【Review】素顔のままで(遠藤ミチロウ監督『お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました』論) text 鈴木並木

記憶違いだったらスミマセン、とまず最初に謝ってから始めますけど、たしか『オートバイ少女』の公開の際だったか、あがた森魚監督が(もちろん)やや自嘲気味に「異業種監督の中でもミュージシャンはロクな作品を撮らないと言われておりまして……」みたいな発言をしていた。

おそらくその悪評は、ミュージシャン監督なんてものはどうせ、頭の中の思いつきを未整理なまま、ひとりよがりな形で出しているんだろうとの(ときには事実でもある)偏見にもとづくのだろう。もっとも、素人が金や知名度にまかせて映像を私物化するのは、別にミュージシャンに限った話ではない。それにそもそも、(かつては時代の申し子だったかもしれない)異業種監督なんて言葉自体が、いまではもう死語になっている。経済の衰退にともなって異業種監督が少なくなったからなのか、逆に異業種監督ばかりになってきたからなのか、それはわからないけれど。

とはいえたとえば、指原莉乃が堂々と(異業種)監督を務めた(セルフ・)ドキュメンタリー『尾崎支配人が泣いた夜 DOCUMENTARY of HKT48』を見ると、ふだんから愛情を注いで接している身近な題材を撮ったから、というだけではない、彼女自身のカンのよさが明らかに感じられる。しかしそれさえも、作品中に登場する「ドキュメンタリー監修」なる肩書きの人物の入れ知恵だろうと深読み、邪推するひともいるかもしれない。

この調子で書いていると、お前、ウェブを私物化して指原の話がしたいだけじゃないのか、と(事実でもあるかもしれない)批判を浴びそうなので、化けの皮が剥がれる前にそろそろ本題に入ろう。

本作の監督であるミュージシャン、遠藤ミチロウが世に出たのは、80年代初頭、パンク・バンド「ザ・スターリン」のフロント・マンとしてだった。当時の日本のロック・シーンが2016年のそれとはまったく違ったアングラなものだった事実を考えに入れてもなお、ステージから豚の臓物を散布するなどのパフォーマンスは、いまなお伝説的に語り継がれている。(もっとも、マスコミを通じて人間のハートの一部始終が散布されてしまう現代においては、豚の臓物くらい、たいした問題にはならないかもしれないですね)

かつては過激なパフォーマンスで知られたミュージシャンのセルフ・ドキュメンタリーと聞いて、身構えてしまうひとも少なくないだろう。しかもなにやら挑発的なタイトル。私事で恐縮ですが、我が家に届いた本稿の執筆依頼のメールの件名には、「お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました」とだけ書かれていて、なにごとかと一瞬ぎくっとしてしまった。

しかしこの映画は、ザ・スターリンあるいは遠藤ミチロウの音楽歴の全体像をたどる自伝でもなければ、映画を撮る機会を得て舞い上がった素人による手前勝手な自分語りでもない。乗り物の上に人生を浮かべ、ギター片手に還暦を迎えた男が、旅を住処とする自身の約1年間を、およそ初監督作とは思えない手際で切り取ったもの。ではどんな手際なのか。老成、枯淡、朴訥、堅実……どんなふうに形容しても、少しずつなにかがはみ出てしまう。

冒頭、白河の関を越えて、遠藤が福島県二本松の実家に帰ってくる。描かれるのは放蕩息子の帰還か、母と子の絆か。しかし実際はどちらでもなく、わたしたちはまず肩透かしを喰らわされる。続いて、地方都市の街角らしい場所で、遠藤が歌っている。駐車場かどこかだろうか、ステージなんぞはない。客はせいぜい数十人。歌のバックには、雷が響いている。屋根のない場所、雨が降ってきたら歌っているほうも見ているお客さんもたいへんだろうな、と思いながら見ていると、雷鳴はしだいに音量を増し、あきらかに不自然なほどの、歌と演奏をかき消さんばかりのヴォリュームになる。こんなに大きな音で雷が鳴っているのに、気にする者は誰もいない。

喉の奥から搾り出される、異様にか細いシャウト。残り少ないマヨネーズや歯磨き粉をなんとか使いきろうとチューブをねじったときにちろりと先端から出てくる、あの感じ。なるほど、力の限り、声が枯れる寸前まで歌っているのだな、と思いながら見ていると、歌い終わった遠藤が観客に向かってMCを始める。打って変わって声は太く、さきほどの消え入りそうなシャウトとは別人のようなのだ。

ここらへんまで見進めたところで、あ、あっかんべーしてるんだな、生のままの記録とかじゃないんだ、と気付く。

そのまま見続けてみよう。ライヴの前の楽屋で、遠藤が丹念にメイクアップをする場面がある。男が化粧をする映画自体はそれほど珍しいものでもないはずだけれども、あえて強調されているその様子には、いつまでも見ていたくなるような不思議な魅力がある。そのうち、彼のメイクが、ひとりでのギター弾き語りや小編成のときはほんのりと薄く、バンド編成ではくっきりと濃いだなんて違いもわかってくる。

もちろん、移動中やオフステージなど、ノーメイクらしい姿もふんだんに見られるのだが、だがしかし、前段のあまりに印象的なメイクアップのおかげで、はたしてここにいる男の言葉を信じていいのか、まだ剥ぎとれる薄皮が1枚2枚あるのじゃないか、との疑念がつきまとってしまう。もともとそれぞれに複雑なかたちをした多面体であるあなたやわたしは、自分自身の話を誰かにするとき、意図的にせよ無意識のうちにせよ、省略や誇張をおこなうだろう。遠藤にしても、同じだ。ここで、ザ・スターリンのバンドのロゴを思い出してみていただきたい。Sの字を矢印が貫いて、資本主義の象徴である$のマークになっている、あの鮮やかな二面性を。

さて、私事で恐縮ですが、90年代初頭に上京してきてレコード屋でバイトしていたときの話。そこの社員さんから「俺、高校のころ、遠藤ミチロウと一緒に花屋でバイトしてたよ」と聞かされて驚いた。音楽の話で意気投合し、「遠藤くんって高校どこ?」と訊ねたら、いやもう自分はアラサーなのだ、と返事がかえってきて驚いたとか。たしかに年譜をひもといてみれば、1950年生まれの遠藤がスターリンでデビューしたのは、30歳を過ぎてからだ。

本作の撮影は、彼が還暦を迎える年から始まっている。翌年になって、撮影開始の時点では想像もしていなかったいくつかの事象が起きた。それによって、あなたやわたしもそうだったように、遠藤のかたちも少なからず変化しただろう。そうして、本来であれば発せられるはずもなかった言葉が口から出てくる。たとえば、当時を反芻して彼が言う「水素爆発だから、メルトダウンじゃないから大丈夫、と言われたけど、でも、爆発だしなー」などは、科学的な正確さどうこうとは別の位相の、ある時点での気持ちの問題を、端的にとらえているのじゃないか。私事で恐縮ですが、この言葉にはある正しさがある、と強調せざるを得ない。

旅の日々からにじみ出る、硬軟さまざまの言葉。広島のライヴ・ハウスのマスターとの会話では、「核兵器を廃絶することでHIROSHIMAを希望の言葉にだってできたはずだった(けれどもできなかった)」と諦念をにじませる。かと思えば、宇和島のロック食堂では、用意された宿を断って「今晩この子たち(=そこの家の猫!)とここでお世話になるわけにはいきませんか」と申し出たりする。

こうしたあれこれを、キャッチフレーズの名手としての遠藤の仕事の続きとしてとらえてみてもいいだろう。私事で恐縮ですが、彼の音楽にほとんど接してきていないわたしにしてからが、ちょっと思い出してみただけでも、「嫌ダッと言っても愛してやるさ!」「虫になったらよろしく」「吐き気がするほどロマンチックだぜ」「オレはアザラシ手も足も出ない」などなど、印象的な一節がたちどころに浮かんでくる。

ところで、さきほど宇和島と書いたとおり、遠藤は、およそ有名ミュージシャンがあまり行かないような津々浦々の街もこまめに訪れている。船で奄美大島に渡り、さらに南の加計呂麻島まで行って島尾敏雄の話をするあたりでは、どうしても親近感を覚えずにはいられなかった。私事で恐縮ですが、わたしの父は奄美大島の最南端に近い貧村の出身で、浜辺に出るとすぐ向こう、泳いで行けそうな距離に加計呂麻島が見えるのだ。父が若かった1960年代、島尾敏雄は奄美大島で図書館長をしていたはずで、ふたりはどこかですれ違っていたかもしれない。そんな事情もあって、奄美でのフェスのステージで遠藤が見せる力の抜けた笑顔は、わたしには格別うれしかった。これこそ私事で恐縮、ですが。

遠藤の現在は、あなたやわたしの現在同様に、過去からの連続として存在している。それを強く感じさせるのが、福島での球場でのライヴのシーンだ。裸の上半身を観客に向かって突き出すポーズが、作中で少しだけ引用される30年前の映像の中の姿とほぼ同じだからというのも、もちろんある。だがそれよりも、贅肉のない、痩せてはいるけれども日々の研鑽をうかがわせる肉体が、30年前と変わらないことに驚かされるのだ。そして、私事で恐縮ですが、遠藤の半裸の精悍な身体は、わたしが子供の頃によく遊びに行っていた、福島の親戚の家で飼っていた犬を思い出させた。

ステージからグラウンドに降り立ち、スタンドの観客に向かって走っていく遠藤。複数のカメラが彼を追う。それぞれのカメラは、いささか過剰な手ブレを起こしつつ遠藤をとらえながら、同時に、彼を追っているほかのカメラマンの姿も不可避的に撮ってしまう。私事で恐縮ですが、カメラマンとの鬼ごっこを終えてステージに戻ってくる遠藤を見て、わたしは思った。もしかして彼は「いかにもライヴを撮っているような手ブレ映像」を生み出すために、また、自分を撮っているカメラを別のカメラに撮らせるために、演出行為として走ったのではないか、と。

このライヴは、音楽を中心としたフェス「プロジェクトFUKUSHIMA!」でのものだ。遠藤が故郷を再び意識するようになり、同プロジェクトの発起人のひとりを務めたのは、直接的にはもちろん、震災とそれによる原発事故に対するアクションとしてだろう。しかし前述の広島での発言は、20年前から遠藤が爆心地でのライヴを続けている事実からつながって出てきたのだし、また、2010年の時点ですでに、アメリカ先住民のナヴァホ族がウラニウムで被爆している事実にも言及している。直接映されている期間は1年ほどでも、背後には膨大な時間の堆積があって、作中のそこかしこに顔をのぞかせている。昨日や今日の話ではない。

映画の後半の実家訪問では、母親や親戚とのなごやかな時間が持たれる。現代日本のセルフ・ドキュメンタリーのいくつかにあるような劇的な場面は、ここにはない。映画の主題歌ともいえる「お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました」では「お母さん! お母さん! お母さん!」と、フレーズごとにめまぐるしくトーンを変え、愛憎半ばした口調で何度も呼びかけていた息子も、いざ実際に対面すれば、そんなもんだろう。

お母さんの顔なんてぇのは、目をつぶれば瞼の裏側に自然と浮かんできてしまって、そう簡単に忘れられやしないのだ。でもそのごく当たり前の結論にたどり着くまでの道のりは、決して平坦ではない。迷い、立ち止まり、寄り道、逡巡、そうしたものを切り捨てず、現在に至るまでの時間の流れや絡まりを無理にときほぐすでもなく、そのまま提示したこの映画は、一筋縄ではいかないがゆえに、愛くるしい。私事で恐縮ですが、その複雑さをこうして無理矢理文字にさせられる行為の隔靴掻痒感を、遠藤監督の第2作を見る日まで、胸のどこかに忘れずにとどめておきたい。

【作品情報】

『お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました』
2015年/日本/カラー/DCP/5.1ch/102分)

監督:遠藤ミチロウ 製作・配給:シマフィルム株式会社  ©2015 SHIMAFILMS
プロデューサー:志摩敏樹 撮影:高木風太 録音・整音:松野泉 制作進行:酒井力
編集:志摩敏樹、松野泉 撮影協力:柴田剛 宣伝美術:境隆太
配給担当:田中誠一

全国各地で公開中(最新情報は公式サイトをご覧下さい)

公式サイト→http://michiro-oiaw.jp

【執筆者プロフィール】

鈴木並木(すずき・なみき)
1973年、栃木県(福島県との県境近く)生まれ。会社員。初めて聴いたザ・スターリンのアルバムは『STOP JAP』(の、ダビングしてもらったカセット)。私事で恐縮ですが、いろいろなひとに映画の話を聞くトーク・イヴェント「映画のポケット」を不定期で開催しています。neoneo 07号にもノンフィクション×ドキュメンタリー10本勝負『戒厳令下チリ潜入記』VS『戒厳令下チリ潜入記』を寄稿。


【特報】

遠藤ミチロウ & 小沢和史監督 
最新作『SHIDAMYOJIN』間もなく完成!


2016年8月21日(日)東京APIA40 http://apia-net.com にて上映

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