【Review】人間たちに向けられた「祈り」〜モフセン・マフマルバフ監督『独裁者と小さな孫』text 大久保渉

息づかいが印象に残った。スクリーンから聞こえてくる、生きとし生ける者たちの息づかい。暴れまわる民衆。逃げまどう民衆。銃で撃たれてほんのひと息うめき声をあげた男。花婿の前でレイプされて泣き叫んでいた女。牢屋から解き放たれて急ぎ帰路に就く男たち。憎き男を前にいきり立つ女たち。暗く静寂に包まれた劇場の中でこだまする、人間の荒々しい生の鼓動。喜怒哀楽が入り混じった、人間のむきだしな感情。果たしてこれは現実に起こった出来事なのか、それとも空想の産物なのか。もしも世界を変えることができる映画があるとすれば、それは今作なのかもしれない。『ガンダハール』で世界を震撼させた巨匠モフセン・マフマルバフ監督による待望の最新作『独裁者と小さな孫』。名も知れぬどこかの国を舞台にした恐ろしいほどに可笑しな映画が、このたび公開される。

ストーリーは単純だ。「生きるか、死ぬか」。ただそれだけしかない。

独裁政権が支配する国。大統領とその家族は、圧政に依って国民から搾取した税金で贅沢な暮しをしていた。政権維持のため、サイン一つで次々と罪なき国民を処刑していく大統領。幼い孫息子に自分の力を誇示するため、電話一本で街中の灯りを消してみせたその男の瞳には、目の前に広がる暗闇同様、もはや国民の姿など何も映ってはいなかったのかもしれない。

そこに突如として鳴り響いた、数発の銃声。爆発物の光線。かくして怒れる民衆に依って巻き起こったクーデターが、今度は大統領の命を次第に、そして確実に脅かしていくことになる。国外へ避難する家族と別れて自国に留まった大統領と、大好きな幼馴染やオモチャと離れたくないと言って居残った孫息子。しかしながら、もはや反体制の動きを押しとどめることはできず、独裁政権は完全に崩壊。今や暴徒と化した民衆や反旗を翻した兵士たちから追われる「賞金首」となってしまった独裁者と小さな孫は、時に羊飼いを装い、時に旅芸人のような振舞いをしながら、自らの生と死、国民たちの生と死を肌に感じつつ、一路安全な地へ逃れるべく海を目指すことになるのであった。

この劇映画でありながら、まるでどこかの国の惨状を写しとったかのような、政治ドキュメンタリーであるかのような映画は、マフマルバフ監督がインタビュー等で語っている通り、いわゆる“アラブの春”以降における独裁政権崩壊後の民衆に依る無秩序、混沌、暴力を強烈に描き出しているように感じられる。何より、権力に固執する大統領の冷酷さと傲慢さを知っていながらも、その一方で彼らの無事な逃避行を祈ってしまうような不思議な感覚におちいってしまうのは、大統領が孫息子を慈しむその家族愛にしばし心がほだされてしまう以上に、クーデターによって政権を覆した民衆たちによる暴力があまりにも荒々しく描かれていたからなのではないだろうか。無政府状態となった世界にはびこる、窃盗。レイプ。殺人。大統領を追いかける民衆の恐ろしい顔が、どうしても自由を勝ち得た人間の晴れ晴れとした顔には見えてこなかったのである。エジプト、リビア等々、独裁体制崩壊後、民主化に向けた動きを見せたはずの諸国家が、結局はその理念とは裏腹に、依然として暴力的な統治をおこなっている現実を、マフマルバフ監督は鋭い眼つきで睨みつけているのであろう。暴力で成し得た革命には、暴力しか生まれない。圧政が人を殺し、クーデターがまた人を殺し、何百万人もの難民を生み出し続けている中東諸国の実情勢。抑圧的な政治が横行する祖国イランを離れたマフマルバフ監督は、これまで渡り歩いてきた国々で見てきた「暴力の連鎖」の惨状を、スクリーンの中で痛烈に描き出そうとしていたのかもしれない。ロケ地グルジアの、荒涼とした荒れ地や瓦礫で覆い尽くされた廃墟の数々が、この世界中のいたるところで巻き起こっている紛争を、強く想起させるのである。

「こんなゲームは嫌いだ」。孫息子が逃亡生活の中で何度もつまらなそうにつぶやくこの台詞が頭からどうしても離れないのも、上記と同じ理由があるからなのかもしれない。宮殿での豪華な生活から一変、食べる物もままならない生活に身をやつすこととなった孫息子。そんな彼に向かって大統領は、「これはゲームなんだよ」と嘘をつく。しかしながら、5歳児の彼にとっては何故自分たちが国民から追われているのかが理解できない。何故こんなボロ布を着なければいけないのか? 何故こんな粗末な食事をしなければいけないのか? 大統領に率直な質問を繰り返す孫息子。しかしながら、大統領は苦々しげに、言葉少なにしかその問いに答えてくれない。愚かな過去を振り返らなければならない大統領にとっては、あまりに痛烈で核心をつく質問の数々。しかしながら、生まれたまま、生まれおちたまま生きるしかない幼き孫息子にとっては、なぜ人と人がこんなにまで憎しみ合わなければならないのかが全く理解できないのである。そしてそれはまるで、この世界中で、不安定な政治的情勢の中で喘いでいる子供たちの言葉をそのまま拾い上げたかのような響きをもっているように感じられるのである。何故こんな惨劇がいつまでも繰り広げられているのか? 誰もが知りたいその答えに迫ろうとするマフマルバフ監督の熱い息づかいが、画面の端々から伝わってくるのである。

「はぁはぁ」、「はぁはぁ」、そしてまた、そんなマフマルバフ監督の想いは、ひたすら息の切れる音が続いていく画面からもひしひしと伝わってくるように感じられる。命からがら逃げまどう大統領とその孫息子。恐れ、嘆き、怒り、哀しみ。苦しみながらも生活を続けていく民衆たち。音楽を極力まで排した映像の数々が、人間の生きている証である呼吸音を、生命の息吹を、ただただ観客の耳に届けてくれる。そして、「タタタタタタタタ」、画面の端でかきならされる銃声と、「バタリ」、「ドサリ」、力なく倒れていく人間の死の音。それらがときおり観客の心をザクリとえぐっては、息を吸う力さえをも奪い去っていく。観ているこちらまでもが思わず息切れをしてしまうような、緊迫した音と映像の連なりが、画面と観客の間に横たわる物理的な隔たりを消し去り、観客を次第次第に「生きるか、死ぬか」の世界へと引っ張り込んでいくのである。マフマルバフ監督が演出した臨場感溢れる手持ちカメラの映像と、生々しい演技、脚本、そして、音。それらが混然一体となって、まるでドキュメンタリー映画を見ているかのような、否、現実の世界を見ているような感覚を観客に与えてくる。そしてそれは、劇場で映画を見ている現在の自分の立ち位置さえもが分からなくなってしまうほどに、ひいては、現在自分が抱いている思想さえもが激しく混乱してしまうほどに、衝撃的な体験となって観客の心を打ち震わせてくるのである。

独裁者と小さな孫の逃避行を描いたこの物語。主人公が生き延びるのか、殺されるのか。それだけでも十分に見ている者の心をハラハラとさせる映画ではあるけれども、しかしそれ以上に、今作は独裁者一人の生死を問うても何ら世界は変わらないという事実を、我々に提示しているかのように思われる。たとえ一国を支配していた権力者であろうとも、所詮はただの、孫息子を大切に想うか弱き老人。彼一人を追い詰めたところで、国家に平安が訪れることはない。それよりもむしろ、すべてはそこに生きる人間、その行動のひとつひとつにこそ、争いのない未来が懸かっているように感じられる。独裁者よりもむしろ、民衆一人一人の生きざまを色濃く描き出したシーンにこそ、虚構を虚構で終わらせない、現実世界に迫るほどの迫力が備わっていたように感じられたのである。

映画『独裁者と小さな孫』。恐ろしいほどに可笑しな物語。観客はこの映画のラストシーンを観終わった後に、きっと何かを感じ得ずにはいられない、胸のもやもやを抱えることになることかと思われる。しかしそれが、この「世界」を変える起点になってくれることを、マフマルバフ監督は祈っているはずである。エンドロールで流される、寄せてはかえす波の音と同じように、歴史というものは行きつ戻りつを繰り返していくものなのかもしれない。しかしながら、波打ち際に立った人間は、そこで足を踏ん張ることができる。横風にあおられながらも、波にさらわれることなく、まっすぐに立ちつづける人間。人間。人間の姿。本当にとりとめもないイメージではあるけれども、私は映写が終わった真っ暗なスクリーンを眺めつつ、ふとそんなことを考えてしまったのである。

自分の両足に、力が入っていることを感じながら。



【映画情報】

 『独裁者と小さな孫』
(2014年/ジョージア=フランス=イギリス=ドイツ/ジョージア語/カラー/ビスタ/デジタル/119分)
原題:THE PRESIDENT
監督:モフセン・マフマルバフ
脚本:モフセン・マフマルバフ/マルズィエ・メシュキニ
製作:メイサム・マフマルバフ/マイク・ダウニー/サム・テイラー/ウラジミール・カチャラワ
撮影監督:コンスタンチン・ミンディア・エサゼ
編集:ハナ・マフマルバフ/マルズィエ・メシュキニ
美術監督:マムカ・エサゼ
音楽:グジャ・ブルドゥリ/タジダール・ジュネイド
衣装デザイン:カテワン・カランダーゼ
共同製作:ダヴィッド・グランバッハ/マチュー・ロビネ/ルドルフ・ヘルツォーク/ヘニング・ブリュンマー
配給:シンカ SYNCA
宣伝:オデュッセイア、ブラウニー
後援:ジョージア大使館

12月12日(土)より新宿武蔵野館、ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国順次公開

 <公式サイト>
http://dokusaisha.jp/

【執筆者プロフィール】

大久保渉 (おおくぼ・わたる)
1984年生まれ。専修大学文学部英語英米文学科卒業。2015年1月~4月にかけて、第二期「シネマ・キャンプ」映画批評・ライター講座を受講。現在、『ことばの映画館』ほかにて執筆中。

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