自分の一切を暴き、自分が自分でなくなるほどの混乱の最中、そこから絞り出すようにして書くその苦しさと後ろめたさを。
アマルは文学に忙しいようだ。ブパチは政治と新聞に。政治と芸術、形は違えど彼らは大義のような「大きな物語」を高らかな掲げ、誇らしく我が身を捧げている。チャルラータの孤独を誰も理解しない。政治も芸術も、そんなもので人生は満たされない。人生はそんなものでは紛らわされないものだと彼女だけが知っている。
『チャルラータ』において政治や芸術として描かれているものが、『ビッグ・シティ』においては仕事や金ともっとわかりやすく描かれる。1953年インド・カルカッタ、銀行員シュブラトの妻であるアラチは、夫の両親と同居し二人の子ども抱え、苦しい家計を助けるため働きに出る。主婦が働くことが珍しい時代、義両親の反対を振り切り、夫を助けたい一心で働きはじめたアラチであったが、求人募集で見つけて応募したにすぎない訪問販売の仕事で才能を発揮する。仕事で成果をあげ自信をつけていくアラチに対し、シュブラトの勤める銀行は倒産し、面目が保てない夫との関係は次第に軋みが生じる。
少し笑い、少し苦悶の表情を浮かべ、自分の稼いだ金の匂いをかぐアラチの表情。その表情を映し出した同じ鏡で、彼女は今までつけることのなかった口紅をつけ、訪問販売に出かけて行く。家庭で口紅をつけないアラチは、夫には気づかれぬよう仕事場で口紅を塗る、そのひそやかさ。
1960年代、サタジット・レイは舞台となった時代や家庭環境は異なるものの、インド・カルカッタを舞台に主婦である女性を主人公にした映画を立て続けに二本撮った。時代背景と主婦という設定のみに注視するならば、やはりそれは時代ゆえの女性の生き難さを描いているのだろう。それを否定しつくすことはできないのかもしれないけれど、これを女性の物語としてしまうことは何か大切なことを見落としてしまっているような気がしてならない。
一人は恋ゆえに文才を、一人は仕事を契機に金を手にいれた。男たちの「大きな物語」で通用する武器を手にいれた二人は、世界に華々しくデビューし、そこでロールプレイングじみた自己成長物語を繰り広げられた、というわけではない。予想外に手にしてしまった力に少しうっとりとしながらも、それに対する違和感と後ろめたさこそ繊細に描かれている。サタジット・レイのこの細部の表現の巧みさは筆舌し難く、言葉で描写した瞬間に過大で野暮なものになってしまう。ねらったようなあざとさはなく、一瞬見落としてしまいそうな他愛ない行動とさりげない台詞のうちにちりばめられた自然さというか素朴さは、圧倒的な美意識に裏づけされている。
二つの作品は恋を、仕事を、女を描いているのだろう。けれど私にはこれがどうしても女性を描いた映画には思えなかった。それどころか、ここに描かれているのは自由であり、それも社会的な地位や立場についての自由というより、魂の自由といってもよい領分についてだと思う。しかしなぜ主婦の女性を通して自由が描かれているのだろう。私はそのこたえを『チャルラータ』のある場面に見出したように思う。
チャルラータが夫にアマルへの想いが気づかれてしまった場面、彼女はたった一人静かに涙をぬぐい、必要以上に動揺しない。彼女の強い瞳。この瞬間、彼女だけが確かになってしまった。あたかもたった一人の本物の人間のように。あのくるくると笑い、飛び跳ねんばかりの喜びや、気持ちを隠して強がるチャルラータが懐かしい。すべては経て、おわり、そしてたどり着いてしまったのだ。彼女のその瞳の前にはどんなものも弱く、頼りなく、不確かに見えてしまう。無力に思われたものが一番確かな存在として立ち現れる。
アマルも夫も去っていこうとする中、チャルラータだけは去ってはゆかない。生きることは去ることができないことだと彼女だけが知っている。
男たちは高らかに叫びながらも、弱く惑う。男たちの掲げる政治や芸術のむなしさを、チャルラータは浮き彫りにする。私はただこのむなしい人生を埋めきるものを探している。そして私の人生は政治やら芸術やらでは埋められない。ただ生きているというそのまざまざとした生に、彼女だけがむきあっている。恋の理由のなさ、そして生きることの理由のなさに。
夫に従い家庭に生きる女。彼女たちの無力さに、社会との隔絶に、男たちは安心をしているようだ。意図しない無神経な言葉により、自らの優位を確認する。彼女たちが家庭以外の場をもったことに男たちはひどく動揺する。いわんやそこで力を得て、評価されようものなら、居ても立っても居られない。
男たちは何かを失うことをひどく恐れる。知識を獲得すること、権力を握ること、積んでいく価値の中で身動きがとれなくなっている男に比して、固定化しない、硬直しない、いやできない彼女たちのしなやかさは、あらゆるものを越境していく。
彼女たちの自由さの正体とは何だったのだろう。何ももたず、ふわふわと夫に生活を委ねるかに見える彼女たちは、何かをもつということの不確かさを、知識としてというより実感として理解している。彼女たちはときに驚くべき大胆さをもって事態を打開する。彼女たちが無力であればあるほど、自由に、そして越境する力は強くなる。
彼女たちは、人生と世界を愛する術を知っている。あらゆる価値が転倒した後も、彼女たちはするりと立ち尽くす。彼女たちはそれをどこで学んだというのだろう。おそらくは、生活というもののうちにある確かさと健全さと小さな絶望によって。
【上映情報】
サタジット・レイ監督デビュー60周年記念「シーズン・オブ・レイ」『チャルラータ』&『ビッグ・シティ』デジタルリマスター版上映
★9月12日(土)よりシアター・イメージフォーラムほか全国順次公開
公式サイト:http://www.season-ray.com/
『チャルラータ』
(1964年/インド/119分/B&W/ベンガル語/DCPリマスター)
● ベルリン国際映画祭銀熊賞(監督賞)(1965年)
● アカプルコ国際映画祭最優秀賞(1965年)
● インド国際映画祭最優秀賞(1964年)
監督・脚色・音楽:サタジット・レイ
撮影:シュブラト・ミットロ
美術:ボンシ・チャンドログプタ
出演:マドビ・ムカージー、ショウミットロ・チャタージ、ショイレン・ムカージー、シャモル・ゴーサル、ギータリ・ロイ、シュブラト・セン
原題:CHARULATA
原作:ラビンドラナート・タゴール
配給:ノーム、サンリス
配給協力・宣伝:プレイタイム
『ビッグ・シティ』
(1963年/インド/131分/B&W/ベンガル語/DCPリマスター)
● ベルリン国際映画祭銀熊賞(監督賞)受賞(1964年)
監督・脚色・音楽:サタジット・レイ
撮影:シュブラト・ミットロ
美術:ボンシ・チャンドログプタ
出演:マドビ・ムカージー、アニル・チャタージー、ハラドン・バナジー、セファリカ・デビ、ジョヤ・バドゥリ(現ジャヤー・バッチャン)、プロセンジット・シルカ、ハレン・チャタージー、ビッキー・レッドウッド
原題:MAHANAGAR(※日本初公開時タイトル『大都会』)
原作:ナレンドラナート・ミットラ
配給:ノーム、サンリス
配給協力・宣伝:プレイタイム
【執筆者プロフィール】
長谷部友子 Tomoko Hasebe
何故か私の人生に関わる人は映画が好きなようです。多くの人の思惑が蠢く映画は私には刺激的すぎるので、一人静かに本を読んでいたいと思うのに、彼らが私の見たことのない景色の話ばかりするので、今日も映画を見てしまいます。映画に言葉で近づけたらいいなと思っています。