南カリフォルニア大学映画芸術学科のスタジオ外観
世界中で未曾有の事態をもたらしたパンデミックは、映画業界にも深刻なダメージを与えてきた。毎年2月に行われるのが恒例だったアカデミー賞が延期になったのをはじめとして、長引くパンデミックは制作・配給・興行のすべての側面で映画文化のこれまでのあり方をおびやかしつづけている。しかし、コロナ禍が影響を与えたのは産業に関わる場面だけではない。それは、人材を育成する教育の現場にも多くの混乱をもたらしてきた。経済活動やグループでの行動が制限される状況下のロサンゼルスにおいて、フィルムスクールはどのような対応を迫られ、学生たちはどのように過ごしてきたのだろうか。今回の連載では、USCの映画・テレビプロダクション部門に焦点を当て、USCフィルムスクールの歴史的な変遷をハリウッドとの関連から紐解きつつ、パンデミック下での映画文化の変容を教育や学びという観点から考えてみたい。
映画芸術科学アカデミー(Academy of Motion Picture Arts and Science)とその初代会長であるダグラス・フェアバンクスが後援者となって1929年の春に創設されたUSCの映画学部の歴史は、つねにハリウッドとの関連から語られてきた。一説には、USCの5代目学長だったルーフュス・ヴォン・クラインスミッドがフェアバンクスと趣味のフェンシング仲間で、大学の教育と映画産業の連携について何気なく会話ことが映画学部創設のきっかけになったとも言われている。この逸話の真偽は不明だが、産業として成立してからの日も浅く、その基盤や権威的な枠組みを整備しつつあった当時の映画産業と、大学教育の目玉を打ち立てる必要に迫られていた大学側の思惑が、双方に利益をもたらすかたちで合致したという事情が背後にあったことは想像に難くない。
フェアバンクスをはじめとする業界人とのつながりを含め、華やかな逸話が強調されがちな映画学部創設をめぐる物語とは裏腹に、設立当時の内実は「活劇入門」という一つの講座の開講にとどまっており、その講座も短命に終わったようだ。ハリウッドとのつながりはその後も大学の名声を高めるための言説として強調されてきたようだが、ジョージ・ルーカスやスティーヴン・スピルバーグといった業界人との結びつきがスポンサーシップとして安定化し、ハリウッドに参入する人材の育成を軸としてプロダクション部門が現在の姿に近いかたちで整備されたのは80年代になってからのことだった(※)。 もちろん、USCの映画芸術学部・学科にはプロダクション部門だけではなく、私の所属するフィルムスタディーズの講座を含めた6つの教育部門が並んで存在しており、そのすべての部門がプロダクション部門のようにハリウッドとの強い結びつきを持っているわけではない。しかし、業界人たちの寄付によって建てられた校舎——フェアバンクスの銅像を中心に、ルーカスとスピルバーグの名が配された校舎が向かい合っている——で学び、ルーカスの寄付をベースにした奨学金を支給されて学ぶ日々からは、フィルムスタディーズの一学生としてもハリウッドと大学の分かち難い結びつきを否応なく実感してきた。
そのようにハリウッドとの蜜月関係の中で整備されてきたUSCのプロダクションで学ぶ利点として強調されてきたのが、映画制作の共同的なあり方、そして、学びの過程を通じて形成されるネットワークの構築だった。そうした集団的な調整や交渉に特徴づけられる制作過程を重視するUSCのプロダクションの特徴は、あくまで個人の創造性をベースとした作品制作に重点を置く多くの美術大学の映像制作プログラムと比較すると、より一層はっきりするだろう。このように共同的な学びのプロセスやネットワークの構築を重視してきたUSCのプロダクション教育の理念を考えると、感染防止対策として対面授業が全面的に制限される状況下で、プロダクション部門の学びの活動が受けた打撃は測り知ることができない。
しかし、そうした困難な状況にさらされたプロダクションの教育現場でも、ヴァーチュアルな空間を介して新しい共同性を構築しようとする試みが現れてきている。2020年の春の段階では、対面式授業とオンラインのハイブリッドで8月から始まる秋学期の授業が行われるだろうと予想していたプロダクション課程に所属するある友人は、秋学期の授業がすべてオンラインで行われるという知らせを受けて、それまで練り込んできた映画のシナリオやプロジェクトの全体像を練り直さなければならなくなったという。そこで彼とチームメンバーが直面した最大の障壁は、コロナの感染拡大を防ぐため、一つの現場に多くの人が集まる撮影形態は避けなければならないという点だった。そこで彼らの制作グループが考えたのが、シナリオを空間的に限定したものにするという案だ。そのアイディアをベースに、彼の制作チームは、役者を引き受ける学生の家を舞台に、室内の空間と庭を唯一の撮影現場としてシナリオを書き直したという。その上で、すべての撮影機材を現場となる役者の家に配達し、映画撮影の担当者が綿密にカメラの配置やアングルを出演者らに説明した。その説明に従って、役者が自身にカメラをセッティングし、撮影担当者がカメラの遠隔操作機能によってフォーカスを含む微細なレンズの調節を行うことで撮影を進めた。そして、最終的に撮影された素材をチームメイトで共有し、さらにZoom上で意見交換を重ねながら撮影や編集を進めていくという方法を編み出したという。ただ、撮影に関しては、現場にいる役者が細かなカメラの操作ができないという難点もあった。そのため、撮影しながらカメラを動かさなければならないパンやトラッキングショットは省かざるを得ず、結果的には静的なショットの組み合わせで作品を構成しなければいけないという制約があったと友人は話していた。しかし完成した作品を見せてもらったところ、それは短編ながら、静的なカメラワークが活き、細やかな心理描写に富んだ室内劇になっており、諸々の制約から来るネガティブな側面よりはむしろ、複数の制約を踏まえたうえで、それを乗り越えるための創意工夫にあふれた新しい共同性のあり方を探る試みとなっているように感じられた。
もちろん、パンデミック下の状況に対抗し、最新の技術を駆使して新しい映画作りのモードを打ち立てようとする試みは、商業映画の現場にも現れてきている。例えばウェブベースの共同作業のプラットフォームを提供するFrame.ioは、映画の撮影現場で撮られた素材をタイムコード等必要な情報ととともにウェブのクラウドファイルに瞬時にアップロードするCamera to Cloudというサービスの展開を発表した。Camera to Cloudをはじめとするこうした一連のサービスは、ワークフローに関わるすべての情報と素材をクラウドで共有することによって、撮影現場にいるクルーメンバーの数を最小限に抑え、編集を始めとするあらゆる作業をヴァーチュアルなコミュニケーションを介して行うことを可能にしてきた。こうしたプラットフォームを活用する試みは、まさにコロナ時代における映画業界の新しい共同性を示唆する一例だと言えるだろう。
パンデミック下、映画のプログラム代わりにロスフェリス映画館に掲げられたメッセージ
2020年には、多くの映画がパンデミック下で製作延期になり、感染拡大の防止のため映画館は営業を停止せざるを得ない状況に追い込まれた。ストリーミングの需要が爆発的に増える一方で、映画館側も感染のリスクを下げるためドライブインシアターの営業に乗り出すなど、映画産業の状況や私たちを取り巻くメディア環境はこの一年の間に大きく変わってしまった。今年に入り減少傾向にあるコロナの感染者数や、病院のICU空き病床率が改善されたというニュースに人々は、ようやく「日常」へ戻ることへの希望を募らせている。しかし同時に、コロナ禍が収束としても、パンデミックによって変容してしまった映画界が完全にコロナ以前に戻ることは難しいという見方が多くの映画人に共有されてもいる。パンデミックは人々が映画を受容する慣例を変えてしまったし、援助資金や創意工夫をこらして生き残った映画館に観客が戻ってくるかどうかは誰にも予想ができないからだ。しかし、USCのプロダクション部門でなされている取り組みをはじめ、制約を乗り越えて(もしくはその制約を利用して)新しい表現方法を探ろうとする共同性からは、ささやかではありながらも、映画というひとつのツールを通じて、困難な状況を乗り越えようとする私たちの創造力そして想像力の力強さを垣間見たような気がした。
(※)第二次世界大戦後から70年代までにかけてUSCのプロダクションが商業映画の部門だけではなく、むしろ非商業的な教育映画の制作や全米での配給において主要な役割を果たしていたことを論じている以下の論文は、「ハリウッドに一番近いフィルムスクール」として名を馳せてきたUSCの歴史が遡及的に形成されていった過程を明らかにしている。Dino Everett and Jennifer Peterson. “When film went to college: a brief history of the USC Hugh M. Hefner moving image archive.” The Moving Image: The Journal of the Association of Moving Image Archivists 13.1 (2013): 33-65.
【執筆者プロフィール】
中根若恵(なかね・わかえ)
1991年生まれ。南カリフォルニア大学映画芸術学科博士課程在籍。専門は映画学とジェンダー論。論文に「作者としての出演女性——ドキュメンタリー映画『極私的エロス・恋歌1974』とウーマン・リブ」(『JunCture 超域的日本文化研究』7号、2016年)、「親密圏の構築——女性のセルフドキュメンタリーとしての河瀨直美映画」(『映像学』97号、2017年)。