【連載】開拓者(フロンティア)たちの肖像〜中野理惠 すきな映画を仕事にして 〜 第22話 text 中野理惠



『ナヌムの家』記者会見(右が中野、真ん中がビョン・ヨンジュ監督)



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Zithromax online 第22話 ナヌムの家 その1
Crestor Online <前回 第21話はこちら>

ナヌムの家

『ナヌムの家』公開(1996年)では、あまりにも多くの出来事があり、何をどう書こうか、と思案投げ首で数日間を送ってしまった。

 バリトのメンバーの打ち合わせ  右が監督のビョン・ヨンジュ

出来上がった16ミリフィルムを持って、ビョンちゃん(監督のビョン・ヨンジュのことを、パンドラを紹介した彼女の大学の先輩がそう呼んでいたので、私もそのまま呼ぶようになった)が来日した。季節は夏の走りだったような記憶だが、曖昧である。映画を見て驚いた。ハルモニ(※①)たちがカメラを気にせず、家事をし、お喋りをしている。男性スタッフも含めてビョンちゃんたちクルーは、ハルモニたちの暮らしに溶け込んでいた。実は、前話で触れた女性だけの映画製作グループ<バリト>で作った短編からは、ここまでの出来は予想していなかったから、驚いたと同時に感心した。聞くと、まずは、ハルモニたちと親しくなろうと、カメラを持たずに通ったのだそうだ。

 The Murmuring

「ナヌムの家」のチラシ(クリックで拡大します)

『The Murmuring』とは、『ナヌムの家』の英題である。ぶつぶつと籠るように低く呟く、というような意味で、声を上げ始めたハルモニたちを的確に表現していると思った。センスがいい。邦題は、パンドラの若いスタッフにビョンちゃんも交えて話し合った記憶がある。<低い声>でもないし、ああでもないこうでもない、と考えあぐねて、ハルモニたちの暮す家の名称をそのままつけよう、となったのだと思う。ナムルの家、と間違えられることも多かったが、この時点で、まさか<ナヌムの家>が広辞苑に掲載される日が来るなどとは、想像もしていなかった。


公開に向けての
10カ月間

『ナヌムの家』もBOX東中野の山崎陽一支配人が気にいってくれて、翌年のゴールデンウィークでの劇場公開が決まり、宣伝準備開始から公開までに10ヶ月かけた記憶がある。

最初は、全国の女性運動関係の人たちに上映協力をお願いしようと思い、試写の案内をハガキで数百通、発送した記憶がある。事務所でも試写をしたのだが、回数は覚えていない。37回試写をした『ハーヴェイ・ミルク』ほどの数ではなかったと思う。政治的にも村山談話があり、現在と状況はかなり異なっていた。

1995年10月の山形国際ドキュメンタリー映画祭に出品し、新人監督賞に相当する小川紳介賞をビョンちゃんは受賞した。その後、東京国際女性映画祭でも上映し、両映画祭で来日した彼女の知的でおおらかな人柄は、多くの人々を魅了したものである。

山形での上映で挨拶するビョン・ヨンジュ

 山形で『ナヌムの家』は小川紳介賞を受賞した

嫌がらせの電話

だが、宣材作成準備の傍ら、広報期間に入り、マスコミで紹介され始めた途端、予想もしなかった出来事に見舞われることになった。名告らない人々からの電話が続いたのである。従軍慰安婦はいなかった、こんな映画を上映するとは何事だ、などなど。今でも、当時の若い宣伝スタッフには頭の下がる思いがしている。誰ひとりとして、泣くわけでも、会社を辞めたいとも、私に電話を代わってほしいとも言わず、じっくり相手の話を聞き、音をあげなかったのである。


40
分間 電話の相手をしたスタッフ

中でも忘れられないのは、児島さんという20代後半のスタッフが相手をしていた電話の件である。電話の主は、別に映画のテーマに関心があるわけではなく、敗戦前、朝鮮半島に土地を持っていたことや、丁度、当時、問題になっていた竹島(韓国では独島(トクト)と呼んでいる)を例に出して、自分に竹島をくれないか、と言って切ったのだと言う。聞くと吹き出しそうな内容だが、脅しに近いような電話ばかり続いていたので、そう言ってもいられない。児島さんは、40分近くじっくりと真剣に相手の話を聞いていたのである。なかなかできないことだ。


5
年間続いた嫌がらせ

『ナヌムの家』は、『ナヌムの家2』『息づかい』と三作品つくられ、すべての日本配給をパンドラで手掛けたので、嫌がらせの電話は都合5年間続いたことになる。その多くは氏名を名告らないものだった。名告ったのは<サクマさん>という男性だけだったが、それは忘れることのできない出来事、というか事件の発端でもあった。この人だけは偶然だが、私が対応した電話だった。

ビョン・ヨンジュは誰にも愛された 中野の自宅にて(右は田中美津氏)

※ハルモニ 韓国語でおばあさんや祖母を意味する

(つづく。次は2016年1月15日に掲載します。)

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野坂昭如が亡くなった。人物も作品も大好きだった。「野坂さんですか?アキユキさんいらっしゃいますか」と、いきなり電話で不躾な話し方をしたにもかかわらず、「あのね、あのね、山の上ホテルにきてください」と、応えてくれた時の声が今でも耳元に残っている。ご冥福をお祈り申し上げます。

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