【連載】開拓者(フロンティア)たちの肖像〜中野理惠 すきな映画を仕事にして 〜 第20話 text 中野理惠

1990年代の前半のころ

開拓者(フロンティア)たちの肖像〜
中野理惠 すきな映画を仕事にして

第20話 『レニ』のはなし

 <前回 第19話はこちら>

ブロイケとは?

ベルリンオリンピック(1936年)の平泳ぎの決勝を実況中継中のアナウンサーが、「ブロイケ、ブロイケ」と叫んでいた人物の謎は、後にパンドラで発行した「三分間の詐欺師―予告編人生」(2000年刊)の著者、佐々木徹雄さんからの電話で解けた。ブロイケではなく、コイケ(小池)、つまり1936年ベルリンオリンピック男子200メートル平泳ぎで、銅メダルを取得した小池禮三選手のことであった。では、国際オリンピック委員会の公式記録ではどうなっているのだろうか。

回を追うごとに出席者が増えたマスコミ試写

さて、通例、マスコミ試写開始は公開予定日から数えて、ギリギリでも三か月前(月刊誌の締切日に合わせている)に設定しないと、パブリシティが間に合わないのだが、『レニ』は大幅に遅れて、初日が7月8日(土)なのに、試写開始はGW直前の4月16日だった。つまり3か月を切っていた。だが、さほど焦った記憶がない。おそらく、5館に断られていたこともあり、また、私の気に入る映画は、宣伝に苦労する傾向があるからだろうか。だが、回を追うごとに出席する批評家やライター、編集者が増え、ついに試写室が溢れた。当時はたいていの場合、松竹さんの第二試写室を借りていたので、座席数の多い第一試写室がたまたま空いていたため、いったん、席についていた方々に移動していただいたこともあった。

大ヒットした『レニ』

 大ヒット

実はこの作品は、私が契約する前に、NHKがTV放映権だけを購入してあったため、公開前にNHKで放映されていた。それにもかかわらず、大ヒット(だと思う)した。劇場に入れない観客を整理するための人手が足りず、パンドラからも東中野まで、毎日、スタッフが応援に出向いた。劇場で販売している自伝(※①)、映画のプログラム、カード、ポスターなど全て買ったけど、もっと欲しい、と傾いた木造のパンドラのオフィスを、突然訪ねてきた女性がいたほどである。そして、プログラムは増刷しなければならなくなった。増刷は『ハーヴェイ・ミルク』以来の出来事である。プログラムは、当時、パンドラ発行の映画関連書籍の編集者であった稲川方人さん(※②)や宮重と、採録シナリオも掲載して、せっせと編集したので嬉しかった。

当初4週間限定公開だったので、興行日程を延期してくれるように頼んだのだが、山崎支配人が、後番組のこともあり「うん」と言ってくれず、仕方なく4週間で終了。9月に再上映したのだが、ぐっと冷えてしまっていた。興行は生き物だ。

公開準備中の2月にベルリンに出張する機会があり、ミュンヘンの彼女の自宅を訪問しようと思ったのだが、当時90歳を超えていたのに、確か、アフリカの海に泳ぎに行っていて会えなかった。連絡をとっていただいた、ミュンヘン在住の椛島則子さん(自伝「回想」の翻訳者であり、リーフェンシュタールの秘書をしていたこともある)には、単なる通訳の域を超えて心配りをしていただいた。感謝しているだけではなく、仕事と個人的関心の間の距離の取り方とでも言ったらいいのだろうか、教わった思いだ。

90年代 友人たちと自宅で食事を楽しむ。向かって左から二番目が中野

予告編 そしてもう一人の大恩人

さて、この映画の予告編のディレクションは、村山彰さんにお願いした。村山さんは、大手映画配給会社、東宝東和を退社し、プランニングOMという宣伝制作会社を始めていた。村山さんが、予告製作会社ガル・エンタープライズのベテラン、西川泉さんと二人三脚で担ってくれたのである。フランス映画社勤務時代に、私が全日本洋画労働組合(略称は全洋労(ゼンヨウロウ))の組合員、彼が東宝東和の従業員組合の委員長をしていたことが縁で知り合い、今に至るまでの長い付き合いになっている。邦題、予告編、チラシ、ポスター、マスコミ用プレスなどの宣材物の作成は、配給側の宣伝コンセプトを直接盛り込むので重要である。ソクーロフやヘルツォーク、パラジャーノフ監督作品などのアート系作品は、私個人の好みで手掛けているため、これらのディレクションは自分で担うが、そうではない多くの映画は、全て、彼のセンスと経験を信頼してお任せしている。

この連載で自分のことを読んだ宮重(第10話参照)が、

「ねえ、村山さんのことも書くんでしょっ?」

とすぐに訊いてきた。会社が今ある大恩人の一人であることを承知しているからこその発言であった。

「字幕仕掛け人一代記」(1995)の出版記念会で 正面の男性が村山彰さん、手前は著者の神島きみさん

目が回る場面

ところで、『レニ』の予告編作成時、村山さんが、画面を見ていたら「目が回った」と言う。飛び込み競技の場面だった。何人もの選手が飛び板を跳ね、宙を舞い、プールに飛び込むカットが続く。確かに目が回るようだ。このカットでは、リーフェンシュタールが奇想天外な技術を駆使していたのだった。

 (つづく。次は12月1日に掲載します)

※①「回想」上・下(椛島則子訳/1991年/文芸春秋刊)
※②イナガワ マサト/映画の書籍編集者としてよりも、詩人として広く知られている。詩集に「2000年のコノテーション」(1991年/思潮社/現代詩花椿賞)ほか多数。2002年に500ページを超える「稲川方人全詩集」(思潮社)を発行。

中野理恵 近況
10月下旬から映画祭シーズンで、東京国際映画祭以外に、各国の新作特集も開催され、ほぼ連日のように試写に出かけていた。ドイツの新作『ヴィクトリア』は、2時間を超える劇映画なのに、ワンカットで撮影。緊張感と臨場感が半端ではなかった。ソクーロフが『エルミタージュ幻想』(2002年/パンドラ配給)を90分ワンカットで撮り、話題となったが、今回は劇映画で、しかもオープン撮影まである!

「稲川方人全詩集」(2002年/思潮社)

neoneo_icon2