大手企業や在韓アメリカ大使館、地方警察庁が立ち並ぶ、ソウルの目抜き通り光化門広場からすぐそこに、標高836メートルの北漢山が見える。韓国は国土の70パーセントが山岳地帯と、その割合は日本とさほど変わらないのだが、こうした光景は、東京ではまず見られない。中高年から若年層まで、登山は娯楽として浸透し、登山服を扱うアウトドアブランドは、スター芸能人をこぞって広告塔にする。韓国人にとって山は、手近な行楽地でありながら、心のよりどころとして日々仰ぎ見る存在であり、つまり、とても愛しているのだ。
これまで韓国映画において山の姿は、その作品世界によって陰に陽に表現されてきた。『南部軍 愛と幻想のパルチザン』では、朝鮮戦争に翻弄された山岳パルチザン・南部軍の劇闘と敗走とともに、潜伏の舞台となった韓国南部の名峰、智異山の多彩な四季と雄壮な景観が描かれている。南北分断の犠牲となった南部軍への痛惜の念も相まって、最後は厳粛な気持ちにさせる。その一方、フランス映画調の軽やかな男女の恋愛喜劇で知られるホン・サンス監督の映画では、劇中の男女は山へ登り、その下界でもつれた恋愛をほどいたり、複雑に結んだりしている。何気ない日常で繰り広げられる、ささやかな出来事の反復と差異を素描し続けてきたホン・サンス作品の中では、山はさりげなくスクリーンの中に佇んでいる。
こうした韓国人と山、あるいは韓国映画と山という題材の親密さゆえか、『ヒマラヤ~地上8,000メートルの絆~』(以下『ヒマラヤ』)が、韓国初の本格的山岳映画だということに、いささか虚を突かれたような思いに駆られた。世界屈指の山岳人、オム・ホンギル氏が、エベレストで命を落とした仲間の亡骸を捜しに向かった実話を基にした本作は、山は自然界での有り様そのままで映像に現れており、そうした意味では正攻法の山岳映画である。だが『ヒマラヤ』は、登山家を主人公にしながらも、登山映画ではない。「登山」とは、読んで字の如く「山に登る」という意味だ。山へ登れば、いずれ頂上に到達する。この映画は、頂上を目指さない。人が山を下りる映画なのだ。
1992年、ネパール滞在中の登山家オム・ホンギル(ファン・ジョンミン)たちは、大学の山岳部が雪の山中で遭難したという一報を受け、救助に向かう。「仲間の遺体を置いて行けない」と反抗する、無謀で生意気なムテク(チョンウ)とジョンボク(キム・イングォン)を、ホンギルは厳しく叱責。一度は置き去りにするが、どうにも放っておかれず、自らも遭難の危機に際しながら救助に向かい、山小屋で二人を介抱する。このことが縁で、ムテクとジョンボクはホンギルを慕うようになる。とりわけ根性があったムテクを連れ、ホンギルはヒマラヤ山脈の主峰の一つ、カンチェジュンガの登攀に成功。以来、固い絆で結ばれた二人は、ついに14座完登に到る。
ヒマラヤ16座挑戦を約束した二人だったが、過去の滑落で負った古傷が悪化したホンギルは引退を余儀なくされる。ムテクはリーダーとして、大学の後輩を連れてジョンボクとともにエベレストに向かう。ところがほどなくして、ムテク、ジョンボクら3人の隊員が、登頂成功後の下山中に遭難したという一報が入り、言葉を失うホンギル。亡骸もない通夜の席で、ムテクの新妻スヨン(チョン・ユミ)は、ホンギルの引退を責める。やがてホンギルは、ある無謀な決断をする。
ホンギルたち先輩登山隊員は、ムテクとジョンボクを鬼のようにしごき、生死を左右する緊迫した場面でも容赦なくからかう。こうした手荒なやりとりを通して互いが打ち解けていく辺りは、韓国映画の王道で、なかなか心を和ませてくれる。だがその後に待ち受けていた、オム・ホンギルの“下山”が、物語を悲劇へといざなう。カンチェジュンガでの命がけのフォースト・ビバーク(緊急時の露営)など、ホンギルとムテクの心が通い合うきっかけは丁寧に描き出されているものの、栄光の登山の数々は、例えば到達した山頂でふざけ合う二人を見せるという体で観客の笑いを誘いながら、足早にスクリーンを通り過ぎていく。そしてその後は、ムテクを“下山”させ、妻に会わせることを目的としたチョモランマヒューマン遠征隊の、胸をかきむしるような登攀の顛末に、カットが費やされているのだ。
本作を手がけたイ・ソクフン監督の『ダンシング・クィーン』では、平凡な弁護士が突如ソウル市長候補に担ぎ出されると同時に、妻もかつて夢見たトップアイドルへ再び挑戦する。韓国お得意の笑って泣けるウェルメイドなコメディー映画ながら、民主主義、女性の自立といった社会風刺も効いた快作だった。中国から授けられた朝鮮王国建国の公印、国璽をめぐって海賊、山賊、国軍が激突する海洋アクション・コメディー『パイレーツ』は、建国の最初期、国璽が10年間失われていたという歴史の謎に材を取りながら、「巨大クジラが国璽を飲み込んだ」という奇想をストーリーの鍵として、荒くれ者が縦横無尽に大暴れする痛快スペクタクル巨編だった。これら過去の代表作に目をやれば、暖かなユーモアと涙、臨場感が不可欠な要素である『ヒマラヤ』は、イ監督の本領だったわけである。
夜明けの陽光が山肌をなでていく壮大な眺めや、道なき雪山を踏みしめていく張りつめた空気のリアリティに目を奪われる。シーンによっては特殊効果も用いているだろうが、韓国国内の山間部やヒマラヤ山脈(ネパール)、モンブラン(フランス)の高山地帯での現地ロケが、本作の映像世界を確実に豊かに創り出している。凍てつくような氷と雪の空間に響く、ピッケルやアイゼンの金属音なども、雪山の力感を存分に伝えており、その再現能力には感服するほかないが、それらにも増して、ホンギルたちの次第にかすれていく声や、最期の瞬間にムテクが発する苦しげな息遣いなど、演じる者が山岳の苛酷さを肉体で語るさまに、心が揺さぶられる。
『ダンシング・クィーン』の弁護士役はファン・ジョンミンであり、イ監督とはいみじくも本作で再タッグを組むことになったのだが、泥臭くも真摯に目標へ邁進していくキャラクターが真骨頂の彼を置いて、ホンギル役は他に見当たらない。初登場シーンでは勝ち気なヒロインだが、後半は喪失感に沈みつつ芯の強さも見せたムテクの妻、スヨンに扮したチョン・ユミは、飾り気がない可憐な女優だ。こうした俳優や女優たちの質朴な魅力が、「名誉なきヒューマン遠征隊」の愚直さに説得力を与え、映画の信頼性を一層強くする。
このように役者からにじみ出る映画的真実味が、『ヒマラヤ』の真価である。どれほど撮影技術や映像効果の革新が進もうとも、映画に感動するという心の営みは、人の存在によってより強くもたらされるものなのだと、本作は改めて気づかせてくれるのだ。
劇中、「頂上に登った後どうするか」とTVクルーに尋ねられたムテクは、出身地である大邱市の慶尚道方言混じりに「登ったら、下りるしかないやろ」と嘯く。いつも明るく調子のよいムテクの軽口だったはずだが、その言葉が持つ真の意味を、山を知り尽くしていたホンギルすら理解していなかった。名誉も栄光もない旅の終わりは、観る者の頬を濡らすことだろう。山を下りることは、頂上に到達するよりも成し難く、この上なく幸福なのだ。
【映画情報】
『ヒマラヤ~地上8,000メートルの絆~』
(2015年/韓国/124分/カラー/5.1chデジタル/日本語字幕:小寺由香/原題:히말라야 )
出演:ファン・ジョンミン チョンウ チョ・ソンハ キム・イングォン ラ・ミラン チョン・ユミ
撮影:キム・テソン/ホン・スンヒョク
照明:キム・ギョンソク
美術:パク・イルヒョン
音楽:ファン・サンジュン
編集:イ・ジン
衣装:キム・ウンスク
ヘアメイク:ソン・ウンジュ
特殊効果:ホン・ジャンピョ
製作総指揮:チョン・テソン
プロデューサー:ユン・ジェギュン
脚本:スオ/ミン・ジウン
脚色:ユン・ジェギュン/イ・ソクフン/カン・デギュ/パク・スジン/イ・ジョンソク
監督:イ・ソクフン
配給:CJ Entertainment Japan
宣伝協力:木村和也 wa-nal(wa-nalはロゴ使用)/協力:KOREAN AIR
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7月30日(土)より ヒューマントラストシネマ有楽町、シネマート新宿 ほか 全国順次ロードショー
公式HP→himalayas-movie.jp
【執筆者プロフィール】
荒井南 Minami Arai
映写係をしながら映画評を書いています。「シネマコリア」ライター、「ことばの映画館」編集委員。「韓国映画で学ぶ韓国の社会と歴史」(キネマ旬報社)が発売中。Twitter:@33mi99