【連載】開拓者(フロンティア)たちの肖像〜中野理惠 すきな映画を仕事にして 〜 第21話 text 中野理惠

開拓者(フロンティア)たちの肖像〜
中野理惠 すきな映画を仕事にして

第21話 続・『レニ』のはなし
<前回 第20話はこちら>

グランドキャニオンにて。1994年GWに友人の柴洋子さんと一緒に行った。柴さんは『声なき叫び』を神奈川で上映してくれた縁で知り合い、終生の友人のひとりとして、今に至る長い付き合いになっている。

逆つなぎ

『美の祭典』のくるくると回って飛び込むシーンの連続に村山さんは目を回したのだが、驚いたのは、その編集方法である。飛び込みを逆回しにつないであったのだ。空を背景に、脚を抱えて選手が回るカットを逆に連続させる、つまり、プールに落ちた部分をアタマにして編集してあったのだ。なかなか思いつかないアイディアだ。マラソン競技の撮影のために、競技終了後、再度、選手を走らせたことはよく知られているが、飛び込みでもこのような技を駆使していたのだから、他の競技でも気づかないことがあるのだろう。実際、後述する瀬川裕司さん(※①)が『美の魔力』(※②)で、そのような事実を指摘している。

豊富に残されていた映像

『レニ』が人々を惹きつけたのは、レニ・リーフェンシュタール自身が、激動の時代の表舞台を生きた事実、つまり、毀誉褒貶の多い人生になった事実を裏付ける、当時の映像が豊富に使われていたことが大きい。本作の監督を希望する多くの候補者の中から、彼女自身が選んだレイ・ミュラー監督は、ひとりの女性の人生に的を絞り、時代の流れに沿って、全体をつくりあげた。ヒトラーもゲッベルスも映画が大好きで、例えば、独ソ戦に従軍して命を落としたカメラマンは確か100人を超えていたと思う。敗戦後も、保存されているそれらナチ支配下の映像を自由に使えたことが、映画を充実させる背景にあった。それと同時に、このような人物を正面からとらえる映画を製作できた背景に、ドイツという国による、適切な時期における適切な敗戦処理があったのを見逃してはならないと思っている。
左からレニ、プロデューサーのハンス=ユルゲン・パニッツ、レイ・ミューラー監督

ドイツと日本の敗戦処理

ドイツ人が時折、「ナチのしたこと」と、余所事のような言い方をすることに疑問がないわけではないが、戦後処理を曖昧にしたまま70年間を過ごしてしまった日本に比べると、遥かに誠実である。当時、仕事で会うドイツ人にDie Macht der Bilder(『レニ』の原題で、意味は<映像の力>とでもいったらいいだろうか。英題のThe Horrible Wonderful life of Leni Riefenstahlとはかなり意味が異なる)を配給すると言うと、苦々しい表情で、言い訳のように彼女について、長く語る人が何人かいたことを覚えている。

 権力の走狗

『意志の勝利』『オリンピア』(『民族の祭典』『美の祭典』の二章で構成)、そして戦後の写真集「ヌバ」。ナチを鼓舞した、ヒトラーと寝た女、などなど彼女については、さまざまに評されているが、権力好きな庶民そのものだ、と思った。生まれた時代が異なっていたら、傑出したCMディレクターになったのではないだろうか。哲学を持たない科学者や芸術家は権力の走狗になる。その典型のような人だった、と思う。

『民族の祭典』日本公開時(1940年/東和商事配給)のポスター※クリックで拡大します

「美の魔力」

「週刊文春」でこの映画について、瀬川裕司さん(※①)が非常に適切な評を書いていた記憶があるのだが、記録が見当たらないので、紹介できないのが残念だ。瀬川さんはその後、パンドラ発行で「美の魔力―レーニ・リーフェンシュタールの真実」(※②/2001年刊)を著した。本人に長時間のインタビューをし、作品を一カットずつ緻密に分析したみごとな研究で、芸術選奨文部科学大臣新人賞を受賞している。本書も前述の稲川さん(第20話に登場)が編集した。

 「美の魔力―レーニ・リーフェンシュタールの真実」

武蔵野興業の反省

その年(1995年)の武蔵野興業(※③)の反省会で『レニ』を断ったことが、5つの反省点の中のトップだった、と、断った当人である石井支配人(故人)が、わざわざ知らせてきたようなこともあった。率直な石井さんらしい、と微笑ましくて、いつまでも記憶に残った。腎臓を患っていた石井さんは50代の若さで亡くなったが、訃報を聞いた時、すぐに思い出したのは、この『レニ』のエピソードだった。

ビョン・ヨンジュさん

『レニ』公開前、1992年ごろだったと思う。新富町の傾いたオフィスに身長180センチ近い韓国女性が、

「日本にはフェミニズムの映画を配給している会社がある」

と、彼女の大学の先輩からの情報を頼りに、自作の16㎜の短編映画数本を持参して訪ねてきた。ビョン・ジョンジュさんとの出会いであった。

持参した作品は短編であったため、私が個人で主宰していた<女性映像制作者を支える会>主催で上映会とトークショーを、池袋にある女性センター<エポック10>で開催した記憶がある。彼女の誠実さと素直な人柄が気に入り、その後も交流が続いた。

そんなある日、

「従軍慰安婦のドキュメンタリーをつくりたい」と言ってきた。

「心を開いてくれるだろうか、難しいと思うよ。」と応えたのを覚えている。

それから数年後、The Murmuringと題されたドキュメンタリーの完成を、ビョンちゃんは知らせてきた。

(つづく。次は12月15日に掲載します。)

 ※①瀬川裕司(セガワ・ユウジ):ドイツ、オーストリア映画の研究の日本の第一人者である。著書に「ナチ娯楽映画の世界」(2000年/平凡社)他多数。
※②『美の魔力』:(2001年/パンドラ刊)書名では瀬川さんの希望に沿い、日本語表記名をレーニとした。
※③武蔵野興業:ムサシノコウギョウ/1920年創業の新宿に本社を置く、新宿武蔵野館やシネマカリテなどの映画館を経営している舗の興行会社。

中野理恵 近況
先日<~名告る>と書いたらアカ入れされた。今年になり2回目だ。「我こそは〇○である」と名を告げた来歴を知らずとも、どうして名前の上に乗れるのか、とは考えないのかねえ。「名乗る」と書く文章を全国紙でも見るようになり、情けない。また、近所のお父さんが週末の午前中に、自転車に小学校入学前の子どもをのせていたので、「おはようございます」と声をかけると、子どもを英語塾に通わせている、とのこと。英語の前に日本語だろう!

neoneo_icon2