【連載】開拓者(フロンティア)たちの肖像〜中野理惠 すきな映画を仕事にして 〜 第23話 text 中野理惠


『ナヌムの家』ポスターの前の中野

開拓者(フロンティア)たちの肖像〜
中野理惠 すきな映画を仕事にして

第23話 ナヌムの家 その2 
<前回 第22話はこちら>

『ナヌムの家』上映に嫌がらせ

サクマさんは、礼儀正しくて丁寧な語り口で、民族系のある団体に属していると言う。

私からは「自分はこの会社の代表だ」と伝えたつもりだった。数回の電話で話した内容は正確に覚えてないが、彼が戦時中の日本軍の慰安婦制度に対して疑問を語っていたことは間違いない。ある日、サクマさん以外の男性と話す機会があり、

「あんたたちも靖国神社で勉強してきなさい」と言われたので、宮重と真剣に検討した結果、二人で靖国神社に行ってきて、それを報告した。だが、それ以後も、電話が続くので、

「マスコミ向けの試写会がありますから、ぜひ、見ていただけませんか」

と伝えると、快く同意してくれた。

なんだ、女か

試写室のある半蔵門の川喜多映画文化財団に近づくと、大きな声が聞こえてくる。試写室の前には街宣車が停車し、スピーカーが大音量で、流していたのである。大きすぎて何を言っているのかわからない。財団の人たちが、私の姿を見るや、駆け寄ってきて、

「中野さん、何とかしてください」

と言う。

一方で、マスコミの人たちは冷静に受付を済ませると試写室に入り、席で大音量を聞きながら、始まるのをじっと待っている。受付に立つパンドラの若い宣伝スタッフも冷静に対応していた。すると、開始直前に、五、六人の男性がドヤドヤと入ってきた。その中にサクマさんもいた。宮重の記憶では、入り際に看板を蹴った人もいたとのことである。サクマさんと並んで試写室の入り口に向かいながら、私が、自分を名告ると、

「ナカノさん、ぜひ、社長さんにお会いしたいですね」と言うではないか。

「ワタシ、私ですよ」

と右手の人差し指で、自分の鼻を指さして言った。その時の反応はつい今朝の出来事のように覚えている。

「なんだ、女か」

と、落胆するように肩を落としたのである。周囲で見ていた人たちも、後に、

「傍で見ていても全身から、がっかりした感じが伝わってきた」

と口々に言っていたほどである。

右翼が試写を見たのは冒頭のみ

通常の試写開始と同様、冒頭に挨拶をして何事もなく試写は始められた。皆、緊張していたと思う。ところが、試写開始から5分も経たなかったと思うのだが、ドヤドヤと、右翼の人たちが試写室から出てくるではないか。口々に何か言っていたが、正確な記憶はない。サクマさんも出てきた。近寄って話しかけた記憶はあるが、内容を覚えていない。おそらく「最後まで見なくてもいいのですか」だったと思う。後にわかったのだが、映画が始まると、前列に陣取っていた彼らが口々に、画面に向かって何か喋ったのか叫んだらしい。それをひとりの新聞記者が

「うるさい、黙れ!」と一括したのだそうだ。

その一言で、試写室を出ることになったようだ。この一件以後、彼らからの電話はピタッと止んだ。だが、名前を告げない一般の人々からの電話は続いた。当時のスタッフの誰もが、泣くわけでもなく、文句も言わず、会社を休むこともなく、真面目にじっくりと、そのような電話に対応していた。彼女たちの支えがあったからこそ、この難事を乗り越えることができたのである。深く感謝している。

ハルモニたちの来日

宣伝キャンペーンの一環としてハルモニたち(※①)が来日した。右翼が試写を見た時との前後関係の記憶が曖昧なので申し訳ないのだが、貴重で楽しい出会いだった。来日したのは4名だったと思う。記者会見では、誰もが「我こそは」と、前に出て話す。決して遠慮などしない。どの人も、突き抜けている、との印象を抱いた。筆舌に尽くしがたい体験を、自分たちの努力で<言葉化した>、という表現が相応しい、と思った。時計を逆に回すことはできない。公けの場に出て語れるようになるまでのハルモニたちの葛藤は、想像もできないほど辛いものだったと思う。

 当時のソウルでのデモ

「ナヌムの家」配給継続の背景

大学卒業時、男性とは異なり就職試験すら受けることのできない実態、そしてやっと得た職場での信じられないほどの性差別。そのような性差別がまかり通っていることへの理不尽さからリブの活動に関わった。性差別の最も酷い形が性暴力であり、戦時性暴力の実態を知った。それが原動力となり、『声なき叫び』の上映活動に参加し、それらの経験が『ナヌムの家』を日本で上映しようと決めたことに繋がっている。

『ナヌムの家』の配給活動の継続には、何よりもスタッフが一丸となってくれたことと、多くの協力者や支援者の存在を、まず第一に、挙げなければならない。そして同時に責任者として自分なりに覚悟しなければならない事態に直面していたのも事実であった。


劇場初日の出来事

公開初日、BOX東中野で立ち合っていた私たちの前を、サクマさんたちの所属していた民族団体の構成員であるひとりの若者の姿が劇場に入るのを見かけた。彼は映画開始後ほどなくして出てくると、お手洗いに入って行く。支配人の山崎さん(※②)が、

「きっと、映画の内容を電話で知らせているんだ」と言う。

私たちも、そうだろう、と納得したが、実はそのようなお目出度いことではなかった。トイレで、その青年はとんでもない事をしていたのだった。

来日したビョン・ヨンジュ監督も参加したトーク付きイベント。
左からビョン監督 登壇者の渡辺えり子さん 辛淑玉さん 福島瑞穂さん

①    ハルモニ 韓国語でおばあさんの意味。
②    山崎陽一支配人 昨年12月に亡くなりました。お見舞いに行った際の穏やかな寝顔を忘れられません。ご冥福をお祈り申し上げます。

(つづく。次は2016年2月15日に掲載します。)

中野理恵  近況

初めて九州地区の賀詞交歓会に出席し、九州シネマエンタープライズを訪問。「満映」(胡昶+古泉著/横地 剛+間ふさ子訳/1999年)発行時にお世話になった満映付属の技術者養成所の最後の卒業生であり、今でも現役の緒方社長(91歳)に、20年ぶりだろうか、お会いできて嬉しかった。息子さんの泰男さんによると、エクセルに挑戦しているとか。

 

 

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